カテゴリー「62.琉球文身」の37件の記事

2017/09/21

土器の「貝」と「蝶」

 貝塚(琉球縄文)前4期の土器を琉球刺青と対応させてみると、土器本体は「貝」を表現しているとするなら、側面のデザインは、「蝶」をモチーフにしているのは最もシンプルな理解の仕方になる。

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(伊藤慎二「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」「縄文の力」(別冊太陽 2013)

 ぼくたちは、刺青の尺骨頭部を「貝」と「蝶」とみなしているのだから。 

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(伊平屋島)

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2017/09/18

「サメ歯状貝製品」と琉球刺青

 「サメ歯状貝製品」について、もう一度見てみる。

 これは「シャコガイ科を中心に、イモガイ科やタカラガイ科などが用いられる。獣形貝製品と並んで、この時期の琉球弧の特徴的な貝製品。

 包含層からの一括出土が多いが、「具志川島遺跡群や具志川グスクがけ下埋葬址、摩文仁ハンタ原遺跡などでは二次葬に伴って出土する」。

 シヌグ堂遺跡からは、6点出土していて、「連結して装飾品として用いた可能性がある」。

サメ歯状貝製品
・サメの歯を模した左右対称のもの

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(山野ケン陽次郎「琉球列島における縄文時代後晩期の貝製品と製作技術」)

 「サメ歯状貝製品」が、連結して用いられたのであれば、その参照先は、徳之島の刺青の、手の甲、尺骨頭部、手首内側を見るのがいい(参照:「徳之島流刺青」)。

 あるいは、祝女の胴衣や髪飾りだ。

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(左:祝女の胴衣、右:髪飾り・ハベラザバネ)

 ここには、蝶を媒介した霊魂の象徴として三角形が宿っている。
 

『奄美・吐カ喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』

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2017/07/02

刺青の「霊力内霊魂」と「独立霊魂」の位相

 奄美大島や徳之島の手首内側に描かれた「蝶」の刺青は、「霊魂」としては独立しておらず、「霊力内霊魂」だと見なされる。それは「蝶」を介して霊魂を思考したときに、発生の契機を持つ。

 一方、手首内側に描かれずに右手尺骨頭部のみに描かれた「蝶」は「独立霊魂」と見なせる。それは、ジュゴンの骨で作られた蝶形骨器の終焉とともに発生したと考えられる。母系社会の出現とともに、霊魂は独立したのだ。
 

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2017/06/26

刺青の発生と継承

 琉球弧の南北では、刺青の発生にもズレがある。

 北では、発生の可能性は、「蝶」を霊魂と見なした段階に遡る。このときであれば、トーテムの座である左手の尺骨頭部の文様はザン(ジュゴン)だったことになる。継承されて現在に伝えられたのは「貝」だが、「ザン-蝶」の可能性をゼロにすることはできない。

 南では、「苧麻」にトーテムと霊魂を見出したときに、刺青も発生したと考えられる。

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2017/06/24

トーテムと刺青文様の分布

 トーテムの系譜を軸に、琉球弧の南北の刺青文様の分布を見てみる。

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 北の琉球弧では、「貝」と「蝶」の文様が顕著だ。そして「蟹」や「アマン」は潜在化している。対して南では、「貝」と「苧麻」が顕著で、「蟹」も顕在化している。

 興味深いのは、母系社会の痕跡が希薄な宮古で「蟹」が顕在化していることだ。

 この分布は、文様の開発が行なわれた時期を示唆している。


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2017/05/27

蝶形骨器の時代 2

 ここで確かめたいのは、蝶形骨器の形態とそのおおよその時代だ。

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(「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌))

 ここで吹出原遺跡の蝶形骨器が、貝塚時代第Ⅴ期に相当されている。つまり、約3000年前だから、ぼくの考えでは「貝」時代に入っている。それまでは、「ザン-蝶」の時代と見なせる。

 興味深いことは、蝶形骨器製作の初期から一枚組のものだけではなく、二枚組のものも作られている。そして、第Ⅴには一枚組は作られていない。

 ぼくの考えでは、これは霊魂思考の進展を示すものだ。つまり、「蝶」を「ジュゴン」の変形と見なす思考は、第Ⅳ期までで、それ以降は、「蝶」を「ジュゴン」の分解再構成とみなす考えが優勢になったということだ。

 二枚組のものは多くが「蝶」の翅が大きく広げられ、いまにも飛び立ちそうに見える。実際、これらの形態は「蝶」が、「ジュゴン」の元を離れたがっているようにも見える。(参照:「蝶形骨器の時代」

 

 

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2017/05/16

刺青にみるトーテムと霊魂のアマルガム(徳之島と宮古島)

 徳之島の左右の尺骨頭部の文様は、「貝」と「蝶」なのだが、その特徴は「貝」の変形として「蝶」が構成されていたことだ。これは「貝と蝶」の型のなかでは、他島では見られない。しかし、この変形は、変容(メタモルフォース)というより、分解再構成で、霊魂思考的である。

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 一方、左の尺骨頭部にみられる文様には、四つの花びらを想起させるものもある。これは、「蝶」の部品から「貝」が構成されたものだと見なせる。このことは、他の部位にも見出され、指の背は、「蝶」を部品に「蛇」が構成されていると見なせる。徳之島の左手尺骨頭部の四つ葉型と指の背は、いずれも「蝶」アマルガム型なのだ。

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 このことが意味するのは、霊魂発生の初期において、霊力と霊魂が明瞭には分離していなかったことを意味する。時間の観念でいえば、霊魂が一方向に進むものとしてまだ独立していなかった。それが、「蝶部品による貝」、「蝶部品による蛇」デザインが構成された理由になる。

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 同様のことは、宮古島についても言える。ただし、ベクトルを逆にして。宮古島の場合、「貝」から「苧麻」が構成されるが、左手では「貝」が描かれているのに対して、右手では「貝」を地にして「苧麻」という図を浮かび上がらせている。そう見なせる。

 徳之島
 ・「貝」の分解再構成よる「蝶」構成
 ・「蝶」部品による「貝」構成

 宮古島
 ・「貝」の変容による「苧麻」構成

 この場合、霊力ー霊魂は、徳之島では「貝・蝶」アマルガムなのに対して、宮古島では「貝・苧麻」アマルガムである。しかし、そのアマルガムは前者が再構成にであるのに対して、後者は融合である。ここに霊魂思考が優位な前者と霊力思考が優位な後者の差異が認められる。

 このアマルガムのデザインの痕跡が認められるということは、琉球弧の刺青が「ふたつの霊魂」を表現したということだけではなく、両者が未分離の状態をも保存したことを意味する。つまり、「ふたつの霊魂」の初期形である。

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2017/05/09

パピルは「後世の姿」(野口才蔵)

 与論島の民俗研究家、野口才蔵は、刺青の左手尺骨頭部の文様について、小原一夫が採取した「アマン(ヤドカリ)」という聞き取りを紹介した後、右手の尺骨頭部について考察している。

右手の同じ部位にあるものを『パピル』という。パピルは蝶や蛾の意で、美人や踊りのうまい人の意にもとれるが、奄美諸島全域に見られるもので、特に奄美大島では、蛾のことを『ハヴィラ』と言う。夜間に光に集まってくる蛾を見ると、死者の化身として恐れられる習慣があり、死人の出た直後は特にその感が強い。この考え方からみれば、与論島に見られる『パピル』は、後世の姿をとるのが妥当ではないかと思う。(『奄美文化の源流を慕って』)

 ぼくたちの理解では、入墨自体が霊魂の発生を物語るので、「後世の姿」はその通りだとしても、それは死者の精霊というより、霊魂のことを指すと考えている。

 しかし、いままで読み流してきてしまっていたが、驚くことに、野口は右手の尺骨頭部の文様についても理解を届かせていた。それはとても素晴らしいことだ。野口は、与論の場合と限定をつけているが、広く琉球弧に寄与できる洞察だったのだ。それはいまから35年も前に遂げられていた。

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2017/05/07

「手」の位相メモ(ヘーゲルと吉本隆明)

 ヘーゲルは「手」の持つ位相について、こう書いている。

 いうまでもなく、手は、運命にたいして外的なものというより、運命と内的にかかわるもののように見える。運命とは、特定の個人が当初の内面的性格として潜在的にもっていたものが、おもてにあらわれたものにすぎないのだから。そして、潜在するものを知るには、たとえば、全生涯をおわってみなければ知ることはできないと考えた古代ギリシャの賢人ソロンの言にしたがうよりも、手相術師や人相学者のもとにおもむくふが手っとり早い。ソロンが運命の転変を見わたそうとするのにたいして、手相術師や人相学者は潜在する元のすがたを見ようとする。そして、手が個人の運命の元のすがたを表現していることは、手が、ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段であることからも、容易に推測される。手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ。手は人間の行為をあらわすものだといえるので、自己実現の実行器官たる手を見れば、そこに魂をもって生きる人間が宿り、もともとみずからの運命を切りひらいていく人間の、その元のすがたがそこに表現されているというわけである。(ヘーゲル)

 手は「ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段である」。「手は幸運を作り出す魂のかよった名工というわけだ」。

 これを思い切り、琉球弧のサンゴ礁の思考に引き寄せれば、手は魂の表現そのものに他ならない。手には人間の魂が宿り、「その元のすがたがそこに表現されている」。

 ヘーゲルは論理を語っているわけだが、まるでサンゴ礁の思考を言い当てているようにすら見える。ここでぼくたちは、琉球文身のことを考えている。ヘーゲルが言うのは、手相のことについてだが、文身の刻まれた手の背は、魂を表現できる絶好の場だということになる。

 吉本隆明は、ヘーゲルの言を受けて書いている。

頭部、手、足は、表情として思いいれられた衣裳にほかならない。ただこの思いいれは、まぎれもなく頭部、手、足などのいまのすがたをあらわす、精神のあらわれとして、必然性をもっていて、この必然性が思いいれの本質になっている。(「ファッション論」『ハイ・イメージ論Ⅰ』)

 ここで注目しているのは手だが、そこはまさに霊力と霊魂を表現する場となった。
 

『精神現象学』(長谷川宏訳)

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2017/04/10

「南島の入墨(針突)について」(小原一夫)

 小原一夫が『南島入墨考』(1962年)を出すずっと前に、針突きについて論考を発表していた。その1947年の「南島の入墨(針突)について」は、『南島入墨考』の部分要約に見えて読み流してきたが、注意していると、ここにも重要な記述があった。『南島入墨考』では割愛された箇所だ。

昔から伝わるこの入墨の文様を、左手と右手とを突き違えた入墨施術者に、美しく優しい八重山乙女が自らの手を食ひ切って、再び突き直させたと云う挿話が、今にも語りつがれて、これが如何に重要であり、且つ神聖なものであったか、と云ふことを示して居る。

 右手左手の文様の違いには意味があったこと、とても重要だったことが示されている。それを知らずに追ってきたぼくたちの眼にも、左右の違いに格別の意味を見出してきたから、この聞き取りはかけがえがない。

 もうひとつは奄美大島の歌謡だ。

 彩入墨つかし
 片手ささぐれば
 天の白雲を取つたごとくに

 この歌謡は、針突きをした女性の、誇らしげで躍る気持ちが伝わってくる。輪踊りの詞の横に置くといい。

 腕あげれあげれ綾はづち拝ま
 腕あげれあげれ玉乳拝ま

 針突きについて書かれたものはいくつかあるけれど、重要な示唆は、大部分は小原の取材した伝承や老女からの伝承から受け取っている。調査時期がはやかったことにも依るだろうが、小原には何かそういった大切なものを引き寄せる力があったのではないだろうか。

 参照:「琉球文身」

 

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