カテゴリー「60.琉球独立論の周辺」の69件の記事

2016/09/21

『問題は英国ではない、EUなのだ』(エマニュエル・トッド)

 エマニュエル・トッドは以前、英国はEUから離脱すると言っていてそんなことはあり得るのかと驚いたが、実際そうなってしまった。で、『問題は英国ではない、EUなのだ』も読んでみることにした。

 トッドによれば英国のEU離脱の動機は移民問題ではなく、イギリス議会の主権回復だった。それはふだんはおとなしい英国の労働者階級の反抗であり、そこにはグローバリゼーションに対する疲労がある。

 トッドはこれを歴史的な推移として見ている。英国が近代化のリーダーだったことを忘れてはいけない。その英国が自ら先鞭をつけたグローバリゼーションの流れからいち早く抜け出ようとしている。それは近代国家の再構築というモデルなのだ。

 米国でドナルド・トランプが支持を得ているのも同じ流れのなかにある。「彼らは、国家としてのアメリカの再建を夢見て、グローバル化の言説からの解放を要求している」のだ。

 イギリスのEU離脱は、西側システムという概念の終焉を意味しています。今後はどのような再編もあり得ます。これは、冷戦の真の終わりです。

 そこでありうるシナリオは、国民国家の再構築に着手するか、さらなるグローバリゼーションの荒波にさらされるか。トッドが英国のEU離脱を歓迎する理由がこれで分かる。

 社会と国際関係の安定を望む民衆は、過剰なまでのグローバリズムの進展に小休止を呼びかける権利を持っているのではないでしょうか。(中略)経済的格差の拡大、スケープゴートを求めてイスラム恐怖症という妄想のカテゴリーを生み出す背景です。イスラム恐怖症をこれ以上蔓延させないためには、そういった民衆の希望を考慮する必要があるはずです。

 トッドは、適切な言葉か分からないが理念を掲げた思想家ではなくリアリストであるから、国民国家を至上のものと考えているわけではない。

課題は日本を含めた先進国世界に共通だと考えています。急速なグローバリゼーションを受けて、貿易はどんどん開かれた状態になり、各国間の経済波及効果はいまだかつてないレベルにまで高まっています。それは基本的には良いことだと思いますが、あまりに性急だった感は否めません。所得格差は拡大し、高等教育の発展によって市民集団の同質性は溶解しました。

 こういう発言を見ても、彼が呼びかけているのは「小休止」だというように見える。

 トッドが懸念しているドイツについては、日本と照らしても興味深い視点が見られる。トッドに言わせれば、ソ連ブロック崩壊後の米国のロシアに対する過酷な政策は「戦略的にとてつもない過ち」だった。

 ドイツ人は、第二次世界大戦における米国の勝利を正統なものと見做していません。(中略)ナチス・ドイツと熾烈に戦った連合国側兵士の九〇%がロシア人だったということを、ドイツ人は知っているからです。

 だから、米国のロシア政策は第二次世界大戦が無かったかのごとくの仕打ちだった。そこでトッドが言うのは、「その結果、ドイツは自国の過去から解放されました。つまり、反ロシア政策をとったことで、米国はドイツに対するコントロール力を失ったのです」、ということだ。

 ドイツもまた、第二次世界大戦処理に米国の欺瞞があるのを知っていること、日本に比べたらはるかに戦前の克服に努力しているように見えるドイツも、過去からの解放を感じたこと、そのドイツが移民問題に開放的になるのは野望という以外にも、戦前回帰という評価への恐れを持っているだろうことが推察されてくる。

 トッドに言わせれば、「ヨーロッパをめぐる今日の最大のパラドクスは、不安定なドイツがヨーロッパのイニシアティブを握っているという点」にあるということになる。

 人口や教育の視点からみれば、米国は安定化に向かい、ロシアは復活し、中国超大国論は神話に過ぎない。そこで日本への提案としては、安定した対外関係は安定に向かう国との関係から得られるから、日本のパートナーにふさわしいのは米国とロシアだということになる。その際、「アメリカの尊厳を傷つけないようにする必要がああります」という辺り、トッドが単なるパズルとして考えているわけでもないことが分かる。

 トッドは、「日本人自身が自分たちの国が危険な国であると必要以上に思い込んでいる」とも指摘する。それにはそう思うだけの理由もある。トッドの見通しに頷かされるように言えば、戦前回帰型のナショナリズムに陥らずに国民国家を再構築することが課題であるように思えた。

 


『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』

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2016/09/19

『琉球独立への経済学』(松島泰勝)

 『琉球独立宣言』のときと同様、松島への提案から入りたい。『琉球独立宣言』では、「琉球」の対象から奄美が外れていた。

 今回の「経済学」では、それはこのように注記されている。

 本書では琉球の範囲として、1609年に島津藩が琉球を侵略して奄美諸島を直轄領とする時期までは奄美諸島、沖縄諸島、宮古・八重山諸島を琉球とするが、それ以降は、沖縄諸島、宮古・八重山諸島を琉球とする。これは琉球を分断して統治する、日本の琉球に対する、日本の琉球に対する植民地主義の傷跡でもある。琉球文化圏という言葉から明らかなように、琉球の島々はサンゴ礁の島々から構成され、歴史的、文化的な多くの共通点を持ち、動植物も類似しており、日本による植民地支配からともに脱することができよう。

 こういう認識であれば、『琉球独立宣言』の感想でも書いたように「奄美」をその範囲から除外する必要はない。ぼくがもっとも重視するのも、松島が書いているようにサンゴ礁の島々から構成される琉球文化圏であり、それは縄文期から醸成されている基盤の強いものだから、1609年の他律的な出来事を機に区別する必要はないのではないだろうか。今回は、沖永良部島や奄美大島の「自己決定権」についても言及されているのだから。そこが今回も同様の提案になる。

 また、ありがたいことにぼくの書いた『奄美自立論』にも触れているところがあるので応答したい。

喜山が指摘するように「奄美は琉球ではない、大和でもない。だが琉球にもなれ大和にもなれ」と、奄美は二重の疎外を受けてきた。奄美が鹿児島県、沖縄県のどちらかに帰属することによっては、二重の疎外から脱することはできないだろう。大きなものに帰属すれば、そこからまた新たな悲劇の歴史が生まれるだけである。島に住む人間の自己決定権の行使によってしか、400年間の植民地支配から解放されないことを、沖永良部島の集いやシンポから学んだ。

 原則的にはそうだ。二重の疎外は、薩摩が奄美を直轄領としながら、それを清や幕府に隠蔽するという複雑で根暗い政策に淵源している。その構造は近代以降、個人の生の困難としても立ち現われたが、もともと外的な政治要因によって生まれたものであれば、それを解除することによって、疎外の一部を除くことはできると思える。

 新たな琉球国に参加する島もあれば、単独で独立する島、日本国にそのまま残る島のように、島に応じて対応が異なるであろう。それぞれの島人の自己決定権を認めてこそ、琉球国は自由で民主的な国になることができる。

 こういう、たぶん驚かれるだろう国家像を提示しているのであれば、なおのこと琉球独立以前に、帰属の問いかけがあっていいのだ。

 琉球国は、近代国民国家のような国家主義に基づく国にはならない。琉球の人々の人権を抑圧する日本政府の植民地主義から解放されるために、国という政治的枠組みを使うのである。

 たぶん、国家機関説とでも言うような仮象の国家像に新しさもあれば隘路も潜んでいる。けれどもまた磨くだけの価値はあるとも思う。


『琉球独立への経済学: 内発的発展と自己決定権による独立』

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2016/09/18

「米比防衛協力強化協定の概要と締結の背景」(波照間陽)

 波照間陽の「米比防衛協力強化協定の概要と締結の背景」(2014)。

 そもそも米西戦争を経て、20世紀初頭には、米国はフィリピンにスービック海軍基地とクラーク空軍基地を持っていた。太平洋戦争を経て独立したフィリピンの基地を維持するため、1947年米国とフィリピンは軍事基地協定に調印。

 その際、99年間米国に提供するという内容になっていた。1959年の改定で、基地協定の基準を99年から25年に短縮することが決められる。その後1965年の交渉で、1991年に失効することが規定される。

 この91年の失効を前に、フィリピンは民主主義に移行し、コラソン・アキノ政権下で、91年の失効後、外国軍による基地の使用については上院の承認等が必要となることが規定された。これは国民投票で80パーセントの支持を得た新憲法による。

 段階的縮小と延長使用を提案する米国と折り合いがつかず、交渉は1年以上にわたる。その91年、ピナツボ山が噴火し、クラーク基地が多大な損害を被る。その修繕にかかる5.2億ドルと見積もられた費用について、米国議会は拠出を認めず、クラーク基地はフィリピンに返還されることになった。92年にはスーピック基地からも撤退を完了。

 しかし、イスラム系組織の反政府活動、南沙諸島の領有権をめぐる周辺諸国との対立などに対し、フィリピン政府は防衛能力の向上を図ることが困難な状況にあり、98年に米軍のフィリピンへの寄港と一時滞在を認める協定を結ぶ。

 2014年、米軍がフィリピン軍の基地を使用し、航空機や艦船の事前に配備することが可能となる防衛力強化協定が結ばれる。この協定の背景には、「南シナ海における中国の強硬な行動」があると考えられる。

74年、当時の南ベトナム政府軍と中国軍が西沙諸島をめぐって交戦し、中国が全ての島嶼を制圧した。88年には、南沙諸島のサウスジョンソン礁をめぐって同二国間で武力衝突が発生し、ベトナム側に80名近くの犠牲者を出した。(中略)94年、フィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁に中国が構㐀物を建設した。(中略)2012年4月、ルソン島西岸から約 200キロメートル沖に位置するスカボロー礁付近で、違法操業する中国の漁船を発見し、取り締まろうとするフィリピン海軍を中国海監が妨害した結果、両国の監視船が対峙する事態が発生した。(中略)さらに、2014年2月、スカボロー礁付近で、中国の海洋監視船がフィリピン漁船に放水し、海域から追い出した。この行動から、中国が同礁を実行支配しつつあると言える。

 この状況を鑑みれば、「フィリピン政府や軍にとって EDCA(今回の協定-引用者)は歓迎されるものである」。しかし、「しかし、中国は米比新協定を自らに対する封じ込め戦略として受け取り、警戒感を高めている。中国との敵対関係が進行することも危惧される」。

 波照間はここで、「米比間の新協定は沖縄とって必ずしもプラスになるとは言えない。それは、米国と中国の対立がこれまで以上に高まると考えられるからである」としている。

 波照間の論文を引いたのは、数日前のドゥテルテ大統領の米軍依存を辞めるという示唆を受けて、これまでの経緯を押さえておきたかった。それにしても、91年の撤退まで、フィリピンには90年前後にわたり米軍が駐留していたわけだ。しかも交渉はアキノ政権から始められたわけではなく長期に及んでいる。ピナツボ山の噴火という自然災害も後押ししている。

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2015/11/29

「船と戦争-記憶の洋上モデル-」(西村明)

 叔父が二人、戦死している。一人は中国の厚生省の病院という記録はある。ただ、南洋と聞いたこともある。船員だったというのも聞いたことがある気がする。この辺り、はっきり知りたいと最近、思うようになった。乗っていた船が撃沈されてという亡くなり方は、対馬丸をはじめ、知人づてに耳にしてきた。叔父もそういう可能性があるのだと思う。

 しかし、船で亡くなるのがどういうことなのか、西村明の「船と戦争-記憶の洋上モデル-」(「思想」2015.8)を読むまではうまく想像できなかった。というより、想像したことがなかったというのが正確だ。西村が体験者から聞き取りしたところでは、それは「多くの死体とおもに漂流を続けるという事態」だった。もちろん、生き延びた時間があった場合のことだ。

敵も観方も、生者と死者も、個々人が何者かを問わず漂い、相互に出会う場が現出している。

 こういうことなのだ。しかも、そうやって見ている者も、生と死の境界にある。死が浸蝕してきて、生はぎりぎりまで追いつめられているような、生と死を両方含んだ領域だ。

 軍人軍属の死亡率21.8%に対して、汽船関係船員のそれが43.1%、就航船の撃沈率が88%というから、いかに船が危険であったか分かるし、撃沈率にいたっては言葉を失う。しかも、「軍犬、軍馬、軍鳩、その下に船員」という自嘲や、「天皇の軍隊はあっても天皇の船員はなかった」という怨恨に見られるように、地位も低かったということも初めて知った。

 夜間の運行は、敵艦に見つからないように、船は遮蔽される。だから、気温が上がる。機関室ともなれば焦熱だ。彼らはそれを「地獄」と形容している。

 そうした船の戦死者の洋上慰霊は、無縁死者の慰霊形式である「地蔵流し」というスタイルが採られてきたという。

不特定多数の死者に向けられた数多くの絵像が、海上を流れ、漂い、やがて海中で霧散霧消する。より正確には、細かい繊維に分解して沈んでいくのである。ある面から見れば、撃沈した船とともに沈んだ、あるいは脱出した後に海に漂い沈んでいった船員や民間人、将兵たちの最期をパフォーマティブに反復する儀礼にも見えるが、むしろ田中丸さんの散骨や戦時期の水葬のように、改めて沈める(シズメる)ために行なわれた儀礼として理解しておくべきだろう。

 これは洋上での水葬の際、漂流しないように、棺を沈めるのに倣ったものだ。文中に出てくる田中丸さんは、父母の遺骨とともに散骨を希望した方だ。なぜ、散骨か。田中丸さんの父が船員で、戦場で死んだ仲間を水葬したことが負い目となっていて、それを希望していたのだという。なんともやりきれないが、そうだろうなあと納得されてくる。戦後70年の年、語られていないことはまだあるということを知らされるようだった。

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2015/11/21

『沖縄発―復帰運動から40年』

 川満信一の1998年の回顧。

 そのように叙情化したかたちで「国」を求めるというのは話にならない(「母の懐へ帰ろう」、「祖国」-引用者)。沖縄は日本の敗戦処置として切り離され、米軍の直接統治下におかれた。「国」の都合でくっつけられたり切り離されたりする。「国」というのは、なぜか日本で成立している「一民族・一文化・一国民」という奇妙な概念で成立しているのではないのです。私たちはそれを米軍による二十七年間の直接占領下において骨身にしみて知ってしまいました。ですから、日本に復帰するといっても、その前提に「日本はどういう国であってほしいか」「日本が正しい方向を向くために、沖縄になにができるか」といった問題意識のある復帰でなければだめだ、というのが、当時言っていた反復帰論なのです。

「同一民族」ということを前提にして「復帰」が唱えられるのですが、そんなものはどこにもあるわけはないし、また、みんなが望んでいるような理念を体現した近代国家などどこにもない。憲法のような自然法ももとには実際に支配・統治していくための実定法があり、しかも日本においてはもうすでに憲法の理念さえも風化している。そのような状況で、憲法原則だけを旗印にして「祖国に帰る」と言うのは幻想にしかすぎないと批判したんです。

 いまから見ると、川満は的確に「復帰」を捉えていたのだと思う。

歴史的経緯に基づく独立論は、要するに恨みつらみで「日本から離れてしまえ」という論にいきつかざるをえない。異質文化論に基づく独立論も、「おまえとはやっていけないから、三行半だ」という形になっていく。しかし日本国家の特殊性・歪みと近代国家の限界性を越え、自己存在および社会の異なるシステムを考えようとする自立・独立論は、単に日本VS沖縄という図式では処理できない問題を抱えてしまいます。

 独立論に対しても。

 しかし、

 (前略)吉本隆明氏の『異族の論理』は、確かに刺激的な論文だったし、僕にとっても参考になった。けれど僕は『異族の論理』を読みながら、こう受け止めた。「吉本さん、あなたは日本民族ということを根底的に放棄しようと思ったことはありますか? あなたは日本国民であることを根底的に自己破壊しようと思ったことはありますか? あなたが『異族』としてセッティングしているところの沖縄というのは何なのですか? あなたが日本民族として自分のしっかりした場を持っているから、そこへ『異族』という形での措定がなされているのではないでしょうか」。戦後沖縄を論じるならそこまで問い詰めて下さい、という読み方をしました。

 う~ん、川満さん。そこは自身を問うてほしかった。上記のような的確な状況判断を行なう川満にあって、「国民」や「民族」が、幻想性をまとっていることを突き詰めてほしかった。

 この本でもっとも印象的だったのは、戦中のこと。日本の兵隊は、御嶽にたくさんいる青大将を捕って食べていた。ところが、宮古では青大将は神様。

お婆ちゃんたちは「ヤマトプリヌム(大和狂人)たちは神様の皮を食べているから、ゆくゆくろくなことはない」と言っていましたね。

 宮古もそうだったのか、ということと、「ヤマトプリヌム」という言葉が与論と同じなので、よくわかった。
 

『沖縄発―復帰運動から40年』


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2015/11/16

『沖縄の戦後思想を考える』(鹿野政直)

 鹿野政直は、沖縄の戦後思想をテーマに一冊をものにしている。とはいえ、鹿野の主張は控えめで、さまざま思想の担い手たちの紹介に留めているので、この書を思想の概観を捉えるガイドブックとして読むことができる。

 テキストのように、ここからさまざまなテーマに斬りこんでいけるはずだが、まずは、「復帰運動観」を一瞥してみる。

 鹿野は、その思想的な意味を「自己決定の追求」としている。

 ただその場合、自己決定の自己とは何かが問われる必要があります。こういう問いの立て方は、精神的にきついでのすが、あえてその問いをまえに、こんな構図を描きたいと思います。主語を沖縄人(沖縄の人びと)とし、「国民」という言葉に照らすとき、琉球処分に始まる時期は、「沖縄の人びとが「国民」へ連行されていった時代」、それにたいして占領を基底条件とする戦後は、「沖縄の人びとがみずから「国民」であることを求めていった時代」とする構図です。それは、一つの落とし穴へのめりこんでいった思想といえるかもしれません。とともに、そこに発揮された主体性・能動性ゆえに、自立への芽を内在させていたということができます。つまり倒立した自立思想とでもいうべきものでした。

 ここでいう「落とし穴」とはどういう意味だろう。「国民」になるということが、沖縄のことなど方便としてしか見ていない日本という国に対して行われたことを指しているだろうか。そこでは、自己決定の追求は、逆にますます自己喪失につながるものとしてしか現れない。そこで、自立思想は、「倒立」したものにならざるをえない。ひとまず、そう受け取ってみる。

 鹿野の視点は、ある側面を照らしてくれるので興味深いが、琉球処分以降、復帰運動には、通底するものを見いだすのも重要だと思える。それを探せば、「国民」化を通じた自由と平等の獲得への希求と捉えることもできる。また、琉球処分と復帰運動と異なるもの、復帰運動のなかに新たに加わったものがあるとすれば、「異民族支配」からの脱却を通じて、「国民」化を果すという層だ。そしてそこには、自由と平等というなかに、「平和憲法」に象徴された「平和」が含意されていた。戦後、日米安保と憲法九条は、日本に組み込まれたが、あたかも「日米安保」は沖縄が担い、憲法九条は沖縄が担うという割り振りが行なわれたかのように、ことは推移し、また今もそのままだからである。

 「国民」化の指標を、共通語を話せるということに求めれば、現在では、沖縄の「国民」化は果たされているので、個人の感性ベースでは、自由と平等を実感できるところまで至っている。ただ、「基地」の分布でいえば、依然として自由と平等は獲得されていないことになる。ここで、「国民」化に対する疑問は反発となり、別の「国民」への希求が生まれることになる。

 

鹿野政直 『沖縄の戦後思想を考える』


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2015/11/14

「魔のトライアングル」とは、どういう三角形か。

 仲里効は、新川明、川満信一、岡本恵徳の三者について、「魔のトライアングル」と呼んでいる。

 近現代を貫いて沖縄民衆の意識を同化主義的に染め上げた復帰思想を裂開し、超え出ていく〈反復帰〉論の名とともに強烈な思想の戦線を構築した新川明、川満信一、岡本恵徳の文の抗争は、私たちにとって避けては通れない門になり壁となった。かつて私は三者の影響力を思い余って「魔のトライアングル」と呼んでみた。思想の強度ゆえの離脱し難さについて言いたかったからである。いわばその三辺が作る囲いのなかに捕捉され、思想のハジチ(突針)を施されたわけであるが、その吸引力と格闘しいかに抜け出していくのかが私たち世代の思考を特徴づけていく。

 それなら、「魔のトライアングル」とはどのような三角形か。『沖縄の思想』に収録された、新川明の「「非国民」の思想と論理 沖縄における思想の自立について」、川満信一の「沖縄における天皇制思想」、岡本恵徳の「水平軸の思想-沖縄の共同体意識について-」から探っていく。

 まず、「沖縄と本土」という構図への接近の仕方から、三者の立ち位置を見てみる。

 新川明。

沖縄(人)にとって日本(人)とは、国家権力もその国民である被支配者・民衆も、十把ひとからげに同質のヤマトゥであり、ヤマトゥンチュである。沖縄(人)から発せられる土着の言葉としてのヤマトゥ(ヤマトゥンチュ)が包括する概念は、まさにそのような意味内容を備えた言葉として存在するのである。まさしくその点に、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の、思想的弱さがあることは争えない事実だとわたしは考えるが、しかしそれと同時に、まさしくその点にこそまた、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の思想的強さ、その強固なる可能性が深く秘められているといわなければならないと考えるのだ。

 川満信一。

 沖縄人の「心理」一般とか、沖縄の「利害」一般というものはほとんどの場合ないといってよい。そのような意識や幻想をつくり出すのは、全体という名分のもとに特定の目的を達成しようとする特定の階級または組織だけである。かつての蘇鉄地獄の時期においても沖縄内で米の飯を飽食している層はあったのだ、という至極単純な事実から「差別」論の思想的欺瞞性を見破ることはた易いことなのである。
 制度的差別の問題にしても、差別された制度の内側ではその差別のほとんどを下層の被支配者に転嫁していく重層の差別制度が成り立たないという根拠はどこにもない。また制度が改革されても階級社会では改革された制度施行システムのなかにいわゆる「差別」は活きる。したがって本土対沖縄というような無階層の差別論は、すくなくとも思想としては無意味だし、その方法では下層民のカオスの深みに錘鉛をおろし続けるのも不可能だといえる。

 岡本恵徳。

沖縄の被害者意識が、つねに「本土」とのかかわりにおいて発想されるということ、すなわち日本国民であることに、対峙するものとして沖縄の人間があり、そのことによって「本土」対「沖縄」という平面化した把握があって、そのために沖縄を等質化して被害者のように考える結果、「本土」に対する戦争責任の追求はあっても、沖縄内部でも責任追求を不可能にしてしまうのである。戦争というのが、国家と国家の対立であることが、いわば日本国民であることから一様にはみだした沖縄の人たちに、そのように受け取られることを一層可能にしたにちがいない。

 新川は「沖縄」を絶対化し、川満はむしろ、「無階層の差別論」は思想的には無意味だとし、岡本は「本土と沖縄」の構図において、「沖縄」が均質化される理由の一端を述べている。少なくともここでは、新川と川満の見解は対立している。

 新川が、「十把ひとからげに同質のヤマトゥ」と見なすことは「思想的弱さ」であるが、同時にそれは「思想的強さ」であるとする流れは、この引用だけからは、理由が分からないので、もう少し足してみる。

 だがしかし、沖縄が所有した歴史的、地理的条件の所産として、日本(人)に対して持つ根深い差意識=異質感を、国家否定の思想として内発させ、これを持続的な反国家権力のたたかいの思想的拠点とすることによって、そのような対日本知覚(認識)はすぐれて階級性を持つだけでなく、たたかいの主体がみずからの所有してきた歴史性をそのたたかいの基底に引き据えることで、真の意味の科学性を持ち得るといえるだろう。沖縄(人)の対ヤマトゥ認識における思想的の強さとはそのことにほかならない。

 やっぱり分からないのだが、「本土と沖縄」を通貫する「階級性」より、「本土」と「沖縄」が別個の「階級性」を持つと言いたいのだと受け取るしかない。ここにあるのは、論理というよりは情念だ。

 それは「独立論」に対する認識にも現れている。

 わたしのいう、日本相対化のための沖縄の異質性=異族性の主張が、それらの人々にみられた退行的な独立論発想の琉球ナショナリズムと無縁であることはいうまでもない。それは〈国家としての日本〉を破砕するための思想的拠点として、-つまり現在の国家体制(日米安保体制に支えられた)を成り立たせるために不可欠の要件となっている沖縄の存在の内側から-〈国家としての日本〉を突き刺し、その国家体制を破砕するエネルギーを噴出させていくために、日本との決定的な異質性=異族性をつき出していくことによって同化思想で培養される国家幻想を打ちすえるという意味においていっているのである。

 「沖縄の異質性=異族性の主張」は、あくまで「日本相対化」のためであって、「退行的な独立論発想の琉球ナショナリズム」ではないと言う。しかし、「退行的」かどうかはともかく、「独立論発想の琉球ナショナリズム」と有縁であったことは時の経過とともに自身が証明してしまった。独立論への言及の分かりにくさも、論理であるよりは情念であるためだと思える。

 「独立論」についても、川満は、「国家体制への埋没志向にすぎない民族独立」とはっきり相対化している。岡本はどうか。

 戦後沖縄でめざましい動きをしめしたものに、沖縄の伝統文化の復活と隆盛があり、また“沖縄独立論”がその内容の無意味さにかかわらず、ある程度の心情的な共感を得ているのは、沖縄戦のさ中での日本国家の崩壊と、その後国家をあたえられなかったということで、すくなくとも自分たちの拠りどころは沖縄以外にはありえないのだという意識と、一世紀に近い廃藩置県以後の歴史の記憶が結びついて出てきたのだといえるし、戦後世代が、沖縄自立の思想を考え、国家を相対化する思想を構築しなければならないと決意するその思想的な基盤は、かかって沖縄の戦争体験(戦中の愛国心と戦後の空白を含めた)の中にひそんでいるといえるのである。

 「本土と沖縄」の構図の由来を語るように、「独立論」の由来を、岡本は語る。語るけれども、吟味はしない。そういう態度が感じられる。「沖縄」を絶対化する新川、相対化する川満、「沖縄」に理解を寄せる岡本、と言えばいいだろうか。

 新川は、「非国民」と言うだけあって、その国家否認の思想からは、「母なる祖国」、「異民族支配からの脱却」、「同一民族として本来の姿に立ちかえる」、「子が母を恋ふる」と形容される「復帰」が幻想に過ぎないことをはっきりさせている。しかし、その国家否認は、日本否認の裏返しであるため、両者はときに混同されたままに話しが進むので、論理よりは情念が噴出されている。新川は国家否定を言うのなら、その思想を徹底させなければならなかったと思う。あるいは、日本否認の情念を、国家否定の装いを施さずに思想化すべきだった。それが中途半端なために、「思想的弱さ」はそのままにされ、国家否認が日本否認へ横滑りしてしまうのだ。

 岡本は、「本土と沖縄」とは別に「階級性」についても、理解を示している。

 ところで、こういうあたらしい支配の形態に対する抵抗の原理として、「階級的視座の確立」が要求されるということがある。そのことは、原理的に正しい問題の提起のしかたであるが、しかしそれが、これまで述べてきたように、過去において強烈に機能し、現に復帰運動の中でも機能している「共同体的生理」の機能と構造を正確に対象化することを通してなされないかぎり、その理論は沖縄に生き、定着することはすくないのであり、かつて成功したような国家からの支配、「共同体的生理」の機能を巧妙にとらえたかたちで行なわれる新しい支配を阻止する力にになりえないと考える。

 岡本は、このことを、あの古くて新しい山之口貘の詩、「会話」から掘り起こしている。この詩の、「女」からとらえられた「僕」と、「僕」自身のとらえた「僕」のあいだのどうしようもないずれ。相手には語る言葉がある。それに対して、こちらも返そうとするのだが、それが言葉にならない。その、言葉にならないものは何か。という問いを介して、「共同体的生理」という言葉は掴まれていると思える。

 では、その「共同体的生理」を形成するのは何か。それが岡本のいう「水平軸の発想」だ。言ってみればそれは、「横へのかかわりにおいて人間関係をとらえようとする発想の仕方」だ。そこでは、「人間関係は、支配・被支配などの上下関係としてよりも、「位置」と「距離」が自分に近接しているかどうかのかかわりとして、より強く機能しているようにみえる」。

 これはぼくたちの眼からは、国家を志向する発想を持たないことを意味していると思える。それは、岡本の「沖縄の思想」の展開自体についても言える。

「本土」の人たちにとって自明の前提である、「日本国民」であるというのは、沖縄の人たちにとって決して自明ではありえなかった。それはむしろ成長していくにつれてみずから獲得していく意識であった。とりわけ戦後世代にとってはそうであったといえる。沖縄の戦後世代にとっては、日本国民であるより前に、沖縄の人間であったのだ。

 かつ、

沖縄の風俗や習慣や言語を保持したままで、沖縄の人間は日本国民でありうるのだし、またそうでなくてはならないのだという考え方はほとんど根付かなかったように見える。

 そのため、「日本国民」になることが、「沖縄」の否定によるほかなかった、ということだ。

 しかし岡本はここで興味深い視点を出していると言える。沖縄人にとって「日本国民」は自明ではなかった。それは、近代以降そうだったという面と、敗戦から日本復帰までは、名実ともにそうだったという面を含んでいる。米軍支配時には、「米国民」でもなければ「日本国民」でもなかった。この「戦後の国家の空白」は、復帰世代に特有のものだった。そうだとしたら、この空白期の意味を通じた、国家(無化)構想が生まれる可能性を持っていたということを意味している。そのような試みは無かったのだろうか。

 少なくともここでの岡本は、その視点を挿入しながら、そこへ向かうのではなく、「沖縄」の否定による「日本国民」の獲得の方へ、議論を進めている。ここでも言い換えると、これは、「沖縄」において、国家と社会は分離されておらず、それが一体となった共同体として捉えられていることを示していると思える。そこでは、「水平軸の発想」のために、国家構想を生むこともない。

 実は岡本はここで不問に付していることがある。「日本国民」は自明ではなかった。しかし、「“自然的存在”として意識されていた「日本人」意識」と、「日本人」意識はあったというのだ。もし、岡本がここで立ち止まってくれたら、つまり、自らの「日本人」意識の自明さを組み込んでいたら、彼の示す「沖縄」への理解をもう一段、踏み込む可能性となったはずだ。岡本は、「沖縄」の「水平軸の発想」を抽出した。しかし、その岡本自身も「水平軸の発想」にとどまり、そこから出ようとしていないように見える。そこにはがゆさを感じる。

 三者のなかで思想的にもっとも遠くまで歩んでいるのは川満信一だと思える。ただ、「沖縄における天皇制思想」は、うまく掘り下げられているとは言えない。しかしそれは、これらの論考から半世紀近くを経た現在だから言えることもあるから、そのことを具体的に言うことはしないけれど、当時において捉え損ねていると思う点のみを挙げてみる。

 白い被衣を着て、神歌をうたいながら村のお嶽で踊る司女(のろ)たちの祭式にくらべて、天皇(制)にまつわる種々の儀式は、いってみれば「異神」の祭として感受されていたように思う。そういうわけで、天皇信仰も天皇(制)思想も、主体のなかに核を形成しないうちに戦乱へ投げ込まれたため、なんら血液のなかに澱をつくるものとはなり得なかった。
 天皇信仰の定着の度合いはともかく、全体として、沖縄の天皇信仰は急速に冷めてしまった、とみてよい。

 これは事態を的確に捉えていないのではないだろうか。天皇信仰は、現在も生きているからである。ここで、「下層民のカオスの深みに錘鉛をおろし続ける」ことができていたら、この論考も、もう少し立ち止まらせるものを持てたのではないかと思える。

 「魔のトライアングル」とは、どういう三角形だろうか。それぞれの頂点が指し示す特徴は、新川明における「沖縄」の絶対化、川満信一における「沖縄」の相対化、岡本恵徳における「沖縄」の内閉化、だ。内閉化が言い過ぎであるとしたら、内在化と言ってもいい。これが三角形の入口の目印になる。

 この後、「沖縄の思想」はどう展開されただろうか。

 

『琉球共和社会憲法の潜勢力: 群島・アジア・越境の思想』


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2015/11/13

『沖縄の民衆意識』(大田昌秀)

 大田昌秀の『沖縄の民衆意識』を読んだ。分厚くて最初たじろいたが、ジャーナリストの筆致で読みやすかった。ただ、書名に「民衆意識」とあるが、主に「琉球新報」、「沖縄新聞」、「沖縄毎日新聞」の動向や記事に拠るところが大きく、そこから推し量る「民衆意識」は、掘り下げるべき余地を残していると感じた。むしろ、大田が浮かび上がらせているのは「知識人の意識」だと思える。

 たとえば、近代以降の皇民化の動きに対して、「琉球新報」は書いている。

 故に吾人はこれを称して中央の政治家木馬に鞭うつの策という。けだしその数十万の人民をして彼らの父母を忘れしめ、彼らの歴史的記憶を湮滅し去りその人民の上に政治を施行せんと欲す。これすなわち県民を以って木馬となしこれに騎せんと欲するものにあらずして何ぞや。騎士如何に名手なりとするも、これに鞭うって何等の効果あるべからざるなり。幸いにして県出身の教育家中その人あるあり中央政府のこれらの政策に反対し、これをとりやめさえ本県人民をしてその由来するところをあるを知らしめ、以って鼓舞作興するところあり(1906(明治39)年)。


 大田は、「国民的同化」を鼓吹することを編集の基本方針にした「琉球新報」でさえ、こう書くようになったと指摘している。

 また、島袋全発の「郷土人の明日」について、大田は書いている。

 彼は、日本国民は、同化吸収の力に富んでいるから琉球人や朝鮮人の民族性を殊更に破壊しなくてもこれを同化することはたやすいことである。だから沖縄的なものを抹殺すべきではないし、いっぽう、県民自体も自らの長所は、人為的に伸ばし、一そう深くその国民性の内容を豊富に形づくるべく努めなければならないということを強調した。

 大田はこれを、「沖縄学」の台頭と同様、「けっきょく、より早くより完全な形で皇民化を促進しようとする時流の一側面でしかなかった」と指摘している。あるいはここには、柳田國男の民俗学が皇民化を補完したという、ときに見かける主張のような側面が胚胎しているかもしれない。けれど、琉球弧の場合、結果的に「民族性を殊更に破壊」することになったのだから、「琉球新報」や島袋の主張のようにはならなかった。また、大田は「時流の一側面でしかなかった」と書くが、それでも、彼ら知識人たちの主張が力を持てば、皇民化の一側面に過ぎなくても、「民族性を殊更に破壊」することにはならなかっただろう。

 でさえ、という意味では、「クシャメすることまで他県人を真似よ」と、説いた大田朝敷ですら、こう述べたという。

 日本は、きわめて長い期間、封建割拠的生活をへてきたので、言語風俗から住民の気質に至るまでいずれの地方も、かなり濃厚な地方色を帯びている。ところが、他の地方では解し難き方言を聞かされ、異なった風俗を見せられても、誰も怪しみもせず、そのためにその地方人の評価を軽減するようなことはない。が、ひとりわが沖縄県にかぎりなぜ総体的に差別待遇を受けなければならないのか。
 これは、言語風俗の相違から来るのか、気質や性格に相容れぬところがあるのか。民度に甚だしきへだたりがあるためなのか。種族が果して他の地方と異なるのか。あるいは、この他になんらかの原因が存するのか? と反問し、本県にたいする差別観念の由ってくるところを深く考慮し、その因果関係を明らかにするのはわれわれ沖縄県民たるものの、けっして軽々に看過すべき問題ではない。

 同化を主張していた人士でさえ、反論をするに至ったのに、なぜ、それは実現できなかったのか。大田は、教育界について、「郷土史も教えるべきだとする地元の教員とそれに反対する他府県出身の教師との間に隠微なあつれきがあった」と指摘する。

 この、「“沖縄的なもの”を蔑視する外来者の言動が、つねに蔑視感に苦しめられてきた地元民を刺激したといってよい」。大田によれば、下駄は相手に預けられているわけで、責任は相手にある、と言っているのだと思える。

 それはそうには違いないのだが、ここから民衆意識の掘り下げをしてほしいところだ。それはなされていないので、ぼくはここに民衆の積極的なのめりこみを見る必要があるのだと思う。そうでないと、この問題を充分に、自分たちのことに引き寄せられない気がする。

 この分厚い研究のなかで、大田は実に丹念に「知識人の意識」を追っていると思えるが、その大田自身が、もう少し、近代沖縄の「知識人の意識」からはみ出たところで書いてほしいという欲求が湧き上がってくる。

 大田は、「日本にとって沖縄とは何か、沖縄にとって日本とは何か」と問うている。「日本にとって沖縄とは何か」。領土拡張の欲求にかなった辺境であり場末である。「沖縄にとって日本とは何か」。近代に武力で併合を強いた文化の近い民族国家である。というのが初期形であ。そして、この初期の認識を日本はまだ脱し切れておらず、政権によっては露骨に再生している。というドライだけれど、これ以上の意味を国家に付与させないことが必要はのではないだろうか。これを「果てしない」問いにしない。つまり、そこに「祖国」というような過度の期待心情を持たないこと。それが、相手を過剰に見ないために必要なことだという気がする。もちろんここで、国家と社会は区別して捉えるわけだ。


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2015/11/09

『ジオエコノミクスの世紀』(イアン・ブレマー・御立尚資)

 Gゼロというコンセプトを提示したイアン・ブレマーだから、あまりにアメリカ政府に近い立場にいるジョセフ・ナイよりも、アメリカがさらに相対化されている印象を受けた(cf.「『アメリカの世紀は終わらない』(ジョセフ・ナイ)」)。だからといってブレマーがアメリカは衰退すると言っているわけではない。別の面から言えば、ナイの主張は紳士的なので、読んでいるうちにアメリカが実際のアメリカよりも紳士的に見えてくる錯覚を覚えるが、ナイの主張にはそういった感じはしなかった。ナイの議論は冷静で多角的だけれど、それ以上にブレマーの議論には風通しのよさがある。たとえば、

 今の若い世代は冷戦を知りません。親世代や祖父母世代と違い、こうした若者の多くはアメリカのリーダーシップが、アメリカ本国や世界にとって価値があるとは考えていないのです。

 こういう視点は、ナイから聞こえてくることはなかった。ナイが言及しないことでいえば、ブルマーは、エドワード・スノーデンにも言及していて、アメリカ政府が、ドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことで、メルケルは激怒し、結果、「アメリカの外交政策に対するドイツの援助体制が大きく崩れてしまった」と指摘している。

 インタビュアー(対談相手?)の御立尚資は、

 ある意味では、中国は第二次大戦前の私たちと同じ轍を踏むかもしれません。この心配がなくなれば、日中関係はもっと友好的なものに向かっていくのですが。

 と、いかにもな日本人の心配を投げかけている。それに対してブルマーは、「さらに厳しい状況」に言及している。が、それは軍事的な問題というより、中国は人口、経済、資源などの深刻な国内問題に直面していくことになるのに、「日本経済は、ますます中国の安定に依存するようになる」ことを挙げている。どうやらブルマーは、軍事より経済を重視しているように見えるが、それがはっきりするのは、「相互確証経済破壊」という概念だ。

 米ソ対立の際には、核攻撃は相互に壊滅的な破壊をもたらすことは目に見えているから、それゆえに応酬しあう可能性が低くなる「相互確証破壊」という概念が生まれた。「相互確証経済破壊」は、それを経済概念で応用して言っていることになる。「どちらの側にしても。自ら痛手を被らずに相手に打撃を与えることは難しくなる」とうことだ。

 そういう視点からみれば、台湾についても、

自主独立の精神を謳う野党・民主進歩党は、2015年後半の台湾総統選挙戦で返り咲きを果せそうですが、だからといって、それを機に米中が台湾をめぐって対立する可能性は低いのです。

 ことになる。「中国の脅威」言説が、妖怪のように徘徊しているなかで、ブレマーの議論は冷静に見える。

 日本に対する観方も新鮮なところがあった。

日本では、一連の経済政策である「アベノミクス」のさじ加減が難しく、さらには変動するアジアにおける自国の役割が不透明なために、国民は積極的な安全保障政策を支持したがりません。

 国際政治の論者は、国民の声を無視するか、現実を知らないと揶揄するかで議論を進めがちだが、そこに権利を与えていることが新鮮に思えるし、この観方が当たっているかどうかはともかく、共感できる。

 他にもあった。2013年に比べて、日本の地政学的状況は改善されている。ブレマーが言うのは次の三点で、

 1.安倍首相が歴史と戦争を語る際、「被害者感情を傷つける発言を控えるようになった」こと。
 2.中国指導部が国の改革政策に自信を深めている。近年の東アジアにおける一連の対立後に日本が対中投資を減らした事態が、中国経済と他国への評判に不必要なダメージをもたらしたことに気づいたこと。
 3.インドが領土をめぐって中国のライバルになりつつあり、それが「中国の日本に対する敵対心」を弱めるように作用すること。

 これまで読んできた論者は、安倍外交礼賛に走りがちなので、ここにも国民視点が生きていることに新鮮さを感じる。日本に対するアドバイスもある。

歴史を経て、日本は軍隊を持たない国になりました。これは平和主義な文化です。日本はその文化を大切に守ってきました。日本政府にアドバイスするのは非常に難しいことですが、あえて言わせてもらえば、国家安全保障問題にこだわりすぎないことが必要だと思います。
安倍首相の政治生命は、政権が国内経済を再生させられるか否かにかかっています。首相は自らの支持率を下げる覚悟で、改革の名の下に、一部の有力な国内産業と労働団体の特権にメスを入れるべきです。

米中の競争が激化して対立に発展しかねない世界で、日本がアメリカの重要な同盟国だという事実をうまく利用することです。中国の台頭が、アメリカの同盟国としての日本の価値を、イギリス、ドイツ、イスラエル、サウジアラビアの価値以上に高めてくれるのです。

今の日本の軍備拡張には自ずと限界があります。もとより日本の安全保障は、軍事力より経済に頼るところがはるかに大きいでしょう。軍事力に頼る道を選べば、最大の危険が伴い、最少の見返りしか得られません。

他のアジア諸国と通商や安全保障上の関係を深めれば、中国やアメリカが日本を犠牲にしてアジアを支配しようとする事態を確実に防ぐことができるのです。

 二つ目などほとんど賛成だ。もっと突っ込んで聞いてほしいところもあるが、御立はその役を果たしていないのが歯がゆかった。が、とても新鮮で、ぼくには受け入れやすい議論だった。

 

『ジオエコノミクスの世紀 Gゼロ後の日本が生き残る道』


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2015/11/08

『「戦後」の墓碑銘』(白井聡)

 『永続敗戦論―戦後日本の核心』の復習をすれば、白井は対米従属を永続化することによって、敗戦の否認を永続化することを「永続敗戦」と呼んでいる。だからこれは、「永続従属」と言っても、「敗戦の否認永続」と言ってもいいのだと思う。なぜ、対米従属をすると、敗戦の否認ができるのか。それは、戦前の支配層がアメリカの許しを得て、戦後の支配層に横滑りしたからである。横滑りしたと言っても、国内には支配の正統性を示す必要があるから、「敗戦」を「終戦」と言い換えることで、「敗北に終わった戦争を天災のごときものへと国民の心象風景のなかで転化させる」必要があった。ではなぜ、敗戦を否認するのか。それは敗戦の責任を取りたくないからである。と、こうなるだろうか。

 『「戦後」の墓碑銘』でも、白井聡の舌鋒は鋭い。こうした硬質な文体で状況をばっさばっさと斬ってゆく文体は、久しく見なかった気がする。いまでも、この文体で読者を得られることに驚かされもする。ただ、立て板に水のように流れてゆくので、欲をいえば、澱みがほしくなったが、今はそこに立ち入らない。

 白井は、永続敗戦者とは異なる人として江藤淳を取り上げているので、そこに入ってみる。

 とはいえ、「日米間の権力関係の変更」の鍵を米国の国策へのより「自主的な貢献」に見出し、それによって覇者たる米国との一体化を通して敗者から勝者への転身を図ることを以て「公的な価値の回復」が実現されると妄想する、標準的な親米保守主義者と江藤が根本的に異なるのは、自己の運命の主であるという立場を回復することによってわれわれが出会うのは「敗者である自己」にほかならないとされているためである。

 しかし、「改憲によって交戦権を回復することで日本人が本当の意味で生きることができるようになるという論理」は、「戦後日本が立派な国でないのはアメリカ製の憲法のせいだ」と米国の世界戦略を支持する人が言って憚らない、という奇怪な状況を生んできた」。これは「途轍もない逆説だった」、と白井は言う。

 ぼくもそう思う。そう思うから、生きて現在の状況を論じてほしかった。それには、「閉ざされた言語空間」が、「戦後民主主義」に与えた影響だけではなく、国民会議へと結集する流れに対する影響への考察を江藤に強いたはずだからである。言い換えれば、江藤が生きていれば、「閉ざされた言語空間」での考察の先に出てゆくことができたのではないかと思う。(cf.『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』)。

 もちろんこれは無い物ねだりなのだが、江藤を引き継ぐ論理の展開を見たいということだと言ってもいい。それは逆の立場に対しても言いうる。

これまでの改憲/護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない。

 ここで必要とされている「制憲権力」という問いに対する回答を、加藤典洋の『戦後入門』に見ることもできる。しかし、ぼくはこの本で初めて加藤さんの書くものに対して躓いてしまった(cf.『戦後入門』(加藤典洋))。加藤は、『戦後入門』を現実へのコミットを念頭に書いているが、開陳されている九条強化案は、理念に留まる。いや、理念でいいのだし、理念として打ち出したものと言うにとどめるのがいいと感じた。しかし、現在、必要なのは、現実と理念を埋める道筋を提示することだと思える。そういう意味では、「合理的で理性的でプラグマティックな態度」(「幻想の大国を恐れるな」)というエマニュエル・トッドの言い方にリアリティを覚える。欲張りにいえば、敗戦を正面から受け止めることができ、九条強化の制憲目標を持つ勢力によるプラグマティックな態度だ。これはありうる想定だろうか。
 

『「戦後」の墓碑銘』


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