カテゴリー「56.家名・童名」の25件の記事

2016/10/06

童名マニュ仮説

 自分の童名であり、与論ではポピュラーなのに意味が分からないのがマニュだ。ウシ(牛)のように、一目瞭然というわけにいかない。

 1729年に琉球政庁系図座が調べた童名について、東恩納寛淳は「琉球本島に行はれた童名の殆ど全部を網羅して居る」(「琉球人名考」)と書いているが、マニュの音に近いものに、マニュクがある。

 真如古樽(貴族) 真如古(士族) 如古(Nyuku)(平民)

 Manyukuに原形を置いて、語尾のkuが脱落したと見なすと、Manyuは得られるが、しかしこれは貴族士族のものだから、それが与論でポピュラーになるのは考えにくい。語頭のマは、接頭美称ではないと考えられる。

 方向を変えなけばならない。そこで、ウシ(牛)や松(マツ)のように、動物や植物に当たってみると、植物でふたつの可能性が浮上してくる。クロツグとクスノハカエデだ。

 クロツグは、マニと呼ばれ、琉球弧ではクバの次くらいに聖なる樹木とされてきた。

 マニ 沖縄、久高、多良間、西表
 マーニ 永良部、沖縄、久米、慶良間、宮古、伊良部、石垣、西表
 マニィ 奄美大島瀬戸内
 マーニー 沖縄与那(『琉球列島植物方言集』)

 この「方言集」によると、与論ではクルツグと呼ばれているが、明らかに和名クロツグからきているので、古形はマニ周辺の音を想定していい。

 呉屋ではマニクとも言う。このマニクを元にすると、マニュは辿りやすい。

 maniku > maniu > manyu(母音に挟まれたk音の脱落)

 もうひとつは、クスノハカエデだ。これは、石灰岩の島に自生する常緑樹。

 マニク 沖縄(辺土名)
 マミカ 首里
 マミク 沖縄
 マンク 永良部
 マンクギ 永良部、与論(『琉球列島植物方言集』)

 与論のマンクギは、キを後からつけたものだから、マンクを想定していい。また、他の島での音をみると、祖形はマニク、マミクが考えられる。辺土名でマニクと呼ばれているなら、与論でのマニクもあり得るだろう。

 するとここからも、同様にマニュは得られる。

 さて、クバに次ぐほどの聖樹は童名にはなりにくいのではないかと考えると、より可能性があるのは、クスノハカエデのマニクではないかと思える。 

 そうだとしたら、マニュはマツ(松)と同じく、植物トーテムの名残りの童名だ。このマニク、マミク(クスノハカエデ)がどのように見られていたか、使われていたかを見ることで、確信を高めていけるかもしれない。粟国島のサイトで、クスノハカエデは建築材で葉は薬用とある。

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2014/01/13

与論童名マップ

 これまでに収集した与論のヤーナー(童名)を、その意味するところを軸にマッピングしてみる。

 牛は、与論では、エーナン、モーミャー、エーナンガ、グピナー、ウグトゥイなどと言うわけだから、ウシという言葉が入る以前の呼び名があった。そうやって見ると、童名の言葉は、十数世紀の大和言葉の流入以降の新しいものが目立つ気がする。カミ、トゥラ、クル、ハナなどもそうではないか。

 すると、童名のなかにも古いものと、比較的新しいものがあるはずだ。トゥク(徳)は、両義的で、これが徳之島と同様、地勢を表す地名から来ているとしたら、とても古いし、人性を表す「徳」に依っているなら、新しいと見なせる。

 意味が分からないものとして残った、ジャー、マグ、ウンダ、ムチャなどは古い語だろうか。

 ジャーは、蛇、若などが浮かぶ。もしくは鯨。もしや、ムチャは餅、だろうか。ダキは「竹」と仮説した(cf.「童名 ダキ」)。


Yana_map


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2014/01/12

ヤーナー・童名・島名

 「与論町誌」をみると、ヤーナーについて、野口才蔵が、「童名」または「島名」ともいうとして、与論にも童名という呼称が残っているのが分かった。それにしても、ヤーナー、童名、島名を共存させるこだわりのなさときたら。

例えば「ハニ」は「金」と古語の赤土とも解され、「ハナ」も「花」よりも「愛し子(はなしぐゎー)」の「ハナ」の意にもとれ、今後の研究部面は多い。(p.1057)

 ハナはもちろん、「花」ではなく「愛」だが、ハニも「金」ではなく、「愛」の方に解した。東恩納寛惇の「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』をみると、「金」は、美称辞として展開されていること、加那の音は、カナ、カニという音の幅を持っていることをその根拠とする。ただ、「赤土」の意はありうるのかもしれない。


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2014/01/11

童名 アキ

 野口才蔵によれば、茶花の女子名ヤーナーとして、アキがある。「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)に頼っても、類するものは見当たらない。

 子供のころ、カマト・アキというちょっとした有名人がいた。彼女のヤーナーはアキだったんだなと今さらながら気づく次第。

 

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2014/01/10

童名 ダキ

 東恩納寛惇の「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)に頼っても、与論のヤーナー、ダキに類するものは見当たらない。

 これは、「竹」を指すのではないだろうか。

 中本正智の『図説琉球語辞典』(1981年)を見ると、「竹の総称はダキ daki である」として、この系譜が琉球弧全域に分布している。

 同書では、与論は、ダイ[dai]とさだれている。これは、daki で、母音に挟まれたK音が脱落したものだ。竹はダイと呼ばれるが、ヤーナーの方は、ダキ音がそのまま残ったか、ダキというヤーナーとして与論に流入した、と想定される。

 これに近しいものは、マチ(松)だ。東恩納は、松は繁栄(さかえ)を表すとしているが、竹にもその含意はあっておかしいくない。あるいは、竹は生活に重要だったから、ナビ(鍋)やハマドゥ(窯)と同じ類型にあるのかもしれない。

『図説琉球語辞典』

 

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2014/01/09

童名 アートゥ

 「与論町誌」を見て、茶花には「アートゥ」という童名があるのを知った(p.1057)。

 これは音の類似性から言えば、東恩納が挙げている童名の「アカト」に該当すると思う(「琉球人名考(1924年)」『東恩納寛惇全集 6』)。『与論島を出た民の歴史』には、口之津移住後に生まれた岩山アカトさんという名前が載っているが(p.127)、これは、ヤーナーのアートゥから付けた名前だと思われるからだ。ヤーナーは、母音に挟まれたk音が脱落したものだと見なせる(Akatu → Aatu)。

 東恩納は、後世は余り見なくなるが、

尚真王の童名、
 まあかとたる
と玉陵碑に出て居るのを、世譜には真加戸樽と訳してあるが恐らくは、後の真加戸とは全然別の種類に属するものであろう(p.430)。

 として、よく見られるようになるマカトとは区別している。

 与論で茶花に流通しているヤーナーだということは、これが新しく島に流入した童名であることを意味している。尚真の童名がアカトから来ているとすれば、グスクマの勢力が持ち込み、茶花への移住組のなかで続いたと想定するのが理解しやすい。

 しかし、ここではもうひとつ別の仮説を立ててみたい。

 というのも、何度か追ってきた北山由来の王舅が、その名の通り、遣明使だったとして、時期的に可能性のある三人の王舅のうち、アートゥの可能性を持つ名があるからだ。

12.1403年、03月09日、攀安知、善佳古耶、臣、方物、鈔・襲衣・文綺
13.1404年、03月18日、攀安知、亜都結制、__、方物、銭・鈔・文綺・綵
14.1405年、04月01日、攀安知、赤佳結制、__、馬・方物、鈔錠・襲衣
(cf.「王舅とは誰か」

 13の王舅名は、「アートゥ・ウッチ」と読めるのである。野口は、アートゥについて、茶花の女子につけるヤーナーとしてこれを挙げている。しかし、尚真の例に見られるように、これは、女子のみにつけられていたものではない。その意味でも、「亜都」はアートゥである可能性を持つ。

 「ピッチャイプドゥン」で、北山滅亡を機にした残党狩りを怖れて、子に親が誰であるかを告げられない悲しい昔話を見たが、この説話が事実かどうかはともかく、中山勢力によって、北山の生き残りは潜伏し抑圧される宿命を背負ったことは真実だろう。

 すると、王舅に由来するヤーナーを、女子に継ぐものとしてカムフラージュして後世に伝えたという可能性が考えられる。

 

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2014/01/08

童名 タマ

 タマ。漢字は、「玉」。女性につけられる。古くは男性にもつけられたのではないかとしている(「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)。

 松、金と並んで「繁栄(さかえ)」を表す語と、東恩納は解釈している(p.565)。


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2014/01/07

童名 チュー

 ヤーナー、チューは東恩納寛惇の「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)で、ヂュ、ジュと発声されるとする「チヨ」のことだ。与論では、ツウとも発声される。

 字は、珍しく安定していて、「千代」が当てられている。カミと同様、「長寿(さかえ)」を表す。

 沖永良部島の世の主にして、王舅の兄と伝承される真松千代の童名もこの系統と見なされる。


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2014/01/06

童名 カミ

 「仮美」、「佳美」などの字が当てられている(p.526 「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)。意味は、「亀」、だ。

 亀とくれば鶴だが、鶴としての童名はチルー。与論ではチルで女性につけるヤーナーだ。

 東恩納によれば、亀、鶴は、千代、松、若とともに「長寿(さかえ)」を表す語だという(p.565)。


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2014/01/05

童名 ナビ

 自然と「鍋」という言葉の浮かぶ、よく知られたヤ-ナーだ。1999年の映画『ナビィの恋』を観た時に、同じだということにはすぐに分かったが、琉球弧のヤーナーの共通性を知ったもその時が初めてだったと思う。

 「南比」、「那辺」などの字も当てられている(「琉球人名考(1924年)」(『東恩納寛惇全集 6』)。ナビが「鍋」であるとすると、ハマドゥは「窯」であると連想するが、どうだろう。

 与論のウィダトゥマナビは、上里真鍋であることが読み解ける。


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