カテゴリー「 1.与論島クオリア」の100件の記事

2009/12/05

「訪問教育:与論中の障害2生徒、進学後に実施」

 毎日新聞の記事から。
 
 訪問教育:与論中の障害2生徒、進学後に実施

原田耕蔵・県教育長は2日、障害がある与論中3年生2人について、大島養護学校高等部(龍郷町)への進学後、地元の与論高で「訪問教育」を実施する方針を明らかにした。島内に特別支援学校がないため、障害がある生徒は高校進学時に島外に出るほかなく、保護者らが1月、「島内で学べる環境を」と県教委に要望していた。

 記事からだけでは詳細は分からないが、不安なく、「訪問教育」が受けられたらいいと思う。


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2009/11/07

愛車は耕運機!?

 福島の方が、耕運機で四国八十八カ所巡礼を果たした、と。

 福島の男性、耕運機で「結願」/四国八十八カ所

愛車は耕運機、のんびり1400キロの旅が結願―。古い小型耕運機で四国霊場八十八カ所巡礼に挑戦していた福島県の男性が6日、香川県さぬき市多和の88番札所・大窪寺に到着し、念願の結願を果たした。

 伝えたいのは、この耕運機巡礼の発想の源が与論にあったということ。与論で、「現地の人が耕運機に乗っている姿を見て「こんな移動手段もあるのか」と感動」したことから、始まっている。すごい。

 すごいのは、旅をしてのけた小島さんだが、アイデアを提供した与論もすごい(ということにしたい)。耕運機が愛車。これは与論島クオリアですね。


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2009/08/28

「三池炭鉱と与論の人たち」

 福岡のニュースだと思う。

 「三池炭鉱と与論の人たち」

炭鉱関連施設の世界遺産登録への期待が高まる中、町さんは、与論出身者が、その発展の一角を支えてきたという自信を持つべきだと考えています。

 5分ほどの報道映像も見ることができる。

 こうやって少しずつ、認知を得ていくんですね。


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2009/08/24

与論が見える。2009/08/24

 前利さんが送ってくれた与論の写真。しかも、これは今日のものだ。今年はこれで帰省気分。しくしく。

 メーバマ、シュゴーの見える南岸を経て、東端のアーサキから、ムティ、サダリ、シーラ。よく知られたウフガニク。ミナタとクルパナ、その向こうに『めがね』のティラサキ。そしてアガサの海。嗚呼、与論島、与論ブルー。ためいき。

(新川明の「日本が見える」を読んだ後で、「与論が見える」と題してみた。前利さんに感謝)

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2009/08/08

与論島のイチマンウイ(糸満売り)

 本の趣旨からは離れるのだけれど、『恋するしまうた恨みのしまうた』で強い印象が残ったのは、与論島で古老が語った糸満売りの経験談だった。著者の仲宗根幸市は、イチマンウイやエーマウイ(糸満、八重山への年期奉公)した島人が多いことに驚いたという。

 ぼくの子どもの頃も、イチマンウイの話は交わされていた。少し前の世代の苦労話のひとつとして、あるいは、本土で言うことを聞かない子どもへの脅かしでいうサーカスのようなニュアンスで。

 古老の語りはきっと与論の島言葉と共通語が交じったものだったろうが、共通語として編集されたなかにも、与論の島人のおだやかさが保存されていてリアリティがある。糸満売りされたのはよい方で、島に残ったほうが「哀れ」だったという言葉が胸に刺さってくる。

 わたしたちの先輩たちは、明治の末ごろの台風(注‥明治三二年八月の台風のこと)で大被害をうげ、島人は今日明日の食べ物にも困り、すっかり生きる希望を失っていたようです。
 そのころ、九州で三池炭坑(三井物産資本)の沖積み人夫の募集があり、与論では戸長(現在の町村長)を先頭に長崎県の口之津への集団移住が計画され、何回かに分けて実施されました。長崎へ移住しなかった人たちは、糸満売りや八重山売りをされました。
 九州への集団移住や、糸満、八重山へ身売りされた人は良い方で、島に残っている人たちはそれこそ哀れでした。なぜなら、糸満売りされた人たちは三度の食事がちゃんとあったからです。

 わたしは明治の末の生まれで、一六、七歳のころ糸満へ売られました。売られたといっても、年期奉公が満期になれば自由になれるのです。
 わたしは糸満のある漁業経営者(オヤカタ)に預けられました。いわゆる、ヤトゥイングヮ(雇い子)です。ヤトゥイングヮになったわたしは、同じ身の上の仲間とともに、まずもぐり(潜水)から鍛えられました。
 海にもぐるわけですから、生まれて初めてミーカガン(水中めがね)をつけ、訓練を受けたのです。ミーカガンを付けるのも、驚きでした。
 もぐりは重労働でしたが、白いごほんや芋も満足に食べられるので幸せを感じました。なにしろ、与論では白いごはんにありつけるということはめったになかったので……。ふるさとで苦労している父母のことを考えると、耐えに耐えて海の仕事に精出しました。

 オヤカタの家には娘たちの奉公もありました。彼女たちの仕事は、めし炊きや水汲み、薪ひろいが中心でした。わたしたちの訓練と仕事先は、那覇港の沖にあるチービシ(慶伊干瀬のこと。渡嘉敷村に属する無人島・ナガンヌ島・クエフ島がある低平なサンゴ礁の島)あたりの漁場でした。
 そこではもぐりでイラブチャー(ブダイ類)やサザエなどを採っていました。チービシ周辺でアギヤー(追い込み漁)に参加させてもらい、先輩たちと頑張ったのです。
 与論では集団によるアギヤーはなく、個人中心の漁だったので、チービシで潜水技術や追い込み漁を習いました。

 話は前後しますが、潜水の訓練ではサバニからヤトゥイングヮたちが次々海中に飛び込みます。若い少年は長くもぐれないのですぐ浮き上がりサバニをつかもうとします。すると、先輩たちが櫂でたたきます。少年などは何回もたたかれ、息が途絶える寸前までもぐりの訓練をやっていました。
 わたしも何べんも櫂でたたかれました。もぐりは糸満漁業で重要なので、兄貴分の先輩たちは苦しさを覚えさせるために厳しく鍛えたのでしょう。
 そういえば、こんな騒動がありました。チービシで漁をしていたとき、ある一二、三歳の少年が突然グループから逃げたのです。沖縄戦後のチービシのことはわかりませんが、わたしたちが漁をしていたころのチービシは、砂丘に木や草が茂り、隠れる場所もありました。
 わたしたちの一団は一〇人ぐらいで、少年をさがすため小島を丹念に回り、ついに逃げた少年を見つけました。おびえているこの少年は、漁があまりにきつくて逃げたようでした。その事件後、この少年が逃げたりすることはありませんでした。

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2009/07/31

「シューンて行ってピュウって行けばあります!」

 この、与論の道案内は笑いました。で、懐かしい。

観光客いないから、道聞いてもシューンて行ってピュウって行けばあります!って真面目に言うんですから(笑)わかんなーいから郵便局に行って聞いたらずっとずっとまっすぐ…まっすぐ…まっ!途中で人に聞いた方がいいです。だよ(笑)真面目な顔で言うから笑えね~!

 「与論島、ベトナムそうめん」(みどっちふぁくとりーの素)

 みどっちさんのこのコメントも最高。

道の説明の究極です、ここの島がいちばんヘタというか自然なんすよ。
坂道の場合、空に向かって指指しますから…(笑)
朝から10人以上に道を尋ねては、その自然なシューンて行って、スッとかの表現力に感心。楽しくて聞いてしまう。恥ずかしそうに説明してくれるからかわいいの。途中、説明が詰まったら、指であの白い屋根よ!ってどんだけ目がええねん(笑)


 ぼくは極度の方向音痴だが、その由来が分かるような。島の血なのか?(笑)。

 でも、この道案内の仕方は、与論島のクオリアだよなあ。


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2009/05/15

雲のなかの与論

 おとついの朝、与論は霧に包まれたようだ。

 「霧の朝」

何時もの朝の雰囲気と違うと思いながら道路にでてみると、なんと不思議な景色である。

 盛窪さんにとっても、「不思議な光景」だったのだ。

 同じ朝のことを、あんとに庵さんも印象的に書いている。

 「メメントモリからちょっと復活した」

夜が明けた島は雲の中に入っていた。
ゴミを出しに外に出ると、髪の毛が濡れる。島犬ミモザの毛も濡れる。
海の水面を雲が這っている。島バナナも芭蕉も蘇鉄も阿檀も雲に沈んでいる。
すごく静かな朝だった。
全てが雲に沈んで、眠っている。

 「全てが雲に沈んで、眠っている。」
 「天空の城ラピュタ」みたいだ。

 与論が雲のなかに入ると、島は小さいだけに、すっぽりと覆われることもあるだろう。すると、外からは、そこに島があることも分らないこともあるわけだ。そんなたたずまいは、与論らしい。

 「雲のなかの与論」は、浮遊する与論イメージに見合っている。


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2009/04/10

与論言葉に、いちゃりてぃ

 「いま新宿にいるんだけど」と兄(やか)に言われ、本をお渡ししたかったこともあり、外で会うことになった。帰りの道すがらを考えて、「よろんの里」で。

 「何にこだわってるのか、知らんけど」
 と、渡すなり言われたので、
 「でも、読んでね」
 と念を押すと、
 「あんまい」、
 そりゃもう、と返ってきて、ほっとした。

 店主の中山さんと三人で、アテモヤ、イシャトゥ、与論会、島民性などなど。そんな話題が与論言葉で交わされる。ぼくは4割話者にしか過ぎないが、与論言葉の飛び交う輪のなかにいると、落ち着く。水を吸い上げ、陽射しをいっぱい浴びる植物になった気分で、生き返る感じだ。無くなってほしくないから、ぼくももっと喋れるようになりたい。

 兄(やか)は長年の夢だった与論工場を実現する直前にこの不況に出くわし、延期した。夢見る時が長くなってよかったと思う。しかし国内の市場は十分の一に減っているそうで、兄(やか)は中国市場の開拓にいそしんでいるそうな。切り札となる部品も見せてもらった。成功しますように。

 ときに「よろんの里」では、『奄美自立論』を販売中。「奄美の家」と並んで、都内の二大販売拠点だ。本屋じゃないところが味噌?(苦笑)。


Onsale_2

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2009/02/11

「月が出たでた~お月さんたちの炭坑節~」

 テレビ朝日で「月が出たでた~お月さんたちの炭坑節~」を観た。

 台風による飢饉を逃れるため、労働力不足で募集のあった三池炭鉱に移住した与論の島人たちの歴史が映像でつづられる。

 過酷な労働と「与論島の人たちは日本人の枠の中に入ってなかった」という状況のなかで、身を寄せ合ってきた大牟田の与論の人たち。ぼくはまだ訪れたことがないので、映像で見れたのが嬉しかった。そこに、戦時中強制的に炭鉱労働に駆り出された中国の人たちの姿もあった。

 炭坑節を主題にした番組は、「月」をシンボルに語られた。大牟田から与論に移住した人は、「与論で見る月と三池で見る月は空気が違う。与論の月は格が違う」と話す。

 また、炭坑縮小で解雇されて、大牟田から東京に移住した与論の人たちもいたのをぼくは知らなかった。林さんは与論の人は「不服を言ったり抵抗したりしてこなかった」と語ったのが胸に刺さる。

 最後、映像は、去年の「炭坑節一万人総踊り」に初参加した与論の人たちを映す。町謙二さんは、それを「心を開く突破口にする」と語ったのが心に残る。「大牟田の一員になるために」、と。ゆんぬんちゅが、ちゅむちゃさい。


 与論では、放送は午後からですね。ぜひ、観てください。いい番組でした。取り上げてくれた熊本放送の井上佳子ディレクターに感謝したい。もう今日から、「炭鉱節」はこれまではと全く違って聞こえてくると思う。


 ※炭坑節:秘められた悲しみの過去 与論島出身者たちの「炭坑節」--熊本放送が制作


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2009/02/01

ファ行の言葉

 古宇利島を「ふぃ・ふぃ」「くぃ・くぃ」と呼ぶことから連想したこと。ファ行の言葉。

 fa: (kua:) 子
 fi: (kui)  沖(の島)/向こうの
 fu:     帆
 fe: (pe:) 南
 fo: ?

 「子」「沖(の島)」「帆」「南」というそれぞれに欠かせない言葉が、風の音に消え入るというか、風の音に同化して差異をつくれなくなりそうな無声音で表されるのに心惹かれる。いまにも消え入りそうな音の言葉が、大切な意味を担っているのに惹かれると言ってもいい。

 それは、なんと言ったらいいか、子どもの頃、ぼんやり縁側で陽射しを感じながらガジュマルの木立を縫って聞こえてくる風の音に心地よく身体を委ねた、あの時間の記憶につながるからかもしれない。それは、与論島のクオリアに触れている。




 

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