『琉球列島における死霊祭祀の構造』を読み終えて
酒井卯作の『琉球列島における死霊祭祀の構造』を読み終えた。長い文章であるにも関わらず、次を読むのが楽しみでしばしば仕事をそっちのけにして読みふけっていた。そうできたのは、関心の所在が切実なものばかりだったということもあるが、視点の置き方がとても共感できるものだったので、心地よく読むことができたからだ。出身者であるものの薄ぼんやりとしか見えていない琉球弧のイメージに、細やかな視野を与えてくれるようで、久しぶりの雨に歓喜して根の一本一本から水を吸い込む植物のようだった。
もっとも関心を持ったのは、死者との添い寝やチンシダチャー(膝抱き人)のように、霊魂の転位が間を置かずに即時的に行われることだ。マブイ(霊魂)を移す行為がマブイを宿すことになる。だから、マブイを込めるまでは人間でなく、現在からみれば残酷に見える死産児の扱いも生まれるし、カジマヤーでの時間的な他界への疎外も生まれる。こうした即時的な霊魂の転位のあるところでは、霊魂の留まる場所という概念は発生しない。
言い換えれば、人間は、死と霊魂の転位との間の時間的なズレを意識した時、他界概念を生みだしたのではないかということだ。
もちろん、琉球弧で他界は発生していて、霊魂は一時、どこかに留まり、やがてそれが女性の体内に宿り、新たな生が誕生するという観念に移行もしている。けれど、その形態よりも、即時的な霊魂の転位の観念の方が強固だというのが、特異なのではないだろうか。あるいは、原初の段階の観念を残しているのが琉球弧だと言ってもいい。そこでは他界は無いと言っても、遍在していると言っても同義である。遠くはニライ・カナイから近くは、雨だれの下、竈の傍まで他界を表象するのは、その現れである。もう少し言えば、洞窟の奥にしてもニライ・カナイにしてもそれが他界概念を支配していないのは、他界の発生以前の在り方を残しているからではないだろうか。
共同幻想は対幻想や自己幻想と分化しているが分離はしていない。分化を機に、誰もが霊魂を見、憑依ることはできなくなり、巫覡としてのユタを生む。だが、分化直後の世界が生々しく残っているので、ノロもユタ的な力を発揮することができるし、普通の主婦が疾病や出産を契機にユタになることもできる。そして子供は簡単にマブイが抜けたりもする。
ミッシェル・フーコーは、臨床医学の側から、死は点ではなく徐々に進行するプロセスであることを指摘したが、琉球弧の島人は、それとは違う仕方で、添い寝をし、ムン祓いをし、マブイ別しを行い、喪屋で殯を行い、あるいは死の翌日、三日めに墓で故人の名を呼んだり、という過程を通じ、同じことを儀礼のなかで実践し知っていたということではないだろうか。
また、考えを新たに、というか、はっきりさせてくれのは、洗骨儀礼が14、5世紀に始まった新しいものであるということだ。しかし、単に新しい風習に過ぎないというだけでなく、それを再生信仰の機会に捉えているということが、琉球弧感覚なのだと思える。
『琉球列島における死霊祭祀の構造』は、可能な限り、遠い場所まで見に行っている気がする。この本は、これ自体が豊饒な珊瑚礁であるというだけでなく、ここから伝承や民譚の原典に向かう強力なハブにもなってくれる。貴重な、ラディカルな、重要な労作だと思う。ぼくにとって大事な本だ。
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