カテゴリー「 4.奄美の地名」の11件の記事

2009/01/25

奄美の島々、地名の由来 2

 あまり進歩はないのだが、おととし書いた「奄美の島々、地名の由来」を更新しておこう。

――――――――――――――――――――――――
■島名     ■呼称        ■由来・語源
          最古層/古層

喜界島     ききゃ         段の島
奄美大島           あまみ  アマミク(開発祖神名)
加計呂麻島  かきるま        沖の島
請島      うき           浮く島
与路島     ゆる          寄る島
徳之島     とぅく          突き出たところのある島
沖永良部島        いらぶ   イラブ(海蛇神)
与論島     ゆんぬ         砂の島
――――――――――――――――――――――――

 地名のつけ方として、地勢・地形を示したものを最古層とし、神名に基づくものを次の古層と見なして区別した。「ゆんぬ」を筆頭に確信が持てるまでには至っていない。今後も少しずつ、真実に近づいてゆきたい。


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2009/01/24

なぜ、「奄美」と呼ばれず「大島」と呼ばれてきたのか

 奄美大島の古名は、なく、「なぜ(なで)」や「くにゃ」や「あむる」などのシマの名だとしたら、次に問いとして浮かぶのは、なぜ、7世紀に、「海見」、「阿麻美」と記され、「奄美」と呼ばれた島が、十数世紀には、「大島」と記されることになったのか、といういきさつだ。

 それは、ぼくたちが、「奄美大島」というとき、「奄美」というより、「大島」と呼んできたことにもつながっている。

 宿題。


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2009/01/23

奄美大島の古名は何だろう 3

・「奄美」も「大島」も古名ではない

 およそこんな風に考えて、「奄美大島」の古名は何だろうという問いがやってきた。

 で、ここまで辿って思うのは、「奄美大島」の古名は無かったということではないだろうか。それは、「なぜ」であり、「くにゃ」であり、「あむる」であったり、だったのではないだろうか。そういえば、与論でも「大島」と呼ぶ以上に、「名瀬」と呼ぶ気がする。それは、行く先が「名瀬」であることが多いからだが、沖縄島を「なふぁ(那覇)」と呼ぶように、大島を「なぜ(名瀬)」と呼んできたのではないだろうか。

 つまり、「島」ではなく、「シマ」が古名になっているのではないだろうか。奄美大島は、山と毒蛇により、各シマの独立性はとても高い。かつ、明らかに巨大な「島」だ。そこでは、島全体を指す必然性は、昔は無かった。ちょうど、九州島、本州島と、わざわざ呼ばないように。「シマ」の名を呼び、それで事足りていたのだ。

 それが、「シマ」ではなく「島」がひとつのまとまりとして認識されたとき、神名が地名となり、そして大和朝廷勢力に、「海見島」と記述される。それは、「阿麻美」、「掩美」などの表記の揺れを伴いながら「奄美」となる。しかしどういうわけか、その後に地勢の特徴である「大島」を添えるようになると、むしろ「大島」という地名が優勢になった。仮に、「奄美大島」が、「奄美島」と呼ばれたままで定着していたら、ぼくたちには「奄美」がもっと身近な言葉だったろう。しかし、各シマを呼んで事足りた次の段階は、「大島」と呼び習わしてきたので、「奄美」が疎遠になったのかもしれない。


 奄美大島においては、「シマ」と「島」の認識は、

 (シマ)>(島) 「シマは島より広く大きい」

 なのだ。これは与論などとは対照的で、与論では、

 (島)>(シマ) 「島はシマより広く大きい」

 である気がする。



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2009/01/22

奄美大島の古名は何だろう 2

・「大島」も古名ではない

 ところで、与論から「奄美大島」を指すとき、「ううしま」と、「大島」として呼んでいる。「ううしま」という発音も方音に属している。正確には「うふしま」だ。しかし、少し立ち止まると、この「大島」も新しいのではないかと思える。

 なぜなら、「島」という語尾を持つこと自体、大和朝廷勢力の南下以降の歴史になるだろう。ゆんぬ、ききゃ、みゃーく、うちなー、ぎるま、どなん、など、方音に則った地名の場合、語尾に「島」をつけてはいない。古名の場合、「島」とつける以前の原型を保っているものである。そこからして、「大島」という名づけそのものが新しいと思われる。

 また、『日本書記』に「奄美大島」が記されたとき、「海見嶋」と、最初書かれているが、これは文字に定着したとき、最初は「大島」ですら無かったことを示している。ぼくは、ことの順番は、「大島」がまずあって、他との区別の必要上、「奄美」の「大島」になったと考えたけれど、実のところ、「奄美島」だったが、大きいので、「奄美大島」としたというのがことの順番のようだ。

 いや、もっと言えば、「奄美島」と呼ばれたが、「大島」と地勢の特徴から名づけられると、そちらのほうが定着していくが、それでは他の「大島」との区別がつかないので、正式には「奄美大島」という留保がついたという経緯かもしれない。

 「奄美島」以降をたどれば、「奄美島」、「大島」、「奄美大島」の順で呼ばれてきたのかもしれなかった。



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2009/01/21

奄美大島の古名は何だろう 1

 奄美大島の古名は何だろう。与論の古名は「ゆんぬ」であり、喜界の古名は「ききゃ」であるのと同じ意味で問うとするなら、それは何だろう。それというのも、「奄美大島」について、それに該当するものを知らない。


・「奄美」は最古層ではない

 まず、「奄美」という言葉は、「ききゃ」や「うき」のように、地形や地勢の特徴を表していない。他に古名があってしかるべきだと思う。7世紀、大和朝廷勢力によって、「阿麻美」、「海見」と記されたとき、それは『古事記』で、伊予国(いよのくに)に、愛比重(えひめ)という神名を対応させて、やがて県名として定着したように、アマミクという開発祖神名が島名になったと仮説することはできる。そしてそうなら、それは最古の地名のつけ方ではない。

 これを最古層の地名ではないと感じるのは、別の理由もある。それは与論のなかでも、「奄美」という言葉が方音のようには使われていないからだ。むしろ実感的にはこちらの理由のほうが強い。沖永良部のことを「いらぶ・えらぶ」と呼び、徳之島を「とぅくぬしま」と呼ぶようには、奄美大島を「あまみ」とは呼ばない。実感的に言えば、「あまみ」というとき、どちらかといえば標準語的に響いてくるような気がする(標準語だという意味ではない)。
 
 島尾敏雄は、1959年に、「沖永良部島や与論島で、自分の島が奄美と呼ばれていることを知ったのは、やっと昭和にはいってからだ」(「南島について思うこと」)と書くが、これは、「奄美」は知っているがその範囲に「沖永良部島や与論島」も入っているのを知らなかったのではなく、「奄美」自体を知らなかったということではないだろうか。そうだとしたら、「奄美大島」は島人に「奄美」とは呼ばれてこなかったことになるのだ。

 もうひとつ、「奄美大島」という島名の成り立ちは、「奄美」の「大島」であり、これは順番としては、最初、「大島」であったものが、他の「伊豆大島」などと区別する必要が生まれて、「奄美」の「大島」としての「奄美大島」になったと捉えるのが自然だ。

 こうやって考えると、「奄美」は最古層の地名ではないと思える。


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2008/05/19

奄美=ヤドカリの地!?

 吉成直樹さんの『琉球民俗の底流』が面白かった。

Photo













 吉成さんがここで取り上げている「ニライカナイ」、「来訪神」、「御獄」、「オナリ神」のテーマ群は、『琉球民俗の底流』と同じ2003年に出された中沢新一さんの『神の発明』と合わせてみると、一気に理解できるところがあり、両書のシンクロに興奮した。

 ぼくは中沢新一が展開した対称性人類学が、琉球弧を理解する上で強力な補助線になると感じて、「対称性人類学から見た琉球弧」として紹介をしようとしたことがある。けれど、「引き裂かれる奄美」という言葉にいい意味で躓いて、以来、奄美にとっての道州制の問題、そして奄美とは何かというテーマに浸かることになり、対称性人類学から見た琉球弧に戻るのはいつになるやらと思ってきたのだが、このテーマが生き生きしているのを、吉成さんの本でまた思い知らされるようだった。

 いつかこの本の考察ともゆっくり対峙したいが、たとえば、「アマミキヨとは何者か」という考察がある。

 ところで、「アマミキョ」とは何者なのだろうか。アマミキョにまつわる伝承には複雑な陰影がある。
 これまでの研究に従えば、太古、沖縄の島々に南下して住みついた人々の故郷が「アマミ」「アマミヤ」であり、その故郷に住む人々が「アマミキョ」ということになる。また、『おもろさうし』のなかでは、「あまみや」「しねりや」という言葉が用いられる場合があるが、さきに掲げた巻十-五一二のほかのオモロでは「大昔」という意味である。しかし、「アマミ」の語義、語源についての定説はない。

 この問いに惹かれるのは、琉球の開発祖神とされるアマミク・シネリクの語源を扱っているからだ。そして同時に、「奄美」という地名の由来に関わっている。

 ところで、中本正智は「アマミキョ」の「ミ」は「土」、「キョ」は「子」と解し、「ミキョ」は「土子」という意味としている。また、アマミキョ・シネリキョの住居と伝承されている玉城村の洞窟、ミントン城(グスク)のミントンもまた「土の殿」、すなわち地下にある殿、と解している(中本、一九九〇(一九八五)、八九五)。これまで展開してきた議論のなかにうまく位置づけて考えられることからも、こうした解釈は正しいと考えるり 特に、ミントンを「土の殿」とする解釈は、新里村にアマミク・シルミクの二神が洞窟(タマガーヤマ)で子孫を生んだとされる伝承があることからも裏づけを得ることができよう(酒井、一九八七、三五~三六)。それが天から降りてくるとされるのはなぜだろうか。

 吉成さんが「これまで展開してきた議論」というのは、ニライ・カナイの語源として「みろや・かなや」という言葉を抽出し、それを「土の屋、日の屋」と仮説した中本さんの説を踏まえ、ニライ・カナイを「土の中」と理解してきたことを指している。

 ぼくがさらに関心を惹かれたのは、このあと、吉成さんがアマンの考察に入るところだ。

 小島瓔禮は、琉球開闢神話を検討するなかで、次の諸点を指摘する。
 第一に、開闢神話にヤドカリが登場するのは八重山の特色であり、開闢の時代を「アマン世」というが、これは「ヤドカリの時代」を意味する。それは、人間がヤドカリから生まれたと考えられていることに由来する。第二に、左手の茎状突起部の入墨の文様をアマン(ヤドカリ)というのは、奄美諸島から八重山諸島にいたるまでみられるが、沖永良部島では、それをアマムといい、祖先がアマムから生まれ、われわれもアマムの子孫だからという伝承がある。第三に、八重山、宮古にはアマミキョ・シネリキョ神話がないが、石垣島には創世神のアマン神(六七頁、石垣島・白保の開闢神話を参照)があり、北部地方との脈絡が保たれている。第四に、琉球列島の神話の構成原理に、一次的に開闢神が天から下るのに対して、二次的な神(原初の人間)は地中から出現するという考えがあった可能性がある(小島、一九八三、二〇六⊥一〇七)。

 琉球列島における開闢神話の基本をなすのは、原初洪水型(はじめに水だけの世界があるとする神話。実際に洪水がおそってきたと語るのは、洪水型と呼ぶ)の兄妹始祖神話である。これは、『記紀神話』のイザナキ・イザナミ神話も同じである。小島瓔禮が、琉球列島の開闢神話の構成原理として、原初の人間が地中から出現したと考えたのは、これまでも繰り返し述べてきたように、「土中からの始祖」神話と「原初洪水型の兄妹始祖」神話が結合した結果である。

 ヤドカリの入墨が琉球列島に広く分布しており、しかも八重山と奄美で、自分たちの祖先がヤドカリから生まれたとする伝承があることを考慮すると、アマミキョ・シネリキョ神話の琉球列島における原型は、土中から出現した原初的な存在であるヤドカリから生まれ、土中から出現した兄妹二神であると考えられる。

 ぼくも、「アマン世」とは「ヤドカリの時代」のことだと思ってきた。琉球弧で見られたアマンの入墨に対して、「自分の祖先だから」とした島人たちの発言があり、またヤドカリを祖先とみなす与那国島の神話も存在する。これらは人間が人間と他の動植物の存在を等価とみなした世界観を反映したものだ。「アマン世」を「ヤドカリの時代」と理解するのは、国家形成以前の世界認識として、またその後も長く琉球弧に残る世界認識として的を射ていると思えるのだ。

 なぜ、ヤドカリを自分たちの祖先と考えられるようになったのか不思議ではある。これは、自分たちの祖先が、ヤドカリが巻貝の殻を移り住むように、洞窟で穴居生活を営み、洞窟を移り住んでいたからではないか、という推測は充分に成立つであろう。

 人間=動植物という原初の世界観の産物と考えれば、「なぜ、ヤドカリを自分たちの祖先と考えられるようになった」のかは、不思議ではない。ぼくはこう思うとき、海に近い珊瑚岩だらけの樹々の下を歩くと、気づけばあちこちに、そう普遍的にと言っていいほど出没するアマン(ヤドカリ)の姿を思い出すのだが、あれを目の当たりにすると、琉球弧の初源の島人が、繁殖する生命の象徴をヤドカリに見たとしても不思議ではない。それは象徴的であればこそ人間身体にも入墨として定着したのだ。

 ところで、ぼくはそこから、「アマン世」と「奄美世」と当て字するのを見ながら、奄美世と書いて「あまんゆ」と読ませているのではなく、奄美とはアマンから来ていると推測することはあった。それは地名の理解につながるのでそんな関心を持ったのである。

 でも、アマミとアマンでは語尾が異なること、また、奄美大島は諸島の人々には、「ウウシマ」と呼ばれていただけで、それを「奄美大島」と「奄美」と付けたのは、文字を持った弥生文化勢力だと思うと、地名の初源からは遠ざかるので、それ以上の追究をせずに、奄美大島の地名は「大島」だけを対象に理解していた。

 ※「奄美の島々、地名の由来」

 ところが、

 こうして、きわめて古い時代から琉球列島に分布し、根深く息づいていた神話を、新たに鉄器、稲作などを持って、北から南下してきた新来の渡来者が、創世神話のなかに取り入れたとしても不思議ではない。そのように考えれば、古くからの神話を持っていた土着の人々と新来の勢力という「被支配者=支配者」関係が生じることになろう。琉球開闢のオモロで、アマミヤ・シネリヤの子孫を生むなというのは、ある意味で当然のことである。実際、琉球王府が編纂した正史の開闢神話のなかに、アマミキョ・シネリキョが子孫を繁栄させたと語られているものがないことは強調してよい。

 「原初洪水型の兄妹始祖」神話は、日本、琉球、インドネシアなどに分布するが、この分布から考えて、琉球列島を北上した可能性がある。また、「土中からの始祖」神話も、同一の伝播ルートであることに疑いようがない。これまでは、あまりに新来の人々に結びつく「天」「海」と、現実に存在する「奄美」という言葉に目を奪われ、その古層にあって母胎となった神話に視線が届かなかったのではなかろうか。そもそも、琉球列島において「海」を「あま」と呼んだ事実を確認することはできるのだろうか。ちなみに、古代朝鮮語の立場から徐延範は、「アマミ」 は「アマ(母)」「ミ(土)」と解し、「母なる土地」の意味にとるべきではないかという。ここでも、「ミ」を「土」と解していることは興味深い。また、「アマミキョ」「シネリキョ」の「アマ」「シネ」の対は、女と男の対ほどの意味であるとする。

 吉成さんが言うように、もともとの神話を南下勢力が支配神話のなかに取り入れたものと理解すると、内発的な言葉として「奄美」を取り上げてよいのではないかと改めて考えた。

 学者としての慎重さからか、吉成さんは明言していないのだが、これまでの文脈からすれば、アマミとは、「ヤドカリの土地」の意味になることを示唆していると思える。そしてそれはとても魅力的な理解にぼくには思える。「大昔」と解するよりも、地勢を地名とする初期原則にも近い。しかもアマという言葉は、吉成さんも挙げているが、「天」「海」「雨」などとつながってその正体をなかなか明かさない謎があり、長く煩わされてきた言葉だけに、溜飲を下げる。

 「アマミキヨとは何者か」ひとつ採ってもここには、琉球弧探険には興味の尽きないテーマが含まれている。それはうなずくものもあれば、オナリ神信仰はそんなに古くないとする頷けない仮説もあり、どちらにしても、ゆっくり辿りたい考察が盛り込まれている。いつかきちんと辿ろうと思う。

◇◆◇

追記(2008/06/02)

 末尾に付けられた「琉球・沖縄関連語彙解説」にはこうあった。

 古代朝鮮語では、アマとシネの対は、女と男ほどの意味の対であり、またアマミは、アマ+ミであり、「母なる土地」という意味に解することができる。

 と、本文中はアマン=ヤドカリの解説に積極的で、アマ=「母なる」解し方は抑制的な紹介にとどめていたのに、末尾に来てあっさりとアマミを「母なる土地」と解されていて肩透かしを喰らった。「母なる土地」、とてもロマンティックだが、これは地名の名づけ方としては大島の地勢から離れ抽象的でまるで現代的な付け方に思える。ぼくはここでは、名称のロマンへ飛ばずに、古代奄美人の世界観にとどまり、アマミ=ヤドカリの地の仮説を追いたいと思う。 



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2007/04/15

アロウ島としての加計呂麻島

 奄美大島ではアロウ島は、瀬戸内と呼ばれる
 入海をへだてカケロマ島のことであると、昔、
 古老たちは言っていたという話を、
 金久正から聞いたことがある。
 また登山修もカケロマ島の住人は、
 自分たちのことをアロッチュと呼んでいると
 報告している。

 チュは南島語で人のことであるから、
 「アロウびと」ということになる。
 奄美諸島の用路島の人びとは対岸の
 枝手久島に死者を運んで捨てる風習のあったことが
 伝承されているが、
 奄美本島の人びとが死者を舟で運び、
 カケロマ島に葬った時代があったのではないか。

 八重山の新城島もアラスクと発音されているが、
 アロウスクに関連すると思われる。
 アロウスクはニールスクに対応する語であるが、
 ニールスクから現世に来訪するニールピトは、
 荒ぶる神であった。
 ということからして、アロウスクも祖霊とも妖怪とも
 神ともつかぬ荒ぶる霊の住む島であったことが
 うかがわれる。
 つまり「アロウ」は「荒び」という語と関連があると
 考えられるのである。

 さきに、カケロマ島の住人が自分たちのことを
 アロッチュと呼んでいたことを紹介したが、
 このことはアロウ島のもう一つの側面を伝えている。
 おそらく岩石の多い不毛な島である、
 という自卑の語感がそこにこめられている。
 アロウ島が荒びの島という場合に、
 死者の世界が荒涼とした不毛な風景として
 描かれていたことが推定される。

 そこに住む荒ぶる霊は現世の人びとにとっては
 畏怖に満ちたものであったが、
 後世には祝福を与える来訪神に
 変貌を遂げていったのではあるまいか。

長い引用でごめんなさい。

谷川健一の『南島文学発生論』にある一節です。

鳥瞰する眼差しでみるからなのか、
加計呂麻島の、奄美に寄り添うようにいる佇まいに、
心惹かれます。

奄美と加計呂麻の向き合っている海岸をみると、
きっと遠い昔には、
地続きだった土地が、
離ればなれになったものだろうと見えることも、
惹かれる理由なのかもしれません。

ぼくは加計呂麻島を「沖の島」と解しますが、
その「沖の島」という名づけそのものが、
副次的なニュアンスを持ちます。
加計呂麻という不思議な字面と音とは裏腹に、
どこかさびしげな響きを、
ぼくたちはそこに感じるのでしょうか。

さびしげなということでいえば、
島を出るまで、島名を知らなかったという記事を
読んだこともあったのでした。

だから、このアロウ島という呼称があったということも、
頷ける気がします。
そこに自卑のニュアンスが含まれたかもしれないことも。

地勢と地形に与える名称が、
島の人びとの間で、
充分に熟することなく時間は流れたので、
アロウ島という陰を思わせる名称になったり、
名もないままに過ぎたりして、
いつしか奄美大島に対する沖の島という
副次的な名称が残ったのでしょうか。

いやいや。
ここまで書いて、我に帰るように思いました。
そんなことはない。

「沖の島」という表現。
それは確かに、多くの人のいる場所があり、
そこからみて、「沖の島」という言い方をするから、
多くの人がいる方からみて、
副次的な場所というニュアンスは持つけれど、
地名のつけ方としても手を抜いたような、愛着薄いような、
そんなニュアンスはなく、
地勢・地形を言う地名の初期形に素直に合致している
と理解すべきですね。

いちばん素直な名称が残った、と。
地名を考えるとき、我知らずロマンティックに考えがちになるのは
厳に注意しなけらならないと思いました。


もとい。

アロウ島。
加計呂麻島の地名の背景に、
含んでおきたい認識です。



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2007/04/14

奄美の島々、地名の由来

いままで考えてきた奄美の島々の地名の由来を整理します。

―――――――――――――――――――――
■島名     ■呼び名 ■由来・語源

喜界島     ききゃ  段の島
奄美大島    うぅしま 大きな島
加計呂麻島   かきるま 沖の島
請島      うき   浮く島
与路島     ゆる   寄る島
徳之島     とぅく  突き出たところのある島
沖永良部島   えらぶ  エラブの島
与論島     ゆんぬ  砂の島
―――――――――――――――――――――

加計呂麻島を「沖の島」と理解できたのは嬉しかった。
故郷与論島について、「砂の島」と仮説できたのも楽しかった。
どちらもまだ確定的には言えないにしても。

徳之島や沖永良部島は、
島の方々に失礼なほど直感的なレベルを出ません。

ですが、こうして島名を由来に戻して、
並べてみると、いままでよりもっと、
奄美が身近に感じられてきます。

それがいちばん嬉しい。

たとえばぼくたちは、意味を知らないうちは、
加計呂麻島を、どこかエキゾチックな響きすら感じながら、
かけろまじまと音を辿るのですが、
それが、「沖の島」の意味だと分かって、
そう思いながら、「かきるま」と声に出してみると、
大昔の島人の気持ちになれたり、
彼らと話をしたりできるような気がしてきます。
(まだまだ、仮説だという保留はありますが)

島の呼び名の意味を知ると、
名づけた時代に立ち会うみたいに、
与論島の兄弟親戚のような奄美の島々のことを
理解したような気になれるのが
きっと嬉しいのだと思います。

考察を深めて、
語源の精度をもっと高くしていきたいですね。


これから目指すは、
奄美だけでなく、
琉球弧全体の島々を、
その由来に還元して、
語源として琉球弧の島々を理解することです。


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2007/04/10

徳之島は突き出たところ

奄美の島々の地名の由来を考えています。

沖永良部島の次は、徳之島を考えたいのですが、
どんな由来が語られているのか、
ぼくの探索が不十分で、知らないままでいます。

「おもろそうし」には、「かねのしま」とあるそうですが、
ここは、「徳之島」で考えます。

与論をユンヌというようにいえば、
徳之島はきっと、トゥク、です。

トゥク。

台地とかそういう意味があるといいなと想像したりしますが、
分からないので、アイヌ語に頼ってみます。

すると、

tok とク 1.突起物、突出物 2.トンという音
       (『地名アイヌ語小辞典』知里真志保)

で、「突き出たところ」という意味があります。

これはあるんじゃないかと思えます。

先日のあの、ヘリコプター事故の映像をみたとき、
与論島に比べて、なんて山々が立派なんだろうと思いました。
あれは、天城岳の映像でしたね。

徳之島は、標高645mの井之川岳が主峰ですが、
それが突き出たところとして、
島の地勢を雄弁に物語っているんではないでしょうか。

根拠薄弱ですが、
徳之島を、「突き出たところ」と解釈してみます。



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2007/04/09

沖永良部は、イラブから?

与論のお隣の沖永良部島。
ここも、その地名の由来は確かではないんですね。

沖永良部を地名として考えると、
伊良部島、口永良部島を同系列とみなして、
同時に説明できることが条件になるように思います。

最近、おなじみ。牧野哲郎さんの
「『おもろそうし』にみる沖縄奄美の共通地名」には、
イラブも取り上げられています。

 伊良部
 沖永良部
 伊良皆
 伊羅良

これらの共通項に「イラ」を取り上げ、

 (1)洞穴
 (2)低湿地と傾斜地に多い地名

この2点を挙げています。

ここでいえば、「洞穴」にまず、関心そそられます。
なんといっても、沖永良部島には、
大きな鍾乳洞があります。
総延長10キロにも及ぶ長大なもの。

最初の居住地だった洞穴が巨大なら、
それが地名に選ばれても不思議ではないでしょう。

では、と他2島をみると、
伊良部島には、「大竹中洞窟」があります。
手応えありかと思いきや、口永良部島にはどうやらなさそうです。

残念。

エラブ洞穴説は、ひとまず成り立たないとします。

 § § §

こうなると、誰もがなんとなく一度は思いそうな、
イラブチャー(魚)やイラブー(海蛇)とのつながりです。

ぼくはこの中では、
エラブウミヘビとのつながりを考えてしまいます。

沖永良部島では、
食用にもよく使われ日常的ですが、
地名として思うのは、
エラブウミヘビが自然神として擬人化され、
それが地名になっているのではないかという可能性です。

愛媛など、擬人化された自然が神名となり、
それが地名になるというのは、
古代の名づけ法です。

沖永良部島は、(擬人化された自然神としての)蛇の名。

という解釈です。

あるいは、エラブウミヘビを祖先とみなし、
その祖先の島としてのイラブという意味です。

南島のどこかで、
アマン(やどかり)が自分たちの祖先だとする認識を
読んだことがあるので、これもありうると思います。


このアイデアはいまのところ思いつきのレベル。
他の考え方にも出会って鍛えていきましょう。



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