ここ数年、行けてなかった「アイランダー2013」に足を運ぶ。初日となる昨日、とても賑わっていた。
しかし、わが与論島は奄美ブースのなかでポスターのみ。さみしいけれど、台風被害の後、仕方ないと諦める。来年に期待したい。あ、でも、担当者が一人いて、島案内とは別に募金箱を担当したらよかったのではないだろうか。
奄美ブースでは、黒糖焼酎メイン。最初は、これしかないのかと残念な気持ちになりかけたが、ずっと人だかりで、侮れない認知を獲得してきたことを再確認。ブランド力をつけたんですね。
水間さんからバッグをいただく。これはいいね! あ、しかし、与論のシンボルマークは酒になってる(笑)。奄美のなかでも酒呑みで知られているということか、他に思いつくものがないということか。
隣りの沖永良部島は単独でブース出展。今回は、ダイビング、ケイビング、移住案内が目的だそう。移住希望者が住宅を見つけやすいように、町が関与して、仮住宅を一年間、貸す仕組みなのだ、と。昨日は、宗さんの島唄を聴いたばかり。二日続けての沖永良部で、嬉しくなる。
「みそピーナツ」は、はやくもこれが最後の一袋。個袋にしただけで、よく売れると、水間さん。これも、商品開発の大事な工夫のひとつだ。
これは、沖永良部のTyphoon作のちんすこう。
お馴染み、鶏飯。
奄美の後に沖縄に目を転じると、垢ぬけているという印象がまずやってくる。いい、悪いではなく。
ゆるキャラもがんばってた。与論もあったほうがいいだろうか? 島がゆる島だから、それでいいか。パナウル王国は、パロディ国家のスタートだが、あれもかなりゆるキャラ的だ。
粟国島。小さくて親近感を持ってきたが、地質調査に来た学者も、与論に似てますねと指摘したとか。やっぱり、つながりを感じる島だ。島の体験コースの案内をたくさんいただいた。とーとぅがなし。
阿嘉島。最近は、ノルディックウォーキングを推していて、島でもインストラクターを養成しているとのこと。ダイビング客は多いが、陸の楽しみを付加価値としてつけるのだという。
巡っていると、離島と言っても、奄美大島が島に見えないくらい大きく見えるように、どうも小さな島のほうへ自分の目が向いているのに気づく。サガですね。
「時を忘れる」、「ゆったりした時間が流れる」、「どこにあるか知っていますか?」。そんなコピーをたびたび目にする。離島のコピーは似てくるということだ。これらのコピーはそうには違いないが、埋没しかねないことに気づかされる。
たとえば、与論なら、民俗村の菊秀史さんが言うように、「尊加那志(と-とぅがなし)の島」と謳うと、ユニーク・ポイントをアピールできる。ただし、間違っても、尊尊我無(ソンソンガム)と表記しないように。損である。
そこへいくと、「ないものはない」という隠岐の海士町のコピーは効いている。
高校生の島留学もうまくいっているとのことだ。「ひきこもりの子とかやってきませんか?」と質問してみた。「最初はそういう子もいたが、中学校の推薦を必要にしてからそういうことはなくなった」という回答。そういうニュアンスで聞いたつもりではなかったのだが、実情は分かった。島の子も刺激を受けて、「30歳になったら、島に戻ってカフェを開く」、「島に戻って村長になる」。そう威勢よく言う子も出てきたという。島留学は、島の未来も作っているようだ。与論で検討したことはあるだろうか。海士町の方の話では、校長にも恵まれているとか。
そういえば、隠岐は、アンケートと称した島ガイドもやっていた。
海士町の「サザエカレー」を今回も買った。商品力、あると思う。パッケージも。
宝島の「島バナナ」、波照間島の「黒蜜」もパッケージが美しい。
佐世保の黒島。ブースの方は東京在住だが、故郷の島を応援したくて、手伝っているとのこと。東京にいながら「黒島いいね!探検隊」というFacebookページを運営して、少しでも島のことを知ってもらいたいという思いなのだという。ぼくも、全く同じことをしているので、小さな島の出身者は同じことを考えるんだなと嬉しくなった。
唐津のブースでは、三年の契約で島おこしに協力しているとのこと。やり甲斐を持って取り組まれているのがよく伝わってきた。がんばっている人とセットになると、その島のことがきちんとインプットされる。
小笠原のフラ。
三島村のアフリカン・ビート。ユニークなテーマを持って、そのメッカになるということか。
そして、五島のうどんを買った。なんでも、三大うどんのひとつに数え上げられることもあるとか。椿油を塗っていて、麺が延びないんだそう。食の強みを持つというのは、島PRにとって強力だ。
宮城の寒風沢(さぶさわ)米。やっぱり小さな島のブースに引き寄せられてしまう。試食させてもらったが、美味しかった。天水で作られたお米とのこと。震災で島の人口は減っているが、徐々に田んぼの面積も増やしていってるそうだ。
与論を云々する時、「これを食っとっけてもの何?」と聞かれるのが、いちばん苦しい質問だ。とはいえ、最近は美味し店も増えたし、もずくそば、黄金酢、きび酢、じねん塩、と顔ぶれも出てきた。でも、伸びる余地はもっとある。そのヒントがないか、というのが、今回の目的だった。
各ブースでPRに努めている方たちとのおしゃべりはとても楽しかった。離れ小島の出身者は、似た想いを抱いていることが分かっただけでも、甲斐があった。島のPRを背負ったそれぞれの方を応援したい気になる。
そういうわけで、このイベントでお披露目となった、『奄美群島時々新聞』の発刊、おめでとうございます。
「若手島人」の手になる、と書かれている。どこまで伸びてゆくか、楽しみだ。
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