カテゴリー「61.珊瑚礁の思考イベント」の16件の記事

2017/06/15

「魂のふるさとを訪ねて」(新企画イベント)

 新潮社の「波」に「境界紀行」を連載中の谷川ゆに(吉田麻子)さんとペアで、新企画「魂のふるさとを訪ねて」というイベントを行ないます。

 谷川さんが昨年、吉田麻子名で出版した『平田篤胤』は好評を博しているので、お読みになった方も多いことでしょう。(参照:『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』

 谷川さんが現在、「境界紀行」でやっているのは、言わば縄文的な身体性で本土や琉球弧を捉えるという試みですが、それにぼくが、琉球弧の方から応答する形で対論を組みます。言ってみれば、原始と現代、本土と琉球弧に共鳴の回路をつくろうというもの。大きなテーマだけに多少ビビッてますが、面白いと思います。

 初回は、太宰治の「うちへ帰る」(『人間失格』)という言葉を手がかりに、「うち」とは「この世ならぬ世界」、「魂のふるさと」ではないかと掘り下げる谷川さんに対して、それが、琉球弧からみればどの段階の野生の思考に当たり、それが本土ではどのような現れ方をしているか、喜山が言及していくことになるでしょう。

 7月1日ですので、お時間ある方はぜひ目白に足をお運びください。

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2016/12/06

「『母ぬ島』が蘇らせる野生の琉球美」(珊瑚礁の思考カフェ Vol.6)

 12/14(水)は、 写真家・仲程長治の写真集『母ぬ島』の刊行を記念して、仲程さんの写真を見ながら、写真の舞台である石垣島の魅力や、その撮り方を存分に語ってもらいます。

 『母ぬ島』はビジュアル・コンセプト・ブックとしても提示されているので、野生の琉球弧の美意識にも迫れたらなあと思っています。トーテムや神話、童名にも。

 そんな野生の思考に接近できるのも、仲程さんの写真が豊かだから。どんなお話しが聞けるか、ぼくも楽しみです。

 以下、ご案内です。

◇◆◇

 仲程長治の写真に出会ってから、自分の眼で島を見るのを止めた。もういっそそう言ってしまいたくなる魅力が、仲程さんの写真にはあります。『母ぬ島』は、石垣島の生き生きとした野生の美に満ちていて、島の自然は衰えているという見方が思い込みに過ぎないことを教えます。むしろ衰えているのは、わたしたちの見る眼なのかもしれません。

 今回の企画は、単に美しい作品を「見る」というだけではなく、仲程長治の眼差しが「何を捉えているか」、その本質に迫ります。


12月14日[水]19:00~21:00 [18:30開場]
参加料:1500円

千代田区西神田 2-4-1( 財 ) 東方学会新館 2F

主催:ユージンプランニング
予約・お問い合わせ:
ユージンプランニング(平日 10時~17時)

Tel 03-3239-1906 /Fax 03-3239-1907
E-mail manabiya@yujinplanning.com
*ご予約の際はお手数ですが、イベント名をご明記下さい。


仲程長治(なかほど・ちょうじ)

1959年石垣島生まれ。20代の頃より沖縄県内であらゆる分野のアートデザインを手がける。2008年より東京、沖縄、韓国、スイスにて写真展覧会を開催。2015-2016年、朝日新聞デジタル「&w」にて、フォトエッセイ「琉球グラデーション」を連載。

2017年公開予定の映画『カーラヌカン』(浜野安宏監督/Gackt主演)では、スチール並びに劇中写真の撮影を担当。現在は、琉球・沖縄の時代と世代をつなぐカルチャーマガジン『モモト』のアートディレクター、株式会社との専属写真家として活動中。公式サイト:http://choji-nakahodo.jp 


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『母ぬ島』


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2016/09/20

「科学&神話」空間としてのサンゴ礁(珊瑚礁の思考カフェ Vol.5)

 告知を忘れていました。第5回「珊瑚礁の思考カフェ」(9/26)は、「「科学&神話」空間としてのサンゴ礁」というテーマです。

 白化が気になる今年のサンゴ礁ですが、カフェでは、地球惑星学の茅根創教授をお招きして、「琉球列島のサンゴ礁地形」と題して、琉球弧にどのようにサンゴ礁が形成されていったのかをお話しいただきます。

 後半はぼくが、琉球弧のサンゴ礁に島人は何を見ていたのか、どういう神話空間として捉えていたのかをお話しします。

 科学と神話と。いままでに聞いたことないサンゴ礁世界を味わうことができると思います。時間のご都合のつく方、ぜひいらしてください。


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9月26日[月]19:00~21:00 [18:30開場]
参加料:1500円

千代田区西神田 2-4-1( 財 ) 東方学会新館 2F

主催:ユージンプランニング
予約・お問い合わせ:
ユージンプランニング(平日 10時~17時)

Tel 03-3239-1906 /Fax 03-3239-1907
E-mail manabiya@yujinplanning.com
*ご予約の際はお手数ですが、イベント名をご明記下さい。


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2016/08/14

「ニライカナイの原像」スライド(「珊瑚礁の思考カフェ」第4回)

 8/10の「ニライカナイの原像」のスライドです。海の彼方にあると言われるニラカナイははじめからそうだったのではなく、初期には身近な島や地下にあったこと、そしてそこには神話的な折り重ねられていることがお伝えしたかったポイントです。そのことを念頭に見ていただければ、ある程度内容はつかめると思います。

 また、当日ご紹介した安斉紗織さんの作品もスライドに入っています。ただ、安斉さんの彩色写真画は、デジタル画像ではその魅力を伝えきれないので、オリジナルをご覧になるのを強くお勧めします。

 当日の様子は、安斉さんがブログでも紹介してくださっています。感謝。

 「珊瑚礁の思考カフェで「ニライカナイの原像」に出会う。」


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2016/08/08

「世界の中の日本の宗教」(梅原猛)

 「ニライカナイの原像」の日が近づいてきているところで、梅原猛の『日本人の「あの世」観』を視野を届かせておくことにする。「世界の中の日本の宗教」という講演録だ。1988年のものだから、もう28年前のものではある。

 梅原は、従来の日本および日本文化の理解が「農業文化を中心とする一元論的解釈の上に立って」いることに不満だったが、アイヌと沖縄に縄文文化を見い出した。そこに原「あの世」観があり、それを理想型として捉えるのだという。

 梅原によれば、それは四つの命題に集約される。

 1.あの世は、この世と全くあべこべの世界だが、この世とあまり変わらない。
 2.人が死ぬと魂は肉体を離れて、あの世に行って神になる。
 3.人間だけではなく、すべての生きるものには魂があり、死ねばその魂は肉体を離れてあの世へ行ける。
 4.あの世でしばらく滞在した魂は、やがてこの世へ帰ってくる。誕生とは、あの世の魂の再生に過ぎない。

 ぼくが「ニライカナイの原像」で付け加えたいと思っている理解があるとしたら、原「あの世」は、海の彼方でも山の頂でも天でもない、具体的な場所を身近に持っていたことだ。死者には居場所があったのである。そのことの現在的な意味を充分に言うことはできないが、少なくともこの点は隠され続けてきていると思える。このことからすれば、「あべこべの世界」は、それほど強調すべきことでもないと思う。

日本人のあの、原「あの世」観なるものは、人類の「あの世」観のごく原初的な形態であり、恐らくは、旧石器時代に形成されのではないか(後略)。

 ぼくの考えだと、原「あの世」は旧石器時代には遡るかもしれないけれど、少なくとも人が死を発見して以降というのがより正確になる。

 また、梅原は再生について、「個は死にますが、魂は、再び別の個に宿って生き続けるというわけです」と書いている。ここでいう「個」は、個人というほどに際立った「個」ではなく、「別の個」と言っても母系の系譜を同じくする誰かなのだから、身近な誰かというのが当たっていると思う。それは梅原が言うように遺伝子と言い換えても同じことがいえる。「神」になるというのも、精霊に近い「カミ」としたほうが「原」のイメージに適っている。梅原のいう「原あの世」は段階を設定することでより立体的に捉えることができると思える。

 

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2016/08/03

「ニライカナイの原像」6

 8月10日の「ニライカナイの原像」で、安斉紗織さんの彩色写真を紹介できることになりました。

 たとえば、「太陽の花」。実際の写真に手で色を施していくというのが彩色写真で、安斉さんが始めた方法です。

 ただ、オリジナルを見るとよく分かりますが、画像とはかなり印象が変わります。当日も、画像でしかお伝えはできないのですが、どこか田中一村の作風を思い出させる、しかし繊細できめ細やかな独自な世界は当日、きちんとお伝えします。

 安斉さんは、6月に「みるやかなやの花」という個展を開いています。「ミルヤカナヤ」は「ニライカナイ」の古形の言葉です。こう書けば分かるように、当日の「ニライカナイの原像」とテーマが寄り添っています。そしてただ寄り添っているというだけでなく、「ニライカナイの原像」のイメージとも重なるものを感じています。

 そこで、安斉さんの作品何点かを通じながら、「ニライカナイの原像」のイメージをより豊かなものとしてお伝えできればと願っています。


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2016/08/01

「ニライカナイの原像」5

 8月10日の「ニライカナイの原像」に向けて、ニライカナイをモチーフにした作品を渉猟してみているのだが、その原像に呼応するものになかなか出会えない。ニライカナイ雰囲気作品や気分作品はあるのだけれど。

 これかなと思えたのは、こんな発言だ。

50年前、初代ウルトラマン撮影当時に、金ちゃん(金城哲夫)の口から、ニライカナイという不思議な響きの言葉を聞いたことが確かにありました。(「「ウルトラマン50年」 第二回」

 ああ、金城哲夫。ウルトラマン、ウルトラセブン。灯台下暗しだった。「ニライカナイの原像」を探るということは、「光の国」の所在を訪ねることと同じなのかもしれない。

 「光の国」を解くこと見つけたり、「ニライカナイの原像」。


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2016/07/28

「縄文のエロス」(「珊瑚礁の思考」-シマウタ編)

 直前になってしまいましたが、7月30日土曜日に「縄文のエロス」と題して、「珊瑚礁の思考」のシマウタ編をやります。

・魚のユングトゥ(西表島)
・ペンガントゥレー節(黒島)
・赤馬(沖縄島恩納)
・パイケダー・ユンタ(新城島)
・ムングルクバーザ(石垣島)
・テジャク節(沖永良部島)

 これらの曲を持田明美さんが歌うとともに、ぼくはアマン世・クバヌハ世(縄文期)の心がどのように現われているのか、または引き継がれているのかという解説を試みます。

 なかでも、「魚のユングトゥ(西表島)」と「ペンガントゥレー節」は、縄文期の心がまっすぐに表現されているので、ひときわ味わい深くなること、請け合いです。特に「魚の(イューヌ)ユングトゥ」は、これまで解説されたこともないので、この曲を取り上げること自体に価値を感じています。

 シマウタはよく知られるようになったとはいえ、まだぼくたちが味わいきれてない作品たちはたくさん眠っているのでしょう。それらを発掘して、シマウタの世界観を広げていきたいと思っています。ご都合のつく方は、中野のモモカルデンにいらしてください。


 7月30日[土] 18:00~20:00 [17:30開場] 参加費\2,000(1ドリンク込み)
 場所:東京都中野区中央2-57-7 カフェ・モモカルデン tel:03-5386-6838


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2016/07/24

「ニライカナイの原像」4

 「ニライカナイの原像」をよく伝える神歌に出会うことができた。

 祝女葬式のオモイ(大宜味村字城)

 今日祝女愛し エイエイ
 月の崖 越え給い エイエイ
 太陽の崖 越え給い エイエイ
 乗り板に 乗り給い
 脇板に 乗り給い
 石の門に エイエイ送ろう
 金の門に エイエイ送ろう (『国頭郡誌』)

 たとえば、「太陽(てだ)の方位」で駒木敏は書いている。

 「月ばんた」「太陽ばんた」を越えて送られるノロの行く先は、一体どこなのであろうか。明確に表現されてはいないけれども、それは月や太陽によって可視的に方向づけられる、彼方のニライと考えてよいであろう。(「人文学」1988)

 祝女は新しくはないが、シャーマンの葬送としてこの神歌は相当古いと思える。月はもうひとつの太陽であることが示されているし、ニライカナイへの道行きが、ニライカナイへの原像への道行きと重なり合ってイメージできるようになっている。

 


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2016/07/22

「ニライカナイの原像」3

 8月10日の「ニライカナイの原像」に来てくれる人のメリットを考えてみるに、死者やあの世に対するもともとの感じ方、考え方が分かるというこかなと思います。「祟る」とか「穢れ」とかではない、それ以前の観方。そして聞いたら、自分の故郷の縄文の「あの世」を探索してみたくなるのではないかと予想します。

 そしてそれはいまとても求められていることなんじゃないかと思ったりもします。いま、いろんな民俗学的な記述を読むときに、ここは縄文のあの世を示唆していると思えたら、備忘するようにしています。記述者はもちろんそんな問題意識で書いていないのですが、縄文の「あの世」の痕跡は伝承や地名に残されているので、当たりをつけることができます。そこには、穢れや祟りの観念がかぶさっていたり、人間ではない動物の精霊が祀られていたり、それらが複合して分かりにくくはなっているものの、確かな手応えを感じさせる場所もあります。

 代表的なのは、五島列島の福江島にあるとされている「みみらくの島」がそうです。「みみらくの島」にしても伝説化されているので、福江島のどこかということははっきりしていないのですが、そこにひとつの解答というか、仮説を提示することはできるので、そのことはお話しします。

 自分でも理由がよく分からないけれど、そういう縄文の「あの世」探究に夢中になっています。でもそれは単にぼくが欲しているというだけではないんじゃないだろうか。

 そう思うのは、『震災の霊性学』などで書かれている幽霊の話や、教訓型や追悼型ではない、記憶型と呼ばれる新しい慰霊碑のあり方が、縄文の「あの世」のあり方と相似しているからです。いまのぼくたちは、死者やあの世を祟りや穢れと見なしたり、供養するといった形を採ったりして、縄文期からははるかに遠ざかっているわけですが、それでも心の層としては縄文期の感じ方を色濃く持っている。だから、震災のような思いがけない死に際しては、そうした心の層が噴出してくるのではないかと考えたりしています。むしろそれは、かつてあった過去ではなくて、未来の感じ方としてぼくたちがふたたび自分のものにしていいものなのかもしれません。そういうことをお伝えできればと思っています。


8月10日[水] 19:00~21:00 [18:30開場] 参加費\1,500

場所:学び舎遊人
東京都千代田区西神田2-4-1
(財)東方学会新館2F

予約先:
tel:03-3239-1908 
email:
manabiya@yujinplannning.com

 
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0.プロフィール 1.与論島クオリア 2.与論・琉球弧を見つめて 3.与論の地名 4.奄美の地名 5.琉球弧の地名 6.地域ブランドをつくる 7.小説、批評はどこに 8.島尾敏雄 9.音楽・映画・絵画 10.自然の懐 11.抒情のしずく 12.祖母へ、父へ 13.超・自然哲学 14.沖永良部学との対話 15.『しまぬゆ』との対話 16.奄美考 17.『海と島の思想』 18.『ヤコウガイの考古学』を読む 19.与論砂浜 20.「対称性人類学」からみた琉球弧 21.道州制考 22.『それぞれの奄美論』 23.『奄美戦後史』 24.『鹿児島戦後開拓史』 25.「まつろわぬ民たちの系譜」 26.映画『めがね』ウォッチング 27.『近世奄美の支配と社会』 28.弓削政己の奄美論 29.奄美自立論 30.『ドゥダンミン』 31.『無学日記』 32.『奄美の債務奴隷ヤンチュ』 33.『琉球弧・重なりあう歴史認識』 34.『祭儀の空間』 35.薩摩とは何か、西郷とは誰か 36.『なんくるなく、ない』 37.『「沖縄問題」とは何か』 38.紙屋敦之の琉球論 39.「島津氏の琉球入りと奄美」 40.与論イメージを旅する 41.「猿渡文書」 42.400年 43.『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』 44.「奄美にとって1609以後の核心とは何か」 45.「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」 46.「奄美と沖縄をつなぐ」(唐獅子) 47.「大島代官記」の「序」を受け取り直す 48.奄美と沖縄をつなぐ(イベント) 49.「近代日本の地方統治と『島嶼』」 50.「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ 51.『幻視する〈アイヌ〉』 52.シニグ考 53.与論おもろ 54.与論史 55.「ゆんぬ」の冒険 56.家名・童名 57.与論珊瑚礁史 58.琉球弧の精神史 59.『琉球列島における死霊祭祀の構造』 60.琉球独立論の周辺 61.珊瑚礁の思考イベント 62.琉球文身 63.トーテムとメタモルフォーゼ