「奄美独立経済再考」
昨晩、「近代日本の地方統治と『島嶼』」の高江洲昌哉さんとお会いした。そこで「奄美独立経済再考」と題する2009年の論考をいただいたのだが、刺激を受けた。
高江洲は、紹介の意味を込めて奄美の自意識に触れている。
まず第一に沖縄との関係で仲間意識の濃淡というのがあります。これは、奄美の人は、沖縄と文化的なつながりがあるので仲間意識をもっていますが、沖縄の人から見ると奄美は鹿児島県の一部として見てしまい、仲間意識が薄いという傾向があります。沖縄と奄美では仲間意識に濃淡があるため、奄美の人は沖縄に対して屈折した意識(疎外感)が生まれました。第二に鹿児島県本土から差別されてきたという被差別意鈍があります。それは、鹿児島県本土からは文化的に違う地域として見做されてきたという経緯に由来します。こうした被差別意識は、江戸時代における砂糖収奪、近現代における経済的困窮といった歴史的経験によって醸成されてきた面もあります。
まるで自分のことを紹介されているような恥ずかしさが過ぎるが、そのように、この観察は的確だと思う。
ここを導入口に、高江洲は、独立経済政策成立の背景について次のように要約する。
それでは、拙論で言及したテーマというものを要約しますと、鹿児島県本土の税金が奄美に利用されるのを良しとしない切捨て政策と、奄美の税金が奄美外の目的で利用されることを良しとしない島地保護政策という、相反する意図をもって採用された政策であったということです。
そして本土鹿児島から徴収した税が奄美に使われるのをよしとしない議会に対し、県令は段階を追った対応を経て、独立経済に踏み切る。
独立経済の出発点こなった県会の意見というのは、地方税の使い道です。それは、橋や道路の建設という点と郡役所経費の補充という二つの点からの批判になります。この批判への対応ま第一段階と第二段階に分かれます。第一段階の対蘭ま、他郡の地方税が奄美の郡役所経費を補填するのを回避するため、奄美の行政組織が支庁・島庁へと変遷していく過程がそ相こあたります。ですから、この組織の名称変化は単なる名前の変化ではありません。その財政的裏づけが、地方税支出から国庫支出というように、ちゃんと批判への対応として結びついていたのです。そして、第二段階が、地方税の使い道の問題になります。ここでは知事が奄美の税が奄美以外に使われるのに反対という論理を立てて独立経済を支持しています。つまり、「他郡から奄美へ」から「奄美から地郡」にと、主客を逆転した形で、税の囲い込みを正当化しています。力点の置きかたによって意味付けが違ってくることの好例だと思いますが、奄美の税は奄美へという論理で独立経済は結実したのです。
まず県令は、議会の態度に対して、奄美に対する財政を「地方税支出から国庫支出」の補填を持たせることで対応する。この箇所は、これまで、弓削や高江洲の論考を読みながら、文脈を踏まえるならそうなるが本当にそう理解していのか確信が持てなかった点であり、ここで明確にすることができた。
そして次の段階で、もうひとつの矛盾、奄美からの税収が他郡に使われる矛盾を解消するために、奄美の税は奄美という目的のもと、独立経済が敷かれたことになる。
この整理は、独立経済をめぐった見晴らしをずいぶんとよくしてくれる。
地方税分配をめぐる解釈の二面性は、制度が悪い、鹿児島県本土が悪いという解釈とは距離をおくものです。また、経済力が弱いという「遅れた」奄美にのみ原因を求めるものではありません、時勢に来るという表現は適切ではありませんが、すべての地域が時勢に乗れるわけではありません。歴史にはこうした「やるせなさ」というのがあると思います。
ぼくはことの経緯について細部を充分に辿りつくした者ではないので、奄美独立経済に対する理解を更新しておきたい。
奄美の独立経済は、奄美を囲い込むという面では、近世から近代初期にかけた黒糖収奪期の再現あるいは延長だった。その意味では、政策やその検討はひとつ奄美だけが被ったものではなかったとはいえ、政治意思としての鹿児島には選択しやすい方向だったろう。結果、再三の問題提起にもかかわらず政策は中止されず、奄美は困窮を深めていった。しかし一方、国庫支出による補填や奄美の保護を目的に県令が動いたという点では、「人間は平等」という近代理念の具現の努力は、奄美に対しても始まっていた。
高江洲がそう書いているのではない。高江洲が提示してくれた新たな知見を受け止めようとして出てきた言葉だ。
ぼくたちは、現在の困難の原因を過去の無限遠点に設定し、困難を絶対化するとともに、その責を未来の無限遠点の理想から照射して、責任を絶対化する傾向がある。独立経済であれ奄美のどの歴史であれ、無限化の誘惑に流されず、しかし局所的にもならずに時間と空間を大きくとって眺める必要があるのに違いない。そのバランスから見える光景がもたらす感覚を高江洲が「やるせなさ」と呼ぶように、そこは必ずしもすっきりした場所ではないとしても。
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