「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」(宮国優子)
浜辺に行くと、蟹たちは一斉に、そこここに掘ってある白い穴のなかに逃げ込んで姿を隠す。そのままじっと待っていると、もう大丈夫かなというように、おもむろにまた姿を現す。人見知りとはこういうことだと、よく思う。
礁池(イノー)の波はゆるやかだから、水切りをするにはもってこいだった。砂山もつくった。トンネルも掘って、満ち潮の波がトンネルを通過するのを眺めた。でも粘質はまるでないから、ほどなくそれは洗われてゆくのだけれど。
そういえば、波打ち際の砂に少しだけ足を潜らせて、すり足で進みながら、何か真っ白なゲンゴロウのような生き物を捕ってたこともある。砂色にあまりに溶け込んでいるので、姿は捉えにくいのだけど、足先からスススと動き出すので、形が浮かび上がってくるのだ。集めていたのだから、食べたんだじゃないかな。あれは、なんていう生き物だったか。
「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」を読んで、そんな風景を思い出した。きっと、「その土地から成り立つ自然の一部のような人間性」という言葉に刺激されたんだと思う。
ここで紹介されているのは、「下川凹天」という人だ。「ほこてん」と読む。「おうてん」とも呼ばれたらしい。
日本アニメーションの始祖で、名前通り、凸凹な人生を歩んだ人でもあります。日本のアニメーションは、今や「クールジャパン」の代表選手のひとつ。
そして、今年は、日本アニメ制作から100年目にあたります。
これから彼を知っていく人は格段に増えると思います。彼は、宮古島出身で、日本で初めてアニメを作りました。
この人のことをつい最近まで知らなかった。しかも宮古出身というから、驚く。仰天と返したくなる。
幼少期に島を離れて、その後戻ることはなかったらしい。淋しかったろうな。恋しかったろうな。ぼくも少年期に島を離れた。恋しくて恋しくて。恋しいという感情を、島相手に覚えてしまった。でも、凹天は幼年期だから、それほどでもなかったのかな。
「凹天」はもちろんペンネームだ。なんでまた、と思うが、師匠の名前が「楽天」というから、そこにあやかったんだろう。そう教えられて、「楽天」と「凹天」を並べてみていると、「浄土」に対して、宮古の他界を置いたようにも見えてくるから面白い。
ところで、どうしてアニメ始祖の紹介なのに、「誰かとうまくいかないのは、本当に相手のせいだろうか」というタイトルなのかは、凹天がそういうことを書かせる人だからだ。ただ、ここでは「皮肉屋で、世の中を斜めに見ていて、作品も物によっては、とても感じが悪い」凹天も、包み込まれるようにいて、居心地がよさげだ。だって、「嫌いな人をつくることは難しい」と書いてもらっているのだから。この文章は、礁池(イノー)より広い。けれど、礁池(イノー)のようにやわらがせてくれる。
島立ちは宿命。その後どうするかは選択。凹天の場合、帰るわけにもいかないという意味では、残ることを余儀なくされたというのが正確かもしれないが、それはまた自分のことでもある。「離島で生まれ、大正デモクラシーを生き、戦争に加担し、昭和の世を孤独に生きた」凹天が、「凹天」の他界に行く前に、この世をどんな風に歩き、作品を残したのか、知りたいものだ。「今年は、日本アニメ制作から100年目」というから、機会が巡ってくるのを待ちたい。
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