カテゴリー「58.琉球弧の精神史」の972件の記事

2017/07/24

イヤ地名

 土井卓治が『葬送と墓の民俗』で挙げているイヤ地名を列記してみる。

 まず、八束郡揖屋街(これは現在の島根県松江市東出雲町揖屋)。土地の人は、イヤ谷、イヤン谷、ヤダン等と呼ぶ。

 兵庫県美嚢郡吉川村の伊屋ノ谷。現在は三木市(伊屋ノ谷の正確な場所は分からなかった)。

 「讃岐の仲多度郡と三豊郡の堺にある弥谷山」。

この付近には死後間もないうちに、イヤダニ参りをする風があり、弥谷山は死者の霊魂が訪れる山があるとされている。ここにはお墓谷といって、多数の卒塔婆がたち、岩石の間から清水が湧出しているところがあり、サイの河原もある。

 徳島県剣山の麓の「祖谷」。徳島県桑野町大地にはイヤダニという埋葬地があった。

 岡山県秘坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)神社の西にある弥谷(いやだに)。その東、諏訪神社近くの「井弥の穴」。

 もう少し調べてみなければならないが、「イヤという地名を全国的に調べてゆくと、先祖の霊のある所をイヤ山イヤ谷と呼ぶ事例が多い」(「麦つき唄から」『故郷七十年』)という柳田國男の指摘は少し確かめられた形だ。これまで調べたものと合わせてプロットしておく。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/23

産山柄杓田の縁起譚

 谷川健一は、阿蘇の産山(うぶやま)村にある柄杓田(ひしゃくだ)の縁起譚を紹介している。

 柄杓田には、柄杓田大明神が祀られている。『肥後国誌』補遺にはこうある。

 昔、阿蘇大神が羽衣をなくした天女と一緒に生活したが、天女は夕顔の種を植え、それが大きくなると、夕顔の蔓をよじのぼって天上に帰っていった。そこで阿蘇大神は天女を偲ぶ神社をたてた。それが今の柄杓田大明神である。柄杓田ではいまもひさごをつくらないのはそのためである。

 この縁起譚は、異類婚姻譚を彷彿とさせる。この祖形にはそれがあるのだろう。

 天女の祖型は地母神であり、その成れの果ての変形がひさごである。プロトひさごは、「産山」の地名を支える地母神の存在だった。それが、トーテム信仰の終焉とともに、あるいは異類婚姻の破綻とともに、産山に帰る。このとき、神化したことも考えられる。

 阿蘇大神の祖形は、異類婚姻譚のさい、去られたほうの男ではないだろうか。彼はその後、神化した地母神に代わって、土地を鎮める神となった。そういうことではないだろうか。

 
谷川健一著作集 9 民俗学篇 5 地名と風土

Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/22

イナとしての胞衣

 にわか調べだが、胞衣を「イナ」と呼ぶのは、関東から東北に広がっている。南からいけば、イヤ、ヨナ、イナという分布になる。そして、イナの場合、エナとの通音は容易になるだろう。

 「ヨナとイヤの身体・地名分布」の続きでいえば、「地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナあるいはイナと呼んだ」ということになるのかもしれない。


 神奈川県(「神奈川県史第5巻」)

 山梨県(上暮地「富士吉田市史 民俗編 第1巻」)

 群馬県(新田郡薮塚本町)(「医療人類学の研究(Ⅳ)」

 茨城県(「茨城県久慈郡里美村大字小菅民俗調查報告書」)

 山形県(「真室川の昔話」)

 秋田県(由利郡東由利村「橿原考古学研究所論集 第14巻」)

 青森県(「青森県五戶方言集」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/21

ヨナとイヤの身体・地名分布

 胞衣は、エナの他、ヨナ、イヤと呼ばれている。しかし、それらは地名としての胞衣でもある。この分布の仕方には意味があるのかもしれない。

Photo

・身体ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
・地名ヨナ 熊本県、福岡県、山口県、広島県、島根県、兵庫県、愛知県、岐阜県、山梨県、千葉県、石川県、長野県、新潟県、茨城県、福島県、山形県、岩手県、秋田県、青森県

 これは手元にある資料からの抽出なので、厳密性はないが、ここから仮説を立ててみる。ぼんやり眺めて思うのは、「地名ヨナ、身体イヤ」という琉球弧型は九州でも弱くその傾向が続いている。対照的なのは、中四国や関西でみられる地名イヤのところでは、身体はヨナとなっているらしい。これを「地名イヤ、身体ヨナ」としてみる。

 これにかぶさるように、北九州から本州にかけて多いのは地名ヨナだ。ただ、この場合、身体はイヤではなく、エナになっていると考えられる。考えやすいのは、地名ヨナはすでに「米」の意味に転化しているところだ。

 「地名ヨナ、身体イヤ」と「地名イヤ、身体ヨナ」は反転形だから、考えやすい。

 これらを統合的に把握しようとすれば、どういえばいいだろうか。

 地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナと呼んだ。もちろん、地母神が古層になる。これとは別に地名イヤ、身体ヨナと反転させて捉えたところもある。この場合の地名イヤは地母神的だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/20

ふたつの産島(『不知火海と琉球弧』)

 天草の産島は、「海岸近くに産島八幡宮が鎮座し、天草の近郷の女性たちから安産の神様として今も尊崇を受けている」。

 その八幡宮の由来譚には、神功皇后が半島に出兵した際、産気づきここで出産したことにちなむとされている。

 ぼくたちはこれをもともとの島人の信仰に戻さななければならない。それをほぐすのは、産島八幡宮の祭礼だ。

 いま、海を渡る祭礼として知られる青島と比較してみる。

Photo_2

 青島の場合、青島神社から神は神輿に乗り、対岸で巡幸し、ふたたび青島神社に戻る。単純化していえば、行路はそうなる。この祭礼の特徴は若者によって行われることだ。これはかつて、男子結社による青島というあの世を介した成人儀礼だったと考えられる。

 産島の海をわたる祭礼は、複雑になる。

 まず、人が産島へ向かい神を迎える(御下り)。そして神を担ぎ、対岸へで過ごし、御上りを行なうが、これは神のみの行為になる。しかしにもかかわらず、人は神を担ぎ、産島へ神を送る。

 産島の場合、神の迎えと送る行為を人が担うのだ。これは、縄文期のあの世の段階での生者と死者の交流の記憶を留めたものだと考えられる。そう見なすのがよいのではないだろうか。

 不知火海には、もうひとつの産島がある。八代の産島だ。江口司は書いている。

 そこは『肥後国誌』に記される「亀島、産島とも云う・八代より二里余・周廻一里余り」とはとても思えない光景を呈している。

 江口が「とても思えない」としているのは、いまはこんもり茂った樹木しか見えないので、「周廻一里余り」とは思えないことを指しているのだろう。ここはウガヤフキアエズノミコト誕生の伝承が残されている。

 江口はこう書いている。

あえて乱暴な私の考えを言えば、その海亀の子孫が不知火人であり、海亀をトーテムとして『肥後国誌』の云う「亀島・産島」と呼び、語り継いできたとも思えるのである。

 この推理は当たっていると思える。もうひとつ加えれば、ここはあの世の島でもあったのだ。
 


『不知火海と琉球弧』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/19

『南島文学発生論』序

 谷川健一は書いている。

 日本から南下し沖縄島に渡来したアマミキヨと呼ばれる人びとも「古渡り」と「今来」の二種類があった。古渡りのアマミキヨは古代の海人文化をもたらした人びとであったが、今来のアマミキヨは鉄器をたずさえ、城郭の築造を指導し、鍛冶の技法を沖縄の島々にひとめた人たちであった。

 いまも分からないのは、この二分だ。アマミキヨの名称にこだわるなら、後者に収斂してしまうように思える。「古渡り」の渡来者もあったろうが、その段階では、まだアマミキヨの呼称は獲得していないはずだ。

 鉄器、文字歴、仏教などによって、社会を均質化し、自然力を克服した本土とちがい、

南島ではいつまでも圧倒的な強さで自然力が人間のまえに立ちふさがり、それに拮抗できるのは古来伝えられてきた言葉の呪力だけであった。

 これも、「拮抗」というよりは、それが自然と関係する入り方だったということだ。

 谷川は、「南島の呪謡を介して日本古代文学の黎明を類推する」というモチーフを持っている。これにぼくたちのモチーフを対応させれば、日本古代文学を参照しながら、南島の呪謡がその後、どこまで到達しているかを探る、ということになるだろう。

王府の任命による巫女組織が村々まで及んだ結果、ノロとユタの役割が分離したのである。

 分離の発生はもっと遡らなくてはならない。いつ、とは言えないが、それは根人と根神の発生時、つまり集団が一対の兄弟姉妹を象徴として立てざるを得なくなった段階であるはずだ。それは共同体の発生と言い換えてもいいかもしれない。

 

『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/16

「ウクムーニーについて」(『やんばる学入門』)

 コラムで短く与論のことが出ているので、書いておく。

ウクムーニーは国頭の奥の言葉。

周辺の、宜名真・辺戸・楚州などと通じない部分があるが、その一方で、沖縄島の北方に浮かぶ与論島のことばとは共通する所が多くみられる。

 と奥の方からも近しさが確認された嬉しい報告だ。

 実は奥にはユンヌヤマという名の山がある。奥の地名を調べていくうちに、ユンヌヤマは楚州領域にあるものの、奥の人達が林産物を切り出していたこと、また与論町史に六〇〇年ほど前の伝説として、「ユンヌヤマ」の名の由来のことが紹介されていることも分かった。

 与論側からいえば、ユンヌヤマは大道那太(ウフドウナタ)が買ったとされている。伝説の真偽はともかく、与論は奥に木材を頼ったということだ。

 与論からは家畜、砂糖が持ちこまれる。「ニンブーと呼ばれるワラで作られたむしろ」、リュウキュウチクを使った「奥のアンヌミ(竹で編んだ網。猪垣や壁などに使用した)」が、与論から持ちこまれたものだという。

 これはとても意外だ。

 書き手は、宮城邦昌。感謝。
 

『やんばる学入門―沖縄島・森の生き物と人々の暮らし』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/15

地名としての大神島

 「琉球國三十六島図」に、大神島は、「烏噶彌」となり、「宇加味」と添えられている。

 これで云えば、大神島の意味は、「拝み島」ということになる。あの世の島として拝むという意味に通じる。

 大神島は、地名として新しいと思わせるが、遡って「拝み島」まで辿っても、地勢や地形を示す本体へは至らない。

 結局これは、オーの島の系列と見なせるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/14

ヨナとイヤの分布

 熊本県の美里町には、「いや川水源」がある。「いや」は胞衣のことだ(「いや川水源と御手洗水源」)。

いや川水源は、鳳林山の麓に湧出している。水温は年間を通して15℃ほどで一定している。干ばつのときも枯れたことはないそうだ。川底には カワベニマダラという紅苔が自生していることで知られる。最近はその数が減っているそうだが、昔は川底の石全体が紅く染まるほどたくさん自生していたという。
 いや川の名は、お産のときの「いや(胞衣)」を、この水源で洗い清めたことに由来するという。その血が石に付着して赤くなったという言い伝えがある。(「いや川水源(いやがわすいげん」)

 「400~500年前からあると推測されている水源」と言われているらしいが、もっと古いのではないだろうか。

 胞衣の呼び方を「ヨナ」「イヤ」で辿ってみる。

 ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
 イヤ 長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(『日本産育習俗資料集成』より)

 こうしてみると、「ヨナ」の方が北へ延びている。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/13

トーテムの系譜と島人の思考 9

 トーテムになった動植物に違いはなく、サンゴ礁が形成された時期も同じころであるなら、北琉球弧と南琉球弧のちがいは、「霊魂の発生」の段階の違いでつかむのが最も本質的だということになる。


11

 それはつまり、「蝶」と「苧麻」を介して行われた。北では「蝶」に死者精霊を見るだけではなく、「霊魂」を見た。南では、「苧麻」を通じて植物身体を見るだけではなく、そこに「霊魂」を見た。

 北は、南に先行して「霊魂」を発生させたというだけではなく、飛翔するものに「霊魂」を見たというところに霊魂思考の進展を想定することができる。南は霊魂とはいえ、遠くへゆかない。かつ、死以外では抜け切ることはないと考えられていたのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

0.プロフィール | 1.与論島クオリア | 2.与論・琉球弧を見つめて | 3.与論の地名 | 4.奄美の地名 | 5.琉球弧の地名 | 6.地域ブランドをつくる | 7.小説、批評はどこに | 8.島尾さんの作品 | 9.音楽・映画・絵画 | 10.自然の懐 | 11.抒情のしずく | 12.祖母へ、父へ | 13.超・自然哲学 | 14.沖永良部学との対話 | 15.『しまぬゆ』との対話 | 16.奄美考 | 17.『海と島の思想』 | 18.『ヤコウガイの考古学』を読む | 19.与論砂浜 | 20.「対称性人類学」からみた琉球弧 | 21.道州制考 | 22.『それぞれの奄美論』 | 23.『奄美戦後史』 | 24.『鹿児島戦後開拓史』 | 25.「まつろわぬ民たちの系譜」 | 26.映画『めがね』ウォッチング | 27.『近世奄美の支配と社会』 | 28.弓削政己の奄美論 | 29.奄美自立論 | 30.『ドゥダンミン』 | 31.『無学日記』 | 32.『奄美の債務奴隷ヤンチュ』 | 33.『琉球弧・重なりあう歴史認識』 | 34.『祭儀の空間』 | 35.薩摩とは何か、西郷とは誰か | 36.『なんくるなく、ない』 | 37.『「沖縄問題」とは何か』 | 38.紙屋敦之の琉球論 | 39.「島津氏の琉球入りと奄美」 | 40.与論イメージを旅する | 41.「猿渡文書」 | 42.400年 | 43.『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』 | 44.「奄美にとって1609以後の核心とは何か」 | 45.「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」 | 46.「奄美と沖縄をつなぐ」(唐獅子) | 47.「大島代官記」の「序」を受け取り直す | 48.奄美と沖縄をつなぐ(イベント) | 49.「近代日本の地方統治と『島嶼』」 | 50.「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ | 51.『幻視する〈アイヌ〉』 | 52.シニグ考 | 53.与論おもろ | 54.与論史 | 55.「ゆんぬ」の冒険 | 56.家名・童名 | 57.与論珊瑚礁史 | 58.琉球弧の精神史 | 59.『琉球列島における死霊祭祀の構造』 | 60.琉球独立論の周辺 | 61.珊瑚礁の思考イベント | 62.琉球文身