カテゴリー「62.琉球文身」の28件の記事

2017/04/10

「南島の入墨(針突)について」(小原一夫)

 小原一夫が『南島入墨考』(1962年)を出すずっと前に、針突きについて論考を発表していた。その1947年の「南島の入墨(針突)について」は、『南島入墨考』の部分要約に見えて読み流してきたが、注意していると、ここにも重要な記述があった。『南島入墨考』では割愛された箇所だ。

昔から伝わるこの入墨の文様を、左手と右手とを突き違えた入墨施術者に、美しく優しい八重山乙女が自らの手を食ひ切って、再び突き直させたと云う挿話が、今にも語りつがれて、これが如何に重要であり、且つ神聖なものであったか、と云ふことを示して居る。

 右手左手の文様の違いには意味があったこと、とても重要だったことが示されている。それを知らずに追ってきたぼくたちの眼にも、左右の違いに格別の意味を見出してきたから、この聞き取りはかけがえがない。

 もうひとつは奄美大島の歌謡だ。

 彩入墨つかし
 片手ささぐれば
 天の白雲を取つたごとくに

 この歌謡は、針突きをした女性の、誇らしげで躍る気持ちが伝わってくる。輪踊りの詞の横に置くといい。

 腕あげれあげれ綾はづち拝ま
 腕あげれあげれ玉乳拝ま

 針突きについて書かれたものはいくつかあるけれど、重要な示唆は、大部分は小原の取材した伝承や老女からの伝承から受け取っている。調査時期がはやかったことにも依るだろうが、小原には何かそういった大切なものを引き寄せる力があったのではないだろうか。

 参照:「琉球文身」

 

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2017/04/06

琉球刺青、各島の類縁

 この縮尺じゃ、見にくいだろうけど、ある程度、島の位置との関連を持たせながら、刺青デザインを分布させてみた。

Photo_2

 このデザイン分布は、ある確からしさで歴史の反映を見ることができる。沖永良部島と与論島の類縁は、北山勢力圏にあった15世紀的と言えるかもしれない。また、沖縄島と石垣、与那国島の類縁は琉球王朝支配以降の16世紀的なものを感じさせる。同様に、宮古島は、自ら服属を図ることで八重山に見られる影響を被っていないのは、刺青についても言えることになる。そういう意味では15世紀以前的だ。

 しかし、目を見張るのは、「ウマレバン」と「後生の門」でつながる宮古島と与論島の類縁で、こういう歴史時代に入ってからの反映をみるだけでは経緯を読み取ることはできない例を示している。それはなんといっても、多良間島と沖永良部島が、線と面の区分を超えて類縁を感じさせることに象徴的だ。

 伊波普猷は、『李朝実録』の朝鮮人漂流の記録に刺青の記述がないことから、15世紀以降の刺青発生の可能性について言及している。宮古-与論、多良間-沖永良部の類縁は、それでは説明がつかないことも示している。

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2017/04/05

与那国島の刺青デザイン

  池間栄三は『与那国の歴史』で、与那国島の刺青デザインを模写している。

Yonaguni11_2

Yonaguni22

Yonaguni33

 与那国島の刺青デザインは石垣島と似ている。ただ、同一というわけではもちろんない。指の背の文様は指先に近づくにつれ、先が尖るのがふつうだが、先をふたたび臼のように太らせているのは特徴的だ。与那国島はここだけ見ても、この島と名指せるほどだ。

 また、久米島のデザインとも類縁を感じさせる。

Kumejima1

 思い出させるのは、明治期の『マーチェサ号航海記』に描かれている刺青文様だ。

Photo

 このデザインは、肝心の尺骨頭部の文様がないのが不自然なのだが、甲と指の背から見る限り、この女性は与那国島にゆかりを持つ島人だったのではないかと思わせる。

 池間は書いている。

 入墨の風習は貧富の区別なしに行われ、嫁入り前、叉は出産前後になると、吉日を卜して親類、知人の女を集め、施術者を招いて、茶菓で祝事を行い、入墨を施した。施術は非常に苦痛であったようで、施術中は母親や集った女達がよってたかって娘の手首や腕を握り、体を抱いて、入墨を強行した。

 施術の模様が目に浮かんでくるようではある。しかし、池間はどちからといえば否定的な眼差しを注いでるように見える。これだけ丁寧にデザインを模写したのだから、個々の文様の名称や意味の聞き取りもしてほしかったものだ。

 琉球刺青は、記録者がいるだけでは足りなかった。記録する者に、近代の偏見を払拭できる懐も必要だった。


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2017/04/04

中国による琉球刺青記述

 15世紀の『大明一統志』の「琉球国」には、「手に刺青をし」とあり、その注に、『太平寰宇記』の記述として、「婦人は墨で手に刺青をして、龍蛇の文を作る」とある。

 『明代琉球資料集成』の注では、『太平寰宇記』の記述は「ほとんどが『随書』の引用である」としている。一方、伊波普猷は、「支那人には琉球の風俗習慣はかなりよくわかっていたはずだから、黥に関する『一統志』の記述が『随書』の縁引でないことはいうまでもない」と書いている(『沖縄女性史』)。

 冊封正使として来琉した陳侃が記した『使琉球録』では、「婦人は、まことに墨で手に黥をし、指に花鳥鳥獣の形をつくる」と書かれている(蕭崇業、謝杰著 原田禹雄、三浦國雄 訳注)。

 この二書のあいだの『李朝実録』には、「黥」の記述が見られないことから、伊波は「『一統志』が信用できないとすれば、この風習は、この六十年間に始まったとも見られる」と判断が揺れている。この60年というのは、1474年から1534年のあいだということになる。

 この理解では、琉球王朝の勢力拡大とともに刺青が浸透したかのような印象を与える。それは、18世紀の『中山伝信録』では、かつて廃止をしようと試みたがなされなかったという記述とは矛盾しているとも考えられる。

 むしろここは、『李朝実録』に記述されなかった背景を探るほうが妥当ではないかと思える。 


『明代琉球資料集成』

『沖縄女性史』

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2017/03/28

「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」(鶴岡真弓)

 なんといっても鶴岡真弓の「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」が生き生きとしている。サンゴ礁の思考にとっても刺激的だった。

 まずぼくたちのこだわりどころから入っていこう。

 古代中国の漢字の解字からいえば、「文様」の「文」は「×」のしるしのことだ。「「いれずみ」を「刺青」や「入墨」ではなく「文身」と書くとき、まさにその意味が明示される」。

 それは、「「よいもの」を留める、「よき封じ」のしるしである」。

この古代からの象形と漢字の解字が伝える「文 ×」の機能は、それより前の先史時代の恣意や信仰を継承しちる可能性が高い。

 鶴岡によれば、「+」は「×」で「回転させて、最初の動力を入れる」形であり、渦巻きを生成させる。

 また鶴岡は、「×=アヤ=文=文様は、災いのストッパーとしてのしるしでもあった」と書くが、「でもあった」というように、それだけではない意味も見い出している。日本で続いてきた、生まれた赤ちゃんの額に描く「×(文(あや)っこ」は、「祝いの文様」なのだ。

 ここでぼくたちも言うことができる。琉球文身の「+」「×」は、「魔除け」の記号と解されることが多い。しかし、初発の意味はそうではない。それは、豊かな霊力の場そのものを意味し、とりわけその境界の意味を持った。境界だから、封じるという機能も生じたのである。人間が自然に対して優位性を発揮するようになると、やがてそれは「魔除け」とも解されるようになった、ということだ。

 もうひとつ言うべきことがある。鶴岡は縄文土偶の女神について書いている。

 では何を指して、「女神」と呼ばれるのか。
 縄文社会、共同体あげての「生命産出」と「生成持続」への願いは、特殊なものではない。「いのち」「生成」という普遍的な経験と観念は、私たち今を生きる人間にも同じように思惟の要にある。しかし先史、新石器時代人の造形の強度と豊穣は、現代人の力をはるかに超えているといわねばならない。「女神」や「母神」とおぼしき像は、その後の人類芸術史には競うものがないほど豊かな「生命/生成のデザイン」を追究した。
 なぜなら結論めくが、それらは、近現代人が考えるような「あらかじめいる神の描写」をしたのではなかったからだ。存在が、創造的・想像的に繰り出す、徹底した「生命/生成イメ―ジ」の表象だからだ。

 その表象を牽引するのが「渦巻き」文様である。

 さて、琉球弧では「土偶」は出土していない。島人は土偶をつくることはなかった。これは、島人が自分を客体視した身体像を持たなかったことに対応していると思える。島人はまだ自然のなかに溶け込んでいた。しかし、それは女神の不在を意味していない。

 琉球弧においては、女神とは出現するものだった。それこそ女性身体として。女性たちは、女神本体の一部だった。そして、その本体とはサンゴ礁に他ならない。それは、「地母神(アース・マザー)」、「ゴッデス(女神)」と呼ばれるものの琉球弧バージョンであり、サンゴ礁母神ともいうべき存在だ。しかし、繰り返すが琉球弧では、サンゴ礁母神を造形したのではない。それを女性たちは生きたのである。

 琉球弧では、女神像からその思考にアプローチすることはできない。けれども、それによらずとも女神のあり方を生き生きと伝えて寄越す。それが先史琉球弧の魅力だと言ってもいい。そして、その女神のあり方を今日まで伝えたのが、琉球文身であることは言うまでもない。

 

『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』

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2017/03/15

池間島のアオヤッダ

 市川重治は『南島針突紀行』で、池間島の左手尺骨頭部の文様について、郷土史家の前泊徳正から文様アオヤッダ(アオヒトデ)について聞いてる。

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このアオヤッダは、深い海に棲息していて猛毒をもち、これを乾燥させて鼠の出入口などにおけば、その効果は抜群とのことであった。そうした猛毒を一つの効力とみなし、文様化して魔除け、厄除けの象徴としたのである。

 この記述からすれば、アオヤッダがサンゴ礁の外部礁斜面にいる。色と毒性からしても、男性動物だ。女性の針突きの左手尺骨頭部にこの文様があるのは、すでにトーテムの意味を逸脱している。トーテム性は保持していたとすれば、「太陽の妻」として女性を位置づけていたのではないだろうか。


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2016/12/27

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』(小林眞)

 ミミカ族は、ニューギニア西部の南側に分布する部族。小林眞のこの本は、ミミカ族のアートオブジェを追い、その図像の解読を目的としている。ぼくも琉球刺青の図像の解読を試みてきた。小林さんとは関心が重なり合う。

 下図をみれば、小林の探究が丹念に行われているのが分かる。

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 ここでの関心からいえば、ミミカ族の刺青文様を見ることになる。

Photo

 上図(15)(の文様について、小林は「人体においては臍、女性器、男性器、目や骨の表象にも一部似ている。自然界においては、大地と海、雷の象徴表現に類似している」と書いている。

 すでにミミカ族においても文様の意味は不明であったわけだ。十字は琉球弧でも頻繁に現れる。(15-2)(15-3)は、徳之島が重視した図像に似ている。また、目を引くのは(14-1)が「骨」を表していることだ。これは、喜界島の手首内側の文様に似ている。下図の真ん中の例だ。

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 ただ、この文様は、喜界島の他の例と照らし合わせると、下図の同位置のトーテムと霊魂表現を融合させたもののように見える。

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 それでも対照したくなるのは、刺青は骨に染みることが目指されたように、刺青は骨とつながって表象されていたと思えるからだ。

 ミミカ族の刺青文様は、琉球弧と同様にアルカイックの域を出ないばかりか、数も少ない。しかし、それはミミカ族のデザインが貧弱だということを意味しない。彼らは、刺青の他、ボディ・ペインティングも行っているし、盾やカヌーにもさまざまなものたちを象っている。特に祖霊像は豊かだといっていい。

 ミミカ族は、特に刺青に固執する理由を持っていないということだろう。

 ここで立ち止まれば、刺青に固執するということは、身体が表現の場として重視されることを意味する。これは、霊魂の衣装として身体を見出していることを意味するが、霊力の方からみても、身体と霊力の結びつきが保たれていることを意味している。刺青を重視する種族は、霊力思考も濃厚であることが条件であるのかもしれない。

 祖霊像を持つように、ミミカ族は霊魂思考を発達させている。これと、刺青を離れるのは相関があるのかもしれない。

 参照:『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』

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2016/12/11

手首内側の文様の消失

 三宅宗悦(「南島婦人の入墨」)が採取した徳之島の刺青デザインは、小原一夫のとは微妙に違っている。

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 その違いは、これまでの考察に再考を強いるものではないが、小原の模写の仕方では気づかなかったことに思い至らせてくれる。右下の例をみると、手首内側の文様が小原の採取したそれより曲線的で縦の幅が薄い。それを補うように、その下には手の甲に似た文様が反復されている。しかし、気づかなかったのはそのことではなく、手首内側の文様のちょうど真ん中に「×」があることだ。(参照:「徳之島流刺青」

 これは与論島の「後生の門」、宮古島の「ウマレバン」と同じ位置にある。また、この「蝶」モチーフと同様の文様を持つ奄美大島にはこの「×」はない。「蝶」モチーフの文様に「×」は必須ではないから、徳之島の「×」は「後生の門」、「ウマレバン」と同じだと見なせる。

 そうやって見直すと、喜界島でも同様の意味を見出せる例がある。下図の真ん中の手首内側の文様だ。

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 残念ながら両者ともに文様の名は聞き取りされていない。しかし、「ウマレバン」あるいは「後生の門」と同等の意味を持つ名称だったのに違いない。宮古島と与論島にしか残存を見出せなかった「ウマレバン」(「後生の門」)はやはり他島にも存在していたということだ。

 このことは、文様のデザインや配置の仕方に独自性を見せる徳之島も、勝手気ままに描いたのではなく、原則を重視していたことの傍証でもある。

 貝からの誕生を刻印する「ウマレバン」と、他界への入口を示す「後生の門」。それは再生のサイクルのなかでは、同じ意味を持つ。針を突くのがいちばん痛かったとされる部位に島人は、そこから生まれ、そこに還る出入口を記した。両の手のひらを身体に向ければ、それはいつでも目に入る。そこに刺青を入れるということは、その死生観を支える神話空間にいつでも入っていけることを意味した。

 その重要な文様が消失したということは、遠ざかるニライカナイ(ニルヤカナヤ)ともに、トーテムや再生の信仰が失われていく過程を刻印しているにちがいない。手首内側は文様の消失が歴史を物語っている。

 

 

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2016/12/08

トーテム・霊魂表現からみる琉球刺青の類型

 迷路にはまってしまいそうだが、徳之島刺青の尺骨頭部文様にもう少しこだわってみる。

Photo_2

 分からないのは、右手の尺骨頭部が、トーテムを表しているのか霊魂なのか、ということだ。

1.(貝:蝶=22)
Photo_4

2.(貝:貝=2) 
Photo_5

3.(蝶:貝=3)
Photo_6

4.(蝶:蝶=21)
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 「蝶」だとしたら、左右の分布が異なるのは、はじめは〔1〕だったものがトーテムの意味が失われるにつれ〔4〕のタイプに置き換えられていったと考えることになる。

 これが妥当性を持つのは、〔1〕の右手が「蝶」に見えなくもないこと、そして〔4〕左が、手首内側の「蝶」文様の三角形から組み立てられているように見えることだ。

 一方、矛盾するのは、琉球弧全域で手の甲はトーテムを表しているのに、徳之島の場合、「蝶」系文様がもっとも多く、霊魂が描かれてることになってしまうことだ。

 三宅宗悦は「南島婦人の入墨」で、ドイツの鉄十字に似た文様を「米の花」、「その外部に入れられた正方形の線を桝形」と聞き取りしている。三宅が図解で挙げているのは、

3

 これに類する文様だが、ここには正方形はないので、言及しているのは、下図の文様のことだと思える。

2_2

 そうだとしたら、「花」も「枡」も「貝」に行きつき、トーテムを示していることになる。これまでのところ、針突き(刺青)についての名称は、原義と矛盾していなかった。この聞き取りもそうだとしたら、トーテムと解するのが妥当だということになる。

 こう解した場合の隘路は、あれだけ重視されている尺骨頭部の左右の意味が、徳之島でのみ失われていることになることだ。これを例外と見なさないとしたら、宮古島も場合も、両方トーテムと見なす考え方も出てくる。

 どう理解すればいいだろうか。

 視野を尺骨頭部だけではなく、手首内側を含めてみる。ここに至るとバリエーションがあるのがはっきりする。まず、手首内側の文様がある島と欠如している島だ。そして文様がある場合も、トーテム表現(貝)と霊魂表現(蝶)に分かれている。

 もっとも思考の内容が分かる与論島では、左が「後生の門」で右が「月」と呼ばれた。これは、左が貝かつニライカナイの入口であり、右が貝の生み出す月を意味している。宮古島の「ウマレバン」は「太陽」だと考えられる。こうしてみると、手首内側に関する限り、意味は幅がある。そうだとしたら、尺骨頭部のみ一義的に捉える必要はないのかもしれない。

 すると、徳之島の場合、尺骨頭部は左右ともトーテム、あるいは、「貝」とそれが生み出す「太陽」として刺青された。〔4〕の場合は、貝の形象を離れて、両方とも「太陽(月)」と見なされる。しかし同時に、〔1〕右が蝶に似ており、〔4〕左も「蝶」からデザインを採取しているように「蝶」も意識されている。

 また、これは特異な考え方ではなく、指の背は「蝶」の部品を使って「蛇」を表現しているのは、宮古島以外に共通している。

 宮古島の場合、これすべてトーテムだということになる。しかし、宮古、八重山が苧麻(ブー)を経由して霊魂を捉えていて、それが宮古島が「点と線」に執着した理由であり、霊魂表現が見られないわけではない理由になる。

 徳之島では、手首が一体として捉えられ、尺骨頭部はトーテム、その内側は霊魂として「蝶」を表現した。そして、尺骨頭部の左右でトーテムと霊魂を表現した場合、手首内側は優先度が落ちて文様が欠如する場合も出てきた。

 徳之島と宮古島で共通するのは、徳之島は三角文様を用いることで、宮古島は「点と線」を用いることで、霊魂表現が投影されていることだ。

 ここでの結論は下表になる。

2_4

 これをトーテムと霊魂の表現分布としてみると、下記の5類型が得られる。

3

 ここまできて琉球弧に共通するのは、左手尺骨頭部がトーテムの座であったということに集約される。これは、沖永良部島で、ここが「アマム骨」と呼ばれて、骨との関連が示唆されていることと共鳴する。骨は再生に関わる部位だからだ。

 この5類型はほんとはこれだけではなかったろう。全島(シマ)からデザインが採取されなかったのが惜しまれる。

 ※参照:琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン


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2016/12/07

徳之島刺青の尺骨頭部

 徳之島の刺青思考は、まだ追わなければならない。琉球弧であれだけ重視されている尺骨頭部左右のトーテムと霊魂の座は、徳之島でどう捉えられていたのか。

 まず、トーテムの座であり文様図形の基本になっているのが下図。貝を表すと考えられる。

4

 この他に出現するのは下記で、これを見ても多くのデザインを開発したのが分かる。

Photo

 これに対して右手の「霊魂」の座を象徴するのはこれだ。

4_2

 これは左手の尺骨頭部を再編した図形である。

 この右手のバリエーションは下記になる。

Photo_2

 問題は徳之島の場合、「貝」系が必ずしも左手に出現するとは限らず、「蝶」系(と仮にしておく)も必ずしも右手に出現するとは限らないことだ。煩をいとわず46例の分布を列記してみる。

1.(貝:蝶=22)
Photo_4

2.(貝:貝=2) 
Photo_5

3.(蝶:貝=3)
Photo_6

4.(蝶:蝶=21)
Photo_7

 つまり、正当的な配置になっている(貝:蝶)系は全体の半分弱に過ぎない。考えるべきは、21例ある(蝶:蝶)系だ。

 ここであれだけ霊魂思考を発揮して図形を考案してきた徳之島だから、デザインに溺れて配置はいい加減だったという理解は採らないでおく。

 するともっとも妥当な解釈は、琉球弧において「霊魂」概念が、「霊魂」と「霊力」の二重性から、マブイとして「霊魂」寄りに一本化されていく過程をこの分布は示していると理解することだ。すると、(貝:蝶)という正当な配置から、(蝶:蝶)という傾向を生み出したと受け止めることができる。

 そして琉球弧の「霊魂」概念が、すっきりした「霊魂」そのものではなく、「霊力」をまぶした死者概念にも近しくなることが、徳之島の「霊魂」図形がトーテムの再編としてデザイン化されていることと符合する。

 またそれは手の甲の基本要素である図形((蝶:貝)、(蝶:蝶)の左側)が、「花」系の名称で呼ばれるのも霊力と霊魂のアマルガムとしての霊魂を象徴しているのかもしれない。

 つまり、徳之島の霊魂思考は、霊力と霊魂が編まれた姿を捉えるところまでデザイン化を進めたと見なすのだ。 


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