十年一日
ふと気がついて確かめたらはたしてそうだった。ブログを開設して十年経つ。
十年一日。島に対する思慕の念は何も変わらない。何を感じているのか、いくぶん言葉にすることができた分だけ、恋煩いのように何も手につかなくなるような激しさは治まってきたというべきか。もともと、島のために何かをしたいという思いだけはあったものの、その何かがわからなかった。
もたもたしてるうちに、祖母が「あの世」への支度をはじめてしまった。まだ何も報告できることがないと焦ったぼくは、ずっと眠っている祖母の横で、電話線にジャックをつなぎ、ブログを開設してせめてもの報告にしたのだった。その二日後に、祖母は「あの世」へと旅立った。
はじめの頃は、それこそ精神安定剤として書いていたのだが、この十年のあいだには書けないときもあった。精神安定剤なのに書けないということは、社会によほど適応しているか、その逆かだけれど、ぼくの場合、前者はあまり考えられないので、後者のほうだった。ここに向かっていられるということは、大丈夫ということで、精神安定剤という意味も、変わらないらしい。
ただ、ブログに対する構えは変わった気がする。ブログの立ち位置が変わったので、それに合わせたというべきか。開設した2005年、まだブログは新しいツールだった。それ以降、ツイッターやFacebook等、新しいソーシャルメディアが次々に生まれて、ブログの影響力は相対的には小さくなった。でもこの間は、ネットに流通する言葉の劣化も進行したように思う。現在版の呪いのように、匿名の言葉の投げ捨てが常態化している。しかも、スライスされた薄っぺらな呪い。それを思うと書く気も失せる。
ただ、ブログの佇まいが落ち着いてきたのは好都合だった。なるべく多くの人に読んでもらいたい、というのとは逆の、読みたい人の目にだけ触れてほしいというのには、ふさわしいツールになってきた。ブログがそう見えてきたことで、ふたたび書きやすくなった。いつまでここに書き続けるのか、それは分からない。書き続ける場は必要だということ以外は。
目下は、琉球弧の精神史、しかも文字以前のそれに夢中だ。この手応えは大きくて、そうか、そうだったのか、ぼくはこれを探究したかったのか、と分かった。このなかから、祖母に報告できることも掴めそうだ。それがこの十年で得たいちばんの光明かもしれない。
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