カテゴリー「 6.地域ブランドをつくる」の262件の記事

2016/10/20

『ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法』

 ぼくが買いそうにない書名だけれど、そこは著者の和田さんご本人を存じ上げているので信頼を寄せて迷わずに。

ミニサイトをつくるために一定の時間と労力が費やされますが、それによって、その後ミニサイトを活用してくれる何十人・何百人の貴重な時間が節約され、「役立った」「参考になった」と評価・感謝してもらえるなら、それは非常に有効な時間の活用方法なのではないでしょうか。

 と、こういうスタンスが大好きというか、共感します。

 そんなわけで早速、「なんちゃって企画書」のなかのカテゴリーを考えてみる。サイト名はともかく、「ショート説明」は、

 自分にとっての島々を見つけるための沖縄・奄美入門。

 カテゴリーは、

 1.地理(意外と長い列島)
 2.歴史(本土と結構違う)
 3.旅(身近になった4群島)
 4.自然(亜熱帯のサンゴ礁)
 5.動物・植物(島の主たち)
 6.文化(エキゾチックだけど懐かしい)
 7.シマウタ(覚えたらグッと味わい深くなる)
 8.酒(黒糖焼酎と泡盛)
 9.料理(これは食べておきたい)
 10.言葉(外国語と思ってしゃべってみる)

 こんな感じかなぁ。と並べてみて、琉球弧のことばかり考えてみるように見えて知らないことが多いのに気づく。これはなまなかなことではないと思うけど、和田さんも書いている通り、知ることは自分のためにもなるテーマばかりだ。

 ちょっと前に琉球弧を旅した人のクチコミから群島ごとのベネフィットを整理してみた。

 奄美 マングローブ、海、島時間
 沖縄 海、歴史、文化
 宮古 ビーチとドライブ
 八重山 サンゴと自然

 クチコミに乗る観光スポット数でいったら、沖縄パワーが圧倒的で、
 奄美:沖縄:宮古:八重山=1:19:6:3

 という感じ。これで言うと、沖縄本島周辺は知られるようになったということだろう。島々は観光客にあふれればそれでいいというわけでもないから、よい出会いが増えるようなサイトづくりができればいいと思う。

 この本は、和田さんがミニサイトを作る場合、「上限30~50項目(記事数)が多い」と、チップスも率直に書かれていて役立つ情報を多い。まずは、その気にさせてくれる和田さんに感謝だ。
 

『ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法』

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2016/08/24

琉球弧への時間距離 2

 主島からも空路で行ける。航空機のみでたどり着ける島。

■主島からの航空圏

 島名   
-------------------------
・喜界島(奄) 奄美航空圏
・徳之島(奄) 奄美航空圏
・沖永良部島(奄) 奄美航空圏
・粟国島(沖) 那覇航空圏
・久米島(沖) 那覇航空圏
・与論島(奄) 那覇航空圏
・与那国島(八) 那覇航空圏
・多良間島 (宮) 宮古航空圏
・波照間島 (八) 石垣航空圏

 次は、主島から橋でつながっている島。行きやすいけれど、本来的には離島ではなくなった島。宮古島はほぼ一個につながってしまっている。

■陸路で行ける島

島名      計 α 所属
-----------------------------
1.来間島   195 (宮)
2.伊良部島  195 (宮)
3.奥武島   210 (沖)
4.池間島   210 (宮)
5.下地島   210 (宮)
6.奥武島   230 (沖)
7.慶留間島  235 (沖)
8.平安座島  241 (沖)
9.浜比嘉島  244 (沖)
10.伊計島   257 (沖)
11.宮城島   257 (沖)
12.瀬底島   262 (沖)
13.屋我地島  265 (沖)
14.宮城島   266 (沖)
15.古宇利島  277 (沖)
16.野甫島    361 (沖)

 鹿児島あるいは主島から航路で1時間以上の島。いわゆる離れ島らしい島。

■航路1時間以上の島

島名      計 α 所属
-----------------------------
1.野甫島    361 (沖)
2.渡名喜島  290 (沖)
3.伊平屋島  345 (沖)
4.与路島   357 (奄)
5.口之島   535 (ト)
6.中之島   590 (ト)
7.諏訪之瀬島 655 (ト)
8.平島     710 (ト)
9.悪石島   770 (ト)
10.小宝島   850 (ト)
11.宝島    890 (ト)

 陸路が1時間以上かかる島。飛行機のあとにはるばる道をたどる島。

■陸路が1時間以上かかる島
島名      計 α 所属
-----------------------------
1.野甫島    361 (沖)
2.伊平屋島  345 (沖)
3.与路島   357 (奄)
4.平安座島  241 (沖)
5.浜比嘉島  244 (沖)
6.伊計島   257 (沖)
7.宮城島   257 (沖)
8.津堅島   259 (沖)
9.加計呂麻島 277 (奄)
10.請島    297 (奄)
11.伊是名島  320 (沖)

 離島らしさが残っているのは、こういう島たちかもしれない。

■橋がかかっておらず、航路か陸路で1時間以上かかる島
------------------------------------------------
1.伊平屋島  345 (沖)
2.与路島   357 (奄)
3.津堅島   259 (沖)
4.加計呂麻島 277 (奄)
5.請島    297 (奄)
6.伊是名島  320 (沖)
7.渡名喜島  290 (沖)
8.口之島   535 (ト)
9.中之島   590 (ト)
10.諏訪之瀬島 655 (ト)
11.平島    710 (ト)
12.悪石島   770 (ト)
13.小宝島   850 (ト)
14.宝島    890 (ト)

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2016/08/23

琉球弧への時間距離 1

 試みに琉球弧の各島への東京からの時間距離を測ってみた。空路がある場合、航路でも高速フェリーがある場合はそれを優先し、最速経路を優先している。ただし、待ち時間は含んでいないので、実際には直接着ける主島以外は、これ以上かかる。また、島によっては定期便がなくさらにかかる場合は(+α)で示している。

 これをみると、奄美、沖縄、宮古、石垣については、どちらが遠いということが言えないくらい時間距離は変わらなくなっている。かつての琉球弧らしく「遠い」のはトカラだけだ。待ち時間は考慮していないが、多良間島も心理的には近い島なのだ。

島名      計 α 所属
-------------------------------
1.奄美大島  155 (奄)
2.沖縄本島  170 (沖)
3.宮古島   170 (宮)
4.石垣島   175 (八)
5.喜界島   183 (奄)
6.徳之島   190 (奄)
7.多良間島  190 (宮)
8.水納島   190 +α (宮)
9.沖永良部島 195 (奄)
10.来間島   195 (宮)
11.伊良部島  195 (宮)
12.粟国島   200 (沖)
13.久米島   200 (沖)
14.波照間島  200 (八)
15.由布島   205 (八)
16.内離島   205 +α (八)
17.与論島   210 (奄)
18.奥武島   210 (沖)
19.大神島   210 (宮)
20.池間島   210 (宮)
21.下地島   210 (宮)
22.竹富島   215 (八)
23.渡嘉敷島  220 (沖)
24.前島    220 +α (沖)
25.奥武島   230 (沖)
26.小浜島   230 (八)
27.黒島    230 (八)
28.嘉弥真島 230 +α (八)
29.座間味島  235 (沖)
30.阿嘉島   235 (沖)
31.慶留間島  235 (沖)
32.新城上地島 235 +α (八)
33.新城下地島 235 +α (八)
34.久高島   240 (沖)
35.西表島   240 (八)
36.平安座島  241 (沖)
37.浜比嘉島  244 (沖)
38.鳩間島   245 (八)
39.オーハ島  250 (沖)
40.伊計島   257 (沖)
41.宮城島   257 (沖)
42.津堅島   259 (沖)
43.瀬底島   262 (沖)
44.屋我地島  265 (沖)
45.与那国島  265 (八)
46.宮城島   266 (沖)
47.加計呂麻島 277 (奄)
48.古宇利島  277 (沖)
49.水納島   277 (沖)
50.渡名喜島  290 (沖)
51.伊江島   292 (沖)
52.請島    297 (奄)
53.伊是名島  320 (沖)
54.伊平屋島  345 (沖)
55.与路島   357 (奄)
56.野甫島    361 (沖)
57.口之島   535 (ト)
58.中之島   590 (ト)
59.諏訪之瀬島 655 (ト)
60.平島    710 (ト)
61.悪石島   770 (ト)
62.小宝島   850 (ト)
63.宝島    890 (ト)


 これを時間圏別の整理してみる。このとき、那覇空港や奄美空港などから空路で乗り継ぎできる島を那覇航空圏、奄美航空圏のように表現している。

 「3時間+α」圏は、主島から空路がある、橋でつながっている、近いという条件の島が多い。多良間島が上位にくるのも、宮古島からの空路のおかげだ。

 「4時間+α」圏は、橋でつながっている島も多いものの、主島の空港からの陸路に時間がかかる島が多い。伊計島はその典型だし、航路も使う加計呂麻島もこの圏に入る。

 「5時間超」圏は、空路のあとに航路が1時間以上かかる島が多い。トカラはすべてここに入る。また、加計呂麻島の離島になる請島、与路島と伊平屋島、伊是名島は遠い島なのだとわかる。伊平屋島、伊是名島は、与論島から見える島なので意外な印象だ。


島名      計 α 所属 航空圏
------------------------------------------
1.奄美大島  155 (奄)
2.沖縄本島  170 (沖)
3.宮古島   170 (宮) 那覇航空圏
4.石垣島   175 (八) 那覇航空圏

■3時間+α圏
5.喜界島   183 (奄) 奄美航空圏
6.徳之島   190 (奄) 奄美航空圏
7.多良間島  190 (宮) 宮古航空圏
8.水納島   190 +α (宮)
9.沖永良部島 195 (奄) 奄美航空圏
10.来間島   195 (宮)
11.伊良部島  195 (宮)
12.粟国島   200 (沖) 那覇航空圏
13.久米島   200 (沖) 那覇航空圏
14.波照間島  200 (八) 石垣航空圏
15.由布島   205 (八)
16.内離島   205 +α (八)
17.与論島   210 (奄) 那覇航空圏
18.奥武島   210 (沖)
19.大神島   210 (宮)
20.池間島   210 (宮)
21.下地島   210 (宮)
22.竹富島   215 (八)
23.渡嘉敷島  220 (沖)
24.前島    220 +α (沖)
25.奥武島   230 (沖)
26.小浜島   230 (八)
27.黒島    230 (八)
28.嘉弥真島 230 +α (八)
29.座間味島  235 (沖)
30.阿嘉島   235 (沖)
31.慶留間島  235 (沖)
32.新城上地島 235 +α (八)
33.新城下地島 235 +α (八)

■4時間+α圏
34.久高島   240 (沖)
35.西表島   240 (八)
36.平安座島  241 (沖)
37.浜比嘉島  244 (沖)
38.鳩間島   245 (八)
39.オーハ島  250 (沖)
40.伊計島   257 (沖)
41.宮城島   257 (沖)
42.津堅島   259 (沖)
43.瀬底島   262 (沖)
44.屋我地島  265 (沖)
45.与那国島  265 (八) 那覇航空圏
46.宮城島   266 (沖)
47.加計呂麻島 277 (奄)
48.古宇利島  277 (沖)
49.水納島   277 (沖)
50.渡名喜島  290 (沖)
51.伊江島   292 (沖)

■5時間超圏
52.請島    297 (奄)
53.伊是名島  320 (沖)
54.伊平屋島  345 (沖)
55.与路島   357 (奄)
56.野甫島    361 (沖)
57.口之島   535 (ト)
58.中之島   590 (ト)
59.諏訪之瀬島 655 (ト)
60.平島    710 (ト)
61.悪石島   770 (ト)
62.小宝島   850 (ト)
63.宝島    890 (ト)

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2015/08/18

『はじめての社内起業』

 企業に勤めていた頃、後半の10年くらいは、新規事業の立ち上げに携わることが多かったので、石川明の『はじめての社内起業』は、当時を振り返るよい機会になった。

 「敵は市場よりも前に、社内にいる」ということは、当初、痛感し、やがてそれが当たり前だと考えるようになったことだし、「起案者が、「思いを込められるテーマであるかどうか」はとても大切です」というのも、いたく共感できた。ぼくの拙い経験でも、うまく立ち上がった事業は、主体になった担当者の、「彼(彼女)らしい」という顔つきがサイトか、サービスの中身のどこかに現れるものだと思う。それは、その事業の個性や特徴でもあれば、癖でもあって、必ずしも強みとは限らないのだが、でもそれなしにはこの事業はないと感じさせてくれるものだ。

 うまくいったこと、うまくいかなったことでいえば、もちろんうまくいかなかったことのほうが多い。失敗について、

新規事業が「社風」や「慣習」とそぐわないことが大きな障壁になることがあります。

 という一文には、思い当たることがあった。検索ポータルサイトに勤めていた頃に、サイトのソーシャル化と、ソーシャルメディアの立ち上げを提案したことがあった。前者はうまくいったが、後者は果たせなかった。トップの了承も得て、事業化寸前まで行ったが、はじごを外されるように崩れたのだった。いきさつはいろいろあるけれど、そもそも検索ポータルサイトとソーシャルメディアの相性を、よくさせることができなかったと捉えると、自分の責任としては受け取りやすい。

 「市場開拓」、「市場浸透」、「多角化」、「新製品開発」の4象限では、各象限のそれぞれを議論することが多いが、著者は、4象限を分かつ「線」に注目を促している。

 「既存」と「新規」の間の線、それは既存事業と新規事業の間を分かつもの。つまり、その会社が新たな事業によって越えるべき「壁」です。
 新規事業を検討することは、この「壁」が何であり、なぜ「壁」になっているのか、「壁」を乗り越えたところに何があるか、乗り越えることに価値はあるか、どうすれば乗り越えることができるのか、について考えることにほかなりません。

 この、「線」を「壁」として見る視点はぼくには無かったので啓発された。また、セミナーなどで、「立てた企画を、無理解な経営者に通すにはどうしたらよいか」と聞かれることがよくある。この場合、「優れたマーケターを見てきた経験では、「情熱」だと思う」、と答えることが多いが、著者はそこを、「経営者より熱い情熱を持つこと」と主張している。うん、こちらのほうが説得力があると、頷かされた。

 この本は、「孤軍奮闘になりがちな担当者」のための「社内起業」(新規事業開)の「伴走」書なのだが、ぼくの場合、ふたたび新規事業をやりたくなる気持ちの伴走になってくれたようだ。

 易しい言葉で丁寧に説明されている。けれど、社内起業のタフさに耐えるタフな入門書だと思う。

『はじめての社内起業 「考え方・動き方・通し方」実践ノウハウ』

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2015/06/27

顔の見える島・与論島

 神田孝治は、「観光地と歓待」(『観光学評論 Vol.3-1』)のなかで、与論島の観光の経緯を整理している。それは、三段階に分けられる。

 1.70年代 「自由」と「恋愛」イメージ
 2.80年代 観光客の減少を受けた観光振興
 3.2007年以降 映画『めがね』による、「観光」ではなく、「たそがれる」。

 上記の三段階は、おおよそ、1が「ヨロン島(とう)」、2が「パナウル王国」、3が、「この世界のどこかにある南の海辺」というコピーに対応させることができる。

 神田は、2の観光振興のなかで、「与論献奉」を取り上げて、酒の回し飲みを「与論の憲法」と通称していたのを、「与論献奉」と名称を考案したのは、1979年だということを明らかにしている。酒の回し飲み自体は古代からあるが、「与論献奉」は観光ブームにあやかって登場したもので、言うほどの歴史の古さはないと見なしてきたので、この明記はありがたい。

 日本国憲法の条項をめぐる議論がかまびすしいなか、「与論献奉」の条項を取り上げるのは気が引けるが、いい機会だから見てみよう。

 与論献奉

 与論献奉は島の永遠の繁栄を念願し、お客に感謝し心から歓迎して町民の誠の心を献上するもので永禄4年(1561年)から施行された。

 第一条 与論献奉は与論固有の献奉で与論島の象徴(誠の心)である。
 第二条 与論献奉は全町民の真心を主賓に献上してから関係者全員に施行する。
 第三条 与論献奉は適物適量を厳かに一回だけ献上する。
 第四条 与論献奉は平等に施行し何人たちろともこれを断ることはできない。
 第五条 与論献奉施行者は主賓等の適量をあやまってはならない。
 第六条 与論献奉施行者は施行前に趣旨等を口述し味美(ママ)をしてから施行する。
 第七条 与論献奉綬杯者は献杯する前に自己紹介等スピーチして献杯する。
 第八条 与論献奉施行中は何人たりとも離席せず思語(ママ)をつつしみ献杯者のスピーチを拝聴しなければならない。
 第九条 与論献奉施行者は献奉終了した旨を全員に報告しなければならない。
 第十条 与論献奉施行者は献奉施行者の一切の権利と義務を負うものとする。

 附則
 1.この献奉永禄四年(ママ)1561年8月15日(旧)から施行する。
 2.この献奉は自作自演で一切の責任は負わないものとする。

 ふぅ。筆記してて恥ずかしくなってきた。この恥ずかしさは、この条項が、まじめなのか冗談なのか、よく分からないところから来るような気がする。いや、冗談なのにやけに真面目な装いをしているところもあるのが余計なのだろう。冗談なら与論人らしいユーモアで塗りつぶすのがいい。ここでは、真面目に受け止めた場合の見方にすると、

 前文および附則1は虚偽だから削除。第一条の「与論献奉」は「島の象徴」ではないから削除。第二、五、十条、附則2は意味不明だから削除。第四条の「断ることはできない」、第八条の「何人たりとも離席せず」は、禁止ではなく、可能の表現に改める。

 すると残るのはこの三つ。

 第三条 与論献奉は適物適量を厳かに一回だけ献上する。
 第六条 与論献奉施行者は施行前に趣旨等を口述し味美(ママ)をしてから施行する。
 第七条 与論献奉綬杯者は献杯する前に自己紹介等スピーチして献杯する。

 これを基本にして、第三条を厳格にするのが必要なことが見えてくる。

 と、真面目に考えるとこうなる。これは逆に、与論人の得意なユーモア一色にしてもいいのだ。どちらにしても、この十箇条はリニューアルしないと、ちょっと恥ずかしい。

 気を取り直して、神田の説明を補足すると、彼は、

祖先崇拝の強い与論島では、まず先祖の神に酒を捧げるという。(中略)与論島においては、来訪神ではなく祖先が神であることにその特徴がある。

 と、書いているが、琉球弧では、来訪神も祖先も「神」であるのは共通している。「与論献奉」は、「まず先祖の神に酒を捧げる」のであるとしても、ポイントは、客を来訪神視しているところにある。表層的にはそれは人見知りが一夜で仲良くなるための苦肉の策(cf.「与論献奉」)だが、深層には、旅人を「まれびと」とみなす心性が潜んでいるものだ。


 これまでの観光論考に対して、神田が新しく付け加えていると思えるのは、「来訪者の現地への愛につながる感情が重要な役割を果たしている」ことに注目した点だ。

 「ギリシャ村」構想、NPO法人「e-○k」による島のIT化、「島人旅人・与論島」の文化活動、雑誌『かなしゃ』の発行、「サンゴ礁再生協議会」。これらの活動は、移住者を中心にしたもので、神田が指摘したポイントに当たる。

 けれどそれだけではない。神田がこの他にも紹介している、NPO法人「ウンパル学校」、ブログによる情報発信、「ゴミ拾い」は、島の出身者によるものだ。

 どちらの場合も、これらの活動は、島にとって無くてはならない人に支えられている。どの活動もそれを行っている個人がはっきりしているのだ。そして重要なのは、紹介された人物以外にも、与論には顔の見える活動をしている人がたくさん、いることだ。

 与論の象徴は、自然を除けば、「与論献奉」ではなく、一人ひとりの顔なのだ。むしろ、これらの活動をしている人たち自身が(観光)資産であると位置づけたい。それに、これを出身者と移住者が手を組んでできるところにも(そこにいろいろな問題があるにせよ)、与論の強みはあると思う。(観光)振興のためには、商品開発、とは限らない。

 神田の論考を読み、なかなかやるじゃないか与論島、と嬉しくなった。この論考を受けていえば、「顔の見える島づくり」を提案したいし、ぼくも手伝いたいと思う。

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2015/06/25

新シェーバ-第一印象記

 シェーバーを交換した(たまにはこういう話題もご容赦を)。これまで使っていたのは、フィリップスの回転式の三枚刃。もともとブラウンのスチール網刃を使っていたのだけれど(といっても80年代から90年代にかけての相当、昔)、剛毛だからか、当てが強すぎるのか、網刃がパキッと割れてしまうのを何回か経験して、割れる心配のないフィリップスの回転式に代えたのだった。

 ぼくの髭ときたら、堅くてしかも伸びるのが速い。学生のころに一度だけ伸ばしたことがあるが、三ヶ月でアルムのオンジ状態になっていた。当時、居酒屋へ行くと、髭を生やしたおじさんが近づいてきては、どのくらいでそこまで伸ばしたのか、よく聞かれたものだ。男性には、豊かな髭を蓄えたいという願望があるのだなと、そのとき知った。まぁ、もう一度機会があれば思う存分生やしてみたいと思うのだから、ぼくもその一員かもしれない。

 ともかく、フィリップスの回転式も長いお付き合いをしたが、そろそろ切れ味も鈍くなっているのを認めざるを得なくなった。もともと身支度の律速段階は髭剃りというのが、成人以降のぼくの思い込みだった。だから、髭剃りは鏡に向かってするものではなく、スマホや本を読みながらするという、立派に、ながらを要求する作業だったのだ。それでも、だ。あるアンケート調査で髭剃りに10分以上かけている人は1割にも満たないことを知ったのは衝撃だった。大方の人は、3分、5分以内に済ませている、というのである。信じがたかった。剛毛を嘆けばいいのか、伸びる速さを諦めればいいのか。しかし、ひょっとして、フィリップスとの長い付き合いのせいかもしれない。何年も使っているから、剃り時間が延びているのに気づいていないのかもしれない。

 そう思い直して、今回は、IZUMI VIDAN シリーズの、いちばん強力そうなシェーバーを選んでみた。山脈が四つ並んだような4枚刃を使うのはもちろん初めてだ。

 私用で自宅を4日離れたが、その間は身内にしか会わないのをいいことに、横着して旅荷をできるだけ軽くするべくシェーバーも持たなかったので、4日分、伸びた髭を剃ることに。もちろん、前のシェーバーではゆうに10分を越すコースだ。

 スイッチを押し当ててみると、剃れてるのかどうか覚束なかった。なにしろ、剃り音がしてない気がするのだ。これまでの経験から、剃れ具合いは、音で確かめていた。むしろ、音がする割にはなかなか進まないという気がしていた。それだから、音がしないのは、とても心もとない気がしたのだ。何か、効果的ではないやり方をしているのか、とスイッチを押してみると、往復音が増した。あとで見たら、ターボモードといって、より速く剃るためのものらしい。それを使ってもよかったのだけれど、初使いだから、標準でどうなるのか試したかったので、モードを戻してやってみた。

 で、音が小さいのが心もとないのは変わりなく、さらにあちこちのスイッチや切り替えボタンを押してみて、色んな機能が付いているのは分かったが、肝心の剃り味はどうなのだろう。不安だ。

 しかし、ふと鏡を見ると、髭が薄くなっている。あれ、剃れてる。ちょっとびっくりした。音が少ないのに、すでに結構、剃れている。そういうものなのか。ちょっと嬉しくなり、それからは音を気にせずに続けてみた。使い古したフィリップスでは、鼻下や顎から首にかけての剃り残し退治に結構な時間を使ってしまうのだけれど、それがスムーズに行っているのにも気づいた。これはいいではないですか。

 ひと通り、これで充分と思って、記念にセットしてみたタイマーを切ると、9分9秒。10分を切ったではないですか。わずか、1分のことではあるけれど、あちこちいじりながらの髭剃りだったので、感触としては5分台でいけたのではないか。毎日の髭剃りなら3分以内も望めるかもしれない。とにかく、この4枚刃は、音が小さいのに剃れているのが一番の驚きだった。

 パッケージをみると、「約4週間充電不要」とある。当分、定期的に旅する日々が続くので、これは頼もしい。その威力は、旅先で実感できるのを期待しよう。かくして、シェーバー交換は失敗ではなかったと安堵した初使いだった。

 

『IZUMI VIDAN 【日本製・深剃りシリーズ】 往復式シェーバー 4枚刃 シャンパンゴールド IZF-V85N』



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2013/11/24

「アイランダー2013」歩き

 ここ数年、行けてなかった「アイランダー2013」に足を運ぶ。初日となる昨日、とても賑わっていた。

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 しかし、わが与論島は奄美ブースのなかでポスターのみ。さみしいけれど、台風被害の後、仕方ないと諦める。来年に期待したい。あ、でも、担当者が一人いて、島案内とは別に募金箱を担当したらよかったのではないだろうか。

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 奄美ブースでは、黒糖焼酎メイン。最初は、これしかないのかと残念な気持ちになりかけたが、ずっと人だかりで、侮れない認知を獲得してきたことを再確認。ブランド力をつけたんですね。

Amami

 水間さんからバッグをいただく。これはいいね! あ、しかし、与論のシンボルマークは酒になってる(笑)。奄美のなかでも酒呑みで知られているということか、他に思いつくものがないということか。

Bag

 隣りの沖永良部島は単独でブース出展。今回は、ダイビング、ケイビング、移住案内が目的だそう。移住希望者が住宅を見つけやすいように、町が関与して、仮住宅を一年間、貸す仕組みなのだ、と。昨日は、宗さんの島唄を聴いたばかり。二日続けての沖永良部で、嬉しくなる。

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 「みそピーナツ」は、はやくもこれが最後の一袋。個袋にしただけで、よく売れると、水間さん。これも、商品開発の大事な工夫のひとつだ。

 これは、沖永良部のTyphoon作のちんすこう。

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 お馴染み、鶏飯。

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 奄美の後に沖縄に目を転じると、垢ぬけているという印象がまずやってくる。いい、悪いではなく。

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 ゆるキャラもがんばってた。与論もあったほうがいいだろうか? 島がゆる島だから、それでいいか。パナウル王国は、パロディ国家のスタートだが、あれもかなりゆるキャラ的だ。

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 粟国島。小さくて親近感を持ってきたが、地質調査に来た学者も、与論に似てますねと指摘したとか。やっぱり、つながりを感じる島だ。島の体験コースの案内をたくさんいただいた。とーとぅがなし。

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 阿嘉島。最近は、ノルディックウォーキングを推していて、島でもインストラクターを養成しているとのこと。ダイビング客は多いが、陸の楽しみを付加価値としてつけるのだという。

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 巡っていると、離島と言っても、奄美大島が島に見えないくらい大きく見えるように、どうも小さな島のほうへ自分の目が向いているのに気づく。サガですね。

 「時を忘れる」、「ゆったりした時間が流れる」、「どこにあるか知っていますか?」。そんなコピーをたびたび目にする。離島のコピーは似てくるということだ。これらのコピーはそうには違いないが、埋没しかねないことに気づかされる。

 たとえば、与論なら、民俗村の菊秀史さんが言うように、「尊加那志(と-とぅがなし)の島」と謳うと、ユニーク・ポイントをアピールできる。ただし、間違っても、尊尊我無(ソンソンガム)と表記しないように。損である。

 そこへいくと、「ないものはない」という隠岐の海士町のコピーは効いている。

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 高校生の島留学もうまくいっているとのことだ。「ひきこもりの子とかやってきませんか?」と質問してみた。「最初はそういう子もいたが、中学校の推薦を必要にしてからそういうことはなくなった」という回答。そういうニュアンスで聞いたつもりではなかったのだが、実情は分かった。島の子も刺激を受けて、「30歳になったら、島に戻ってカフェを開く」、「島に戻って村長になる」。そう威勢よく言う子も出てきたという。島留学は、島の未来も作っているようだ。与論で検討したことはあるだろうか。海士町の方の話では、校長にも恵まれているとか。

 そういえば、隠岐は、アンケートと称した島ガイドもやっていた。

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 海士町の「サザエカレー」を今回も買った。商品力、あると思う。パッケージも。

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 宝島の「島バナナ」、波照間島の「黒蜜」もパッケージが美しい。

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 佐世保の黒島。ブースの方は東京在住だが、故郷の島を応援したくて、手伝っているとのこと。東京にいながら「黒島いいね!探検隊」というFacebookページを運営して、少しでも島のことを知ってもらいたいという思いなのだという。ぼくも、全く同じことをしているので、小さな島の出身者は同じことを考えるんだなと嬉しくなった。

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 唐津のブースでは、三年の契約で島おこしに協力しているとのこと。やり甲斐を持って取り組まれているのがよく伝わってきた。がんばっている人とセットになると、その島のことがきちんとインプットされる。

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 小笠原のフラ。

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 三島村のアフリカン・ビート。ユニークなテーマを持って、そのメッカになるということか。

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 そして、五島のうどんを買った。なんでも、三大うどんのひとつに数え上げられることもあるとか。椿油を塗っていて、麺が延びないんだそう。食の強みを持つというのは、島PRにとって強力だ。

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 宮城の寒風沢(さぶさわ)米。やっぱり小さな島のブースに引き寄せられてしまう。試食させてもらったが、美味しかった。天水で作られたお米とのこと。震災で島の人口は減っているが、徐々に田んぼの面積も増やしていってるそうだ。

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 与論を云々する時、「これを食っとっけてもの何?」と聞かれるのが、いちばん苦しい質問だ。とはいえ、最近は美味し店も増えたし、もずくそば、黄金酢、きび酢、じねん塩、と顔ぶれも出てきた。でも、伸びる余地はもっとある。そのヒントがないか、というのが、今回の目的だった。

 各ブースでPRに努めている方たちとのおしゃべりはとても楽しかった。離れ小島の出身者は、似た想いを抱いていることが分かっただけでも、甲斐があった。島のPRを背負ったそれぞれの方を応援したい気になる。

 そういうわけで、このイベントでお披露目となった、『奄美群島時々新聞』の発刊、おめでとうございます。

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 「若手島人」の手になる、と書かれている。どこまで伸びてゆくか、楽しみだ。


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2012/03/10

世界一のどかなヨロンマラソンのポテンシャル

 ヨロンマラソンのことを「世界一ゆるくてあったかい」と形容したことがあるけど(「ヨロンマラソン-世界一ゆるくてあったかいマラソン」)、えりなさんの「世界一のどかな」(「風になる日」)という形容の方がふさわしいので来年は初めからそう自称しようと思う。

 地域ブランドのヨロンマラソンには目を見張るものを感じて、二年前、関西奄美会誌にも「ヨロンマラソンに見る手づくりの奄美発信」という文章を寄稿したが、その考えは今も変わらない。それどころかますますポテンシャルを感じる。

 それは何といっても発信力が強まってきていることだ。与論のツイッター人口も増えてきたおかげで今年は、マラソン用のTシャツを作る人がいたり、当日の朝5時半に起きてボラんティでサポートに行く人がいたりする様子も伝わってきた。

 「ヨロンマラソン」でツイートされた数は過去30日間で342件に上る。当日の134件がピークでゆるやかに下降するカーブを描いている。

Topsy_tweet_search

 これはどのくらいの規模なのか。たとえば、同日に琵琶湖では「びわ湖毎日マラソン」が行われているが、「琵琶湖マラソン」の当日のツイート数は1944で、過去30日間では3714件だ。

 当日 過去30日
 134  342 ヨロンマラソン
  12   21 与論マラソン

1944 3714 びわ湖毎日マラソン

 ツイート数でみると、ヨロンマラソンはびわ湖毎日マラソンの10分の一程度の規模になるわけだが、方やNHKでも放送されていることやツイート人口の密度を踏まえると、相当に健闘していると思える。

 この発信力を支えたのは、ヨロンマラソンのネット中継だ。これがあるから、島外からもヨロンマラソンに参加することができる。ニコニコ生放送ではピーク時には2000近い視聴者数を数えていた。ゴールの中継はもちろんのこととして、翔龍橋給水所ののどかさ面白さ、JALのCAさんのドリンク渡しは次第に名物と化してきている。

 ぼくにとって格別だったのは、今年、友人の和田さんが参加してくれて、翔龍橋給水所のネット中継越しに、「喜山さん」と呼びかけてくれたのをキャッチできたことだったが、それが感動的なことだというのをその瞬間になるまで知らなかった。ネット中継はこんな喜びも寄こしてくれる。

 今年は、ヨロンマラソンを題材にしたブログも豊かだった。 

 「ヨロンマラソン2012 その1」~4(「さすらいの風来簿」)

 「与論島「ヨロンマラソン2012」ハーフ完走!(前編)」~後篇(WADA-blog)

 「第21回ヨロンマラソン終了しました^^v」(「沖縄離島ブログ」)

 「風になる日」(「Seaside Garden Note」)

 ぼくもFacebookページでひと様の上げたコンテンツを元に当日の記事を作成した(「Yoron Island (与論島)」)。この他にも、Facebookやmixiではぼくの知らない多くのコンテンツが交わされたに違いない。

 わがままなお願いになるが、当日の発信力を上げるためにネット中継は続けてほしいしできれば中継の箇所に島の東海岸添いを加えてほしい。名物箇所がもうひとつ増えること間違いなしだと思う。

 ヨロンマラソンの魅力は、島と島人を挙げててのホスピタリティだと思う。その要素は、「ゆるさ」、「海」、「応援」。

 「ゆるさ」 制限時間7時間の長さ。給水所での有泉や山羊汁、豚汁の振る舞い。
 「海」 目の端に云うまでもないあの海を感じ、見ることができる
 「応援」 島人こぞっての沿道での声援、ネット中継、前夜祭、完走パーティ

 これらの要素が相まってユニークなホスピタリティを生んでいる。もちろん交通の便、宿泊所の数、質など課題だって数え上げれば切りがないだろう。けれど、いま一番、島の魅力を伝え、伝わるものは何かと問われれば、ヨロンマラソンが筆頭に挙げられるのではないだろうか。そのポテンシャルは高いと思う。


「Yoron Island (与論島)」

Yoron_island1Yoron_island2Yoron_island3Yoron_island4

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2011/03/06

ヨロンマラソン-世界一ゆるくてあったかいマラソン

 いままで、世界一きれなマラソンと称揚したり、去年は、「ヨロンマラソンに見る手づくりの奄美発信」と書いたりしたけれど、今年はまた去年よりも、東京にいてヨロンマラソンを堪能することができた。

 先導車からの中継は車が先に行き過ぎているのか、ランナーがなかなか見えなかったけれど、島の意外なアップダウンやそれでも全体的にはとても平坦なさまが分かったし、昇竜橋付近の中継は今年も和やかで笑わせてくれたし、ゴール地点では、スタート間近の緊張感のなさ、ゴール寸前の併走のあったかさなどが、きれいな画像とクリアな音声で伝わってきた。

 ツイッターも去年よりずっと盛り上がった。ざっと目で数えて、 #yorontou のタグは今日だけで290にも上った。言葉と映像と音声がリアルにヨロンマラソンの中味を伝えていた。小さな島の発信として見事だったと思う。植田さんたちのおかげで満喫することができた。

 それにしても、昇竜橋近辺からランナーが駆け昇ってくる映像は、太平洋を背景にすると、与論が広大に見えてくるのだった。小さな島の大きな光景。これも見どころのひとつだったと思う。いまごろは完走パーティで盛り上がっていることだろう。乾杯だ。


 走っても歩いてもヨロンマラソン。
 途中で食べても飲んでもヨロンマラソン。
 海を堪能しても踊ってもヨロンマラソン。
 前夜祭があるのもヨロンマラソン。
 一緒に騒いで、お帰りなさいと声かけるのがヨロンマラソン。
 広大な海の上をを走るのがヨロンマラソン。
 世界一ゆるくてあったかいのが、ヨロンマラソン。


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2011/01/31

与論のファンページ

 Facebookに与論島のファンページを作ってみた。

 別に島を代表しているわけじゃないんだけど試行として。しかるべき体制が組めるなら、一緒に協力しあってのつもりです。

 コミュニケーション・アイランドになることが島の力になるという考えから自然に出てきた発想です。Facebookに登録している方は、「Yoron Island」で検索してやっておくんなさい。

 島では、今宵ツイッター講座が開かれているそう。嬉しい。


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0.プロフィール 1.与論島クオリア 2.与論・琉球弧を見つめて 3.与論の地名 4.奄美の地名 5.琉球弧の地名 6.地域ブランドをつくる 7.小説、批評はどこに 8.島尾敏雄 9.音楽・映画・絵画 10.自然の懐 11.抒情のしずく 12.祖母へ、父へ 13.超・自然哲学 14.沖永良部学との対話 15.『しまぬゆ』との対話 16.奄美考 17.『海と島の思想』 18.『ヤコウガイの考古学』を読む 19.与論砂浜 20.「対称性人類学」からみた琉球弧 21.道州制考 22.『それぞれの奄美論』 23.『奄美戦後史』 24.『鹿児島戦後開拓史』 25.「まつろわぬ民たちの系譜」 26.映画『めがね』ウォッチング 27.『近世奄美の支配と社会』 28.弓削政己の奄美論 29.奄美自立論 30.『ドゥダンミン』 31.『無学日記』 32.『奄美の債務奴隷ヤンチュ』 33.『琉球弧・重なりあう歴史認識』 34.『祭儀の空間』 35.薩摩とは何か、西郷とは誰か 36.『なんくるなく、ない』 37.『「沖縄問題」とは何か』 38.紙屋敦之の琉球論 39.「島津氏の琉球入りと奄美」 40.与論イメージを旅する 41.「猿渡文書」 42.400年 43.『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』 44.「奄美にとって1609以後の核心とは何か」 45.「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」 46.「奄美と沖縄をつなぐ」(唐獅子) 47.「大島代官記」の「序」を受け取り直す 48.奄美と沖縄をつなぐ(イベント) 49.「近代日本の地方統治と『島嶼』」 50.「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ 51.『幻視する〈アイヌ〉』 52.シニグ考 53.与論おもろ 54.与論史 55.「ゆんぬ」の冒険 56.家名・童名 57.与論珊瑚礁史 58.琉球弧の精神史 59.『琉球列島における死霊祭祀の構造』 60.琉球独立論の周辺 61.珊瑚礁の思考イベント 62.琉球文身 63.トーテムとメタモルフォーゼ