カテゴリー「50.「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ」の7件の記事

2010/02/14

「「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ」」メモ

 昨日、「「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ」」にパネラーとして参加してきた。すぐに報告できるようにツイッターで随時、ツイートしてみた。しかし、安里さん、東さんの話を聞きこんでしまう瞬間もあり、満足にレポートできていない。

 でも雰囲気や流れの一端は伝わると思うので、再掲する。

 『ヒロシマ独立論』の東さんも、『凌辱されるいのち』の安里さんもお会いするのは初めてで、お二方もおっしゃっていたが、本の印象と本人の印象は違う。会うと親しみが湧くのがよかった。それはぼくもその通りだと思った。

 ディスカッションのなかで、奄美とぼくは言うけれど、それは自分の共同性の大枠を伝えるためにそう言っているだけで、実はリアリティはさほどない。奄美人という言葉は日常的に定着していないから。ぼくなら与論人(ゆんぬんちゅ)というところまで最小単位にしなければならない。その分、ときどき、沖縄人と言えることが半分、うらやましくなることもあると発言した。

 それを受けて安里さんが、こうして分かってもらえると思う場では、沖縄人と言うけれど、そうでないところでは、どう思われるだろうという意識が先立ってなかなか言えないのだと、応えていた。

 ぼくは、ああやはり両者ともにアイデンティティについて、過敏にならざるを得ないのだなあということに改めて思い至った。ただ、安里さんは親戚にそっくりで、懇親会の場では、すぐに馴染んでしまったのだけれど。

 琉球弧の地図をつくろうと思ったら、奄美と沖縄は別々に作成されているので、ひとつなぎのものにすることができないのに気づいたとおっしゃった。それは、広島も、周辺の島や県境にフォーカスしようとすると同じ問題に突き当たる、と。これには、ぼくも「奄美と沖縄をつなぐ」イベントで、同様のことに突き当たったので、強く同感したのだった。

 参加してくれたみなさん、司会の早尾さんに感謝。

◇◆◇


元麻布でシンポジウムの準備中にゃま。

ディアスポラ研究は、単なる移住ではなく、やむにやまれない気持ちで移り住む人たちのことを考える場。 #CAPP
posted at 14:12:28

司会、早尾さん。『ヒロシマ独立論』の東琢磨さん、『陵辱されるいのち』の安里英子さん、喜山の紹介。 #CAPP
posted at 14:28:06

安里英子さんから。琉球共和社会の可能性。国家としての独立という意味ではなく、国家を無化する方向での自立を考えたい。 #CAPP
posted at 14:33:10

琉球弧の地図。簡単かと思いきやそうはいかなかった。奄美と沖縄が一緒に載っている地図はなかった。 #CAPP
posted at 14:38:30

安里さん。島尾敏雄の構想したヤポネシア論。いまもっと意味を持っているのではないか。アイヌの先住民族が国会で認められた。驚きだった。 #CAPP
posted at 14:41:48

安里さん。復帰前の沖縄。アメリカに帰属すべきか、日本に帰属すべきか、という議論が大真面目になされていた。その後、復帰運動が起こっていく。 #CAPP
posted at 14:59:00

安里さん。谷川健一は、島尾敏雄の琉球弧に対して、一個いっこが独立なんだと考えて、「沖縄連合共和国」という構想を持っていた。これはヤポネシアの思想への反対ではなく、徹底だった。 #CAPP
posted at 15:03:44

安里さん。沖縄の面白いところは、一方では破壊されながら、一方では、手付かずのまま残っている。伝統的社会を見つめなおしながら未来を構想することがまだ可能であることだと思う。オナリ神信仰は、男女が双方いなければ成り立たないという風に見ることができる。複数の主権性。 #CAPP
posted at 15:08:27

えーーっ。why? QT @guutei 鹿児島大学でいま薩琉400年シンポをやっています。喜山さんのお名前も頻繁に出てきます
posted at 16:16:44

東さん。普遍というものを見直す装置として音楽を捉えた。そのなかで沖縄とであった。沖縄と広島は、戦争の惨禍をあびたという点では共通していた。『ヒロシマ独立論』は、もともと「ヒロシマ幻視行」というタイトルだった。 #CAPP
posted at 16:30:10

東さん。『ヒロシマ独立論』は、国連に託しすぎていた。憲法案を書いたが、法の言葉になってしまっていた。どういうふうに言葉を作り直していけばいいのかを課題にしている。 #CAPP
posted at 16:33:02

東さん。シマには、アイランド、テリトリー、ストライプの3つの意味がある。 #CAPP
posted at 16:40:48

東さん。誤解を恐れずにいえば、広島は歴史のない民の場所。権力の歴史がない。 #CAPP
posted at 16:46:54

東さん。谷川雁は「広島の役割は東西冷戦の終結とともに終了した。」と言った。広島の核廃絶運動の限界は、核兵器廃絶、オバマ万歳になってしまっている。 #CAPP
posted at 16:53:34

東さん。広島核廃絶絶対主義、あるいは、広島例外主義と言われたりする。実は今も変わらぬ軍都っぷりなのである。 #CAPP
posted at 17:00:55

ディアスポラ研究会、終了。おつかれさまでした。パチパチパチ。
posted at 17:52:01

中華料理屋さん、「花」にて、ディアスポラ研究会の懇親会。楽しい話、美味しい中華なう。
posted at 19:07:42

安里さんは、親戚とそっくり。
posted at 19:08:09

斎藤憲さんと久しぶりの再会。出されたばかりの『アルキメデスの数学』をいただく。恐縮。
posted at 19:12:44

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2010/02/13

今日、「『400年語り』で奄美は姿を現したのか」。

 今日は、ディアスポラ研究会シンポジウム、「「独立/自立/自治」を考える--沖縄、奄美、ヒロシマ」に出かけてきます。

 「『400年語り』で奄美は姿を現したのか」と題して、2009年からの問題意識を継続して語りたいと思っています。

 港区の麻布台にて、14時からです。現場でお会いできる方がいらしたら嬉しいです。


【日時】:2010年2月13日(土)14:00-17:30 【会場】:東京麻布台セミナーハウス2階大会議室 (港区麻布台1-11-5/日比谷線神谷町駅から東京タワー方向へ徒歩3分) 【入場】:無料、一般参加可

【プログラム】
開催趣旨説明:早尾貴紀=司会(15分)
報告
安里英子(30分)
喜山荘一(30分)
東琢磨(30分)
休憩(15分)
総合討議(90分)


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2010/02/09

『凌辱されるいのち』

 安里英子は、「従軍慰安婦」や「朝鮮人軍夫」の問題に直面したとき、動揺する。

 私はその時々の都合で沖縄人になり、日本人になってはいないか。たしかに心情的に日本を拒否する心を沖縄の人々はもっている。沖縄戦における全人口の四分の一に及ぶ住民の犠牲。その責任は日本軍・日本政府にある。戦後の今でも、在日米軍基地の七五%が沖縄に存在しているという現実。誰も日本政府を信じてはいない。沖縄人は常にヤマト(日本) に「怨念」を感じている。
 そのため、沖縄人が自らのアイデンティティを問うとき、支配者である日本と被植民地である沖縄(私)との関係でしか思考してこなかった。すくなくとも私はそうであった。高校生の時以来、悩みつづけた「わたしは、何者だ?」という命題、すでに答えをだしたはずの命題。だが長い精神的屈折をへて得た自らのアイデンティティは、今、崩れようとしている……。(『凌辱されるいのち』

 被害の側なのになぜ責任があるとしなければならないのか。しかし個々、具体的には加害者として振る舞う場面があった。そのことをどう受け止めればいいのか。

 しかし、たいていの沖縄の人々にとって戦中・戦後の責任問題は、そう簡単ではない。日本軍によって多くの犠牲者を出した沖縄が、なぜ日本国家の責任までとらなければならないのかという心情は、「その当時子どもだったから」、あるいは「まだ生まれていなかったから」責任はない、という回避と違い、アイデンティティの問題がからんでくるだけにきわめて複雑なものがある。

 ただ、私自身のことでいえば、私自身のこれまでのアイデンティティを形成する過程をこう解析する。多くの被害を受けてきた民族の場合、奪われた主体を回復あるいは確立する過程において過剰な自己主張がなされる。それなしには主体の回復はあり得ないわけだが、しかし、一方で排他的な要素も生み出し、利己的にさえおちいる場合がある。つまり自己を主張するあまりに他者が見えなくなることが、しばしばある。幸い、私はこれまで、女性たちの国際的ネットワークや、様々な市民レベルの国際会議や集会に参加する機会が数多くあり、その交流の中で多くのことを学んできた。

 同様のことに、寄りそうように別の形で向き合うことがある者には切実さがやってくる。

 どう考えればいいだろう。自国の民衆に戦争を強い、他国の民衆に害を及ぼした責は国家にある。国民はその責任を果たす国家をつくらなければならない。一個人としては、自分の判断でやれることを行う。それは契機に従う。また、その行為は当為として強いられることではなく、自分に関わることで他人に当為を求めない。

 ぼくはそう、考えてきた。練り上げてきたというより、自分の漠然とした構えを言葉にすると、こう言えるのではないかというものだ。ここから、では自国の民衆であることを近世に、あるいは近代に強いられた者はどうなるのか、また、責任を国家が果たしているは言い難いと思えるときにどうなるのか。しかもそのことを自国の民衆であることを強いられた経緯の者はどうすればいいのか。そういう問いがやってくるが、安里が向き合ったのも同様のことだと思える。

 自国の民衆であることを強いられ、かつ国家がその責を果たしてないと感じられる場所では、「独立」の議論が起きるのは必然的だ。

 そもそも沖縄の独立とは何なのか。実は、この原稿を書きはじめるついさっきまで数人のメンバーとこの議論をしてきたばかりである。毎年沖縄の施政権が日本に返還された五月一五旦別になると、在日沖縄人(彼らは自らをそう呼ぶ)の幾人かが帰ってきて基地の周りを行進するのだが、合間をぬって三々五々集まっては独立論をテーマに議論することも恒例になってきた。議論の中でそれぞれが思い思いに沖縄の自立や独立への思いを語る。

 ぼくは「在日沖縄人」という自称を持っていない。奄美は「沖縄」ではなく、「奄美」という共同性も持っていない。それは自他に認知、受容されていない。しかし仮に「奄美」という共同性があったとしても、在日奄美人とはぼくは言えない。在日与論人ということであれ。それは日本人であることが自明だからではない。在日与論人ということで、非日本人としての印が浮上してくるからでもない。本当に在日と言わなければならない、在日朝鮮人の立場を考えれば、それはどうしても腰の軽いものになると思えるからだ。

 しかし、仲間たちとの議論の中では、戦後の自治論は一つの拘束のようなものがあると指摘された。それは当時の議員たちが、戦前の日本教育を受けてきた者ばかりで発想はその枠内でしかない、ということである。沖縄の自治、あるいは独立のモデルはもっと自由に日本の枠を越えてアジアへと広がるべきではないか、と。私たちのこのような議論を新崎盛時氏は「居酒屋論議」として批判したが、私はむしろこのような自由な議論を、しばらく楽しんで聞いていたいと思う。

 ぼくも「居酒屋論議」という批判も妥当ながら、その議論ができるならそうすべきだと思う。それは未来への構想を養うものだ。

 独立論が、実行性のある自治運動に発展するにはまだまだ自由な議論を重ねていく必要がある。性急に政治課題へともっていくとかえって民族主義的方向へ向かってしまいかねない危険怪もある。しかしヤマト政府の沖縄への重圧と利用がこれ以上続けば沖縄の鬱積した思いはどう爆発するかわからない。言葉にならない多くの沖縄の民の思いを、ヤマトの人々はもっとしっかり受け止めるべきだろう。

 漠然とした構えからいえば、ぼくなら「ヤマトの人々」は「ヤマトの政府」と言うだろう。

 米軍再編にともなう日本政府による、ますますの沖縄差別(植民地化)は、沖縄内部の独立への指向を熱くさせるものがある。ただ、今のところ「沖縄独立」論はきわめて心情的で、共通の政治的課題にはなっていない。沖縄独立論とヤポネシア論、反復帰論の違いは、沖縄の民族国家を目指すか、国家をも超える「自治社会」を目指すかという点にある。九六年の日米特別委員会(SACO)で、普天間基地の返還が決定され、その代替基地としての名護市辺野古への新基地建設計画が進められて以来、沖縄は再々内国植民地としての辛苦をなめさせられている。そのため、排他的な沖縄民族主義が声高になっている。極端な民族主義は他との連帯を拒む。しかし、広くアジアの視点にたつとき、私たちはいまこそ、民族主義を超え、ヤポネシア論や反復帰の思想に学び、発展させるべきではないだろうか。

 この「反復帰論」を梃子にした「自治」の議論にたどり着くところで、ぼくは、「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」の松島泰勝が展開している「自治」の意味を受け取ることができいたように思えた。


   『凌辱されるいのち―沖縄・尊厳の回復へ』

Inochi

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2010/02/04

「『400年語り』で奄美は姿を」レジュメ 更新版

アジア太平洋研究センターディアスポラ研究会シンポジウム

「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ」
「400年語り」で奄美は姿を現したのか

レジュメ更新版

「400年語り」で奄美は姿を現したのか


1)奄美とは何か

・自治、独立の基礎、前提としての自立、と受け取る。
奄美。この小さな場所を世界模型として起点にするしかない。

・「アイヌ、奄美、沖縄-まつろわぬ民たちの系譜」
(2008年、カルチュラル・タイフーン)
まつろわぬ、どころではない
では何か。失語というのがふさわしい。

・二重の疎外。「奄美は琉球ではない、大和でもない」
『奄美自立論』(2009年)


2)奄美にとって自立とは何か

・奄美、沖縄、鹿児島、東京、神戸などで38回のイベントが開催される。内、奄美で行われたものは9。24%。

・「400年語り」のなかの奄美。 「琉球国之内」
しかし、本質的には、「内証の事」

中国に対してだけでなく、幕府(日本)に対しても隠したということ。

・薩摩にとっての奄美。
配慮不要の存在。存在しないかのような存在として扱う。

・薩摩内の奄美。
隠されたということ。
存在しないかのような存在として振る舞う。

・政治意思としての鹿児島。維新止まりと他者の不在。

・鹿児島内の奄美。琉球文化を持ちながら、それを表現することができない。

・奄美にとっての発語。隠されてあることを解く。
歴史の副読本を奄美主導(鹿児島ではない)で作成が決まる。まだこの段階。


3)「400年語り」の課題とは

・「奄美と沖縄をつなぐ」(2009年11月14日)

・「沖縄県・鹿児島県交流事業」(2009年11月21日)
沖縄県、鹿児島県知事が奄美大島で交流宣言。

・鹿児島県。頬かむり的な素通りの態度。

・奄美。少数年長者層の抗議と多数の引き、非関心。
両者の懸隔を縫って、交流宣言に呼応する声も通り過ぎた。

・鹿児島。なぜ、奄美に向き合えないのか。
それをすれば、県が絶対視する明治維新や西郷隆盛を相対化せざるをえなくなる。
しかしそれができなければ、時は止まったまま。

・奄美。なぜ、鹿児島に向き合えないのか。
鹿児島県批判に向かうところで内向する。かつて琉球王国、いま島役人。
依然とした傾向。

・県と市民社会を区別する必要がある。

・身体性にすらなっている無力感、諦念。
-「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた。本土から軽んじられると、だまってそれを受けてきた」(島尾敏雄「奄美 日本の南島」)


4)どう語るのか。「160q」から「1Q84」へ

・『1Q84』(村上春樹)。1984年からタイムスリップ。
しかし、「1984」から「1Q84」への移行そのものにリアリティがある。

・奄美。1609年に、160q年へタイムスリップ。

・通時 「160q」のことを「1609」へ

・歴史に登場することのない時間を歩んだ。
黒糖工場化と貨幣流通の禁止/近代化は植民地解放的な闘い/日本復帰のズレ
・史実の発掘(弓削政己)

共時 「1984」ではなく「1Q84」に

・絶対的経済貧困からの脱出と過剰なイメージ
何を語るか、とともに、どのように語るか。

・何を語るか、とともに、どのように語るか。

・過剰への着目
たとえば、400年の歴史を身近に呼吸できる

・世界観の共鳴
粟粥の呪術とインターネット

「400年語り」で奄美は姿を現したのか
・アジールとしての見え隠れ
・普天間基地移設での徳之島対応。

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2010/01/26

『ヒロシマ独立論』

 『ヒロシマ独立論』。カタカナで綴られる広島の意味を辿りたいという想いで読んだ。

 ここには、少なくとも、廣島、ヒロシマ、広島、ひろしま、の四つの広島が登場する。軍都であった「廣島」、原子爆弾による壊滅とともにその初期、「平和」として普遍理念化された「ヒロシマ」、そして現にある「広島」。そして、壊滅の現実にさらされた広島の人々から、軍事的、迫害的な脅威に、潜在的な意味も含めさらされている人々までを包含する「ひろしま」、をぼくは感じ取った。それなら、書名にいう「ヒロシマ」とは、平和として普遍理念化された「ヒロシマ」だろうか。それは、そうではない。

 (前略)「ヒロシマ」というシンボルの抽象化・理念化・普遍化はどこまで可能だろうか。ヒロシマにはパールハーバーが対置されることもあれば、敵対した連合国のなかから志願・徴兵・動員された兵士たちから新たな「死」を引き出さなかったということがいわれるだけではない。アジアの被侵略国の一部の感情からすれば、原爆によって解放されたという声も少なくない。広島のサバイバーのなかにさえ、そうした思いがあったことは多くの証言にみてとれる。

 「ヒロシマ」は相対化され、理念を反転されてすらいる。そしてそれだけではない。東によれば、こうだ。

 特に米スミソニアン博物館での 「エノラ・ゲイ」展示問題以降、広島は「反米」の意識からか、よりナショナリズム的な反核の立場を強くさせてしまったのではないか。日本のなかのヒロシマ。ただ、残念なことというべきか、希望の余地があるというべきか、ヒロシマは誰にも属さない。人類全てのヒロシマなのであり、そのことに鈍感なのは、皮肉なことに今や誰よりもまず現実の「広島」の住民=「日本人たち」なのである。おそらく「アメリカ」 のなかでの異物であることを認識している「アメリカ人」オカザキの、ヒロシマであることをやめた広島への、ヒロシマをあくまで広島として押し込めつつも、ヒロシマをアリバイとして利用さえしながら右傾化への道を突き進む日本への危供は、そうした状況への素朴な疑問としてあるはずだ。

 普遍理念としての「ヒロシマ」は、当の広島の人々、日本人に顧みられなくなってしまっている。東はそこで「ヒロシマ」を生きたものにしなければならないと考える。

 現在の広島が、今一度ヒロシマとなるためには、「日本」のアリバイとしての平和都市としてプレゼンスするのではなく、シュリンクパックされた平和のテーマパーク都市としてではなく、明確な友愛の念をもって、友と自らを脅かす暴力への非合意を謳うことをおそれてはいけないのだ。

 この進みゆきはモノローグのように響いてくるが、それは故郷を辿るとき、現実の事物や人物との交流というだけでなく、記憶や思い出との問答が幾重にも連なっていることの表れだと思う。モノローグのような声に耳をそばだてるようにいくと、東の構想する「ヒロシマ」まで連れていってもらえる。

 ヒロシマ以後。日本が敗戦したことなんか、問題ではないとあえて言ってしまうこと。一瞬に一〇万もの人間の生命が消し去られたこと、その後に多くの人々が苦しみ続けたこと。そのことを科学技術的に政治的に可能にしてしまったことが、世界にとってはすさまじい重さとなってのしかかっている。その重さを受け止めているのは、どこか特定の 「国」や「国民」ではない。世界中のさまざまな意味での帰属に関係なく散在する「人々」なのだ。
 そのような重さを担ったシンボルが、倣慢な「日本」に利用されるぐらいなら「独立」 した方がいい。これは、沖縄独立論のような一種のナショナリズムとはまったく異なる独立論である。広島独立などというと、たしかに何かと泥臭いヒロシマ・ナショナリズムを連想されてしまいがちな土地柄/イメージではあるものの、かなり異なるものとして構想したい。

 こうして構想されるのは、「避難都市」としての「ヒロシマ」だ。

① ヒロシマは、避難都市宣言を行う。現行の広島市旧市街地の車両規制などの再再開発を実施、さらに当空間周辺の市管理建造物を避難空間として提供・活用する。
② 避難都市内においては、本憲法、日本国憲法及び諸国際法規を直接適用し、日本国の下位法規には拘束されない。
③ ヒロシマ避難都市は、いかなる法規に基づく「犯罪者」であっても、あらゆるものを受け入れる。この「避難民」は、本空間及び避難都市内においては、避難元のあらゆる法規の適用から除外され、②の法規以外の拘束を受けない。

 「「犯罪者」であっても」とあるように、犯罪者のみの避難都市ではない。むしろ、軍事的、迫害的な脅威に潜在的な意味も含めさらされている人々を指すのだと思う。東は書いている。

 私たちは広島にありながら、無数のヒロシマに呼びかける。Hiroshimaではなく、hiroshimas とことばにしてみるのだ。世界中のあらゆる「ヒロシマ」的な状況に置かれた人々の声に耳を澄ますことを私たちは目指す。都市のなかの貧困や不正。自国の、あるいは異国の軍事にさらされる島々。あらゆる「ひろしまの子」たちの叫びに耳を澄まし、また、呼びかける。

 「ヒロシマ独立論」とは、「ひろしま」のための避難都市として「ヒロシマ」をふたたび普遍理念化する試みであると受け止めることができる。ぼくは、沖縄復帰前に、学生運動に敗れあるいは人生の敗残者のように逃れてきた人々やヒッピーを受け入れていた与論島のことを思い出した。

 ところで東は、この構想を遊戯として受け取ってもらっていいと言っている。

 独立宣言や憲法試案をひとりでコツコツ書いているあいだは俺は狂人かという気持ちでいたが、これで晴れておおっぴらに狂人だ。実のところ、こちらは大真面目なのだが、宣言や憲法案などもついて 「遊べる」本としても受け止めてほしいと思っている。酒の肴に、家族の団欒に、職場での笑い話のネタに、学校などでのテキストやワークショップのおもちゃに、対行政・警察マニュアルに(?)、といろいろな用途で遊んで頂ければさいわいだ。「広島が独立するとか言ってる人がいるらしいよ」「へえ、バカじゃないの。独立なんてできんの?」「知らなーい。でも、日本てウザいから、うちも独立しょうかな。ははは」とか、みんなが笑っているうちにいろんなところで瓢箪から駒となればしめたものだ。

 ここにあるように、もちろん東は真剣なのだ。

 ぼくは奄美をどのように構想するのかということについて、その自由度という意味で刺激を受ける。一人ひとりが構想を持つことが重要なのだし、それは実現の可能性に向かって開かれているのだと思う。


    『ヒロシマ独立論』

Hiroshima

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2010/01/19

「400年語り」で奄美は姿を現したのか

 2月13日のシンポジウム「「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ」のレジュメ。お題に対しては、「「400年語り」で奄美は姿を現したのか」と応えたいと思う。これをもとに更新していく。


「400年語り」で奄美は姿を現したのか

1)奄美とは何か

自治、独立の基礎、前提としての自立、と受け取る。
奄美。この小さな場所を世界模型として起点にするしかない。

アイヌ、奄美、沖縄-まつろわぬ民たちの系譜
まつろわぬ、どころではない
では何か。失語というのがふさわしい。

二重の疎外。「奄美は琉球ではない、大和でもない」
『奄美自立論』


2)奄美にとって自立とは何か

「400年語り」のなかの奄美。 「琉球国之内」
しかし、本質的には、「内証の事」

中国に対してだけでなく、幕府(日本)に対しても隠したということ。

薩摩にとっての奄美。配慮不要の存在。存在しないかのような存在として扱う。
薩摩内の奄美。隠されたということ。存在しないかのような存在として振る舞う。

政治意思としての鹿児島。維新止まりと他者の不在。
鹿児島内の奄美。琉球文化を持ちながら、それを表現することができない。

奄美にとっての発語。隠されてあることを解く。
歴史の副読本を奄美主導(鹿児島ではない)で作成が決まる。まだこの段階。


3)「400年語り」の課題とは

「奄美と沖縄をつなぐ」

「沖縄県・鹿児島県交流事業」
沖縄県、鹿児島県知事が奄美大島で交流宣言。

鹿児島県。頬かむり的な素通りの態度。
奄美。少数年長者層の抗議と多数の引き、非関心。
両者の懸隔を縫って、交流宣言に呼応する声も通り過ぎた。

鹿児島。なぜ、奄美に向き合えないのか。
それをすれば、県が絶対視する明治維新や西郷隆盛を相対化せざるをえなくなる。
しかしそれができなければ、時は止まったまま。

奄美。島役人批判への傾斜。
鹿児島県批判に向かうところで内向する。かつて琉球王国、いま島役人。
依然とした傾向。

県と市民社会を区別する必要がある。

身体性にすらなっている無力感、諦念。
「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた。本土から軽んじられると、だまってそれを受けてきた」(島尾敏雄「奄美 日本の南島」)


4)どう語るのか。「160q」から「1Q84」へ

『1Q84』(村上春樹)。1984年からタイムスリップ。
しかしリアリティがあるのは、「1Q84」

奄美。1609年に160q年へタイムスリップ。

通時 「160q」のことを「1609」へ

・歴史に登場することのない時間を歩んだ。
黒糖工場化と貨幣流通の禁止/近代化は植民地解放的な闘い/日本復帰のズレ
・史実の発掘(弓削政己)

共時 「1984」ではなく「1Q84」に

・絶対的経済貧困からの脱出と過剰なイメージ

何を語るか、とともに、どのように語るか。

・過剰への着目
たとえば、400年の歴史を身近に呼吸できる

・世界観の共鳴
粟粥の呪術とインターネット

「400年語り」で奄美は姿を現したのか
・アジールとしての見え隠れ

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2010/01/12

「独立/自立/自治」を考える-沖縄、奄美、ヒロシマ

 事務局の早尾さんから開催の案内が届いたので、ご紹介します。アジア太平洋研究センターディアスポラ研究会シンポジウム、「「独立/自立/自治」を考える--沖縄、奄美、ヒロシマ」。2月13日土曜日です。

◇◆◇

アジア太平洋研究センターディアスポラ研究会シンポジウム:
「「独立/自立/自治」を考える--沖縄、奄美、ヒロシマ」

 アジア太平洋研究センター(東京麻布台/本校=大阪経済法科大学)において、沖縄・奄美を軸とした地域の「独立/自立/自治」をめぐるシンポジウムを開催します。

 沖縄/琉球の独立論は、1972年の日本返還(本土復帰)の前後に「反復帰」論として展開されてから現在に至るまで、米軍基地に依存した政治経済構造から脱却するために、またそうした構造を強いている日本本土から脱却するために、長く論じられてきました。とりわけ昨年は、琉球処分130年/薩摩藩侵略400年ということもあり、節目としても比較的多くの関連書籍が刊行されました。そこで3人の注目すべき論客を招き、討議の場をもちたいと思います。

 まずは、『沖縄・共同体の夢--自治のルーツを訪ねて』(榕樹書林)などによって、長年沖縄の自治論や共同体思想に取り組まれてきた安里英子さん。安里さんは一昨年も、『凌辱されるいのち--沖縄・尊厳の回復へ』(御茶の水書房)を出され、そこでもあらためて自治をめぐって議論が深められています。

 また、「沖縄と本土」という対立軸で捉えたときにそのあいだに落ち窪み不可視化されてしまうのが「奄美」です。喜山荘一さんは、奄美の語られなさや困難を「失語」として問題化した『奄美自立論--四百年の失語を越えて』(南方新社)を昨年刊行し注目されました。

 また、国家と地域との関係を根本的に問い直す『ヒロシマ独立論』を出された東琢磨さんにも参加していただきます。広島に深く根ざした活動を展開しながら、沖縄/琉球にも関わりの深い東さんには、先のお二方の話を受けつつ、国家/独立とは何かといったところまで議論の射程を広げていただければと思います。

【日時】:2010年2月13日(土)14:00-17:30
【会場】:東京麻布台セミナーハウス2階大会議室
(港区麻布台1-11-5/日比谷線神谷町駅から東京タワー方向へ徒歩3分)
【入場】:無料、一般参加可

【プログラム】
開催趣旨説明:早尾貴紀=司会(15分)
報告
安里英子(30分)
喜山荘一(30分)
東琢磨(30分)
休憩(15分)
総合討議(90分)

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