<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/">
<title>与論島クオリア</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/</link>
<description>◆与論だけの“あの感じ”を言葉にする◆与論・奄美・沖縄（琉球弧）の“同じ”を発見する◆</description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2012-05-27T14:02:56+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-98b8.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-ef00.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-8862.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-14c7.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-87b8.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-b9c6.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-77e2.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/20-5005.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-6793.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1d4f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-3a82.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1a22.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-98b8.html">
<title>向原祥隆の鹿児島県知事選、出馬表明に寄せて</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-98b8.html</link>
<description>　５月２２日、南方新社代表の向原祥隆（むこはらやすたか）が、６月２１日告示の鹿児...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　５月２２日、南方新社代表の向原祥隆（むこはらやすたか）が、６月２１日告示の鹿児島県知事選への出馬表明を行った。川内原発1、２号機の再稼動を拒否するか否か、３号機増設の白紙撤回を九州電力に申し入れるか、の点について現職の伊藤知事に公開質問状を提出。伊藤知事による、これに回答するつもりは「全くありません」という応答を受けてのものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;iframe width=&quot;450&quot; height=&quot;253&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/KB-7q_2KoG4&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　出馬表明の際の記者会見の模様も見ることができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;iframe width=&quot;450&quot; height=&quot;253&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/Kh08N5xYRp4&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;iframe width=&quot;450&quot; height=&quot;253&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/Uhn7zSJxKm4&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;iframe width=&quot;450&quot; height=&quot;253&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/VxmYcTVgipE&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;iframe width=&quot;450&quot; height=&quot;253&quot; src=&quot;http://www.youtube.com/embed/F4OWiVWNXuA&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　向原は脱原発を標榜していることが強調されるが、エネルギー政策の転換という点だけではなく、彼が基本施政として謳っているのは、「天下り・官僚知事から民間・土着の知事へ」ということだ。向原が言うのは、国の方針をそのまま鹿児島県に押し付けるのを止めるということ。知事は、国の統治代行者ではなく、奉仕者として県民の側を向いて県民に寄り添うのが筋だということだ。これは、鹿児島県に住んだことがあれば実感としてよく分かる。福島が会津として明治以降、官軍の意思によって苦杯を味わわされてきた地域だとすれば、鹿児島は官軍の意思に自己同化しつつその実、苦杯を強いられてきた地域である。あるいは苦杯を強いられているのを、官軍の意思に自己同化することで見ぬ振りをしてきたと言い換えてもいい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　現時点で発表されている向原の政策も記事になっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://blogos.com/article/39724/&quot;&gt;２０１２年知事選:「原発、米軍、産廃とは縁切る」　向原氏が基本政策を発表　／鹿児島&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　◆向原氏の主な基本政策

&lt;p&gt;・川内原発１、２号機再稼働反対&lt;br /&gt;
・同３号機増設の白紙撤回&lt;br /&gt;
・高レベル放射性廃棄物処分場建設反対&lt;br /&gt;
・馬毛島の軍事基地化反対&lt;br /&gt;
・薩摩川内市の最終処分場建設白紙撤回&lt;br /&gt;
・ＴＰＰ参加反対&lt;br /&gt;
・副知事に女性を登用&lt;br /&gt;
・若者の起業、就労支援&lt;br /&gt;
・農村就労促進&lt;/blockquote&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　伊藤は「脱原発」しか選択肢はないとしつつ、しかし経済のためには向こう３０年間は再稼動はやむをえないという考えであるのに対し、向原は、自分が生きていないかもしれない３０年後に脱原発というのは、そもそも脱原発ではない現状容認にしか過ぎず、「原発という選択肢は福島以降、ない」としている点で明確な対立線を引いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ぼくは、科学技術としての原子力は研究され続けるべきだと思う。それが、原子力を技術化した人間の責任である。そして原子力を実際のエネルギー技術として適用するには、万全の防御装置を施した上でする他ない。しかしそれを商売としてやるには現段階の技術とコストでは採算が採れないというのであれば、稼動はすべきではない。採算とコストに合う程度の防御装置で行うという選択肢は福島の事故で破綻してしまっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こんかい直面しているのは、ひとたび事故が起きれば、当事者ですら責任を取れないという事態だ。ふつうリスクというのは、それが起こった場合の対処法を想定するし想定できるからリスクを取れるのだが、これは対処法が実質ないというリスクなのだ。そのことは、福島の事故が起きるまであいまいな認識のまま原子力発電を容認してきた自分にも認識の転換を迫るものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　制御可能な原子力技術があれば、その話を聞きたいし、そういう声が科学者のなかから聞こえてこないのは残念だ。原子力技術のエネルギー化が現時点で不可能であれば、いずれ出てくるだろう向原のマニフェストが、脱原発以降のエネルギー政策が明瞭に現れて、原発とは別の、県民の生活の不安を少しでも拭い去ることを期待したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もうひとつ。選挙戦が終わるまで、メディアが報道することはないだろう側面で取り上げておきたいことがある。それは、向原は、「天下り・官僚知事から民間・土着の知事へ」とメッセージするが、これをぼくに引き寄せて言えば、奄美に対して理解と行動を示してきた鹿児島出身者の立候補であるということだ。ぼくたちにとっては、これは特筆すべきことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　向原祥隆を応援するサイトも立ち上がっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://mukohara.net/&quot;&gt;向原よしたか&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-05-27T14:02:56+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-ef00.html">
<title>『酒とシャーマン―「おもろさうし」を読む』とナ行音の前の撥音化</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/05/post-ef00.html</link>
<description>　吉成直樹の『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』 は、「おもろそうし」が思...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　吉成直樹の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787961098/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4787961098&quot;&gt;『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4787961098&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は、「おもろそうし」が思われている以上にシャーマン的な側面を持っているのではないかとして、その要素をいくつか抽出してみせたものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「しけち」も「ち」も酒を意味するが、「しけ」は「神がかること」を意味するのではないか。神がかるということは精神が別の次元に転移することで、それは酒を飲んだ時の状態と同じだから、「ち」に「しけ」を冠したのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「しけ」は「神がかること」と「海が荒れること」の両方の意味を持つ。それは、「神がかって身体をふるわせる姿が、海が荒れている情景と重なり合っているためだ」と考えられるからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　霊力を意味する「せぢ」の原泉は、「しけ」と「あふ」にある。すると、「しけ」（神がかること）が、「せぢ」（霊力）の原泉ということになる。ここから、「せぢ」は「神がかった神女が発する神の言葉の霊力」ということになる。「おもろそうし」の「せぢ」にこの意味が込められているものはほとんどないが、「せぢ」が「霊力」の意味になりもともとの意味が忘れられていった結果でないかということはおおいにありうる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　歌謡「みせせる」は神のつぶやき、ささやきを意味する「宣（せ）る」が原意で、神が人に言葉を発すること。これに対して本土古語の「宣（の）る」は人が神に祈願すること。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　ところで、この「宣（せ）る」という言葉を居考えてみますと、その連用形「宣り」は名詞になります。琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合がありますから、「せに」「せん」「せの」への変化が考えられます。これらの言葉は「酒」を意味します。つまり、ここでも、神がかりして言葉を発することと「酒」は、同じ語源と考えられることになります。（p.121）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　「しけ」が神がかりに関係する言葉なら、「あふ」も同じ意味である可能性が高い。「あふ」は「別々ものが一つになる、溶け合う」ことを意味する「あふ」に行きつく。「死者の眠る地先の小島」を奥武（あふ）島というが、これも「あふ」だとすれば、そこに行けば死者と一体化できる「あふしま」と解することもできる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787961098/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4787961098&quot;&gt;『酒とシャーマン―『おもろさうし』を読む』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4787961098&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は、酒と神がかりの同一視から、「しけ」、「あふ」、「宣（せ）る」「霊力（せぢ）」を一気通貫に読み解いたもので、短いながら「しけ」をめぐる冒険が面白かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、ここまで引いておきながらぼくの関心は別のところに移ってしまう。吉成は「琉球語ではラ行音はナ行音に変化する場合があ」るとしているが、別のところでは、こう書いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　さきに述べた「宣の君」の問題も。「宣る」の連用形の「せり」が用いられた「せりの君」が「せんの君」になり、。撥音の「ん」が脱落したと考えることができるかもしれません。「ら」「り」がナ行音の前で撥音化し、さらに脱落するいことは本土古語の場合にはよく見られる現象のようです。（p.92）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　どうしてここで立ち止まるのかと言えば、ぼくにとっては他でもない。「ゆんぬ」の語源として、ぼくは「ゆに」が「ゆうに」（長音化）を経て「ゆんぬ」（撥音化）になったという経緯を考えている（cf.&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html&quot;&gt;「砂州としてのユンヌ（与論島）」&lt;/a&gt;）が、ラ行のナ行音化と撥音化は、「ゆるぬ」から「ゆんぬ」への道筋をつけるものであるかもしれないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「ゆんぬ」の語源として挙げられるものに、「ゆるぬ」がある。「寄りもの」という意味とされる。吉成が言うように、ラ行音がナ行音の前で撥音化することがあるとすれば、「ゆるぬ」が「ゆんぬ」へ転化することは、少なくとも音韻の上からはありえることになる。1614年に「輿留濃」と記されたことにも脈絡がつく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そこでぼくは改めて、語源の意味からの妥当性を探ることになる。まず、前にも書いたが、色々なものが寄ってくる島という「寄りもの」という名称は、土地の地勢を表わすという初期の地名命名の原則から言えば、ありえないと思える。地勢の特徴を言う前に、その土地に見られる現象で名指すとは思えないからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　似た地名として奄美大島に寄り添った「与路島」があるが、与路島と与論島を同一視した視方も存在している。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　また、遣唐使南島路の時代に寄港地名としての由来に基づく島名がある。ユル（与路）、ユンヌ（与論島）という方言名の島々は、船舶の寄り着く意をそのまま島名にしている。&lt;br&gt;
　奄美大島南部の瀬戸内町や宇検村は特に良港に恵まれているため、外地からの遠洋航海の寄港地としての口碑が多く語られている。与路島に面する加計呂麻島の伊子茂港は遣唐使船の寄港地であったという口碑が伝承されている。（星崎一著「与路島誌」参照）（p.391「古代の南島経営と奄美の地名表記考」林蘇喜男&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861240263/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861240263&quot;&gt;『奄美学―その地平と彼方』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861240263&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;
2005年）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　これも地名の初期型の原則からすれば、「泊」（トゥマイ）という地名ならともかく寄港地であることが島名になるとは思えない。また、与路はいざ知らず、与論は珊瑚礁が発達しているため船舶の寄港として避けられた場所である。与路島と与論島の地名としての同一視は単に音韻の類似に拠ったものだと思える。与路にしても寄港地由来であるかは疑わしい。寄港地であるためには、そこにあらかじめ島民がいなくてはならないが、島人が生活の場である島を「寄港地」と言うのは不自然だからだ。また、遣唐使船の頃に付いた名だとしたら、それでは古名ではないことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　与路は隣の請島（ウキ）との対で考えると、「寄る」島と「浮く」島ではないかと思える。島の規模から考えて、もともと大島、加計呂麻島に人は住んだと想定すれば、加計呂麻島から見て、大島に「寄った」島、「浮いて」見える島として名づけられ、そこに移った島人もその呼称に倣ったという仮説だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「ゆるぬ」がありうるとしたら、この場合の与路と同じく、沖縄島に「寄った」島という意味ならあり得るかもしれないと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、これも、名づけの視線が外在的で、「ゆに」（砂）由来だということに、ぼくは説得力を感じるし惹かれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787961098/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4787961098&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4787961098&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4787961098&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861240263/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861240263&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4861240263&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861240263&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 3.与論の地名</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-05-05T14:45:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-8862.html">
<title>かがり火が灯すもの</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-8862.html</link>
<description>　昨日、４月２８日、与論島と辺戸岬では海上集会が開かれ、夜には双方でかがり火を灯...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　昨日、４月２８日、与論島と辺戸岬では海上集会が開かれ、夜には双方でかがり火を灯しあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その由来を今日の&lt;a href=&quot;http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190595-storytopic-1.html&quot;&gt;「琉球新報」&lt;/a&gt;は次のように伝えている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;国頭村と鹿児島県与論町は２８日、奄美群島が１９５３年に本土復帰した後に、国境となった北緯２７度線で、沖縄の本土復帰を求める「海上集会」を４３年ぶりに再現した。この日は沖縄や奄美群島が日本から切り離された５２年のサンフランシスコ平和条約の発効から６０年。ことしは復帰４０年の節目にも当たる。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　海上集会は、63年から69年まで7年間に渡って行われた。生まれた年からだから、ぼくは参加したことはない。復帰の時に、沖縄島を眺めながら、その洋上に国境線が引かれていることに違和感を覚えた記憶がある程度だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　43年ぶりの海上集会の再現は与論から呼びかけて行われている。これは、与論らしい与論ならではのアクションだ。境界を消すということ、しかも強制的ではなく理論的にでもなく、溶かすようにほどくように線を消してゆくのが島の作法であり、それが与論島が体現しているクオリアだと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　参加者らは船上から互いに手を振り合い「よく来たね」などと声を掛け合い、約３０分間交流。集会の最後には別れを惜しむように汽笛が鳴らされた。宮城村長は「こみ上げてくるものがあった」と語り「（沖縄の）米軍基地の集中は問い直す必要があるだろう」と強調した。　&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　こういう素朴な交流が与論が伸ばせる触手なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　島からのブログ便りやツイート便りをみると、時化の海で集会は行われ、途中、波の上丸も迂回するという配慮を利かせたようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/#!/srhuraibo/status/196140371028357120/photo/1&quot;&gt;「沖縄本土復帰40周年記念の海上集会でした。水平線上に沖縄。」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;https://mobile.twitter.com/srhuraibo/status/196278873468571648&quot;&gt;「洋上集会の時間帯にはちょうど、沖縄からの上りの船が通過する。「なみのうえ」コースを変えて、集会中の船の周りを旋回していきました。船長の粋な演出。」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　北緯27度線上の洋上集会だけではなく、記念行進も行われ、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;https://mobile.twitter.com/srhuraibo/status/196265941636612096&quot;&gt;「復帰記念行進。路傍の白ユリ。」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　夜には、かがり火が焚かれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/#!/antonianjp/status/196183687740669952/photo/1&quot;&gt;「沖縄返還運動海上集会ののろし」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://ameblo.jp/erinaohara/entry-11235930298.html&quot;&gt;「辺戸岬のかがり火」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このかがり火は、海上集会とともに、沖縄が復帰するまで行われていたものだ。火自体は、国境を消す祈願としてだけでなく、その昔には与論でも灯されたか分からないけれど、薩摩軍の来襲を琉球弧に伝達する狼煙だった。火はつなぐ力だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　海上集会では、あの、「沖縄も返せ」も歌われている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;船団の中央では、国頭と与論の代表船をロープでつなぎ、宮城村長、麓委員長らが恒久平和や交流の深化を宣言。参加者全員で復帰闘争を象徴する歌「沖縄を返せ」を合唱した。 &lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　これらの再現は、沖縄の日本復帰への祈念を行動に移したものだ。しかも基地のない復帰を祈願したものであれば、これは再現にとどまらず現在も通用する運動になりうる意味を持っている。そこでは、「沖縄を返せ」と言うけれど、誰が誰に何を返すかはそれほど自明ではない。当時の島人の心中の情を辿れば、「返せ」は、沖縄と離れてあることへの寂しさを滲ませた心情吐露でもあったろう。その情感（なさき）をもっと掘ってゆけば、沖縄が日本に復帰するのではない、日本が沖縄に復帰するのだ。そういう言い方でしか表せない課題を抱えている。それはまだ解けていないし優れて現在的である。復帰40周年に本当に問われなければならないのは、そのことだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　かがり火。それは与論を照らし、辺戸に伝わり、また、辺戸のかがり火は弱くあたたかく与論を灯す。そこに境界は存在しない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 1.与論島クオリア</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-04-29T11:27:09+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-14c7.html">
<title>「奄美大島開闢神話の民俗学的研究」</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-14c7.html</link>
<description>　町健次郎の「奄美大島開闢神話の民俗学的研究」は、地名としての「大島」の古名が「...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　町健次郎の「奄美大島開闢神話の民俗学的研究」は、地名としての「大島」の古名が「奄美」であることに疑問符を付し、その根拠を宙吊りにすることによって、開闢神話を神話としてではなく信憑として捉え、奄美に関わった、主に大島知識人のアイデンティティの構造を明らかにしたものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　町は書いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　注意したい点は、これらが「奄美」と呼ばれる集団が南に存在していたことを伝えていても、それが「大島」のことであると語っていないことである。そこに登場してきた「多祢」、「掖玖」、「度感」、「信覺」、「玖美」が音韻の重なりから、それぞれ「種子島」、「屋久島」、「徳之島」、「石垣島」、「久米島」という島名に比定して理解できても、唯一、「奄美（あまみ）」のみは、語呂合わせから「大島（おおしま）」を導くことは困難である」(p.22)&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　『日本書紀』、『続日本記』に記された「海見」、「奄美」などの記述から「奄美」という存在は認められてもそれが大島を指すことは文字からは辿れないという点から、町は（奄美）＝（大島）という等号に疑問符を突きつける。「奄美」が「大島」であるのは自明ではないとしてその根拠を宙に浮かせ、一端、括弧で括っておく。するとそこにはどういう光景が見えてくるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　町によれば、近代以降、「奄美」という呼称が登場するのは明治６年の海軍資料においてであり、ついで明治３０年の『大日本帝国全図』で地図上に「奄美大島」と記され、これが地名呼称としての「奄美大島」の嚆矢となる。そしてこれらの表記に根拠を与えたのが、近世期に記された新井白石の『南島志』だった。『南島志』で、「大島」は初めて「奄美」と断定される。それだけではなく、そこでの記述から、「湯湾嶽」を「阿麻彌嶽」と同一視する見方が生まれ、後年、高天原をめぐる鹿児島と宮崎の本家争いと同質の不毛な論争を招くことになった。『南島志』の影響は大きいと、町は書く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　近代以降、大島では都成植義が『南島志』を受けて、奄美の歴史を、『大島史談』としてではなく、当時まだ耳新しかっただろう「奄美」を使って、『奄美史談』と題して書く。都成の神話には「阿麻弥姑」と「志仁禮久」が登場し、『南島雑話』にあった「宇奴加那之」と「天加那之」という二神は退けられる。これによって「奄琉同祖」の伏線が引かれる。次に、「阿麻弥姑」と「志仁禮久」のうち、「阿麻弥姑」が前面に立ち、「奄美姑」、「天御子」という漢字操作と日本神話との一致という見做しから、「天孫氏」との血縁関係を導き出している。これが「日奄同祖」の下敷きになり、「奄琉同祖」と合わせて「日奄琉同祖」を説くことになる。ここから現れるのは、開闢神が日本、大島、沖縄を渡っていったという移動経路で、町はこれを＜開闢神の三点移動＞のモチーフとして抽出している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　続いて、東北人の笹森儀助は皇国思想を背景に、開闢新の移動を台湾にまで延長する。その後、伊波普猷は『古琉球』のなかのよく知られた一節で、&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　琉球開闢の神アマミキヨの名は琉球人の祖先が九州から来て、奄美大島を経て琉球に来たことを証明する手掛かりになると思う。奄美大島の住民もまた自らアマミキヨの後裔と称している。彼らの口碑によれば、アマミキヨは、はじめ海見嶽に天降して大島を経営したが、暫くの後、南の方へ行ったということである。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　と書くが、町はここにいう「口碑」を笹森の『南島探検』からの「翻訳引用」と見ている。伊波は、「奄美」を介して種族の移動という「日奄同祖」を語り、ついで、開闢神「アマミ・キヨ」を通じて「奄琉同祖」を説き、都成と同様、三段論法のように「日奄琉同祖」を説くことになる。ここにも、＜開闢神の三点移動＞のモチーフが現れる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さらに、昇曙夢は　＜開闢神の三点移動＞による「日奄琉同祖」に従いつつも、アマミコに焦点を当て、都成が退けた『南島雑話』の「宇奴加那之」と「天加那之」の二神の引用を可能にする。かつ、「天孫」に「アマミコ」とルビを振ることによって、日本との連結に照準するが、これは後の「日奄同祖」強調の前段でもあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　町によれば、奄美大島の開闢神話は、新井白石の『南島志』に端を発した、「大島」を「奄美」と呼ぶことによって可能となった言説であり、「日本・琉球の狭間に位置する開闢の古典なき大島」にとって、外から奄美を根拠づける要請に応えるものだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大正期に入り、徳之島人である坂口徳太郎は開闢神話の「奄美」を、「大島」に限定せず奄美諸島に拡張する。この後、昭和戦前期では、「大島人」が「日奄同祖」と「奄琉同祖」を非対称に置き、「日奄同祖」を「奄琉同祖」の上位に位置づけ、＜開闢神の二点移動＞をモチーフとするようになるが、これは戦後の分離期に昇曙夢と泉芳朗によって再度、強調されることになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　復帰後、田畑勇弘は、近代以降、知識人によって文字化されてきた開闢神話が、土地に伝承されていないという問題を投げかけるが、一方でその指摘は、奄美の開闢神話の存在が「日本」との異質性を際立たせるという怖れからなされたものだった。現代では、それは経済資源として捉え返される面も持つようになっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「奄美大島開闢神話の民俗学的研究」を辿って改めて感じるのは「奄美」の空虚感（大島の空虚感ではない）の大きさである。自分たちを語る神話がないという空虚は、近代以降、知識人に開闢神話を紡ぐ余地を与えた空隙であったが、開闢神話の民俗学的研究の対象が、近代以降の知識人の表現に限定されるというこの論考の特異なアプローチを産み落とすことにもなった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　町の論考からは、奄美（大島）が、「日奄同祖」によって沖縄を視野から外し、沖縄が「日琉同祖」のなかから同質的な奄美のみを抽出しその存在を希薄化するという相互疎外の経緯もよく見えてくる。（奄美）＝（大島）の根拠を宙づりにすると、空虚を露わにするのは、当の「奄美」だけではなく、それを橋渡しに使った伊波の「日琉同祖」も根拠を揺るがされるということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、この論考は「奄美」の空虚を開闢神話によって埋めるのは、大島の知識人にとっては切実であったが、地名として奄美諸島を覆う包含力はもともと持っていないことも明らかにするものであり、与論から見たときの「奄美」という言葉の疎隔感の由来もよく教えてくれる。言い換えれば、これは大島の外からはよく見える光景なのだ。町健次郎にとってもそうであったに違いない。欲を言えば、これは「奄美」の解体であり、そうであればこの仕事は大島人によってなされるべきではなかったのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　昇曙夢の奄美語りや泉芳朗の詩に接して感じるのは、何がなんでも日本人と見なされたいという表現の情けなさだ。奄美の知識人としてリーダーシップを発揮する者たちのこの情けなさは落胆する以外ない。この情けなさが、与論の郷土誌にしても、与論の民の「主体」は「天孫氏」の末裔であるという語り始めにも波及していったのだ。しかし、そう言えるのはぼくが現在という位置にいるからであり、渦中にいた際に彼らを笑うことはできなかっただろう。だから、この落胆はぼくたちの足場だ。「奄美」には語るべき神話がないことに始まり、語るべきことがないという自信のなさに通じる。しかしこれは、西洋近代に直面して正体を失いやみくもに突き進んだ近代日本の縮小再生産としての縮図でもある。何もないと感じられても、そこからしか語り始めるしかない。そういう意味では、町健次郎の論考も奄美ならではの奄美語りの系譜に連なるものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、現象学的な方法論を採った論考の外に出るには、ぼくたちは町が宙吊りにした「奄美」と向き合わなければならない。するとぼくには、「海見」ないしは「奄美」などの地名呼称は、消去法によっても現在の奄美大島を指すのではないかという従来通りの信憑がやってくる。町は、「これらが「奄美」と呼ばれる集団が南に存在していたことを伝えていても、それが「大島」のことであると語っていない」と書いているが、『日本書紀』、『続日本記』が伝えているのは、「奄美」と呼んだ、あるいは呼ばれた「地名」が存在したということであり、それが遅くとも近世以降に「大島」と称された現在の奄美大島であることを地名からは辿れないということだ。むしろ、それが地名として残っていないなら、それは神名が地名となることがあるように、神名であった可能性を残している。すると、その神名を戴いた「集団」が現地に不在ということが謎になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　『日本書紀』、『続日本記』の段階で、「大島」という地名はまだなかったとしても不思議ではない。それは奄美大島のヤポネシア列島上の位置と巨大さから言って、そう他称される必然性も自称する必然性もなかったと思える。大島には他の島と同様、その内部は数多のシマ（集落）で形成されており、個々のシマには完結した生活宇宙が存在しているから、島人が島の全体を指す呼称を持っていなくても不都合はない。また、明治期に海軍が「奄美」と呼び始めたように、全体を指す言葉は政治に典型とされる俯瞰する視線が招来するものだ。ここに、「大島」の前に「海見」と呼ばれる余地があった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-04-21T16:41:53+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-87b8.html">
<title>映画『トテチータ・チキチータ』－頬を撫でる霧雨</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-87b8.html</link>
<description>　映画『トテチータ・チキチータ』は、2011年の10月に福島で撮影されている。こ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　映画『トテチータ・チキチータ』は、2011年の10月に福島で撮影されている。これは重たい事実だが、それはこの作品が震災と原発という問題の中心に向かって題材を採ったことを意味していない。むしろ、企画が具体化しかけたときに、震災と原発事故は起こり、実現を断念しかけた経緯を持っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　けれど映画化が未曾有の天災と人災に遭遇したのは偶然に過ぎないけれど、ことの甚大さは偶然がもはや偶然には思えない機縁を感じさせる。そう言えるのは気楽な外野からだからなのだが、製作に携わった人たちの懸命の想いはその偶然を必然に置き換えるように、そこに引き寄せられるように映画として具体化されることになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この遭遇を必然として刻み込むように、シナリオはいくぶん変更され、「なぜ、今、福島に行くの？」という罵声や「俺達、もとの学校に戻れるのかな」という高校生のおしゃべりの中に、震災と原発以後の日常が取り入れられることになった。ぼくたちは映画の作品世界に入りこみながら、これらの台詞の度に重たい現実と地続きであるのを感じて我に帰るような気になる。しかし、ここでも、この作品は、その現実に依拠していない。あからさまに言えば、現在の問題に便乗していない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　作品は、福島で撮られた山並みや大木や湖や、そこを泳ぐ水鳥たちの美しい光景を差し挟みながら進行していく。それは福島ならではの広い美しさを湛えた景色であり、この作品の背景を彩るのに欠かせないのだけれど、それでも、それに依存していない。ここから、重たい現実とロケの場所の意味を抜き取ったとしても、この作品は作品として成り立っただろう。震災も原発事故も福島の自然もこの作品の背景をなしているにもかかわらず、『トテチータ・チキチータ』 はそれに依存していない。つまり、福島という印を求めていったのではない。むしろ、福島を特異点の印であるように風聞化されるのに抗い、福島をどこの日常にも接続しているありふれた世界として提示している。ぼくにはそのように感じられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この作品は、戦争によって家族を失った娘が老いの世代に入ったときに、その両親と兄の生まれ変わりと再会するというファンタジーとして設定されている。まず、母の生まれ変わりで現在は小学生の女の子がそれを察知し、兄である中年の男性と父である高校生の男性に、「お兄ちゃん」、「お父さん」と名指すことによって再会の機縁は生まれる。そして東京大空襲の夜の記憶が蘇り錯乱する娘である老女の前に、母である小学生が再会することで家族はふたたび一堂に会することになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、現実とちぐはぐな彼らの行動は次第に周囲と齟齬をきたし、追い詰められてゆく。もっとも敏感に生まれ変わりを察知した小学生である母も、実年齢の少女として周囲の眼に負けるように福島を離れることを決意する。そしてふたたび別れることは生を終えることを意味する他ないのを悟るように、娘である老女は命を落とす。その時、少女である母は、想いを残して死んだ者は龍神となって家族を見守り、彼らが苦しいときに霧雨を降らせて慰めるという言い伝えを信じているのだが、それに従うように、霧雨は降り、物語は出口へと向かう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この物語を描くのに映画の時間は充分ではなかったのではないか。ふと、そう思う。それというのも、生まれ変わりを察知する少女と、娘である老女はそれを確信しているのに、兄である中年男性と父である高校生はどこまでそれを信じているのか、その内面は描かれない。むしろ、少女や老女から「お兄ちゃん」「お父さん」とそれぞれに名指されることで、彼らは兄であり父でありを引き受けるしかないように見えている。もう少しその時間があればよかったのにと思いかける。ところが、映画は一時間半が費やされ短いとは言えない時間は取っている。サプライズのシーンが連発してあっという間にクライマックスに引き込む類の映画ではないにも関わらず、時間は足早に過ぎ、もっと由来や内面を知りたいという、なんというか、短編小説にも似た感想を送ってよこす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この淡さはしかし、この作品の特徴なのかもしれない。名指されることによってしか、父や兄という存在のリアリティを確認できないということは、彼らの内面が明かされないということではなく、名指されることによってしか父や兄ではありえないという淡さを示しているのかもしれない。しかし、それは頼りないということではなく、むしろ名指すということの力であり、名指すことによって関係が生まれるという可能性なのではないだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　物語の出口に降る霧雨は淡く、希薄に降り注ぐ。それは、頬を濡らすほどもなく、頬をそっと撫でるように降り、そして消えてゆく。重たい現実と向き合うように霧雨が濡らすというのではなく、それに抗するような、淡い気配と化す霧雨。中島みゆきの作品をして、「私がせっかく乾かした洗濯物を、またじとーっとしめらせてしまう、こぬか雨のよう」と言い放った松任谷由美に、「霧雨で見えない」という失恋の喪失感を歌った作品があるが、そのユーミンの「霧雨」ですら、この作品の前では濃い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　少女の時代に家族を戦争で失い、生まれ変わりによってその再会を願うという孤独な老女を主人公の一人にし、震災と原発事故を抱える場所を舞台に選んでいるにもかかわらず、その重たさを希釈するように、作品は淡く、時折、笑い声が客席からも聞こえるようなユーモアを交えながらあっという間に終わる。エンドロールに流れる「美しい星」の歌も朗らかで愉しくどこか励まされる。それは監督の含羞が押しつけがましさを寄せ付けていないようにも思えるが、その控えめさが、1時間半という時間にもかかわらず、この背後には描かれない多くの言葉と世界があるに違いないという、愛すべき掌編とでも言うような、凝縮された印象を届けている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もうひとつ、琉球弧の内側から言えることを書いておきたい。監督は奄美の徳之島ゆかりの出身であり、そこから見える景色もあるからだ。監督がそれを意識しているのは、主人公の名が「一徳」と、ひそかに島の字を潜ませていることからもうかがい知れる。徳之島は、戦時中、特攻基地のあった場所であり、また、一昨年には普天間移設の候補としてその名が浮上したことは記憶に新しい。古勝監督にとって、戦争は年齢に比しても遠いものではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、姉妹が兄弟を守護するという「をなり神」、「えけり神」という兄弟姉妹の関係も、生まれ変わりを巡るこの作品の成り立ちに欠かせない要素になっている。父や兄との関係を察知し名指すのは母であり妹なのだ。龍神の伝承も生まれ変わりの信仰も、監督にとって頭だけで考えたものではない、その気配を知っている、不思議なことはあり得るという感得が身体のなかに、まだある。それが、龍神であり生まれ変わりであり、もっと言えば霧雨を実体化し強調し過ぎていない所以ではないだろうか。大袈裟に云わなくても、そういうことはある。とでも言いたくなる、奄美にはまだそういう場の力が残っている。そこに由来を持った人の作品であることは言い添えておきたい。監督がそう言っているのではなく、この作品がそのように語りかけてくるという意味で。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;a href=&quot;http://www.totecheeta-movie.jp/&quot;&gt;映画『トテチータ・チキチータ』公式サイト&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;https://www.facebook.com/totechiqui&quot;&gt;映画『トテチータ・チキチータ』Facebookページ&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 9.音楽・映画・絵画</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-04-08T19:39:30+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post.html">
<title>体内言語から見た琉球弧</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post.html</link>
<description>　吉本隆明の『ハイ・イメージ論2』 、『母型論』 と吉成直樹の『琉球の成立―移住...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　吉本隆明の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480088121/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4480088121&quot;&gt;『ハイ・イメージ論2』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4480088121&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;、&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4783716196/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4783716196&quot;&gt;『母型論』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4783716196&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;と吉成直樹の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861242142/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861242142&quot;&gt;『琉球の成立―移住と交易の歴史―』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242142&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;から、体内言語である遺伝子からみた日本列島人を整理すると下表のようになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/04/06/dna_2.jpg&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Dna_2&quot; title=&quot;Dna_2&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/04/06/dna_2.jpg&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;457&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　吉成の解説に従って、場所を琉球弧に限り琉球弧人がどのように成立したかを見ると、まず、ｍｔ（ミトコンドリア）DNAのM７aが南からやってきて北海道まで北上する。また北からは、N９bが琉球弧まで南下する。縄文時代前期並行期には、曾畑式土器文化人と目されるY染色体DNAのD２が南琉球まで南下する。そしてオーストロネシア語族と目されるBが、琉球弧づたいに北上。次には、Dを東北アジアから追いやったとされるO２bが１１世紀以降に南下し、南琉球まで到達する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これからの成果は、それ以前のものに比べると、より複雑になっている。歯列にしてもATLウィルスにしてもGm遺伝子にしても、おおよそ二系統で説明されていて、いわゆる二重構造説の考え方と符合している。むしろ、二重構想説という下敷きをもとに研究がなされた結果ではないかと思わせるくらいだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　歯列、ATLウィルスキャリア、Gm遺伝子の結果は、ｍｔDNAやY染色体DNAときれいに一致するわけではない。与那国島で高い値を示すGm遺伝子の北方蒙古系は、O２bと似ているようにも見えるが、O２bの発祥の地はシベリア、バイカル湖付近かどうかは分からない。また、ｍｔDNAでバイカル湖付近が発祥とされるAは、Gm遺伝子北方蒙古系と似た傾向を示さない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この表を眺めていると、日本人の語られ方と共鳴しあうように見えてくる。たとえば、養老猛司はどこかで、日本人は中国が嫌でやってきた人たちでしょうと語ったことがあるが、それはY染色体DNAのD２の動きに重ねてみることができる。また、ぼくたちが、無意識理にアイヌに親近感を抱く時、南と北で高い値をとるM７aを指している。さらに、少し前の琉球弧の世代が、何がなんでも日本人と云い張るために、天孫一族の末裔が私たちの「主体」であると主張したとき、O２bの流れにアイデンティファイしたものだと見なすことができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ともあれ、体内言語である遺伝子の解明は、単一民族であると政治的に言われがちだった日本人像に風穴を開け、多様な種族の流れを含むものであることが明示され、風通しをよくしてくれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで舞台を与論島に限ると、基層的な系譜であるM７aもO２bも関与しない。島はまだ海面に現れていなかったからだ。曾畑式縄文文化人の北からの流入も関与しない。与論は、オーストロネシアBの北上からが舞台であり、ついで、グスク時代のO２bを迎えるということになる。むろんその間もそれ以降も多様な流入と流出があったとしても、島が新しいということは、行き交う人の歴史もまた新しいということだ。与論は何もかもが古くなく見えるときがあるが、それはこうした島の成り立ちも加担していることなのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480088121/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4480088121&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4480088121&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4480088121&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4783716196/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4783716196&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4783716196&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4783716196&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861242142/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861242142&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4861242142&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242142&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 2.与論・琉球弧を見つめて</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-04-07T20:57:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-b9c6.html">
<title>沖縄国際シンポジウム三日目の印象記</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/04/post-b9c6.html</link>
<description>　休日を利用して「沖縄国際シンポジウム」の最終日に出かけてきた。 　「復帰40年...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　休日を利用して「沖縄国際シンポジウム」の最終日に出かけてきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://okinawasympo.wordpress.com/schedule/&quot;&gt;「復帰40年沖縄国際シンポジウム　これまでの沖縄学　これからの沖縄学」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　同時にいくつものセッションが開かれているので全貌を把握するのは無理。そこで、もっとも関心のあったパネルにまず足を運んだ。「琉球列島先史学最前線」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「最前線」という名づけの勢いが示すように、近年のこの領域の成果はめざましいのではないだろうか。得るところが多く刺激的だった。「世界の中の琉球列島史　島の先史学から」と題した高宮広土の報告。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　琉球列島の先史は、世界の先史学に貢献できる要素があるのではないか、として五つの特徴を挙げる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１．旧石器時代にヒトがいた島嶼だった&lt;br /&gt;
２．島嶼環境であるにも関わらず、狩猟採集を営むことができた&lt;br /&gt;
３．自然と調和していた人々がいた島&lt;br /&gt;
４．狩猟採集から農耕への変遷があった&lt;br /&gt;
５．国家が成立した島&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これらのポイントは、世界でも稀有な例であるという。自然と調和していた、というのは、人が流入すると絶滅動物が生まれるが、琉球列島では今のところ、それは見当たらないということ。島嶼は狩猟採集が行われるには面積が小さい。しかし琉球列島ではその時代を持ち、かつ数少ない狩猟採集を持った島嶼は農耕へ移行することはないが、それも琉球列島では行われた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それぞれのポイントはぼくたちは無意識のうちに自明と見なしてきた事柄だが、他の例を当るとほとんど見つからないと指摘されて、琉球列島を見る眼差しに奥行きを与えられるような感銘を受けた。実際、いくつも想像をかきたてられる。たとえば、ふつう島嶼で狩猟採集を営むのは難しいとしたら、それだけ珊瑚礁の海の畑の恵みは大きいことを示しているのではないか。絶滅種に追い込むことがなかったのは、動植物と人間を区別する世界観を持っていなかったから。島嶼で国家が成立するのは稀有だということは、琉球王国の成立には人工的というか外的な要因が大きく働いたのではないか、などだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　吉成直樹が&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861242142/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861242142&quot;&gt;『琉球の成立―移住と交易の歴史― 』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242142&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;で、高宮の挙げたポイントを引いて「このような例はほかにないという」と書いているのを読んだときは、大袈裟な印象を受けたのだが、直接本人からの報告を聞き、そうなのかもしれないと思えた。そこに身贔屓にロマンを求める傾向を感じ取ることもできるが、それはぼく自身のものでもあり、今後の深化を待ちたいところだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　藤田祐樹は、港川人が華奢であることを、島嶼では動物が小型化する例を参照して一視点を与えたのも刺激的だった。また、いわゆるグスク人が中世日本人の頭骨と類似することから、中世日本人の移住を想定する向きが多いし実際そうなのだろうと思われるが、異種の人的交流がなくても頭骨、骨格は変化しうる例を、日本人の変化を例に挙げたのも、研究者ならではの冷静な視線を感じた。慎重でなければならない、ということだ。白保で発掘が進められている人骨が港川人以降のミッシングリンクをつないでくれるのか、これも今後の成果を期待したい点だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　新里貴之の「貝塚時代の社会変化」も刺激的だった。動物性タンパクはリュウキュウイノシシ主体から魚類、貝類主体に移る。この後、ふたたびリュウキュウイノシシへ比重は移るのだと思うが、最初から魚類、貝類ではなかったのは驚きだった。驚きといえば、居住地は、洞穴から台地・丘陵地に移り、砂丘立地になる。ところが貝塚時代後期後半になると、再び台地・丘陵地に移行するという点だ。居住地については、漠然と洞穴を出て台地・丘陵地に移り、農耕とともに低地に移ると考えてきたので、行ったり来たりの変遷は新鮮だった。珊瑚礁環境が畑であるという視点や貝交易との関連など、これも想像力をかきたてられる。ヤコウガイの大量出土は、奄美大島北部、久米島だけでなく、与那国島にも認められる。そういう意味ではヤコウガイ交易の口は三つあると言えるのではないかという指摘も興味深い。また、ゴホウラ、イモガイ、ヤコウガイなど、ときどきの流行により産地は栄えるが、流行が終わると、産地も廃れるという指摘も当時の状況を考察する上での重要な視点に思えた。新里の報告は、事象のマッピング、図解にも優れ、思わずほぼ全部写真に収めてしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242142&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/04/01/senshi.jpg&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Senshi&quot; title=&quot;Senshi&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/04/01/senshi.jpg&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;337&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　瀬戸哲也は、いわゆるグスク人を中世日本人の流入によって説明する傾向が強いが、中国を含む多様な交流のなかにグスク人を登場させる必要があるという主張を含んでいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　白紙か淡色なイメージで済ませているが、高宮が指摘する通り、琉球列島の歴史の９５％は先史時代であり、ここが掘り起こされるということは、自分たちの祖先の動きに手を伸ばすことができるということだ。尽きない刺激波を放ち続けてほしいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　午後は時代を現在に取り、「米軍基地が地域社会に及ぼす影響－辺野古・高江・グアム」を聞いたが、これは期待外れだった。三人のパネラーの発表の後、コーディネート役の多田治が、悪役と断ったうえで、何のために誰のために報告を行っているのかと切りこんだが、真っ当な指摘だった。ぼくは主題の重さに比べ報告のおすまし加減に退屈して眠りかけていたが、多田の無双ぶりに目が覚めた。会場からの質問では、「地域社会が米軍基地に及ぼした影響」もあるのではないか、受け容れたと言うが、現に基地が目の前にあっても受け容れていないという抵抗の仕方もあるのではないかという声が出た。もうひとつ、グアム移転という話が出たとき、他者性が浮かび上がったが、他の地域が沖縄をどう見るのかという視点で言えることはないかという質問もあった。これらについても、パネラーからの応答は弱く、回答になっていなかった。時間的に会場を出なければならなかったので、最後までいなかったが、去り際に壇上を見つめる、そうは多くない聴取者の表情も厳しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　他に聞きたいものもあるけれど、これを外すわけにはいかないと三つ目は、「映像と歌でつづる琉球紙芝居」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「おきなわの始まり・察度王の物語」は、久万田普の即興ピアノをBGMにした宮城麻里子の朗読。神話のなかに登場するアマミクの来歴に想いを馳せながら、耳を澄ました。羽衣伝説にまつわるところは民話の持つ魅力があったが、察度がのし上がる辺りからつまらなくなり物語としても意外に貧相な印象を否めなかった。ピアノと明朗な声は終始、心地よかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　シーサーズによる「島建てシンゴ～沖永良部島ユタの呪詞」には感銘を受けた。土地の人が自分たちが育んできた民話や歌を取り上げられるとき、不快に思うか喜びを受けるかの境界はどこにあるだろう。シーサーズは、三線の他にバイオリンやパーカッションも加え、大胆なアレンジを加えていた。ぼくは島建てシンゴのオリジナルを知らないが、これらの編集にも関わらず心動かされたのは、沖永良部の言葉と音階に忠実であったこと、持田明美によるイラストもどこか島の魂（マブイ）を引き継ぐもののように感じられたこと、冒頭に島の唄者の紹介があったことなどがすぐに思い浮かぶ。けれど、それだけではなく、島建てシンゴをただの手段として扱っているのではない島の歌謡に対する敬意とそれを表現するシーサーズの力量が大きく与っているのに違いない。メロディの反復が祝祭の昂揚のように白熱化していき、大きな拍手とともに幕は引かれた。公演はシーサーズによる「島建てシンゴ」という作品になっていたと思う。沖永良部の島人が聴く機会がありますように。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/04/01/shimadate.jpg&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Shimadate&quot; title=&quot;Shimadate&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/04/01/shimadate.jpg&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;337&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-04-01T16:29:28+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-77e2.html">
<title>『書 文字 アジア』という贈り物</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-77e2.html</link>
<description>　石川九楊の『一日一書』 を読み、漢字一文字の書が語りかけるものの豊潤さに驚いた...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　石川九楊の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4544020360/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4544020360&quot;&gt;『一日一書』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4544020360&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;を読み、漢字一文字の書が語りかけるものの豊潤さに驚いたことがあった。それは書をやってみようかと思いかけるほどだった。肉筆で書く機会もぐっと減っている今、そんな時間を持つまでには到底至らなかったのだが、規範的な重苦しさばかり感じてきた書に対する理解の端緒が得られた気がした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一方、それとは別にワープロで書くにしても、横に書くか縦に書くかは悩みどころだった。横にして書くとどうも気分が乗らないのだ。そこで手にした&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4396440057/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4396440057&quot;&gt;『縦に書け!―横書きが日本人を壊している』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4396440057&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は、これまた漢字ひらがなを縦に書いてきた歴史性を深く捉えており、吹っ切れた。別に、日本人としてなどと大仰に考えたのではないが、縦に書くことに躊躇がなくなった。ミーティングのメモも原稿も縦に書くことに踏ん切りがついたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　石川の作品に触れたのはそれが初めてではなく、たしか、今は無き西武百貨店の美術書店アール・ヴィヴァンで、「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」から始まる親鸞の『歎異抄』の便箋を買ったのが最初だった。&lt;a href=&quot;http://d.hatena.ne.jp/consigliere/20101126/1290733999&quot;&gt;親鸞の言葉を縦横に張り巡らせた文字&lt;/a&gt;の上に自分のメッセージを乗せると、何か紙自体から肯定を受け取っているような気がして助けられるようだったのだ。便箋を壁に貼って眺めることもしていた。この商品があれば喜んで買うが、その後、お目にかかることがない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　書も論考も骨太な石川だから、ぼくは吉本隆明と対談してほしいと編集者のようなことを思っていた。ところが、それは叶えられていたことを、最近、知る。吉本と石川の最新刊、&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;『書 文字 アジア』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は、まさに二人の対談と論考からなる。発刊を知ったのは吉本の死の直後で、かつ対談自体は二十年前に行われたものだった。吉本の死の直後、ぼくたちの手元に、彼の新著が、しかも、二十年前のそれが届けられたのだ。二十年前といえば、吉本はまだ自分の手で書ける健筆な時代である。晩年のように、インタビューを主体にしたものではない。その、かつての吉本の言葉を彼の死の直後に受け取れるなんて、思いもかけない贈り物だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;『書 文字 アジア』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は、吉本の論理に対する厳しさと表意文字としての漢字が豊潤な意味を持って立ちあがってくる文体とが両方備わっていて懐かしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　石川の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4815804052/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4815804052&quot;&gt;『日本書史』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4815804052&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;の書評。どこでもいいのだけれど。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　書史からみた日本の「中国時代」はやがて疑似的な「中国時代」へ、そして平安期の平仮名の発明が草化の極限で始まるとともに和国風の「日本時代」が始まる。この書史からみた時代区分の仕方は詳細をきわめ、この本の奥行きを従来なかった深さに到達させていて、力篇と呼ぶべきところまで到達させている。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　ああ、吉本だと思う。漢字の表意の生命力を豊かに手繰り寄せる緊迫が論理を骨太に展開させている。話し言葉全盛の現在ではこうした文体は流行らないけれど、この文体でなければ伝えられないことがあるのも確かだと思える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　論理の厳しさがもっともよく現れるのは、文字の表音と表意が現在の形になったことについての必然と偶然を巡った議論。石川が「の」が「の」になる最初には、そうなる必然めいたものがあったのではないかということに対する吉本の回答。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　いや、ぼくは認めないですな。その必然を認めるのは母音だけですよ。母音だけは母音だけはぼくはあったと思いますよ。つまり、どういう必然かというと、いちばん明瞭なのは咽喉から上の身体的構造は人種によっていっこうに変わらないっていう、多少の部分的な違いはあっても、おおよその構造は変わらないということにしか必然の根拠というのはないと思いますね。それは母音の必然的根拠で、あとは全部偶然だと思いますね。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　吉本はこの後も繰り返し、必然ではなく偶然であると主張する。それは執拗なほどだが、必然性に重きを置いてきた思想家の重要な力点を読む方は感じ取る。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　ぼくは平安期ということで日本的ということを考えていますし、それから鎌倉時代をすっとばして室町期に入ってそこに日本的というのが継承されえちると考えています。またその以前的っていつかというなら奈良朝依然ですね。日本以前の日本っていったらいいでしょうか。それを考慮に入れるとだいたい南西太平洋の島とかインドからはじまってそのずっと大陸の沿海部に近いところとか、そういうところと日本の島というのとをまあまあ同列にあるいは同質に考えても間違いないと思うんですよね。ぼくの考え方だとそうなるんですけれども。（p.235）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　ここは&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4783716196/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4783716196&quot;&gt;『母型論』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4783716196&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;の頃の吉本の問題意識が貌を出し、ぼくたちは対談が行われた時代にこの本を同期させることができる。と同時に、南島や琉球を考える者にとって遺産でもある個所だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;『書 文字 アジア』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;は吉本からの思いがけない贈り物で、彼亡き後のぼくたちに、気落ちしている時ではないと語りかけるようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4544020360/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4544020360&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4544020360&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4544020360&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4396440057/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4396440057&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4396440057&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4396440057&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=448081387X&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4815804052/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4815804052&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4815804052&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4815804052&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4783716196/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4783716196&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4783716196&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4783716196&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-03-25T16:28:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/20-5005.html">
<title>「島はみんな幻」（吉本隆明）。クニとしての与論島</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/20-5005.html</link>
<description>　20年前の対談が、新著として、吉本の死後、手元に届いた。そんな本、『書 文字 ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　20年前の対談が、新著として、吉本の死後、手元に届いた。そんな本、&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;『書 文字 アジア』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;を読むということはどんな感慨を送って寄こすだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　けれど、その前に書いておきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　1970年4月、吉本隆明は詩「島はみんな幻」を発表する。ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明したすぐ後の頃だ。「島はみんな幻」は次の一節で結ばれる。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;＜きみ＞はしるまい&lt;br&gt;
＜きみ＞が＜クニ＞と称して恨んだりよろこんだりしているもの&lt;br&gt;
が　じつは幻の島にすぎないこと&lt;br&gt;
＜きみ＞はしるまい&lt;br&gt;
＜きみ＞が島と称して辺境にうかがうもの&lt;br&gt;
が　じつはさびしいひとつひとつの＜クニ＞であること&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　好きな詩はいくつもあるけれど、切実さでいったらこの詩のこの一節を筆頭に挙げなくてはならない。ぼくがやりたいと思っていることは、奄美や琉球の島々の一つひとつが＜クニ＞に他ならないとして、その世界像を浮かび上がらせること、とりわけ＜クニ＞としての与論島に、海面に姿を現した珊瑚礁のように輪郭を持たせることだからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この年の9月、吉本は講演で「南島論」を発表する。巨きすぎるテーマだけれど、与論島としての南島論を引き継ぎたいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/448081387X/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=448081387X&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=448081387X&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=448081387X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-03-18T17:39:19+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-6793.html">
<title>吉本隆明、逝く</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post-6793.html</link>
<description>　吉本隆明が亡くなったのを今朝、ツイッターで知った。デマではないか、というよりデ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　吉本隆明が亡くなったのを今朝、ツイッターで知った。デマではないか、というよりデマであってほしいと検索をかけたが、NHKもツイートしているのを見て断念。いつかはこの日が来るのを頼りなく思ってきたが、とうとう来てしまった。世界の根拠が揺らいでいる、という言葉が不意に浮かび頭をめぐった。世界の根拠が揺らいでいる。未明の地震はその徴だったのか、などと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　自分のいる場所がさっぱり分からなくなってしまった二十歳の頃、新宿紀伊国屋書店で「『反核』異論」を買ったのが、吉本の本を手にした最初だった。本の中身より、そこに「自立」という言葉を見つけ惹き込まれ、その意味が知りたくてすぐに「『自立』の思想的拠点」を探した。大手書店にも在庫がなかったので、新橋（だったと思う）の徳間書店に直接、足を運んで買い、近くの喫茶店でむさぼり読んだのを覚えている。すでに巷はバブルの気配で浮き足立っていたがぼくの心は暗澹としていた。80年代の半ばに、学生運動の激化した時代の本に夢中になるなど、遅れてきた青年どころではない、遅れに遅れた青年という気分だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「試行」という同人誌の存在も知り、まだやっているらしいので申し込み購読した。読み進めると、「南島論」という論考にぶつかる。なんと自分たちのことを正面から取り扱っている。そのことに驚愕して読み耽ったが、思えばこれが吉本のめり込みの決定打だったかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　講演の追っかけも始まった。中央区の区民会館、リブロブックセンターと、東京の地の利を生かして講演の予定を知るたびに出かけていった。大学で講義を受けていた江藤淳の論理的かつ流暢な話しぶりとは異なり、「えーっと」を連発、「何ていったらいいんでしょう」と言い淀みながら、しかし気づくと巨大な光景を目の当たりにさせてくれるのに魅了された。頭をかきながら野太い低い声でのしゃべり口もすぐに真似していた。学生の分際で、名古屋まで追っかけをしたこともあった。詩の雑誌「鳩よ」主催のシンポジウムで、吉本は、岡田由紀子の自殺を引きながら、「格好いいとは何か」をテーマに話したと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そして1987年の「吉本隆明25時」。ぼくは当日の日経新聞朝刊でイベントを知り、遅いと知りつつ会場まで出かけたがチケット完売で入場は無理と言われた。いつもの自分ならすごすごと引き下がるところだが、何とかならないかと食い下がった。しばらくするとキャンセルが出て、幸いなことに24時間イベントに参加することができたのだった。追っかけは、2008年、昭和大学記念講堂と後日、紀伊国屋書店で中継された「芸術言語論」まで続くことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　六年ほど前に、実際にお会いしたことも一度だけあった。40枚ほど書いた小論を、「もったいないから200枚くらいにして本にしたら」と励まされたのにかこつけて自宅にお邪魔させてもらったのだ。「多ちゃん」と電話越しにスケジュールの確認をされていたのを思い出す。ぼくが奄美や琉球の人の「日本人になる」ことへの衝迫について話すと、おもむろに日本の近代詩人の営為について語り始めた。あまりに関係のない展開に驚き、最近呆けてきたという意地悪な世評は本当だったのかと内心不安だった。切りのいいところで話題を変えようと待ち構える。すると、湯呑みを口元に運びかけたのでここがタイミングと思っていると、湯呑みに注がれたお茶は飲まれないまま再びテーブルに置かれ、吉本さんは話し続けてしまう。これはもう行くところまで行くしかないと、ぼくは諦めた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところが、である。延々と解説した後に、近代詩人が西洋の詩と等価になることを詩作の隠れた主題にした、ある意味で不毛な努力は、漢字やひらがなを使った文字の表記の歴史が浅いことに由来しているのではないか、その時間の堆積の浅さが不安を招くのではないかというところに話しが及び、心底驚いた。吉本はぼくの投げかけにきちんと深いところから回答していたのだ。まだ、あった。カ行以降の五十音は、第三段目の音と母音で作ることができる。たとえば、カは、三段目のクに母音のアを続けると、クァのようにカの音になる。三段目の音と母音で日本語入力は可能だ。ただし、タ行だけは、三段目と母音の組み合わせでは、音を作ることはできず、トァのように五段目の音を使う必要がある。だから、日本語のなかでタ行は最初にできたか最後にできたかのどちからではないか、と語った。ぼくは原理的な思考の辿る、講演で見せてもらったような巨大な光景を目の当たりにして、圧倒された。こんな風に考えるんだ、こんな風に遠くまで行けるんだ、と。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ぼくは書くことによる表現の魅力に引き寄せられていったと思う。ぼくもこんな表現を産み出したい。二十歳からの事始めは表現者としてあまりに遅すぎる出立だったが、「どんなことでも十年、毎日続ければ本物になる」という言葉を頼みに書き続けていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ぼくは吉本隆明から、原理的な思考の深さと射程の遠さを学び、学び続けていると思う。生き方、ものの考え方の多くをこの人に拠ってきた。この人がいなかったら、ぼくの人生はもっとあてどなかったろう。読み漁ってきたなかで、最も心に食い込んでいるのは、&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　琉球・沖縄は現状のままでも地獄、本土復帰しても、米軍基地をとりはらっても、地獄にきまっている。ただ、本土の弥生式以後の国家の歴史的な根拠を、みずからの存在理由によって根底から覆えしえたとき、はじめていくばくかの曙光が琉球・沖縄をおとずれるにすぎない。 &lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　という「＜異族＞の論理」だ。また、敬愛を根底から支えたのは、このような言葉だった。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　＜知識＞にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに＜非知＞に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の＜知＞にとっても最後の課題である。（「最後の親鸞」）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　いまは吉本がいなくても考えていくことはできる。けれど、何を考えているかを知りたい読者のために、いつも倫理的な態度で自分の考えを表明してきたその肉声をもう聞くことはできない。そのことが心もとなく、そしてたださびしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なんだか遅すぎる恋文みたいになってしまった。とおとぅがなし、吉本さん。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-03-16T19:28:10+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post.html">
<title>世界一のどかなヨロンマラソンのポテンシャル</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/03/post.html</link>
<description>　ヨロンマラソンのことを「世界一ゆるくてあったかい」と形容したことがあるけど（「...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　ヨロンマラソンのことを「世界一ゆるくてあったかい」と形容したことがあるけど（&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/cat4849818/index.html&quot;&gt;「ヨロンマラソン－世界一ゆるくてあったかいマラソン」&lt;/a&gt;）、えりなさんの「世界一のどかな」（&lt;a href=&quot;http://ameblo.jp/erinaohara/entry-11182842700.html&quot;&gt;「風になる日」&lt;/a&gt;）という形容の方がふさわしいので来年は初めからそう自称しようと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　地域ブランドのヨロンマラソンには目を見張るものを感じて、二年前、関西奄美会誌にも&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2010/03/post-5c8f.html&quot;&gt;「ヨロンマラソンに見る手づくりの奄美発信」&lt;/a&gt;という文章を寄稿したが、その考えは今も変わらない。それどころかますますポテンシャルを感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それは何といっても発信力が強まってきていることだ。与論のツイッター人口も増えてきたおかげで今年は、マラソン用のＴシャツを作る人がいたり、当日の朝５時半に起きてボラんティでサポートに行く人がいたりする様子も伝わってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「ヨロンマラソン」でツイートされた数は過去３０日間で３４２件に上る。当日の１３４件がピークでゆるやかに下降するカーブを描いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/03/10/topsy_tweet_search.png&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Topsy_tweet_search&quot; title=&quot;Topsy_tweet_search&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/03/10/topsy_tweet_search.png&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;66&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これはどのくらいの規模なのか。たとえば、同日に琵琶湖では「びわ湖毎日マラソン」が行われているが、「琵琶湖マラソン」の当日のツイート数は１９４４で、過去３０日間では３７１４件だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　当日　過去３０日&lt;br /&gt;
　１３４　　３４２　ヨロンマラソン&lt;br /&gt;
　　１２　　　２１　与論マラソン&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１９４４　３７１４　びわ湖毎日マラソン&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ツイート数でみると、ヨロンマラソンはびわ湖毎日マラソンの１０分の一程度の規模になるわけだが、方やＮＨＫでも放送されていることやツイート人口の密度を踏まえると、相当に健闘していると思える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この発信力を支えたのは、ヨロンマラソンのネット中継だ。これがあるから、島外からもヨロンマラソンに参加することができる。ニコニコ生放送ではピーク時には２０００近い視聴者数を数えていた。ゴールの中継はもちろんのこととして、翔龍橋給水所ののどかさ面白さ、ＪＡＬのＣＡさんのドリンク渡しは次第に名物と化してきている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ぼくにとって格別だったのは、今年、友人の和田さんが参加してくれて、翔龍橋給水所のネット中継越しに、「喜山さん」と呼びかけてくれたのをキャッチできたことだったが、それが感動的なことだというのをその瞬間になるまで知らなかった。ネット中継はこんな喜びも寄こしてくれる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt; 　今年は、ヨロンマラソンを題材にしたブログも豊かだった。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://ameblo.jp/hurai-bo/entry-11184225360.html&quot;&gt;「ヨロンマラソン２０１２　その１」&lt;/a&gt;～４（「さすらいの風来簿」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://wada.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/2012-8098.html&quot;&gt;「与論島「ヨロンマラソン2012」ハーフ完走！（前編）」&lt;/a&gt;～後篇（WADA-blog）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://blog.ritou.com/article/54294519.html&quot;&gt;「第21回ヨロンマラソン終了しました^^v」&lt;/a&gt;（「沖縄離島ブログ」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://ameblo.jp/erinaohara/entry-11182842700.html&quot;&gt;「風になる日」&lt;/a&gt;（「Seaside Garden Note」）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ぼくもFacebookページでひと様の上げたコンテンツを元に当日の記事を作成した（&lt;a href=&quot;https://www.facebook.com/yoronisland&quot;&gt;「Yoron Island (与論島)」&lt;/a&gt;）。この他にも、Facebookやmixiではぼくの知らない多くのコンテンツが交わされたに違いない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　わがままなお願いになるが、当日の発信力を上げるためにネット中継は続けてほしいしできれば中継の箇所に島の東海岸添いを加えてほしい。名物箇所がもうひとつ増えること間違いなしだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ヨロンマラソンの魅力は、島と島人を挙げててのホスピタリティだと思う。その要素は、「ゆるさ」、「海」、「応援」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「ゆるさ」　制限時間７時間の長さ。給水所での有泉や山羊汁、豚汁の振る舞い。&lt;br /&gt;
　「海」　目の端に云うまでもないあの海を感じ、見ることができる&lt;br /&gt;
　「応援」　島人こぞっての沿道での声援、ネット中継、前夜祭、完走パーティ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これらの要素が相まってユニークなホスピタリティを生んでいる。もちろん交通の便、宿泊所の数、質など課題だって数え上げれば切りがないだろう。けれど、いま一番、島の魅力を伝え、伝わるものは何かと問われれば、ヨロンマラソンが筆頭に挙げられるのではないだろうか。そのポテンシャルは高いと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;https://www.facebook.com/yoronisland&quot;&gt;「Yoron Island (与論島)」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/03/10/yoron_island1.png&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Yoron_island1&quot; title=&quot;Yoron_island1&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/03/10/yoron_island1.png&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;370&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/03/10/yoron_island2.png&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Yoron_island2&quot; title=&quot;Yoron_island2&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/03/10/yoron_island2.png&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;375&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/03/10/yoron_island3.png&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Yoron_island3&quot; title=&quot;Yoron_island3&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/03/10/yoron_island3.png&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;275&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/03/10/yoron_island4.png&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Yoron_island4&quot; title=&quot;Yoron_island4&quot; src=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/images/2012/03/10/yoron_island4.png&quot; width=&quot;450&quot; height=&quot;342&quot; border=&quot;0&quot;  /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 6.地域ブランドをつくる</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-03-10T17:16:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1d4f.html">
<title>アーマンチュとアマミキヨ</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1d4f.html</link>
<description>　当山昌直は、アマン、つまりオカヤドカリの伝承をもとに、アマン神とアマミキヨの関...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　当山昌直は、アマン、つまりオカヤドカリの伝承をもとに、アマン神とアマミキヨの関係について、次のようなシナリオを描いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　古い時代、琉球にはアマン神（アマンチュ、またはアーマンチュ）にかかわる創世神話が民間に広く分布していた。一方、沖縄島玉城には比較的新しい時代の神話としてアマミキヨの伝承が残っていた。後の時代になって支配者はこれらの二つの神話をもとに支配者（王府）の神「アマミキヨ」を祀ることになった。この王府の「アマミキヨ」は、支配体制の中で奄美・沖縄へとひろがり、各地に存在していたアマン神はアマミキヨへと置き換わっていった。一方、王府の影響が少ない宮古・八重山諸島では王府のアマミキヨは民間には残らずに、特に八重山ではそのまま創世神話のアマン神が残った。（&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861242061/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861242061&quot;&gt;『奄美沖縄 環境史資料集成』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242061&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt; 2011年）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　アマンチュ（アーマンチュ）はアマミキヨに取って代わられただけではない。アマミキヨ自体がアマンチュ（アーマンチュ）を言葉として元にしている。そしてそのアマミキヨは、奄美大島、喜界島周辺を去り南へ向かい、奄美から不在となった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　祖神ははじめ、オカヤドカリというトーテムとして北上する。しかし、新しい祖神は農耕儀礼の神として北からやってきた。それを演じるもとになっているのがアマンという同じ言葉だとすれば、まるでブーメランのようだ。アマンは農耕儀礼の神に変態したのだ。「砂」は「米」となって戻ってきたが（ｃｆ．&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html&quot;&gt;「砂州としてのユンヌ（与論島）」&lt;/a&gt;）、ヤドカリはその「米」の神となって返ってきた。言葉の壮大なドラマがここにある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861242061/ref=as_li_qf_sp_asin_il?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4861242061&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;http://ws.assoc-amazon.jp/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;Format=_SL160_&amp;ASIN=4861242061&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;ServiceVersion=20070822&quot; &gt;&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4861242061&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 4.奄美の地名</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-02-19T09:07:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-3a82.html">
<title>砂州としてのユンヌ（与論島）－注釈</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-3a82.html</link>
<description>　東恩納寛惇の『南島風土記―注釈 沖縄・奄美大島地名辞典』 （1950年）におけ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　東恩納寛惇の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J8GD0E/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B000J8GD0E&quot;&gt;『南島風土記―注釈 沖縄・奄美大島地名辞典』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B000J8GD0E&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;（1950年）における与論島の記述は次の通りだ。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　輿　論　島

&lt;p&gt;　沖永良部島より南西約十七浬、沖縄島の北端より約十浬の海上にあり、周圍約三里、方一里に充たず。方音「ユンヌ」輿留濃に作り明人繇奴に作る。沖永良部と連稱して「ユンヌエラブ」と云ふ。古へ國頭並輿論永良部等の地方、共に「奥渡より上の扱理」の専管たり。姚姓又吉系譜伝、「萬暦年間、叙築登之座敷、敍黄冠、而後任惠良部島地頭職。萬暦四十二年甲寅、任輿留濃地頭職。」主邑茶花島の西端に在り、赤佐又赤座に作る。茶花は謝花と同格の地名なるべし。&lt;/blockquote&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「任輿留濃地頭職」の「輿留濃」の箇所には、「ユンヌ」とルビが振ってある。これが出典の系譜伝に添えられているのか分からないが、1614年、与論は「輿留濃」と表記されたことがあった。島言葉で読めば「ユルヌ」となる。だがこれは、「ユルヌ」に「輿留濃」を当てたものではなく、「ユンヌ」の音に近い漢字として「輿留濃」をｌ当てたものだろう。仮に17世紀に「ユルヌ」と呼ばれていたのであれば、ユルヌからユンヌへの音韻変化はどこかに記述として残っていておかしくないはずだ。それよりは地名の慣性の方が妥当に思える。「輿留濃」はむしろ、「輿論」や「由論」と書かれる前段の漢字と見なすと変遷が理解しやすい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html&quot;&gt;「砂州としてのユンヌ（与論島）」&lt;/a&gt;の注釈として書いておく。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 3.与論の地名</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-02-18T17:28:14+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1a22.html">
<title>『琉球独立への道』</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-1a22.html</link>
<description>　松島泰勝の『琉球独立への道』 （2012年）を読み、沖縄の日本に対する心理的距...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　松島泰勝の&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4589033941/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4589033941&quot;&gt;『琉球独立への道』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4589033941&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;（2012年）を読み、沖縄の日本に対する心理的距離が修復不可能なほどに遠く隔たってしまっているのに気づく。松島は、日本とがんじがらめになってる「沖縄」という言葉を用いずに「琉球」という言葉を対置する。この言葉の選択そのものが日本と対で想起されることを嫌ったものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日本が沖縄に「植民地」を強いているという松島の主張は、パラレルにアメリカが日本に「属国」を強いているということを思い起こさせる。沖縄が日本に対して無力なのは日本がアメリカに対して無力であるのと同じである、というように。しかしよく聞くこの連想は思考停止を呼んでしまうが、そうしてしまえば、「属国」の象徴であり実体である米軍基地の多くを沖縄に強いていることから目をそらさせてしまう。しかし、日本が主権国家であるなら米軍基地は沖縄のみならず日本からも全面撤去されなければならないのは言うを待たないことであり、松島の怒りは至極、真っ当なものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　松島が「沖縄」という言葉ではなく「琉球」と言うことには、与論島の者にとっては格別の意味がある。沖縄では含まれないが「琉球」なら奄美に対して開かれているからだ。だが、松島はその範囲は「沖縄県」と書いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;その範囲は現在の沖縄県の島々とする。琉球文化圏という言葉もあるように、奄美諸島とは琉球王国時代に共通の歴史をもち、文化、気候、風土、動植物等において共通点を多くもっている。しかし、1609年の島津藩による琉球侵略以後、奄美諸島は島津藩の直轄領となり、王府の政治的影響力がほとんど及ばない地域となった。その後、鹿児島県の行政区域となり、戦後、激しい「復帰」運動を経て鹿児島県の一部となった。また奄美諸島には琉球王国により武力で王国内に編入された歴史がある。（p.ⅳ）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　この態度には、奄美の人からも「自分たちは含めないでくれ」と言われた背景も手伝っている。「奄美諸島は琉球王国により武力で王国内に編入された歴史がある」という言もまた、奄美大島の中から時折、聞こえてくる言葉だ。こう語られる時、琉球だけではなく、琉球、薩摩、アメリカがセットになることが多い。このどちらにも支配されてきた歴史がある、と。だが、個人的にも年長者からも具体的な被害を聞くことのない「琉球」による征討が、薩摩、アメリカと同等に語られるのは奇異なことであり、これは本来、立ち向かわなければいけない相手から目をそらすための方便に、ぼくには聞こえる。ともあれ、文化は近しいが歴史を異にするとよく言われる言葉を引くように、松島は独立構想の範疇に奄美を含めていない。また、こうも書いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;さらに琉球では独立論者、独立党、独立に関する書籍、シンポジウム等が数多く存在するのに対して、奄美諸島では新元博文の主張を除いて独立論が多くないという状況もある。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　ここはぼくも他人事ではなく書かなければならない。&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/486124157X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=486124157X&quot;&gt;『奄美自立論』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=486124157X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;を書いた時、出版社からのオーダーが「奄美独立論」がテーマだった。ぼくは「奄美独立」について一度も考えたことがないので驚き、「自立」というテーマを選択した。まず、「奄美」のなかに与論島は含まれる地理用語は理解していても「奄美」という言葉が自分のものであるという程の親近感はない。また、「奄美独立」と言ってもそれは名瀬中心を指すに過ぎず、奄美の周縁に位置する者は軽視されるに決まっているという偏見もあった。「奄美」は奄美をひとくくりにできる包括力を持っていない。そうであるなら、そこが独立することなど考えたこともないのは自然なことだった。ただ、仮に包括力があったとしても、沖縄の十分の一しかない人口で何もできないという無力感が襲ってくるだろう（松島がフィールドワークしている島嶼国家の独立例は人口が問題ではないことを教えるものなのだが）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　松島は自己から日本人を区別し琉球人としてアイデンティティを置く。ぼくも自分を日本人として感じたことはない。けれど、その代替として奄美人にはリアリティがないし言葉そのものが熟していない。そうやって考えれば、最もリアリティを持つのは、与論人（ユンヌンチュ）である。それなら自称することができる。次に親近感があるのは琉球人である。けれど、琉球人を自称するのに、日常的で身近な交流の相手がいない。与論とはそういう位置だと思う。このような対置すべき規模のないアイデンティティが、それでもここ最近、抵抗感が下がっていると感じるのも確かだ。日本人だと思えるようになったということではない。「単一民族」という言説が容易に相対化されるようになり、言語についても単一のものではないことが明らかになりつつあり、日本列島にやってきたヒト集団の様相も少しずつ、単色ではないことが市民感覚としても共有されるようになってきたからだ。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　沖縄学は、東北学などのように日本国の多様性を明らかにする地域学の１つでしかないのか。植民地を対象とする学問は、当該地を統治し、支配するために学問が利用されてきたという歴史をもっている。琉球が日本とは別のネイションであることを前提としない沖縄学は、琉球の植民地支配に流用されるおそれがおおいにある。&lt;br&gt;&lt;br&gt;
　沖縄学が琉球の脱植民地化に役立つ学問になるにはどうしたらいいだろうか。何世紀にもわたる外部からの支配の下に生まれてきたアイデンティティを確認するために、言語学、歴史学、考古学を通じて「集合的自我」を再発見し、「エスニックの過去」の中に自分のルーツをつきとめることが重要になる。民族の学問を通じて、「受動的なエスニック共同体」を「活動的なエスニック共同体」つまり政治共同体、歴史の主体に転換することが可能になるだろう。（p.169）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　ぼくはここで引かれているアントニー・スミスの『ナショナリズムの生命力』をまだ確認していないので、ここでの文脈をいまひとつ追えないのだが、ぼくがやりたいと考えているのも、何がなんでも日本と同じ民族であるはずだという思い込みを、内側から開くことだ。そのために、&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/486124157X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=486124157X&quot;&gt;『奄美自立論』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=486124157X&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;をもっと大きな広場に出すには松島の次の視点は必要なものとして視野に入ってくる。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　島津藩支配下の奄美諸島において、厳しい砂糖収奪や奴隷制の世界史的意味も、三角貿易下にあったカリブ海諸島と比較してこそ明らかになるだろう。17～18世紀にかけて、西欧から武器・雑貨が西アフリカに運ばれ奴隷と交換され、商品としての奴隷がカリブ海諸島、アメリカ大陸にもたらされ、砂糖黍プランテーション等において酷使された。奄美諸島の場合は、島津藩が雑貨等を島にもたらし、島民を労働力として使うなど、奴隷制、砂糖黍プランテーションが同諸島内において完結していた。砂糖黍プランテーションは16世紀ポルトガルが自らの植民地、ブラジルをはじめ、その後、中南米、フィリピン、ジャワに拡大しており、奄美諸島における奄美諸島における砂糖搾取時代と同時期である。（p.12）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　この視点は問題意識として引き継ぎたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで、&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/4589033941/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&amp;tag=aeeaaaaaaa070-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4589033941&quot;&gt;『琉球独立への道』&lt;/a&gt;&lt;img src=&quot;http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=aeeaaaaaaa070-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4589033941&quot; width=&quot;1&quot; height=&quot;1&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;&quot; style=&quot;border:none !important; margin:0px !important;&quot; /&gt;のアジテーションの核心は次の言葉だ。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;琉球独立後、日本国には米軍基地を引き取ってもらいたい。（中略）。米軍基地が拡大した日本国では憲法「９条」の形骸化がさらに進むだろう、琉球国は「９条」を日本国から引き取り、自らの憲法に「９条」を明記する。琉球は国として日本国から分かれることで「戦争の島」から「平和の島」へと生まれ変わる。（p.ⅲ）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　国家としての日本はこの言葉を受けとめなければならないと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◇◆◇&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　松島の「琉球」は奄美に対して開かれた通路を最後に置いている。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　奄美諸島は、1609年以降、他の琉球とは異なる歴史過程をたどってきており、琉球連邦と対等な地位で参加するかどうかは、奄美諸島人民による議論と、住民投票を各島々で実施するなかで決定されよう。（p.249）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　これは、これまでどちらかと言えば決めつけられてきた態度からは一線を画するものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今年は沖縄「復帰」四十周年に当たる。1972年、松島は9歳。もう何事が起こっているかは理解できる年齢だ。松島の「独立」という選択は、問題意識を持った者が歩んできた生の四十年の帰結であり通過点である。松島のほんの少し北の境界線の向こうで「復帰」を見つめた松島と同年齢の者にとって、松島の歩みに目を向けずにはいられない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;iframe src=&quot;http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_top&amp;bc1=FFFFFF&amp;IS2=1&amp;nou=1&amp;bg1=FFFFFF&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;t=aeeaaaaaaa070-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;m=amazon&amp;f=ifr&amp;ref=qf_sp_asin_til&amp;asins=4589033941&quot; style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; scrolling=&quot;no&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; frameborder=&quot;0&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 7.小説、批評はどこに</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-02-12T14:06:48+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html">
<title>砂州としてのユンヌ（与論島）</title>
<link>http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2012/02/post-d748.html</link>
<description>　与論の島言葉名であるユンヌは「砂」を意味するのはないかと、たびたび書いてきた（...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　与論の島言葉名であるユンヌは「砂」を意味するのはないかと、たびたび書いてきた（ex&lt;a href=&quot;http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2007/03/post_6781.html&quot;&gt;「砂の島、与論島。」&lt;/a&gt;）。いまもこの考えは変わらないので補強してみる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　崎山理は、琉球語の「ユニ」の原義は「砂」であり、かつオーストロネシア語に由来するとしている。これまでもユナ系の地名は「砂」の意味であると語られてきたが、「ユニ」が起点であり、「ユナ」は与那国、与那嶺、与那原などのように複合語になった時の音であると捉えられている。音韻のバリエーションもさまざまだ。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　ヨネは、琉球諸方言の、たとえば、与那国島 duni、竹富島・鳩間島 yuni、波照間島 -yunee 、石垣島 yuuni 、首里 yuni と対応し、これらはすべて「砂州」を意味する。（「日本語の系統とオーストロネシア語起源の地名」）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　ぼくがここで着目したいのは、石垣島の「yuuni」の音である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　『与論町誌』にはこうある。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　もと鹿児島県立図書館副館長の栄喜久元氏は、「文献上にあらわれている“ゆんぬ”または“輿論”に関する古い記録としては、『奄美大島史』によるもののほか、明治三十四年に冨士房から発行された『斉日本地名辞典』（吉田東伍編）に中国の明人の書に“繇奴（ユウヌ）につくれり”とあり、また琉球の『中山伝信録』の中に三十六島の一つとして“由論”の名が出ている」と述べている。（p.2）&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　明の時代、与論が中国から「ユウヌ」の音として漢字化されたことがあったというのだ。石垣島の「yuuni」、ユウヌはユウニが転訛したものと見なせるから、同じユニ系の言葉として捉えることができる。そこで、「ユニ」が「ユンヌ」になるまでの音韻の変遷を復元すると、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　yuni ＞ yuuni ＞ yuunu ＞ yunnu&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　となる。ユウヌをユンヌの手前の音韻と見なすわけだ。そこで、明人は「繇奴（ユウヌ）」と記した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　はたしてユウヌはユンヌへと変化しうるだろうか。たとえば、津軽では「ちょうど」が「ちょんど」となり、下北では「ゆうべ」は「ゆんべ」、阿波では「しょうがつ」が「しょんがつ」になる。大阪では「ぼうさん」が「ぼんさん」。思いつくままに挙げても長音が撥音化される例は出てくる。これらの例からは濁音の前の長音が撥音化される傾向を認めるこのができるが、「ぼうさん」のように濁音の前以外でもありえると見なせる。実際にユウヌよりユンヌのほうが言いやすく音便に適っていると思える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また同じユニ系の地名を持つ与那国島について、村山七郎は伊波普猷の「朝鮮人の漂流記事に現れた十五世紀末の南島」を引いている。伊波に協力した小倉進平は、漂着した与那国島（1477年）を表したユンイシマと読める文字について、ユンは「与那・ユナグニ等におけるユノまたはユナに宛てたものと思はれ」、イは「特別の意味なく添へられたものだと思はれます」と言っている（『琉球語の秘密』村山七郎）。小倉はユノまたはユナにユンを当てたというように理解していると思われるが、実際にユンと聞こえたのかもしれない。もっと言えばユンイと聞こえたのかもしれなかった。ユニのユンヌへの転訛を考えればありえないことではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで、オーストロネシア語の「砂・砂洲」としてのユニは琉球弧を北上し列島の大きな島に入ると、「米」の意味をまとうようになる。たとえば12世紀前半の『名義抄』にイネノヨネとあるのは、「米の実」を意味していた。&lt;/p&gt;

&lt;blockquote&gt;　南西諸島から西日本にまで移動し、すでに定住していたオーストロネシア語族が、縄文時代末期に渡来した稲の穀実を「砂」に見立て、このように命名したのである。&lt;/blockquote&gt;

&lt;p&gt;　「ユニ」は西日本に入り五母音化の影響を受けて「ヨネ」に変わる。そしてそれだけではなく、味気ない色の「砂浜」に憑依するよりは地名を離れて「米」に憑依した。琉球弧の白亜の砂浜はただ美しいだけではなく神聖な場所だった。「米」もただの食糧というのではなく、祭儀として昇華されたように信仰の象徴だった。「ユニ」が列島の砂浜ではなく米に憑いたことに、ぼくたちは合理より喩を選択した初期ヤポネシア人の詩的精神をありありと感じる。「砂州」としての「ユニ」は「ヨネ」に五母音化して、「米」に転移した。これは「ユニ」の詩的冒険だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、原義を離れて別のものの名となるのも珍しいことではない。崎山によれば熊本ではヨナが「火山灰」の意味になっているし、また沖縄の首里ではあられをユキと呼んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　崎山は、「ユニ」の意味と転移だけではなくその時期も想定しており、オーストロネシア語族とともに「ユニ」が北上したのは縄文時代晩期から弥生時初期にかけてのことだとしている。上限は約三千三百年前に遡れるわけだ。管浩伸の「琉球列島におけるサンゴ礁の形成史」によれば、珊瑚礁としての与論島が海面に到達するのは約三千五百年前。沖縄島には一万数八千年前とされる港川人がおり、奄美大島のヤーヤ遺跡は二万年五千年に遡ることができるのを踏まえると、与論島は琉球弧のなかでも相当に新しい。そしてそこにほどなくして、オーストロネシア語族が南からやって来る。彼らの一部はその真新しい島の初期島人にもなっただろう。そこから「ユニ」が「ユンヌ」へと転訛する冒険が始まったのだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject> 3.与論の地名</dc:subject>

<dc:creator>眞仁勇</dc:creator>
<dc:date>2012-02-11T09:12:19+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>

