仲里効は、新川明、川満信一、岡本恵徳の三者について、「魔のトライアングル」と呼んでいる。
近現代を貫いて沖縄民衆の意識を同化主義的に染め上げた復帰思想を裂開し、超え出ていく〈反復帰〉論の名とともに強烈な思想の戦線を構築した新川明、川満信一、岡本恵徳の文の抗争は、私たちにとって避けては通れない門になり壁となった。かつて私は三者の影響力を思い余って「魔のトライアングル」と呼んでみた。思想の強度ゆえの離脱し難さについて言いたかったからである。いわばその三辺が作る囲いのなかに捕捉され、思想のハジチ(突針)を施されたわけであるが、その吸引力と格闘しいかに抜け出していくのかが私たち世代の思考を特徴づけていく。
それなら、「魔のトライアングル」とはどのような三角形か。『沖縄の思想』
に収録された、新川明の「「非国民」の思想と論理 沖縄における思想の自立について」、川満信一の「沖縄における天皇制思想」、岡本恵徳の「水平軸の思想-沖縄の共同体意識について-」から探っていく。
まず、「沖縄と本土」という構図への接近の仕方から、三者の立ち位置を見てみる。
新川明。
沖縄(人)にとって日本(人)とは、国家権力もその国民である被支配者・民衆も、十把ひとからげに同質のヤマトゥであり、ヤマトゥンチュである。沖縄(人)から発せられる土着の言葉としてのヤマトゥ(ヤマトゥンチュ)が包括する概念は、まさにそのような意味内容を備えた言葉として存在するのである。まさしくその点に、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の、思想的弱さがあることは争えない事実だとわたしは考えるが、しかしそれと同時に、まさしくその点にこそまた、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の思想的強さ、その強固なる可能性が深く秘められているといわなければならないと考えるのだ。
川満信一。
沖縄人の「心理」一般とか、沖縄の「利害」一般というものはほとんどの場合ないといってよい。そのような意識や幻想をつくり出すのは、全体という名分のもとに特定の目的を達成しようとする特定の階級または組織だけである。かつての蘇鉄地獄の時期においても沖縄内で米の飯を飽食している層はあったのだ、という至極単純な事実から「差別」論の思想的欺瞞性を見破ることはた易いことなのである。
制度的差別の問題にしても、差別された制度の内側ではその差別のほとんどを下層の被支配者に転嫁していく重層の差別制度が成り立たないという根拠はどこにもない。また制度が改革されても階級社会では改革された制度施行システムのなかにいわゆる「差別」は活きる。したがって本土対沖縄というような無階層の差別論は、すくなくとも思想としては無意味だし、その方法では下層民のカオスの深みに錘鉛をおろし続けるのも不可能だといえる。
岡本恵徳。
沖縄の被害者意識が、つねに「本土」とのかかわりにおいて発想されるということ、すなわち日本国民であることに、対峙するものとして沖縄の人間があり、そのことによって「本土」対「沖縄」という平面化した把握があって、そのために沖縄を等質化して被害者のように考える結果、「本土」に対する戦争責任の追求はあっても、沖縄内部でも責任追求を不可能にしてしまうのである。戦争というのが、国家と国家の対立であることが、いわば日本国民であることから一様にはみだした沖縄の人たちに、そのように受け取られることを一層可能にしたにちがいない。
新川は「沖縄」を絶対化し、川満はむしろ、「無階層の差別論」は思想的には無意味だとし、岡本は「本土と沖縄」の構図において、「沖縄」が均質化される理由の一端を述べている。少なくともここでは、新川と川満の見解は対立している。
新川が、「十把ひとからげに同質のヤマトゥ」と見なすことは「思想的弱さ」であるが、同時にそれは「思想的強さ」であるとする流れは、この引用だけからは、理由が分からないので、もう少し足してみる。
だがしかし、沖縄が所有した歴史的、地理的条件の所産として、日本(人)に対して持つ根深い差意識=異質感を、国家否定の思想として内発させ、これを持続的な反国家権力のたたかいの思想的拠点とすることによって、そのような対日本知覚(認識)はすぐれて階級性を持つだけでなく、たたかいの主体がみずからの所有してきた歴史性をそのたたかいの基底に引き据えることで、真の意味の科学性を持ち得るといえるだろう。沖縄(人)の対ヤマトゥ認識における思想的の強さとはそのことにほかならない。
やっぱり分からないのだが、「本土と沖縄」を通貫する「階級性」より、「本土」と「沖縄」が別個の「階級性」を持つと言いたいのだと受け取るしかない。ここにあるのは、論理というよりは情念だ。
それは「独立論」に対する認識にも現れている。
わたしのいう、日本相対化のための沖縄の異質性=異族性の主張が、それらの人々にみられた退行的な独立論発想の琉球ナショナリズムと無縁であることはいうまでもない。それは〈国家としての日本〉を破砕するための思想的拠点として、-つまり現在の国家体制(日米安保体制に支えられた)を成り立たせるために不可欠の要件となっている沖縄の存在の内側から-〈国家としての日本〉を突き刺し、その国家体制を破砕するエネルギーを噴出させていくために、日本との決定的な異質性=異族性をつき出していくことによって同化思想で培養される国家幻想を打ちすえるという意味においていっているのである。
「沖縄の異質性=異族性の主張」は、あくまで「日本相対化」のためであって、「退行的な独立論発想の琉球ナショナリズム」ではないと言う。しかし、「退行的」かどうかはともかく、「独立論発想の琉球ナショナリズム」と有縁であったことは時の経過とともに自身が証明してしまった。独立論への言及の分かりにくさも、論理であるよりは情念であるためだと思える。
「独立論」についても、川満は、「国家体制への埋没志向にすぎない民族独立」とはっきり相対化している。岡本はどうか。
戦後沖縄でめざましい動きをしめしたものに、沖縄の伝統文化の復活と隆盛があり、また“沖縄独立論”がその内容の無意味さにかかわらず、ある程度の心情的な共感を得ているのは、沖縄戦のさ中での日本国家の崩壊と、その後国家をあたえられなかったということで、すくなくとも自分たちの拠りどころは沖縄以外にはありえないのだという意識と、一世紀に近い廃藩置県以後の歴史の記憶が結びついて出てきたのだといえるし、戦後世代が、沖縄自立の思想を考え、国家を相対化する思想を構築しなければならないと決意するその思想的な基盤は、かかって沖縄の戦争体験(戦中の愛国心と戦後の空白を含めた)の中にひそんでいるといえるのである。
「本土と沖縄」の構図の由来を語るように、「独立論」の由来を、岡本は語る。語るけれども、吟味はしない。そういう態度が感じられる。「沖縄」を絶対化する新川、相対化する川満、「沖縄」に理解を寄せる岡本、と言えばいいだろうか。
新川は、「非国民」と言うだけあって、その国家否認の思想からは、「母なる祖国」、「異民族支配からの脱却」、「同一民族として本来の姿に立ちかえる」、「子が母を恋ふる」と形容される「復帰」が幻想に過ぎないことをはっきりさせている。しかし、その国家否認は、日本否認の裏返しであるため、両者はときに混同されたままに話しが進むので、論理よりは情念が噴出されている。新川は国家否定を言うのなら、その思想を徹底させなければならなかったと思う。あるいは、日本否認の情念を、国家否定の装いを施さずに思想化すべきだった。それが中途半端なために、「思想的弱さ」はそのままにされ、国家否認が日本否認へ横滑りしてしまうのだ。
岡本は、「本土と沖縄」とは別に「階級性」についても、理解を示している。
ところで、こういうあたらしい支配の形態に対する抵抗の原理として、「階級的視座の確立」が要求されるということがある。そのことは、原理的に正しい問題の提起のしかたであるが、しかしそれが、これまで述べてきたように、過去において強烈に機能し、現に復帰運動の中でも機能している「共同体的生理」の機能と構造を正確に対象化することを通してなされないかぎり、その理論は沖縄に生き、定着することはすくないのであり、かつて成功したような国家からの支配、「共同体的生理」の機能を巧妙にとらえたかたちで行なわれる新しい支配を阻止する力にになりえないと考える。
岡本は、このことを、あの古くて新しい山之口貘の詩、「会話」から掘り起こしている。この詩の、「女」からとらえられた「僕」と、「僕」自身のとらえた「僕」のあいだのどうしようもないずれ。相手には語る言葉がある。それに対して、こちらも返そうとするのだが、それが言葉にならない。その、言葉にならないものは何か。という問いを介して、「共同体的生理」という言葉は掴まれていると思える。
では、その「共同体的生理」を形成するのは何か。それが岡本のいう「水平軸の発想」だ。言ってみればそれは、「横へのかかわりにおいて人間関係をとらえようとする発想の仕方」だ。そこでは、「人間関係は、支配・被支配などの上下関係としてよりも、「位置」と「距離」が自分に近接しているかどうかのかかわりとして、より強く機能しているようにみえる」。
これはぼくたちの眼からは、国家を志向する発想を持たないことを意味していると思える。それは、岡本の「沖縄の思想」の展開自体についても言える。
「本土」の人たちにとって自明の前提である、「日本国民」であるというのは、沖縄の人たちにとって決して自明ではありえなかった。それはむしろ成長していくにつれてみずから獲得していく意識であった。とりわけ戦後世代にとってはそうであったといえる。沖縄の戦後世代にとっては、日本国民であるより前に、沖縄の人間であったのだ。
かつ、
沖縄の風俗や習慣や言語を保持したままで、沖縄の人間は日本国民でありうるのだし、またそうでなくてはならないのだという考え方はほとんど根付かなかったように見える。
そのため、「日本国民」になることが、「沖縄」の否定によるほかなかった、ということだ。
しかし岡本はここで興味深い視点を出していると言える。沖縄人にとって「日本国民」は自明ではなかった。それは、近代以降そうだったという面と、敗戦から日本復帰までは、名実ともにそうだったという面を含んでいる。米軍支配時には、「米国民」でもなければ「日本国民」でもなかった。この「戦後の国家の空白」は、復帰世代に特有のものだった。そうだとしたら、この空白期の意味を通じた、国家(無化)構想が生まれる可能性を持っていたということを意味している。そのような試みは無かったのだろうか。
少なくともここでの岡本は、その視点を挿入しながら、そこへ向かうのではなく、「沖縄」の否定による「日本国民」の獲得の方へ、議論を進めている。ここでも言い換えると、これは、「沖縄」において、国家と社会は分離されておらず、それが一体となった共同体として捉えられていることを示していると思える。そこでは、「水平軸の発想」のために、国家構想を生むこともない。
実は岡本はここで不問に付していることがある。「日本国民」は自明ではなかった。しかし、「“自然的存在”として意識されていた「日本人」意識」と、「日本人」意識はあったというのだ。もし、岡本がここで立ち止まってくれたら、つまり、自らの「日本人」意識の自明さを組み込んでいたら、彼の示す「沖縄」への理解をもう一段、踏み込む可能性となったはずだ。岡本は、「沖縄」の「水平軸の発想」を抽出した。しかし、その岡本自身も「水平軸の発想」にとどまり、そこから出ようとしていないように見える。そこにはがゆさを感じる。
三者のなかで思想的にもっとも遠くまで歩んでいるのは川満信一だと思える。ただ、「沖縄における天皇制思想」は、うまく掘り下げられているとは言えない。しかしそれは、これらの論考から半世紀近くを経た現在だから言えることもあるから、そのことを具体的に言うことはしないけれど、当時において捉え損ねていると思う点のみを挙げてみる。
白い被衣を着て、神歌をうたいながら村のお嶽で踊る司女(のろ)たちの祭式にくらべて、天皇(制)にまつわる種々の儀式は、いってみれば「異神」の祭として感受されていたように思う。そういうわけで、天皇信仰も天皇(制)思想も、主体のなかに核を形成しないうちに戦乱へ投げ込まれたため、なんら血液のなかに澱をつくるものとはなり得なかった。
天皇信仰の定着の度合いはともかく、全体として、沖縄の天皇信仰は急速に冷めてしまった、とみてよい。
これは事態を的確に捉えていないのではないだろうか。天皇信仰は、現在も生きているからである。ここで、「下層民のカオスの深みに錘鉛をおろし続ける」ことができていたら、この論考も、もう少し立ち止まらせるものを持てたのではないかと思える。
「魔のトライアングル」とは、どういう三角形だろうか。それぞれの頂点が指し示す特徴は、新川明における「沖縄」の絶対化、川満信一における「沖縄」の相対化、岡本恵徳における「沖縄」の内閉化、だ。内閉化が言い過ぎであるとしたら、内在化と言ってもいい。これが三角形の入口の目印になる。
この後、「沖縄の思想」はどう展開されただろうか。
『琉球共和社会憲法の潜勢力: 群島・アジア・越境の思想』


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