カテゴリー「 9.音楽・映画・絵画」の38件の記事

2009/11/22

歌物語「愛加那」 [Original recording]

 萩原かおりさんの歌物語「愛加那」が、アマゾンにも掲載された。

 「歌物語『愛加那』

 奄美の表現はどこまで行けるか。その波状のフロントラインのひとつにこの作品もある。


Aikana

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2009/11/09

まちゃん

 気がつけば終わってしまってるけど、これは観たかったな。12分だけど。惜しい。

『まちゃん(待網漁)─与論島─』
1988年/12分/自主制作/「まちゃん」は、珊瑚礁での漁をイキントウ節で綴る映像詩。

 2009年10月24日(土)アチック・フォーラム

 「民族文化映像研究所」のイベントだ。

 なんか、ツイッター風というか、ツイッター向きの記事だ。



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2009/09/21

「おくりびと」を観た

 テレビで映画「おくりびと」を観た。

 小さい頃は、大人はどうしてこう簡単に泣くのだろうと思っていた。
 ところがいまや、どんな小さなきっかけでも涙は出てくる。さびしいんだね。

 数日前にご母堂を亡くされたアカショウビンさんは(「82年の女の生涯」)観たろうか。気になった。

 人は小さな配慮の積み重ねで生きている。


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2009/09/19

「怪傑耶茶坊」

 「怪傑耶茶坊」という映画があったそうだ(「南海日日新聞」2009年9月11日」)。

 1609(慶長14)年、薩摩勢は奄美へ攻め入った。しかし、島の人々の激しい抵抗に遭い、いったんは和解を約束する。ところが代官の新殿と荒川は約束を破り、村の長・耶太加郡を謀殺して島を支配下に収めた。さらに折は、耶太加郡の娘・思益(めます)に関係を迫り、拒んだ彼女を斬り殺す。思益の兄・耶茶は怒り、.唐手で荒川を倒して父と妹の仇を討った。お尋ね者となった彼は、山中に身を隠しながち神出鬼没の活躍で抵抗する。
 薩摩勢は一部の島人を手先に使って暴政を敷き、黒糖搾取を続けた。だが最後は耶茶が島の人々率いて決起し、薩摩支配を打ち破る。

 もちろんこれは史実ではない。大島の伝承の屋茶坊を題材にヒーロー像を構想したものだ。
 記事を書いている岡山市在住の映画研究家、世良利和は、

 薩摩による奄美・琉球への侵攻と属領化は、その後の日本の歴史や外交政策の根幹にかかわる大事件だった。けれどもこの事件を題材にした映画は、ほとんど見当たらない。

 として、この「怪傑耶茶坊」が1609年にモチーフを採った唯一の劇映画ではないかとしている。世良は、

 薩摩の侵攻からちょうど400年を経たことし、奄美でのリバイバル上映が実現しないものだろうか。

 と結んでいる。確かに、観てみたいものだ。


 ぼくは、史実にはなかったフィクションであるにしても、薩摩の支配を打ち破るという大事ではなく、ウンタマギルーのような、ヒーロー物語のほうが、共感できると思うが、それより切実なのは、こうした物語がぼくたちには必要だということだと思う。最近、読んでいる安達征一郎の作品はそうなりうるだろうか。あるいは、遠田潤子の「月桃夜」はそうなるだろうか。物語がほしい。言葉でも、映像でも。奄美はまだその姿を氷山の一角ほどにも現していないのだから。

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2009/05/24

「今できることは歌うこと 城南海」

 城南さんは平成生まれのティーンエイジャー。

 城南海(キズキミナミ)

 今できることは歌うこと 城南海

中2で鹿児島市に引っ越したが、「言葉も人の雰囲気も全然違う」周囲の環境に戸惑い、学校に通えない時期もあった。そんなとき救ってくれたのが奄美伝統の島唄だった。「11歳離れた兄が奄美料理店で島唄を歌うようになって、兄ちゃん子なので一緒に付いていって、みんなで歌遊び(うたあしび)をするうちに覚えたんです」

 城南さんの年代でも、「言葉も人の雰囲気も全然違う」と感じるんだなと思う。少し意外な気がした。でも、彼女には島唄があった。それは幸せなことだし、奄美の豊かな資産だと思う。ぼくは島唄の世界を持っていなかったので、それに飛びつくことはできなかった。

 そういう躓きに応える言葉をぼくはつくりたいのだと思う。


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2009/05/05

歌物語「愛加那」

 萩原かおりの歌物語「愛加那」には少なくとも、二つの新しさがある。
 それは、奄美縁であるとはいえ、彼女の父、母双方の祖父で奄美につながるという希薄化された間のある奄美縁ということ。もうひとつは、奄美縁なら島唄を定番に思い浮かべてしまうが、歌唱もソプラノの歌声であるということ。

 もちろんこれらをマイナスポイントとして挙げるのではない。冒頭の「行きゅんにゃ加那節」のところで、よく知られた島唄にもかかわらず、まったく聞いたことのない、しかし本格的な「行きゅんにゃ加那節」を聞くことになる。そこでもう圧倒されてしまうのだ。さりげなく、ここに新しい「行きゅんにゃ加那」が生みだされているからだ。

 そこからは萩原自身の語りと萩原自身の作詞作曲になる歌が続けられていくのだが、ソプラノ歌手として世界を作った女性が、奄美を発見しそこで知ったことを物語ってゆく、その流れのなかで、ぼくたちは最初、素直な奄美紹介にこそばい想いもするのだが、歌声の本格さに魅入られているうちに、よくできた物語を聞かせてもらっている子どもになった気分で、聞き入っているのに気づく。

 自身との縁として語られる愛加那の生涯は、萩原かおりの視点を通じて、西郷ではなく、女性からみた物語となって、西郷に逢うべく徳之島に渡る姿であったり、それも束の間、沖永良部に西郷は渡ることになるので、失意のうち大島に戻る姿であったりと、西郷を軸にした物語からは見えない、もうひとつの物語を浮かび上がらせてくれる。

 そして最後、萩原は、愛加那はさびしい人生だったと言われるが、わたしはそうは思わない、と萩原によって愛加那の生涯はめくり返され、そこに優しい表情が付加される。父が他界して以降、ぼくには供養という言葉が切実になってきたが、ここで萩原が行っていることも、愛加那への供養のように思えた。もっと言えば、過去の奄美に対しても。

 ぼくなども、与論縁はぼくを最後にどんどん希薄になっていくと、それをさびしく思いがちだが、希薄化された場所からでも縁は生まれる。接点は至るところにある。萩原の奄美縁への気づきとそこからの接近は、そうしたことも思わせる。島唄じゃなくったって奄美だという自由も。それはぼくにとって励みになるのだが、奄美だって同じじゃないだろうか。

 素直な気持ちにさせてくれる歌物語だった。

 ◆歌物語「愛加那」

Aikana_2

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2009/03/29

紋別に与論島の白い砂

 北海道新聞に与論のことが出ていてびっくり。

 与論島の「白砂」どうぞ 紋別ひまわり基金法律事務所で配布

 前所長が「奄美ひまわり基金法律事務所」の所長になった縁で奄美を訪れたときに、与論島の白砂を持ち帰ったのだという。

 アイヌ語のウナ(灰)は、琉球弧に来て「砂」を指す「ユナ」になったという仮説を下敷きに、与那や与那原の地名の意味が解かれているのを思い出す。このときぼくたちはひとりでに、アイヌが南下し琉球弧までたどり着いたとみなしている。でも、村山七郎はアイヌ語は、メラネシア語系ではないかと仮説していた。ユナがウナになったという可能性もあるわけだ。


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昭和の歌謡と小夜子とまれまれと

 ISIS編集学校頭取の大川さんの案内であちこちへ。

 まず、新宿で「音楽寺小屋 歌謡曲でつづる昭和の歴史」。歌謡史研究者の白井伸幸さんの話で、昭和24年から昭和26年までのヒット曲を聞いた。昭和24年は、「青い山脈」、「トンコ節」、「長崎の鐘」、「悲しき口笛」、「銀座カンカン娘」、「三味線ブギウギ」、「君忘れじのブルース」。同時録音の時代、「青い山脈」の間奏でテンポが速くなっている。これは気持ちが入ると脈拍が速くなってしまうから。こういう現象は「走る」と言って本来は忌むべきことだが、実はヒット曲にはこういう現象が多い。との説明はなるほどだった。

 昭和25年。「越後獅子の唄」、「水色のワルツ」、「さくら貝の歌」、「白い花の咲く頃」、「イヨマンテの夜」、「買い物ブギー」、「夜来香(イエライシャン)」、「チューインガムは恋の味」、「桑港(シスコ)のチャイナ街(タウン)」、「小判鮫の唄」、「星影の小径」。知っている曲と知らない曲が半々くらい。「イエライシャン」は母が口ずさんでいた気がする。今は前奏の作曲者は、歌の作曲者とは別だと聞いてびっくりした。ぼくが作曲者だったら全部、自分で作りたいと思うだろう。ぼくがそういうと、「古い人ということですよ」と笑われる。否定できない(苦笑)。

 昭和26年。「あざみの歌」、「私は街の子」、「ぼくは特急の機関士で」、「東京シューシャインボーイ」、「高原の駅よ、さようなら」、「野球小僧」、「上海帰りのリル」、「ダンスパーティの夜」。これと別に「リオのポポ売り」を取り上げて、誰も行ったことのない場所を憧れの地として設定するのは歌謡曲の作り方のひとつと解説していた。これは、行ったことがない場所でも取り入れることで歌の自由度を獲得した古典の歌謡と同じなのだなと思った。

 歌は世につれというように、歌謡曲によって浮かび上がる時代があるというのは、ぼくにもなんとなくわかる。ぼくがビートルズの曲を辿ったのはジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係史としてだったが、そこにはいつも時代が刻印されているのを感じることができた

 まるで繭のような東京モード学園のビルを横目に、次は東京ミッドタウンへ。ぼく一人では絶対に行かないところとだけ知らされていたのだが、ファッション・モデルの「小夜子」の映像の上映。驚いたが観れてよかった。山口小夜子さんというファッション・モデルをよくは知らなかったが、可愛らしくあどけなく、妖艶だった。彼女は、服をして語らしめるというのはこういうことなんだと表現していた。自我が強いと聞こえてこない。自分を空っぽにすると、服が教えてくれる。こう動いてほしい、と。バックで流れていた音楽が頭をめぐった。

 日本が生んだ世界のファッションモデル…世界を陶酔させた東洋の粋"小夜子"

 で、再び新宿に戻る。歌舞伎町で写真家荒木経惟を見かけた。いかにもな場所での遭遇。歌舞伎町だったのは「奄美料理まれまれ」を予約してあったからだった。久しぶり。そこで、なんと本の出版のお祝いをしていただいたのだ。ありがたし。

 鈴木さんや疎音のOさんともお会いできてうれしかった。お店の梨海さんは徳之島出身で歌を歌うと聞いて、真由美を紹介したくなる。当原ミツヨさんと松崎博文さんの島唄ライブもあり、楽しさもいっぱい。そういえば、歌づくしの午後。ひたすら、大川さんに感謝ですね。


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2009/03/08

「沖縄を奏でる」

 昨日は、「沖縄を奏でる」と題されたシンポジウムを聞きに国際基督教大学に足を運んだ。といっても仕事はあったし、シーサーズの持田さんに教えてもらっていたので、彼女のプレゼンテーションが目当て。

 「関東に花開いた琉球芸能」持田明美(音楽家)

 持田さんの発表は、神奈川県川崎市鶴見を拠点に開花していった沖縄芸能の歴史を戦前から現在まで、80年間の歴史を辿るものだった。

 鶴見といえば、昔は親戚のいる場所としてイメージしていた。そんな親近感もあったから話はとても興味深iい。

 沖縄人である自分たちの心の居所として始まる関東の沖縄芸能は、やがて関東の大和人の関心を惹き、むしろある部分は大和人に担われてゆく。そして持田さん自身もその一人だった。

 沖縄・宮古・八重山が一緒になって演じるという方法も関東ならではのことで、「ウチナワン・スピリッッ」が活動期間は短いながらも鮮烈な印象を残している。沖縄音楽に新しい解釈を加える本土人による沖縄音楽ユニット「シーサーズ」も東京だから存在しえたといえる。本土人が沖縄音楽や舞踊に魅かれ、みずからやりたいと思うのは、音楽や舞踊を演じることで人間の根源的な性質である「何かとつながる」感覚をとりもどせるからである。それは本土人がずっと昔に失ってしまったものである。(「関東に花開いた琉球芸能」持田明美)

 その東京だから存在しえた、たとえばシーサーズは、大和人による沖縄音楽を実現してゆく。やがて、それは大和人による大和人への沖縄音楽の伝授を実現していくだろう。それは、沖縄音楽の自己増殖だ。

 ここまで来てるんだなあと、ぼくは与論イメージの独り歩きを思い出しながら、聞いていた。

 持田さんの「関東に花開いた琉球芸能」は年表までついた充実したレジュメになっていて、詳細な中身を知りたくなる。いつか、本という形に結実してほしいと思った。


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2009/02/24

「死を想う」

 映画『おくりびと』のアカデミー賞受賞で思い出しました。

 「死を想う」

 映画『おくりびと』をきかっけに死をめぐる、中沢新一、糸井重里、本木雅弘の鼎談。生と死がつながっている与論(琉球弧)感覚からすると共感することの多い中身です。ご覧ください。


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