「大島代官記」の「序」を受け取り直す 3
実はぼくは、『奄美自立論』の第一稿を読んでもらったとき、「大島代官記」の「序」は、本当に島役人が書いたものかどうか、確かめる必要があるのではないかという助言を、弓削政己ではない人に受けている。そのことに触れておきたい。
これを島役人が書いたというのはなかなか信じられない。薩摩の役人が書いて署名だけさせたものかもしれない。原典に当たらなければならないのではないか、ということだった。
ぼくは実際にはその後、原典に当たらずに原稿を推敲し出版したのだが、そのとき考えたのはこういうことだ。
確かに原典に当たって調べるべきだろう。特に、「大島代官記」の「序」は、何度読んでも薩摩の役人が書いたものとしか思えなかった第一印象もある文書だからなおさらそうである。しかし、それはぼくの守備範囲ではない。もう少し正確にすれば、今のぼくには、原典となりうる写本を比べ、その比較のなかから真偽を確かめる力量はない。そういう領域を自分の守備範囲にする契機もあるかもしれないが、少なくとも現状の自分にはない。現に、各写本に当たり、比較したとしても自分に謎解きができるかどかは分からない。
ぼくはぼくが守備範囲とできるなかにおいては最大限の努力を払いたいと思う。それには先人の書いた奄美に関する理解や解説を手掛かりにするしかない。それは先人の成果を鵜呑みにするということではない。鵜呑みにするだけなら、改めて書く動機は生まれるはずもなく、その理解への違和感が、新たに書く動機になっているものだ。ぼくにしても、事実に基づいた仮説や理解を吟味の対象にすることもあれば、事実そのものを吟味の対象にすることもあるだろう。けれどそのとき、いつも手がかりになるのは、先人の残した表現の資産である。
それを踏まえていれば、そこに後世からみて事実ではないものに基づいた判断があったとしてもそれは必然としなければならない。それが分かった段階で改めればいいと考える。全ての事実が疑いの余地なく判明した後でなければ考察は不可だとしたら、およそ新しい理解を提出することも不可能になる。では、突き詰められていないかもしれない事実があるとして、そのときは仮説はいかようにでも立ち参照すべきよすがはないのか、ある意味では無責任で構わないのかといえば、ぼくなら、過去に生き現在に生きる奄美の島人の生のリアリティをくみあげているか、それに拮抗しえているかということを、基軸にする。その意味では、今回なら、屈服の論理が体現されていることにリアリティがあるなら、そこを捉えることを第一義とみなした。
そして原典を確かめていたら、2009年の春に出版するという計画は大幅に遅れるしかない。それよりは、この四百年間に手にされている事実や解釈をもとに、全体を見通す視座を提出したいというモチーフを優先させよう。それがそのとき、ぼくの考えたことである。
ぼくはこうして、あの助言からそう時間を経ない段階で弓削政己による検証を手にすることができた。仮にこの検証がもう少し前になされていたら、「大島代官記」の「序」に躓くことはなく、大山麟五郎の屈折の構造を抽出するだけで済んだだろう。弓削の検証をみれば、自分もこの手間を厭うべきではなかったのではないかという内省もよぎる。けれど、ある意味では、ぼくもまたそこに躓くことのなかに奄美的なリアリティがあると思える。ぼくはそこに躓き、ことの真偽を告げられ、そこで誤りをただし、前へ進めるということだ。しかし、それはそうするしかない、というこではないだろうか。
ぼくたちは、「大島代官記」の「序」を受け取り直す。それは、屈服の論理の原像ではない。強者の論理の原像である。
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