カテゴリー「63.トーテムとメタモルフォーゼ」の24件の記事

2021/12/15

「精神の考古学」(中沢新一)

 久しぶりに書店を覗いたら文芸誌に中沢新一の連載が開始されていて飛びついた。「精神の考古学」と題されている。

アニミズムの世界では、人間と人間ではいものは互いに分離されない。人間は自然物や動植物の領域につながりを持ち、他者の領域に生成変化をおこすことも可能である。他者の領域でも同じような生成変化が生じているために、アニミズムの世界ではあらゆる存在が相互に嵌入しあっている。そこではどんな個体も自分の確たる境界を持たないので、「わたし」は周囲の世界に曖昧に溶け込んでいる。

 このような流動性をそなえた個体が社会を形成するためには、「トーテミズム」のシステムが必要である。自然物と動植物の世界(非人間の世界)は、色彩や形状や生態の違いを観察することによって、明確な区別(分別)を持つ。この非人間の側の非連続な区別を、人間の社会の区別に利用するのが、トーテミズムである。

 こういう社会で「わたしは鸚鵡だ」と先住民がいうとき、それがその人のトーテミズム的な社会的帰属の場所をあらわしているのだとしたら、鳥社会の分類と人間社会の分類を重ねて、比喩でつないでいることになるから、ここにはまぎれもない「象徴的思考」の萌芽を見てとることができる。しかしこの象徴的思考の背後には、アフリカ的段階のアニミズム的思考が貼り付いている。「わたしは鸚鵡に生成変化する」「わたしは鸚鵡のなかに入りこんでいる」「鸚鵡がわたしのなかに生きている」などの、象徴や記号による思考法とはまったく別の非象徴性知性があって、それがトーテミズムをのちに出現する象徴的思考とは異質なものにしている。

 ぼくはここ数年行ってきた探究の内実をトーテミズムと呼んでいいのか、少々ためらいがある。それは今日言われるような「比喩」ではない。トーテミズムは「比喩」という定義で収まっているとしたら、別の命名が必要になるが、しかしそれは「わたしは鸚鵡だ」と言う言明に内実を与えるものなので、比喩としてのトーテミズムとも深いつながりを持っている。

 言ってみれば、原トーテミズムあるいはプレトーテミズムということもできるが、この言い方では、現在定着しているトーテミズムの定義を前提にして、それに対する位置を指示することになる。ただこんどは現在の概念を起点にガイドすることにはなっても、人類史のなかに位置づけるのに妥当かどうかが問われることになる。

 中沢の言い方も繊細なところを巡っていて、トーテミズムは比喩だが、その背後には「非象徴性知性」がある、としている。いまのところぼくは、新しい命名をするよりは、トーテミズムを「比喩」から解放することに軸足を置くほうへ考えが傾いているが、「精神の考古学」は、この自己問答に応答するものがあるかどうか。久しぶりに文芸誌を定期購入することになるかもしれない。


「新潮 2022年 1月号」

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2021/07/23

映画『生々流転』(仲程長治)

 氏族の呼称でも比喩でもない、「生命の源泉」としてのトーテムとのあいだのトーテミズムは幻想ではないと言おうとしている者にとっては、仲程長治の『生々流転』は、まさにトーテムとその化身たちの世界だった。ほらここに、ね、と言いたくなるような。

 しばしば映画の背景に流れ、石垣金星さんも唄う「井戸ヌパタヌ小蛙誦言」は、トーテミズムの段階から継承されたものとして筆頭に挙げられる曲だ。

井戸ヌバタサヌ アブダーマ(井戸端の水溜まりにいる 小蛙に)
バニバムイ トゥブケ(翅が生えて 飛ぶまで)
バガケラヌ生命(わたしたちの命)
島トゥトゥミ アラショウリ(島とともに あらしめてください)

 その世界をこのうえない色で見せてくれる。インタビュアーの声はなく、インタビュイーの声だけがあり、捉える視線ではなく、見られるカメラ視線というような位置取りで、見る者は知らず知らずのうちにこの世界の一員になっている。ドローンで俯瞰した美しい光景を見ることはできるが、ドキュメンタリーといっても、外側から客観的に眺める視線はない。それが心地よくもあれば、都市のなかにいて島にいない自分を不思議にも思わせた。

 仲程語彙の「生々流転」に仏教的な色合いはない。スデル(変態、脱皮)して現れ出ずにはいられないという、あふれんばかりの生命の流動なのだ。写真集『母ぬ島』があり、やんばるアートフェスティバルでの「繭-蛹」、そして「蝶の人」のオブジェ(名称はぼくの印象)があり、この作品へといたる。この映画もまた、こういうのが観たかったと唸らずにいられない。

 

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2021/06/13

『映画 想像のなかの人間』(エドガール・モラン)

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 エドガール・モランのこの図のなかで、投射(分身化)と同一化(変身)は、人間と非人間に対して行うものと一応の区別はされているが、投射と同一化は行きかうものとしても考えられている。彼の考えがよく表れている個所を引用する。

私たちの用いている意味では、この二つの概念は同一のものとはいえない。それは不幸にも私たちが非常にしばしば擬人化=擬物化という言葉を用いるように強いられているという理由からである。トーテム動物、たとえばボロロ族のオオムは、人間の擬物的な定着物である。全く本心からオオムの真似をする(それは第一に人間の働きかけによりなされるが、たんなる演技ではなく、鳥との同一化をめざすものなのだ)原始人は、祭において模倣しつつ、自らをオオムだと信じかつ感じているのである。同時にトーテム動物のオオムは擬人化される。それは祖先であり、従って人間なのである。だから、人間を事物の世界に類似したものと感じ、世界を人間的属性の相において感じるこの擬人化=擬物化の働きとの関係において、私たちは魔術的な世界を理解しなければならないのである。

 レヴィ=ストロースのトーテミズム批判以前に書かれた文章は伸び伸びしていていい。モランは、ふたつの言葉に強いられているという書き方をしているが、それでも変身と分身の区別は重要だ。わたしの考える「生命の源泉」としてのトーテムは、この擬人化と擬物化が同致するところにある。そしてトーテムからの変身態としての人と、人の行う分身への変身とがある。ここでは分身は人ではなく、トーテムの変身態としての他の生命態になる。

 モランによると、「融即はあらゆる知的な働きのもとにあり、その働きを支えている」。だから、レヴィ・ブリュルのように「前論理」「神秘的」と他者化しているわけではない。この点では、現代人と未開人を区別しないレヴィ=ストロースと同じ態度だ。けれど、「生命の源泉」としてのトーテムという考えは、いささか「野生の思考」を知的な方へ寄せすぎたレヴィ=ストロースより、モランに近しい。あるいはそれは、「未開人」と「原始人」の違いと言ってもいいかもしれない。

 映画は、「融即の夢の偉大な祝祭」というコピーもとてもいい。

 

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2021/06/11

「アニミズムを真剣に受け取る」

 レーン・ウィラースレフは、現地人が「人間と相互作用するように精霊とも相互作用するのだと主張するときに」、人類学者は「彼らは隠喩に溺れている」と解釈する。「彼らの話は通常の語りとして扱われるべきではなく、象徴的な言明として理解するべきだとされる」。現地人が「精霊に関して文字通りの真実だと考えているものを、本当のところは比喩的にのみ真実なのだと主張している」と、指摘する。

そうした二元論を基盤に、精霊は現実には実在せず、現地の人々の想像力のうちでのみそのように構築されているのだとして、我々は安堵するのである。

現地の人々の主張を、概念装置や隠喩だとして単純化するこの手の分析上の企ては、人類学の領域では今でも健在である。実際のところ現代のアニミズム研究のほとんどは、こうしたデュルケーム的な主題の変奏なのである。

 この辺りは、レヴィ=ストロースのトーテミズム言説批判を思い出させるし、著者にもそれは自覚されているだろう。

文化相対主義の主張は、西洋の認識論が土着の理解に対して持つ優位性の基盤を切り崩すのではなく、実際にはむしろ改めて強化するのである。

 ここにもレヴィ=ストロース流が反響している。けれど、「隠喩モデル」を離れようとするところ、レヴィ=ストロースも批判の対象になっているようにも見える。

 他方で、近年の人類学の文献では、「先住民のアニミズムは、西洋社会が失ってしまったとされる世界や他なる存在との根本的な親近性を表象するようになる」とも言われている。

 このことを意に留めると、人類学、でなくてもいいのだが、だれかが「トーテミズムを真剣に受け取る」ところまでもう少しなのかもしれない。

 

『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』

 

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2021/05/28

カニとニンニク

 Arneは、ドゥナン(与那国島)の豊年祭(uganfututi)の二日目、お供え物を入れるお盆には、「カニとニンニク」だけが入っていると書いている。

 カニ(Grapsus tenuicrustatus (rock crab/lightfooted crab))は、オオイアワガニやミナミイワガニと見なせる。

 この二つの供え物をトーテミズムとしてみると、オカヤドカリを表している。

 ニンニク(hiru) -         シャコガイ(gira)  - 宿貝

 オオイワガニ・ミナミイワガニ - クモガイ - ヤシガニ - オカヤドカリ

 この本のなかでは、ニンニクとカニ、そして同等のものとしてクモガイが指摘されているだけで、シャコガイとヤシガニは、貝塚や多良間島の習俗を参照して加えたものだ。

 ドゥナンでは、スナガニを「ニンニクの体」と呼ぶことも上記を暗示している(Not surprisingly, the Dunang identify the species as the garlic body,hirumi.(p.69))。

With habitual access to marine and terrestrial crevices, crabs have been allotted the role of intermediaries in the task of accessing the nirabandu (nirabansu). This is the realm of the female spirit to whom the fuzzy function of playing a part both in the joy of births and the horror of deaths has been ascribed. An elderly shrine steward, the tidibi of the ndi shrine, stated the point. The spirit is passionately attracted by the crabs.(p.71)

海や陸の隙間に入り込む習性のあるカニは、ニラバンズ(nirabansu)にアクセスする仲介者の役割を割り当てられている。これは女性の霊の領域で、誕生の喜びと死の恐怖の両方を担うファジーな機能が与えられている。ンディ御嶽のティディビと呼ばれる年配の宮司さんがこう言う。霊はカニに熱烈に惹かれている。

 奄美大島などでは、生児の頭にカニを這わす儀礼が行われたが、オカヤドカリ(アマム)トーテムの段階では、子はカニの化身態としてある。だから、カニはニラとの仲介者でいるわけではなく、子の生命の源泉に位置する。それが「霊はカニに熱烈に惹かれている」という意味だ。


But, then, what do crabs or garlic symbolize? This, perhaps, would be a commonsensical way of meeting another culture from the vantage point of our own assumptions of mental representations, favoring a one-to-one type of fixed relationship rather than a part-to-part relationship in horizontally or vertically bound semantic fields. What in the felicitous Lévi-Straussian phrase would be a science of the concrete can be shown, for the Dunang, to work in favor of both a shared understanding of nature and a shared experience of ethics quite without any analogies brought into play between humans (or categories of humans) and species in nature.No Dunang woman or man whom I met think that garlic and crabs are mystical species deserving of continuous attention. They are not sacred species, and they may not connect with definable “beliefs.” They are not divine messengers in crustacean guise. Nonetheless, garlic and crabs are culturally authored simulacra. And they are tell-tale impressions taken from nature, eminently serviceable for society ethics.(p.74)

しかし、カニやニンニクは何を象徴しているのだろうか。これはおそらく、私たち自身の心的表象の前提から異文化に出会うための常識的な方法であり、水平または垂直に結ばれた意味領域における部分と部分の関係ではなく、1対1のタイプの固定された関係を好んでいるのだろう。レヴィ・ストロース的な表現では具体の科学となるものが、ドゥナンの人々にとっては、人間(あるいは人間のカテゴリー)と自然界の種との間に類推を持ち込まなくても、自然に対する理解の共有と倫理の経験の共有の両方に有利に働くことが示されている。それらは神聖な種ではないし、明確な「信念」とは結びつかないかもしれない。それらは甲殻類の姿をした神の使いではない。それにもかかわらず、ニンニクとカニは文化的に作られたシミュラクラ(模造品)である。そして、それらは自然から得られた、社会の倫理に大いに役立つ印象的なものだ。

「自然界の種との間に類推を持ち込まなくても」というのはその通りだが、ニンニクとカニは「文化的に作られたシミュラクラ」ではなく、トーテムの化身態で、オカヤドカリ(アマム)を表したものだ。この対が供えられるということは、成人儀礼を意味していたと考えられる。

 

 追記。与論では、ニンニクはピル(piru)と呼ぶが、この言語的(生命論的)な由来が分かったのは収穫だった。

 

Arne Røkkum(著)Nature, Ritual, and Society in Japan's Ryukyu Islands (Japan Anthropology Workshop Series) (English Edition)

 

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2020/11/14

『蓑虫放浪』

 この本の写真を提供している田附勝は、蓑虫山人の絵をこんな風に書いている。

縄文時代というものに興味を持っていたのだけれど、幕末から明治に移り変わる激動の時代に、こんな温かな絵を残す絵師がいたのかといたく興味を持ってしまったのだ。

 これはその通りの印象だった。「幕末から明治に移り変わる激動」というと、まさにステレオタイプな人物像や時代描写がお馴染みだが、それと接しつつも、気分としてはかけ離れたのびやかで優しい生が浮かんでくる。こんな時代のくぐり方があったということにほっとする。

 「放浪」や「乞食」は定住と生産を背景に置くから出てくる言葉で、言ってみれば蓑虫山人は移動する絵師だった。その人は縄文期の遺物に惹かれ、土器を花瓶のように使ったり土偶をいつも懐に入れたりと身近に置いていた。考古遺物を披露する「神代品展覧会」まで開いている。そのうえその人があの遮光器土偶を発掘したのかもしれないともなると、「激動」の時にひょっこり現れた縄文の人という風にも見えてくる。

 実際、籠だけで庵をつくり、「天井のない変な帽子」をお気に入りで被り、蓑虫山人というあだ名で呼ばれる。絵は正確というのではなく、誇張や心象が混じり、嘘か本当か分からない言葉や噂に包まれているとなると余計にそう思えてくる。偉人というわけでもないから、これまでこんな風にその足跡が丹念に辿られることもなかった。

 蓑虫には「六十六庵」という果たせなかった博物館構想があった。

 蓑虫の構想では、縄文時代の環状集落さながらに、中心に広場を作り、それを取り囲むように、「美濃庵」「豊前庵」と、六六の地域一つひとつの庵を建て、各庵ごとに地域の特産品や珍品、自慢の逸品、名勝を描いた絵などを展示するパビリオンスタイルだったようだ。

 この構想から刺激を受けると、ぼくがやってみたいのは貝塚・遺跡博物館ということになるだろうか。列島や島々で全体像の分かっている貝塚・遺跡を3Dスキャンした再現模型をつくる。そしてそれをゴーグルをつけて観ると、先史人の見た多重なイメージが3D画像で浮かび上がる。それはひとつの土器、土偶や遺物であったもいい。先史人のこころのありようを覗き込めるようにするのだ。

 蓑虫山人から得たアイデアとして持っておこう。

 

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2020/11/09

奄美大島、その他の紋様

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』のなかでは、触れられなかった紋様のバリエーションについて、気づくところを補足していきたい。

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 ハジチ紋様のなかでもひときわ美しいのは、奄美大島のもので、本の表紙にもこれを使った。別に挙げれば下のも、この紋様のバリエーションになる。

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 どちらも食痕と幼虫を、チョウセンサザエ(ヤコウガイ)の蓋と枝サンゴで表している。下の方が、流線的な柔らかさがある。トーテム植物であるリュウキュウウマノスズクサを思い出させる柄だ。右手の塗りつぶされた紋様は食痕そのものだと考えられる。

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 こちらの左手甲は、リュウキュウウマノスズクサの花。下に突き出たふたつのこぶは、花弁だと思う。

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2020/11/07

グジマとホーミー

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』のなかでは「タカラガイ」としているが、「ホーミー」は「イソアワモチ」ではないかという指摘をいただいたので、考えてみたい。

 この本のなかで、「ホーミー」を「タカラガイ」としたのは、そう聞き取りしているハジチ調査もあるからだが(例.具志川島教育委員会,1987)、もうひとつ、貝塚からもタカラガイは出土してもイソアワモチは出ていないからだ。ただ、「グジマとホーミー」を「ヒザラガイとイソアワモチ」とするのは、両者ともに岩場に張り付いているのだからとても自然な見なしではある。この場合、起点になるのは「ヒザラガイ」だ。ヒザラガイだから、対は姉妹のようなイソアワモチになる、というように。

 けれど発生からいえば、「グジマとホーミー」の対紋様は、「シャコガイとタカラガイ」とするのがその形態からは自然だ。二対は植物トーテムからいえば「花と蕾」であり蝶としてみると、「翅と幼虫?」になる。

 だから、問いは、「シャコガイ」が「ヒザラガイ」呼称に置き換わったのはなぜか、ということになる。

 この置き換えが起きるのは、カニ・トーテムの段階が考えられる。カニ・トーテムではシャコガイは大人貝でカニ腹部であり、タカラガイは子供貝でカニ鋏になる。ヒザラガイも子供貝でカニの鋏だ。ここからみると、タカラガイを鋏として見る視線に合わせて、左手の紋様を同じ鋏であるグジマ(ヒザラガイ)と見なしたことになる。両方の紋様とも子供のときに入れることになり、その意味はカニの鋏だった。

 経緯からいえば、カニ・トーテムの段階で、両方の紋様は、「グジマとホーミー」呼称になったと考えられる。

 

Hajichi

 

 

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2020/10/31

『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』

 人間が、人間のみの世界の内側に閉じこもって、かなたにある人間の知性と能力をはるかに超えた外部の世界と出会っておくことがないのなら、私たちは私たちの行く末を、このまま永遠に見失ったままなのではないだろうか。逆に、こちら側からあちら側に抜けるための連絡通路を開いておけば、私たちはこちらとあちらを往還しながら、アニミズムが自然と立ち上がってくるだろう。

 ぼくもハジチの紋様を解読しながら、このことをつくづく感じた。ハジチを始めた人々は、人を人のみでは考えていない。人の向こうにトーテムである植物を、そこから生まれる蝶を、そしてトーテムからの化身態としては分身である貝とを同時に見ている。人はむしろ、それらの自然から照らされて像を結んでいる。

 文学、思想、アニメ、トレンド等のさまざまな角度からアニミズムが論じられた本書のなかで、トーテミズムとの接点はいたるところにあるが、「往って還ってくる」生死の運動もそうだ。もっともトーテミズムからいえば、これは、「還って、現れる」、もっと正確には「還って、予兆(予祝)され、現れる」ということになる。「この世」側ではなく、「トーテム(あの世)」側に主体は置かれるからだ。

 この運動を見るのには本書でも引用されている「メビウスの帯」がふさわしく、かつ、アニミズムからトーテミズムへの通路もつくりやすい。

 一回転半ねじってメビウスの帯をつくり、それを帯びの真ん中から切り抜くと、「三つ葉結び目」ができあがる。ところで、貝塚・遺跡の構造を見続けていると、「あの世に還る」「予祝する」「この世に現れる」という三つの運動が絶えず行われているのが見えてくる。この「還る」「予祝する」「現れる」という運動をひとつながりにイメージすると、立ち上がるのは「三つ葉結び目」なのだ。

 生と死以前に、トーテムと人との関係は、この「三つ葉結び目」のなかを絶えず歩む運動のなかで溶けあい確認されている。それはやがて、生と死を結ぶものとも考えられるようになる。このつながりあいの終わりは、「還る」「予祝する」「現れる」の場が分離によって表現されることになる。

 人間を人間のみの世界で考えない他との接点を持つということは、アニミズムへの回路を拓く。それは同時にトーテミズムの世界への通路でもある。

 

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2020/10/21

「ハジチは蝶の印」パネル展

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』(喜山荘一)の発売を記念して、ハジチと紋様の由来となる蝶や植物、貝をビジュアルで表現したパネル展を開催しています。

 

会場:ジュンク堂書店 池袋本店4F

期日:20201020日~1130

 

 お近くの方はぜひ足をお運びください。

 山城博明(波平勇夫)さんの『琉球の記憶 針突[ハジチ]』写真展とも隣り合っているので、写真と解読をいっしょに楽しめます。蝶や植物、サンゴ礁の写真は仲程長治さんに依るもの。しびれます。

 

Panel 

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