カテゴリー「58.琉球弧の精神史」の1006件の記事

2017/09/23

「先史琉球社会の段階的展開とその要因」(伊藤慎二)

 伊藤慎二は、那覇沖の慶伊瀬島(チービシ)にある神山島で荻堂式土器の「複数個体に属する土器片が表面採集され」たことを書いている(「先史琉球社会の段階的展開とその要因」『先史・原史時代の琉球列島~ヒトと景観~』2011)。

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 伊藤は、神山島について、「現在でも生活が困難な無人のごく小さな離島にまで、考古学的に判別可能なほどの一定の生活痕跡が残されていることが重要である」と書いている。ただ、神山島はその名と立地からすれば、那覇付近の島人にとっても「あの世」だとみなされるから、ここにある土器は生活痕跡というよりは儀礼にかかわるものではないだろうか。

 

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2017/09/22

「琉球縄文文化の枠組」(伊藤慎二)

 伊藤慎二は琉球弧の縄文時代(琉球縄文時代)を素描している(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)。

 伊藤が挙げる特徴を列記してみる。

 1.土器文化は縄文土器の範疇にあるのに、土器以外に着目すると、九州以北の縄文文化とは大きく異なる。

 2.前4期に属する貝塚が多く知られているが、それらは「非常に高所に形成された貝塚が多数認められる」。

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 3.「貝塚」と呼称されない遺跡からも、貝や魚骨が少量は出土する。先史琉球弧は、貝類採捕が基本にあって、そのうえで軸になる生業の比重をどこに置くかで各時期の特質が現れる。

 4.石鏃が稀にしか伴わない。狩猟に関する道具が非常に少ない。

 5.本格的な貝塚形成は前4期からだが、前5期からは「大規模な集落遺跡が台地上に営まれる」。

 6.海産資源は、サンゴ礁内で捕れるものばかり。外洋での漁撈の不顕著は、九州や台湾、サンゴ礁の発達した南太平洋島嶼の先史文化と比べても、かなり特異。

 7.貯蔵穴の検出例が非常に少ない。「食料を貯蔵する必要性が存在しなかったことを示唆しているとも考えられる」。

 8.サンゴ礁の豊富な解散植物資源というイメージとは裏腹に、内陸を主体とした生業活動が一般的(焼畑の可能性)。

 9.九州以北の縄文時代の住居址と比較すると、「極めて規模が小さい」。

 10.鹿児島県の住居址は「円形もしくは隅丸方形」が多く、中央に「掘り込み炉」が伴うが、北琉球弧におけるそれは、「長方形あるいは隅丸長方形」が目立ち、床面に不定形な焼土が残されたものが多数を占める。住居壁はサンゴ石灰岩を積み上げる。

 11.北琉球弧の土器が「極めて小形」。住居址や土器は。より少人数を対象にしていた。

 12.南九州や関東のような、極端に遺跡数が減少する時期が見当たらない。

 伊藤は、「爪形文土器」の入る余地がないのだとしたら、九州以北の縄文文化とは別に琉球列島の土器文化の起源を検討すべき必要があるのではないか、と書いている。

琉球縄文文化のこのような選択的受容現象は、九州以北の縄文文化が全日本的に共有していた世親的世界観の拒絶を表しているものと考えられるのである。(中略)琉球縄文文化は九州以北の縄文文化とは異なった精神的世界観を形成し所持していたことが予想されるのである。

 ここがぼくたちの探究のしどころでもある。

 
『琉球縄文文化の基礎的研究 (未完成考古学叢書 (2))』


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2017/09/20

「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」(伊藤慎二)

 伊藤慎二は、「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」(「縄文の力」(別冊太陽 2013)で、石板と土器のデザインを比較していた(参照:「土器口縁部の文様(伊藤慎二)」)。

 伊藤は、土器の似た文様を挙げながら、前4期の点刻線文系土器の文様を基本に、「同時期の別の伝統文様か奄美諸島の土器文様を組み合わせて新たに創出したのであろう」としている。

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 ぼくたちにはここにも「蝶」の表現を見ている。

 この土器や石板に見られる鋸歯状の文様は、たとえば祝女の衣装の袖口にその後継の姿を見ることができるのではないだろうか。

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(鋸歯紋縫い)

下野敏見『奄美・吐カ喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』


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2017/09/19

「いわゆる「獣形貝製品」について」(島袋春美)

 島袋春美は、従来の研究について、「「獣形貝製品」の系譜は「蝶形骨製品」の退化したものといわれ、単なる装飾品ではなく、呪術的な意義を持つものとされてきたが、具体的な研究ない」と書いている(「いわゆる「獣形貝製品」について」「南島考古」第28号、2009年5月)。

 これが、「獣形貝製品」が「蝶形骨製品」の退化形を意味しているのか、よく分からない。

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 しかし、結論の箇所で島袋は、

 ・蝶形石製品→蝶形骨製品
 ・勾玉状石製品→獣形貝製品

 2つの系統があるとしている。で、獣形貝製品と蝶形骨製品との関連には触れられなかったとしている。

 また、蝶形骨製品は荻堂式土器、獣形貝製品は伊波式土器を主体とする遺跡に出土する傾向がみられると指摘している。

 ぼくたちは、これをいずれも「蝶」モチーフと捉えるが、そのことにこれ以上接近することができるだろうか。

 


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2017/09/17

「琉球における空間認識に関する言語文化論 -「青」の世界と「イノー」の思考 」(橋尾直和)

 橋尾直和は、他界をめぐる色として語られる「青」と、言語学で「淡」「中空」を語源とする「青」とをつなぐ理論は存在しない、として書いている(「琉球における空間認識に関する言語文化論 -「青」の世界と「イノー」の思考 」(「高知県立大学紀要文化学部編」2017.3)。

そこで、筆者はこの「青の世界」について考察を進め、語源未詳とされてきた、琉球弧で礁池をさす「イノー」の語源こそが、両者のつながりを紐解く存在であることを突き止めた。「イノー」とは、島と海との間、「あの世とこの世との間」を表す「境域」であり、「中間の世界」と解釈するに至った。この解釈は、「ニライ・カナイ」の他界観にもつながる。

 そして、古代沖縄人が想定していた「青の世界」と「ニライ・カナイ」の他界観が、琉球弧で礁池を表す「イノー」の語源を紐解く際の空間認識につながり、その思考こそが「イノーの思考」とも言える「中間の世界」観である、と。

 橋尾は、これまでの「奥武島」の「奥武」(オー)の語源に関する言説を検討したうえで、書いている。

 これらのことから、「青の世界」が、奥武という島の現実の世界とニライ・カナイという概念の世界とが渾然一体となった「あの世とこの世との間」「境域」「中間の世界」を指すことを意味しており、その境にある中間の世界を「青」という色彩語で言い表したと考えられる。

 これまで何度も触れてきているので、詳細は省くけれど、「オー」は、崎山理が言う「青」の「中空」の意味を語源として、「地先の島」をはじめ、中空にある身近な場につけられた地名である。そして他界の発生にともなって「地先の島」があの世として考えられるようになったことで、「オー」と呼ばれるなかには、「あの世」である島も出てきた。したがって色彩とは関係がない、とぼくたちは考えている。

 ところで、橋尾はここから「オー」を「イノー」と結びつけている。万葉集の「飫宇の海」(をふの海)と通じる「あふの海」の逆語序である「海のあふ」の「の」を省略した「海あふ」こそが、イノーの語源ではないか、と。

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 そしてここから、ぼくが『珊瑚礁の思考』で、「イノー」を「この世」と「あの世」の境域であるとしているのを、橋尾の意見と一致するとしながら、こう続ける。

しかし、珊瑚礁が拡張された境界と解釈されていることには賛同できない。境界はむしろ、イノーの方で、海の幸をもたらしてくれる源が珊瑚礁である。

 そのうえで、「珊瑚礁の思考」は「イノーの思考」へと書き換えられるべきであるとして、下図が提示されている。

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 ぼくが挙げた図とのちがいは、ぼくの場合、上図の「イノー」が、「珊瑚礁」となっていることだ。

 ここで、橋尾が「珊瑚礁」ではなく、「イノー」とするのは、「イノー」と「干瀬」とを区別したうえで、「イノー」が、「オー」を語源とすると考えたことからやってきているように見える。

 橋尾は自らの考えを整理している。

 <色彩概念>

 中間の色 → 中間の世界 → あの世(「青」(奥武))
 
 ↓派生

 中間の位置 → 中間の世界 → この世とあの世の間(「イノー」(海淡))

 書き換えられるべきだとされているが、ここに対置するかたちでぼくの考えを示しにくい。ぼくたちは、もともと「オー」と「あの世」とは、語源的に直接のつながりはないとみなしていて、橋尾の議論も別の場所で考えているのだ。

 対置できることがあるとしたら、「イノー」の語源がまっさきに挙げられるだろう。ぼくたちは、「イノー」を、これも崎山理が提示している「砂洲」を表す「ユニ・ユナ」に由来すると捉えている。

 yuna > iuna > inau > ino:

 ここでは、二項と三項では、u音とna音が倒位するという仮定を置いている。ユナ・ユニはトーテムが信じられていたころ、人間と自然をメタモルフォースでひとつながりに捉えようとした野生の思考をよく体現している言葉で、イノー(礁池)だけではなく、ユウナ(オオハマボウ)という言葉も生み出していると思える。それだけではなく、もっとも重要なのは、琉球弧や九州で、「イナ」と呼ばれる「胞衣」の語源にもなることだ。

 yuna > iuna > ina

 「イノー」とはもともと「胞衣」を意味していた。しかも人間の胞衣というより、地母神と称されている、生命の源泉としての自然の胞衣である。

 さらに言えば、この自然の「胞衣」は、干瀬や陸側の辺端(へた)を含んだサンゴ礁を、「貝」と見なす視線からやってきている。イノーを「胞衣」とする思考は、「貝」をトーテムとした段階で生み出されたものだ。もっと具体的にいえば、その「貝」はシャコ貝をもとにしていたと考えられる。

 これらの思考は、「海の彼方」へと他界が遠隔化される以前のものだ。ぼくは、『珊瑚礁の思考』で、遠隔化された他界に対する島人の思考から、「珊瑚礁の思考」を導き、橋尾は、身近な他界から遠隔化された他界まで通底するものとして「イノーの思考」を抽出していると思えるが、イノー(礁池)を胞衣とした、もともとのサンゴ礁の思考は、まだ語られるべきことを多く残している。

 琉球弧の歌謡では、「イノー」と「ヒシ(干瀬)」が少なくないと言われる。イノーは生命の源泉としての胞衣なのだから、自然なことだ。そして、「ヒシ(干瀬)」が独立して詞のなかに選ばれるのは、島人がシャコ貝の口を縁取る外套膜にひときわ目を奪われたことを思わせる。サンゴ礁を巨大なシャコ貝とみなせば、外套膜は干瀬と辺端(へた)に当たるからだ。

 しかし、それ以上に重要なのは、大潮の際に、豊かな生命を現出させるのが干瀬という場だからではないだろうか。遠隔化される以前の身近な他界からの贈り物が、このとき浮上するように「この世」に現れるのである。だから、身近な他界は、しばしば「オー」の島と名づけられることが多いにしても、その島の手前には、生命の源泉としての胞衣(イノー)、つまりサンゴ礁があることにも注目しなければならない。それが、他界が遠隔化される以前の本来のサンゴ礁の思考である。

 ともあれ、『珊瑚礁の思考』を取り上げてくれたことについて、橋尾に感謝したい。


『珊瑚礁の思考 〔琉球弧から太平洋へ〕』


 
 


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2017/09/16

蝶形骨器と土器

 伊藤慎二は、蝶・獣形製品と土器とを関連づけている(「琉球貝塚文化における社会的・宗教的象徴性」『祭祀儀礼と景観の考古学』)。

 蝶形製品は、前4期の点刻線文系土器群古~中段階(伊波・荻堂式)に発達し、点刻線文系土器群新段階(大山式)・肥厚口縁系土器群古段階(室川式)頃まで継続する。

 獣形製品は、前4期の点刻線文系土器群古~中段階(伊波・荻堂式)~前5期の肥厚口縁系土器群新段階(宇佐浜式)などに伴う。

 どちらも前4期を中心に盛んに製作された。

 伊藤はここで、蝶・獣形製品の複雑な意匠を生み出す「祖形」が存在したに違いないと考えている。

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蝶形製品の特に上縁部の形態に着目すると、左右対称の波状に角ばった突起部分が連なることが特徴的である。これは、前Ⅳ期の器物と比較すると、明らかに土器の口縁部に酷似する特徴である。(中略)土器口縁部の山形突起(波状口縁)のみでなく、土器口縁文様帯の縦位区画文とその左右上下を画する横位区画文に対応する刻線までも蝶形製品の中に見出すことができる。

 山形突起は、前Ⅱ期の条痕文系土器に初めて出現するが、その後もあまり明瞭でない時期が続く。しかし、前4期に市来式土器の影響で、北琉球の在地土器文化に長期にわたっておもに4単位の山形突起が定着する。

蝶形製品もこの同時期に、土器口縁部突起とその直下の口縁部文様帯の意匠を祖形に創出された可能性が極めて高い。

 つまり伊藤は、土器の形態が蝶形製品の意匠に取り入れられたと考えている。しかし、蝶形製品が蝶を模したものであれば、この順序は逆でなければならない。蝶形製品が、もっと言えば「蝶」が、土器口縁部の文様に反映されたのだ。

 また、獣形製品はイモガイを素材とするものが多い。本来は複数の獣形製品を組み合せて一つの完全な形をなしていたのではないかと考えられている。伊藤は、「蝶形製品の複数の部分製品を組み合せる例との共通性について充分検討の余地がある」と書いている。両者は、「同時代の遺物の中でも格段に入念に製作された製品であることは明白」。

 ぼくたちはここでも大きな示唆を得る。獣形製品は、貝で作られている。しかし、形態は蝶である。これは、貝と蝶の組みあわせを志向する琉球文身の思考と同じだ(参照:「刺青にみるトーテムと霊魂のアマルガム(徳之島と宮古島」)。しかも、素材となるアンボンクロザメやクロフモドキなどのイモガイは男性貝でもあり、ここに「蛇」も宿ることになる。

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2017/09/15

貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷 2

 伊藤慎二によれば、北琉球弧の在地系土器は、おおよそ9様式がある(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)。

前1期 爪形文系

・ヤブチ式、東原式
 
・明確な文様帯がなく、器面全体に隈なく施文を行なうのが特徴。
・口縁部に平行して数条の横位横列の爪形文を施文する一群が存在するが、それが接続する「条痕文系」の横位文様帯の成立にかかわる。

前2期 条痕文系

・曽畑式、室川下層式、神野A式

・口縁部と胴部に2帯の横位文様帯を持つものと、口縁部に横位・胴部に縦位あるいは斜位の文様を構成する一群が見られる。
・後者が接続する様式を規定した。

前3期 隆帯文系

・神野B式、面縄Ⅰ~Ⅴ式

・著しく収束した頚部と外反した口縁部の出現。大きな変化。
・「神野B式」には、「M字状の隆帯や貝殻腹縁状の圧痕文が見られる」。

前4期 沈線文系・籠目文系・点刻線文系

・沈線文系 仲泊式
・籠目文系 面縄東洞式、嘉徳Ⅰ・Ⅱ式
・点刻線文系 神野D・E式、伊波・荻堂式、大山式

・「沈線文系」は現在まで(2000年)のところ、沖縄諸島以北での分布が見られない。
・胴部の縦位文様は「隆帯文系」から衰退。後続する「籠目文系」「点刻線文系」に見られる鋸歯(きょし)状および菱形状の横位文様を施す胴上部の文様帯の成立に関連することが予想される。
・北琉球弧が二つの土器様式圏に分かれる唯一の時期。

・「点刻線文系」は横位文様帯が細分、重層化して発達することが特徴。後続する「肥厚口縁系」で衰退。

前5期 肥厚口縁系 

・室川式、室川上層式、宇佐浜式、面縄西洞式、犬田布式、喜念Ⅰ式、宇宿上層式

後1期 無文尖底系、沈線文脚台系

・仲原式

・初期の段階では、南九州の縄文晩期土器の影響がうかがわれるが、徐々に消化して独自の展開を遂げる。

後2期 くびれ平底系

・フェンサ下層式、兼久式
・かなり短時間のうちに断絶的に終焉を迎えたと考えられる。


 伊藤の観点は、土器変遷に連続性を見る点が分かりやすい。別のところ(「先史琉球社会の段階的展開とその要因」)で伊藤は、「爪形文系」から「条痕文系」の変遷をより微分している。

爪形文系古段階
・施文具の形態を直接的に反映した文様が器面全体に展開

爪形文系新段階
・施文具の動作によって線的に連続した文様が加わる。

条痕文系新段階
・それらの文様が主体化して胴上半部に施文域が集約する。

 「爪形文系古段階」は点を、「爪形文系新段階」は線をイメージさせる。


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2017/09/14

土器とトーテム

 貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷と島人のトーテム変遷について、「時期」を軸に対応させてみる。

 これらのトーテム動植物と土器デザインはどこかがで対応しているはずである。より接近した言い方をすれば、島人の神話世界がトーテム動植物に象徴される度合いに応じて、土器デザインには反映されている個所があるはずだ。その仮定のもと、考えていきたい。


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2017/09/13

貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷

 貝塚(琉球縄文)時代の各時期に対応する土器を挙げてみる。こうしたところで、すんなり頭に入ってくるわけではないのだが、ぼくたちが「貝」の時代の始まりと捉えている前4期に類型が増えるのに目が行く。


前1期 爪形文系

・ヤブチ式、東原式

前2期 条痕文系

・条痕文、曽畑式、室川下層式、神野A式

前3期 隆帯文系

・神野B式、面縄Ⅰ~Ⅴ式

前4期 沈線文系・籠目文系・点刻線文系

・沈線文系 仲泊式
・籠目文系 面縄東洞式、嘉徳Ⅰ・Ⅱ式
・点刻線文系 神野D・E式、伊波・荻堂式、大山式

前5期 肥厚口縁系 

・室川式、室川上層式、宇佐浜式、面縄西洞式、犬田布式、喜念Ⅰ式、宇宿上層式

後1期 無文尖底系、沈線文脚台系

・仲原式

後2期 くびれ平底系

・フェンサ下層式、兼久式

 伊藤慎二(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)から作成。

『琉球縄文文化の基礎的研究 (未完成考古学叢書 (2))』


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2017/09/12

琉球弧、貝塚時代の編年 2

 貝塚(琉球縄文)時代の編年に土器様式を加える。そもそも時期区分が「土器」様式を元にしているのだった。

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 しかし、この区分とサンゴ礁時代の島人の思考は対応している手応えがある。ということは、思考の変化は一定程度、土器に反映されていると見なすことができるはずだ。

 それにしても、土器様式名を言われても何ら思い浮かばないので、イメージ画像を添える。

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(伊藤慎二『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)

 参照:「琉球弧、貝塚時代の編年」
 

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