カテゴリー「62.琉球文身」の23件の記事

2017/03/15

池間島のアオヤッダ

 市川重治は『南島針突紀行』で、池間島の左手尺骨頭部の文様について、郷土史家の前泊徳正から文様アオヤッダ(アオヒトデ)について聞いてる。

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このアオヤッダは、深い海に棲息していて猛毒をもち、これを乾燥させて鼠の出入口などにおけば、その効果は抜群とのことであった。そうした猛毒を一つの効力とみなし、文様化して魔除け、厄除けの象徴としたのである。

 この記述からすれば、アオヤッダがサンゴ礁の外部礁斜面にいる。色と毒性からしても、男性動物だ。女性の針突きの左手尺骨頭部にこの文様があるのは、すでにトーテムの意味を逸脱している。トーテム性は保持していたとすれば、「太陽の妻」として女性を位置づけていたのではないだろうか。


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2016/12/27

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』(小林眞)

 ミミカ族は、ニューギニア西部の南側に分布する部族。小林眞のこの本は、ミミカ族のアートオブジェを追い、その図像の解読を目的としている。ぼくも琉球刺青の図像の解読を試みてきた。小林さんとは関心が重なり合う。

 下図をみれば、小林の探究が丹念に行われているのが分かる。

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 ここでの関心からいえば、ミミカ族の刺青文様を見ることになる。

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 上図(15)(の文様について、小林は「人体においては臍、女性器、男性器、目や骨の表象にも一部似ている。自然界においては、大地と海、雷の象徴表現に類似している」と書いている。

 すでにミミカ族においても文様の意味は不明であったわけだ。十字は琉球弧でも頻繁に現れる。(15-2)(15-3)は、徳之島が重視した図像に似ている。また、目を引くのは(14-1)が「骨」を表していることだ。これは、喜界島の手首内側の文様に似ている。下図の真ん中の例だ。

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 ただ、この文様は、喜界島の他の例と照らし合わせると、下図の同位置のトーテムと霊魂表現を融合させたもののように見える。

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 それでも対照したくなるのは、刺青は骨に染みることが目指されたように、刺青は骨とつながって表象されていたと思えるからだ。

 ミミカ族の刺青文様は、琉球弧と同様にアルカイックの域を出ないばかりか、数も少ない。しかし、それはミミカ族のデザインが貧弱だということを意味しない。彼らは、刺青の他、ボディ・ペインティングも行っているし、盾やカヌーにもさまざまなものたちを象っている。特に祖霊像は豊かだといっていい。

 ミミカ族は、特に刺青に固執する理由を持っていないということだろう。

 ここで立ち止まれば、刺青に固執するということは、身体が表現の場として重視されることを意味する。これは、霊魂の衣装として身体を見出していることを意味するが、霊力の方からみても、身体と霊力の結びつきが保たれていることを意味している。刺青を重視する種族は、霊力思考も濃厚であることが条件であるのかもしれない。

 祖霊像を持つように、ミミカ族は霊魂思考を発達させている。これと、刺青を離れるのは相関があるのかもしれない。

 参照:『環太平洋民族誌にみる肖像頭蓋骨』

『魂の形象―南西ニューギニア・ミミカの図像』

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2016/12/11

手首内側の文様の消失

 三宅宗悦(「南島婦人の入墨」)が採取した徳之島の刺青デザインは、小原一夫のとは微妙に違っている。

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 その違いは、これまでの考察に再考を強いるものではないが、小原の模写の仕方では気づかなかったことに思い至らせてくれる。右下の例をみると、手首内側の文様が小原の採取したそれより曲線的で縦の幅が薄い。それを補うように、その下には手の甲に似た文様が反復されている。しかし、気づかなかったのはそのことではなく、手首内側の文様のちょうど真ん中に「×」があることだ。(参照:「徳之島流刺青」

 これは与論島の「後生の門」、宮古島の「ウマレバン」と同じ位置にある。また、この「蝶」モチーフと同様の文様を持つ奄美大島にはこの「×」はない。「蝶」モチーフの文様に「×」は必須ではないから、徳之島の「×」は「後生の門」、「ウマレバン」と同じだと見なせる。

 そうやって見直すと、喜界島でも同様の意味を見出せる例がある。下図の真ん中の手首内側の文様だ。

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 残念ながら両者ともに文様の名は聞き取りされていない。しかし、「ウマレバン」あるいは「後生の門」と同等の意味を持つ名称だったのに違いない。宮古島と与論島にしか残存を見出せなかった「ウマレバン」(「後生の門」)はやはり他島にも存在していたということだ。

 このことは、文様のデザインや配置の仕方に独自性を見せる徳之島も、勝手気ままに描いたのではなく、原則を重視していたことの傍証でもある。

 貝からの誕生を刻印する「ウマレバン」と、他界への入口を示す「後生の門」。それは再生のサイクルのなかでは、同じ意味を持つ。針を突くのがいちばん痛かったとされる部位に島人は、そこから生まれ、そこに還る出入口を記した。両の手のひらを身体に向ければ、それはいつでも目に入る。そこに刺青を入れるということは、その死生観を支える神話空間にいつでも入っていけることを意味した。

 その重要な文様が消失したということは、遠ざかるニライカナイ(ニルヤカナヤ)ともに、トーテムや再生の信仰が失われていく過程を刻印しているにちがいない。手首内側は文様の消失が歴史を物語っている。

 

 

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2016/12/08

トーテム・霊魂表現からみる琉球刺青の類型

 迷路にはまってしまいそうだが、徳之島刺青の尺骨頭部文様にもう少しこだわってみる。

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 分からないのは、右手の尺骨頭部が、トーテムを表しているのか霊魂なのか、ということだ。

1.(貝:蝶=22)
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2.(貝:貝=2) 
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3.(蝶:貝=3)
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4.(蝶:蝶=21)
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 「蝶」だとしたら、左右の分布が異なるのは、はじめは〔1〕だったものがトーテムの意味が失われるにつれ〔4〕のタイプに置き換えられていったと考えることになる。

 これが妥当性を持つのは、〔1〕の右手が「蝶」に見えなくもないこと、そして〔4〕左が、手首内側の「蝶」文様の三角形から組み立てられているように見えることだ。

 一方、矛盾するのは、琉球弧全域で手の甲はトーテムを表しているのに、徳之島の場合、「蝶」系文様がもっとも多く、霊魂が描かれてることになってしまうことだ。

 三宅宗悦は「南島婦人の入墨」で、ドイツの鉄十字に似た文様を「米の花」、「その外部に入れられた正方形の線を桝形」と聞き取りしている。三宅が図解で挙げているのは、

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 これに類する文様だが、ここには正方形はないので、言及しているのは、下図の文様のことだと思える。

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 そうだとしたら、「花」も「枡」も「貝」に行きつき、トーテムを示していることになる。これまでのところ、針突き(刺青)についての名称は、原義と矛盾していなかった。この聞き取りもそうだとしたら、トーテムと解するのが妥当だということになる。

 こう解した場合の隘路は、あれだけ重視されている尺骨頭部の左右の意味が、徳之島でのみ失われていることになることだ。これを例外と見なさないとしたら、宮古島も場合も、両方トーテムと見なす考え方も出てくる。

 どう理解すればいいだろうか。

 視野を尺骨頭部だけではなく、手首内側を含めてみる。ここに至るとバリエーションがあるのがはっきりする。まず、手首内側の文様がある島と欠如している島だ。そして文様がある場合も、トーテム表現(貝)と霊魂表現(蝶)に分かれている。

 もっとも思考の内容が分かる与論島では、左が「後生の門」で右が「月」と呼ばれた。これは、左が貝かつニライカナイの入口であり、右が貝の生み出す月を意味している。宮古島の「ウマレバン」は「太陽」だと考えられる。こうしてみると、手首内側に関する限り、意味は幅がある。そうだとしたら、尺骨頭部のみ一義的に捉える必要はないのかもしれない。

 すると、徳之島の場合、尺骨頭部は左右ともトーテム、あるいは、「貝」とそれが生み出す「太陽」として刺青された。〔4〕の場合は、貝の形象を離れて、両方とも「太陽(月)」と見なされる。しかし同時に、〔1〕右が蝶に似ており、〔4〕左も「蝶」からデザインを採取しているように「蝶」も意識されている。

 また、これは特異な考え方ではなく、指の背は「蝶」の部品を使って「蛇」を表現しているのは、宮古島以外に共通している。

 宮古島の場合、これすべてトーテムだということになる。しかし、宮古、八重山が苧麻(ブー)を経由して霊魂を捉えていて、それが宮古島が「点と線」に執着した理由であり、霊魂表現が見られないわけではない理由になる。

 徳之島では、手首が一体として捉えられ、尺骨頭部はトーテム、その内側は霊魂として「蝶」を表現した。そして、尺骨頭部の左右でトーテムと霊魂を表現した場合、手首内側は優先度が落ちて文様が欠如する場合も出てきた。

 徳之島と宮古島で共通するのは、徳之島は三角文様を用いることで、宮古島は「点と線」を用いることで、霊魂表現が投影されていることだ。

 ここでの結論は下表になる。

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 これをトーテムと霊魂の表現分布としてみると、下記の5類型が得られる。

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 ここまできて琉球弧に共通するのは、左手尺骨頭部がトーテムの座であったということに集約される。これは、沖永良部島で、ここが「アマム骨」と呼ばれて、骨との関連が示唆されていることと共鳴する。骨は再生に関わる部位だからだ。

 この5類型はほんとはこれだけではなかったろう。全島(シマ)からデザインが採取されなかったのが惜しまれる。

 ※参照:琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン


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2016/12/07

徳之島刺青の尺骨頭部

 徳之島の刺青思考は、まだ追わなければならない。琉球弧であれだけ重視されている尺骨頭部左右のトーテムと霊魂の座は、徳之島でどう捉えられていたのか。

 まず、トーテムの座であり文様図形の基本になっているのが下図。貝を表すと考えられる。

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 この他に出現するのは下記で、これを見ても多くのデザインを開発したのが分かる。

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 これに対して右手の「霊魂」の座を象徴するのはこれだ。

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 これは左手の尺骨頭部を再編した図形である。

 この右手のバリエーションは下記になる。

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 問題は徳之島の場合、「貝」系が必ずしも左手に出現するとは限らず、「蝶」系(と仮にしておく)も必ずしも右手に出現するとは限らないことだ。煩をいとわず46例の分布を列記してみる。

1.(貝:蝶=22)
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2.(貝:貝=2) 
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3.(蝶:貝=3)
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4.(蝶:蝶=21)
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 つまり、正当的な配置になっている(貝:蝶)系は全体の半分弱に過ぎない。考えるべきは、21例ある(蝶:蝶)系だ。

 ここであれだけ霊魂思考を発揮して図形を考案してきた徳之島だから、デザインに溺れて配置はいい加減だったという理解は採らないでおく。

 するともっとも妥当な解釈は、琉球弧において「霊魂」概念が、「霊魂」と「霊力」の二重性から、マブイとして「霊魂」寄りに一本化されていく過程をこの分布は示していると理解することだ。すると、(貝:蝶)という正当な配置から、(蝶:蝶)という傾向を生み出したと受け止めることができる。

 そして琉球弧の「霊魂」概念が、すっきりした「霊魂」そのものではなく、「霊力」をまぶした死者概念にも近しくなることが、徳之島の「霊魂」図形がトーテムの再編としてデザイン化されていることと符合する。

 またそれは手の甲の基本要素である図形((蝶:貝)、(蝶:蝶)の左側)が、「花」系の名称で呼ばれるのも霊力と霊魂のアマルガムとしての霊魂を象徴しているのかもしれない。

 つまり、徳之島の霊魂思考は、霊力と霊魂が編まれた姿を捉えるところまでデザイン化を進めたと見なすのだ。 


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2016/12/05

霊力と霊魂の図形

 刺青における「霊魂」は、次の3タイプで描かれている。

 宮古島では、トーテムと霊魂の座である尺骨頭部は同型だった。

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 これをぼくたちは、「盥(タライ)」を起点にした「高膳(タカゼン)」への遷移として捉えてきた。「盥」の前に置けるのはシャコ貝である。

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 奄美、沖縄で典型的なのは、貝と蝶の対をなす尺骨頭部文様だ。

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 この場合、動物も図形も異なるので由来は明確だ。

 いま、ぼくたちはこれに加えて徳之島をまた別の系列として取り上げよう。ここでは、「徳之島流刺青」とはちがう視点で、尺骨頭部のトーテムと霊魂の座はあくまで重視されたと仮説してみる。

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 この一見すると異なる図形は、左から右への遷移として理解することができる。

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 つまり、徳之島では「霊魂」は、ある意味では「トーテム」と同じものと捉えていたことになる。しかし、これが宮古島の場合と違うのは、宮古の場合、「霊魂」はもうひとつのトーテム、言い換えればもうひとつの「霊力」と捉えられていることだ。

 これに対して徳之島の場合は、トーテムはいちど分解を受けて再編されている。だから、言うなら、「霊魂」とはトーテム(霊力)が再編されたものなのだ。

 別の視点からえば、この「霊魂」図形は「蝶」に見える。言い換えれば貝は蝶になり、貝と蝶も別のものとしては考えられていないことになる。これはある意味では当然で、人間は「貝」から生まれ、死者になれば「蝶」に化身するという死生観に符合している。

 さて、奄美、沖縄では「霊魂」は、マブイとして「霊魂」寄りに捉えられていくことになる。それを図形として見るにはどう解すればいいだろうか。

 まず、「貝」トーテムから図形として何が抽出されるか、具体的な貝の想定から接近してみる。

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 この図解から分かるのは、点を含む円と四角形は、どちらも貝から抽出されることだ。

 この成り立ちをみると、円と四角形、十字と三角形の関係は次のようになる。

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 十字は、円や四角形、言い換えれば、貝を分割する図形として現れる。そして、四角形を十字で分割した結果として三角形は現れることになる。

 まず、だから、「十字」とはどちらかといえば、トーテムに由来し抽出されている。

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 これは、右手尺骨頭部に「十字」が滅多に現われない理由でもあると思う。

 また、三角形は四角形(トーテム)を分割することで出現する。これは、初期の「霊魂」が、分解された「霊力」のように考えられたことを意味するのではないだろうか。それは、徳之島の霊魂の捉えられ方と符合する。

 奄美、沖縄では、霊魂の数を増やすことが「霊力」を増すこととして捉えられている。そのことも、霊魂が、分割された霊力として捉えられたことを示唆するように思える。徳之島の霊魂図形は、奄美、沖縄における霊魂の捉えられ方を記憶したものなかもしれない。

 宮古島   もうひとつの霊力
 奄美・沖縄 分割された霊力

 これが、それぞれの初期の「霊魂」観だということになる。


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2016/12/03

「貝」から「十字」へ

 尺骨頭部について、「貝」の文様展開を一望してみる。

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 沖永良部島の「貝」ほど具象的なデザインはないので、左端に位置づける。四角形と円の貝は、具象的な例がないため段を下げた。

 ここに尺骨頭部以外の部位の文様も加えてみる。

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 この遷移で重要なのは、円、四角形、十字はどれも「貝」から析出されることだ。

 ただ、十字については、「蝶」文様からも得ることができる。

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2016/12/02

徳之島流刺青

 徳之島は、琉球弧のなかで突出して複雑な文様を生み出していた(参照:琉球弧の「針突き(tattoo)」デザイン)。この島でハンズキと呼ばれた刺青(tattoo)には、まだ奥行きがあるかもしれない。

 徳之島の手の甲の刺青は、この文様を基本要素にして、三つのタイプの文様が組み立てられていた。

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 左そのものが最も多く、次いで真ん中の系列、右の系列になる。どれも上の基本形を文様の要素に組み込んでいるのが分かる。

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 この基本要素は、尺骨頭部にも現われるが、尺骨頭部にはもうひとつ頻出する文様がある。

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 これは一見すると、上の基本要素とは異なるものに見える。この文様は右手に多く出現するので、左手の尺骨頭部文様と対応させてみる。

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 こう配置してみると、右の文様が左の文様の四つ角をいちど分離し、180度回転させて、十字の内側に食い込ませることで生み出されているのが分かる。つまり、このふたつの文様は、つながってるのだ。これは、ふたつが同じものであることを意味している。

 同様の成り立ちは、宮古島の手の甲に追加される文様についても見られた。

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 ただ、宮古島の場合、左の「トゲヤ」をひと筆書きすることで、右の「ハサミ」が得られたが、徳之島の場合、図形の分解と再構成が行なわれていて、ここでも徳之島が霊魂思考を発揮させているのが分かる。

 ここで重要なことに気づかされる。

 徳之島の尺骨頭部の文様の再構成と、基本要素を並べてみる。

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 ここで刺青は、「点・線」から「面」へと発達すると仮定すれば、左から右への文様の遷移を想定できる。

 これらが意味としては同じ文様だとしたら、徳之島の尺骨頭部と手の甲はどれも同じ文様のバリエーションだということになる。思い切って文様が生み出される順序を想定してみれば、下図が得られる。

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 基本要素を重ねた〔1〕は、手の甲で最も頻出する文様だ。それに次ぐ〔2〕は、基本文様の背景に四角形を持ち、〔3〕はふたたび起点の文様を包括している。

 驚くことに、手の甲だけでも30種類以上ある多様な文様はどれも「同じ」なのである。そして、これが何を意味するかといえば、起点のデザインが示すように「貝」である。これは、〔1〕の文様が「米の花」(三宅宗悦「南島婦人の入墨」)と呼ばれていることにも符合する(貝-太陽-花)。徳之島では霊魂思考によるデザイン化が突出している。しかし、徳之島でもやはり霊力思考が豊かなのである。

 こうしてみれば、宮古島を除く他島では、尺骨頭部の文様が左右で異なるのが原則なのに、徳之島ではその原則は壊れ、左右共通であることや、左右が逆転することも理解できる。要するにどれも「貝」なのだ。

 しかし、尺骨頭部は、左がトーテムの座であり、右が霊魂の座だった。それは何より重視される要素だった。その原則はどこへ行ったのだろう。

 それがつまり、手首内側の「蝶」なのではないだろうか。ぼくたちは、これまで尺骨頭部というより、手首が重視されてきたのではないかと仮説してきた。その考えにしがたえば、徳之島では尺骨頭部は左右ともトーテムの座であり、手首内側に霊魂の座を設けたということだ。

 そこで、徳之島文様の典型例を挙げることができる。

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 ここまできてようやくぼくたちは徳之島の刺青を理解するところまでたどり着いたことになる。徳之島は、基本要素を元にした組み立てという方法で他の島には見られない多種の文様を生み出した。それだけではなく、その配置においても最も重視された尺骨頭部の意味の組み換えを行っている点でも独自であり、まさに徳之島流ともいうべきデザインを開発したのだ。

 最後に、左手の尺骨頭部に現れるたった一例の文様を挙げよう。

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 これは何だろう。蟹あるいは、殻のないヤドカリに見える。これは「貝」から、蟹、ヤドカリへとトーテムが追加されていったとき、こうした文様も生み出された痕跡なのかもしれない。






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2016/11/24

「蝶」が霊魂の化身である根拠

 ぼくたちは「蝶形骨器(ちょうがたこっき)」は、蝶をモデルにしていると考えてきた。(参照:「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌)

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(図1.蝶形骨器、真志喜安座原第1遺跡)

 それは「蝶」に似ているからということに加えて、琉球弧では、蝶が「死者」や「霊魂」の化身と言われていることも、この理解を促してきた。

 なぜ、蝶が「死者」の化身なのか。それは、初期の家屋内あるいは周辺で死者を葬り、殯を行なったとき、死体に群がった蝶を、死者が蝶に姿を変えたものとして見なしたからだと考えられる。

 では、なぜ蝶は「霊魂」の化身でもあるのか。ぼくはこの点は、「死者」の延長で捉えたものと見なしてきたが、実はもっと深い根拠はあったのかもしれない。頭部の真ん中にある「蝶形骨(ちょうけいこつ)」だ。

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(図2.蝶形骨

 これもまた蝶に似ているし、蝶形骨器にも似ている。

 島人が「人間の内部にいる人間」(フレイザー)として「霊魂」の概念を持ったのは、この頭蓋骨内部の「蝶」を媒介にしたのではないだろうか。それは、「人間の霊が骨、特に頭蓋骨に留まるという信仰」(松山光秀『徳之島の民俗〈1〉』)とも見事に符合している。

 洗骨の過程で、頭のなかの「蝶」を見出した時、「蝶」は死者の化身であるだけではなく、霊魂の化身でもある根拠が見出されたのだ。

 また、ぼくたちはまた「蝶形骨器」は、シャーマンが後頭部に装着したと見なしてきたが、そこは「蝶形骨」の位置し具合からみても、とても自然なことも分かる。

 付け加えれば、霊魂が鼻や口、後頭部の首筋から抜けると言われてきたことも、子供の背守りが襟首につけられるのも、とても自然な考えだ。これらのことは、身体内部の「蝶」が霊魂の発生を媒介したことを意味しているのではないだろうか。





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2016/11/20

アイヌの口唇文身モチーフは鮭ではないだろうか。

 ばくぜんと「熊」だと思ってきたが、そうではなく、アイヌの口唇文身のモチーフは、「鮭」なのではないだろうか。

 そう思ったのは、北アメリカのハイダ族のカジカを表した顔面彩画を見てのことだ。

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(フランツ・ボズ『プリミテヴアート』)

 カジカという魚は釣り針や、すねあての毛織物のモチーフになり、トーテムポールにも描かれるからハイダ族のトーテムのひとつと見なしていいだろう。

 カジカは、人間の顔面に彩画で描かれる場合、[彩画を施される人の]唇の直上に描かれる二本の棘で示されるのが一般的である。(フランツ・ボアズ『プリミティヴアート』)

 実際、カジカには鰓蓋上に棘がある。その棘を口元にはっきりと表現しているわけだ。ハイダ族の場合、文身ではなくペインティングだが、これはアイヌの口唇文身に似ている。

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(児玉作左衛門、伊藤昌一「アイヌの文身」『人類学・先史学講座. 第3部』)

 少なくとも魚トーテムを描く場合、口元に着目する例があるのは参考になる。そしてハイダ族のカジカは、アイヌにとっては鮭(サケ)だ。

 ここで、もうひとつ連想を呼び起こすことがある。

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(鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』)

 琉球弧の文身の場合、沖縄島では、年齢階梯ごとに文様の場所を増やし、あるいは大きくしていった。上図は、糸満の場合だが、老人の域に達した最後の「針突き」では、文様を一気に広げている。左手の甲の拡張形は「扇」と呼ばれ、那覇ではこれが円形で「ティナー」と呼ばれた。右手甲は、糸満では「丸」と記されているが、これは「ティナー」と同じ意味だ。

 「扇」は、(女性器=貝)の象徴であり、「ティナー・丸」は、(太陽=貝)の象徴である。これは貝トーテムを意味しているから、文様を拡張することは、貝としての精霊(カミ)に近づく、あるいは半分、精霊(カミ)になることを意味していた。実際、琉球弧では、古老は神(カミ)として敬われてきた。

 琉球弧の例を踏まえると、アイヌの口唇文身が、徐々に文様を広げることにも視点を持つことができる。これは鮭トーテムに近づくことを意味していたのではないだろうか。

 アイヌの口唇文身の場合、最初、上唇の溝を埋めるように文身が施されている。これは鮭の幼魚に見られる斑点(パーマーク)を象徴化したものに見える。あるいは、幼魚には口上にも実際に斑点が付いているのかもしれない。

 そして長ずるにつれて、厚い唇に見える鮭の口の特徴が描かれていくことになる。上に剃りあがる曲線は、鼻曲がり鮭に特徴的な鮭の口の曲線を意識しているようにも見える。

 アイヌの口唇文身が「鮭」をモチーフにしているとしたら、琉球弧の文身と同様に、文身拡張は「鮭」トーテムへの変態を意味していると考えられるのだ。

 これはまだ詰めが甘いが、ひとつの仮説として書き留めておきたい。


『プリミティヴアート』








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