カテゴリー「42.400年」の135件の記事

2009/12/20

「薩摩侵略400年 東アジア視点に研究発表」

 昨日、沖縄国際大学で行われた南島文化市民講座(「東アジアの中の琉球-島津氏の琉球侵略400年を考える-」)の記事(琉球新報)。

 「外交・貿易 幅広く議論/薩摩侵略400年 東アジア視点に研究発表」

 京都大学の夫馬(ふま)進教授は、中国や朝鮮からみた薩摩侵略の意味を検証。1724年、北京で琉球と朝鮮の使節が接触した際の史料を紹介し「国交がない両者の接触はよそよそしいものだったが、琉球使節は(侵略後)独自の『外交』指針を見いだそうと模索していたのではないか」と提起した。

 琉球大学の豊見山和行教授は、薩摩侵略と、ほぼ同時期に江戸幕府が台湾に出兵した際の外交政策が共通していると指摘。「幕府は薩摩の捕虜である琉球の尚寧王らを外交使節として仕立て、将軍へ『返礼』に出向いたと位置づけていた」とその概要を解説した。

 奄美史研究者の弓削政己氏は、薩摩藩が奄美大島を介してオランダ貿易を構想していた事実を説明。薩摩藩が幕府に対して秘密裏に琉球、奄美諸島を支配し搾取するために「隠蔽(いんぺい)政策」を行っていたことを説明した。

 沖縄大学の西里喜行教授は、薩摩侵略前後や明朝・清朝の交代時期、廃琉置県(廃藩置県)時など、琉中関係の変遷を解説。「中国側の倭乱(わらん)(薩摩侵略)の認識は時期によっても相当の違いがある」と強調した。

 弓削のいう奄美大島におけるオランダ貿易構想は、幕府に対する奄美直接支配の隠蔽を背景にして成り立っているという理解がポイントだと思う。

 他の方の発表の詳細も知りたい。


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「徳之島 歴史を超える歌の力しまうた・七月踊り・シンポジウムの祭典」

 400年イベントの報告で挙げそびれていたもの。
 「徳之島 歴史を超える歌の力しまうた・七月踊り・シンポジウムの祭典」(徳之島を考える有志の会主催)。11月22日開催。

 シンポジウムには進行役の大橋愛由等さん図書出版まろうど社)と、米川宗夫さん(瞑者、井之川出身)、酒井正子さん(川村女子学園大学教授)が登壇した。
 大橋さんは沖縄、鹿児島両県知事の交流拡大宣言に触れ、「交流拡大を期待する声がある半面、奄美の民衆の支持がなく、頭ごなしの調印に反発もある」と報告。米川さんはと徳之島の唄には『徳之島しゅんかね節のように、物語性のあるものが多い」と指摘した。

 酒井さんは「こっけい、骨太なユーモアと即興精神、素朴さと懐かしみが徳之島の唄の特徴」と前置きした上で、「夏目踊りには男女が掛け合いかがら歌う力動感があり、ハメツケに高揚がある」と説明した。さらに、「400年」にも言及、「目手久集落(伊仙町)の田植え歌の歌詞に徳之島の人たちの反骨精神が表れている」と指摘した。
パネラーの報告を踏まえ、大橋さんは「今の生活には直結しないかもしれないが、この400年の間に薩摩藩や鹿児島県から受けた徳之島の記憶は島唄や田植え歌の中に歌い込まれている。400年の思いが継承されていることが確認できた」と総括した。シンポに続いて再び歌と踊りが始まり、「ワイド節」「六調」でにぎやかに締めくくった。(南海日日新聞」12月3日)

 神戸には、1500円払って150名が集う徳之島のコミュニティがある。すごい力だと思う。さすが徳之島だ。「こっけい、骨太なユーモアと即興精神、素朴さと懐かしみ」。徳之島気質でもあるかもしれないですね。


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2009/12/19

「日本にとって沖縄とは何か」

 「日本にとって沖縄とは何か」シンポジウムのその場レポート。ぼくとしては、ずっと、「日本にとって奄美とは何か」という問いを考えずにはいられなかった。紙屋さん、真栄平さんの話は、紙上でも読んだことがあり、あまりメモを取らなかった。あとで後悔。

 ヨーゼフ・クライナーの話には、奄美も含まれていて感銘を受けた。


◆13:00─13:50 紙屋敦之(早稲田大学文学学術院教授)
       「薩摩の琉球侵攻―東アジアの中の琉球―」

 徳川は1610年、「琉球は代々中山王が国になれば」として、日明貿易の仲介を期待して、琉球王国の存続を命じる。

 メモ。これは薩摩にとっては、奄美の直轄領化を幕府に対して隠蔽する動機の強化を意味したに違いない。


◆13:50─14:35 真栄平房昭(神戸女学院大学文学部総合文化学科教授)
       「女性史から見た薩摩の琉球侵略─その歴史と伝承─」

 歴史を人間の視点からみる。それを可視化するために、「女性」の視点を導入しているのだと思う。
 これまで三千の兵がいながら徹底抗戦しなかったのはなぜか、という問いかけがあったが、女性の身柄の安全を確保するためにそうしたという考え方も成り立つのではないか。

 薩摩は琉球における女性の知行権を廃止しようとした。しかし琉球においては女房衆」の抵抗によって実現しない。しかし、奄美では強く実行された。

 (メモ。沖縄本島のハジチ。アマングヮは、左手の手首にある。)

 世界的にみると、女性だけが入れ墨をするのは珍しい。ここには幕藩体制下の異国的要素が現れている。


◆14:35─15:30 Rosa Caroli ローザ・カーロリ(ベネチア大学日本学科教授)
       「沖縄県設置における尚泰氏の役割をめぐって」

 尚泰(首里1843-東京1901)。
 尚泰の従順な態度は沖縄の日本政府に対する態度の象徴としてみられてきた。尚泰の悲劇的でロマンティクな人物像は、それにふさわしいものだった。

 1872年7月。王制一新の慶賀を理由として明治政府から上京を命じられる。9月。琉球藩の設置。尚泰王は琉球藩王となる。1875年から4年間、3回も松田道之は那覇を訪れる。1879年3月、沖縄県設置。尚泰は首里城の明け渡しと東京への出発命令を受ける。

 4月27日、尚泰の長男、尚典は、那覇を離れ、5月2日、東京に到着。5月19日、尚泰は上京を決断。6月9日、上京。6月17日、東京在住を命じられる。「以上の経過を経て、琉球処分は、国内的には完結した」。

 尚泰での在住を永続的なものと考えたかどうかは明らかではない。明治政府は、いつ東京を尚泰の永続的な居住先と考えたのか。

 尚家からみれば、尚泰が次男まで東京に連れて行ったのは、沖縄に尚家の王位継承者がいなくなることを意味した。

 尚泰の悲劇的でロマンティクな人物像は、部分的に過ぎない。尚泰の果たした役割は再考する必要がある。

 (うまく聞き取れず、メモが不完全。申し訳ない)。


◆15:40─16:25 牧野浩隆(沖縄県立博物館・美術館館長)
       「日本の安全保障と沖縄経済」

 沖縄では知事選で安保反対かどうかが争点になる。
 1948年、東西冷戦の勃発を背景として、日本の範囲から Ryukyu Islands が外される。

 (マッカーサー、トルーマンの肉声をテープで流す)

 ドッジ・ライン 日本の為替レートは、1ドル360円。沖縄は、1ドル120円。結果、沖縄では製造業は育たず、輸入して販売する第三次的なものになった。

 復帰時の沖縄問題。輸入依存体質と100%自由化(同時期、日本は20%と国内産業保護)。
 オイルショック後、公共事業、基地経済、観光客(3K)。

 いちばん問題になっているのは、基地問題。基地問題は日本の問題であることを分かってほしい。
 いま沖縄は元気です。沖縄ブームです。いまの沖縄振興開発計画は、格差ではなく沖縄の優位性を確立をテーマにしている。地方分権の流れからいうと、沖縄の「違い」が生きていく時代になる。

 日本にとって沖縄とは何か。日本のレパートリーが増えたこと。
 沖縄にとっては、日本は基地の問題である。


◆16:30─16:50  Josef Kreinerヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所特任教授)
       「琉球・沖縄史学や文化人類学から沖縄のアイデンティティを考える」

 沖縄からみて琉球侵攻、侵略。薩摩と同じく、沖縄も一枚岩ではなかった。
 尚寧は、駿府城は王として遇されたけれど、沖縄に帰るときには、掟十五条が出されることになった。そこでは、戦争責任の問題への言及もあった。

 西アフリカでは、人買いのために宝貝を使った。オランダ東インド会社は、最初、沖縄から直接、ついで薩摩から宝貝を購入した。

 国史の編纂。『中山世艦』。侵略から40年後。和文で書かれる。鑑。源為朝伝説も取り入れられる。政治的な理念にバックにある。序文で、「沖縄は元来日本である。人間も五穀も日本から渡ってきたもので日本は即ち本である。本にそむくものは禍に逢う。」

 しかし一枚岩ではない。『中山世譜』。これは漢文。二重的な考え方。
 この二重的な考え方は、他にもみられる。「琉球国由来記」と「琉球国旧記」。日本や中国に要求されたものではなく、琉球のイデオロギー。

 明治十年代、二十年代を通じて、改めて、自分たちとは何かを問う機会が訪れた。代表的な研究者が伊波普献。琉球の言語。結論は、昭和14年、1939年の『日本文化の南遷』。これは、『中山世艦』と同じ構造。

 沖縄の人は、日本人に150%、なりたいと思った。
 柳宗悦の講演を発端とした、「方言論争」。柳田國男、『海南小記』。大きなビジョン。佐多岬に立ちながら、日本文化の北上。「飛石説」。もうひとつ、「周圏論」。沖縄は柳田の説に従うと、二重の意味で日本の古い文化を持つことになる。沖縄の研究者は喜んで受け入れた。

 折口信夫。神々の来訪。若者が仮面仮装して演じる。日本の基層文化として説明している。『まれびとの意義』。柳田と折口、二人とも、沖縄は日本の古い文化を残している、とした。
 
 石田英一郎。「琉日同祖同系を強調するのあまり、沖縄人自身のエートノスの全体的把握や非日本的な要素の究明について、なお見落とされた・・・」

 沖縄は大切。大和中心と琉球中心。奄美を含めても、琉球は日本の1%。しかし文化を含めてみると、日本の半分を占める。沖縄を視野に入れてはじめて日本の文化の全体がつかめる。


◆16:50─17:30 我部政明(琉球大学法文学部教授)
       「戦後沖縄における自己像」

 「沖縄にとって日本は何か」。
 「記憶」。戦後の時間のなかで自分たちはどう考えてきたか。
 沖縄戦。教科書問題では、戦争を体験していない人も、おかしいと声を挙げた。沖縄では共有された記憶になっている。身体的な記憶は忘れにくい。単なる記憶以上に感情がからみつく。そのことを身近で聞くと、聞いた人にも影響を残す。

 (奄美のように、記憶の忘却をしてきた民はどうなるだろう。感情はあるのに言葉がない。)

 戦後、沖縄から日本から切り離された。それは完全ではなかった。完全に切り離されたのであれば、また沖縄の感情は違ったかもしれない。そこで、沖縄の人は、沖縄の人は日本人だろうかと考えざるを得なくなった。

 (ここは、奄美も同様に考えることができる)。

 日本人になりたいと思ってきたけど、日本人として扱われているか、という疑問が起こってくる。やっぱり日本人じゃないのかな、いやでも日本だしな。答えが出ない。

 これらが沖縄の自己像。

 このような理解の仕方は間違っているかもしれないが、メタファーを使った理解の仕方は妥当にも思える。

 沖縄の人たちは沖縄に米軍基地がってうれしいとは思っていない。アメリカも沖縄に豊かさをもたらすために基地を考えているわけではない。だから、基地のメタファーをニライカナイとみなすわけにいかない。


◆17:30─18:15 総括討論

 (得能壽美、我部政明、ヨーゼフ・クライナー、牧野浩隆、ローザ・カーロリ、真栄平房昭)」

 日本にとって沖縄とは何か。沖縄にとって日本とは何か。

真栄平。

 日本が東アジアへ起こした戦争。秀吉に始まる。戦争の記憶。1609年の戦争。日露戦争は沖縄の人が日本人のアイデンティティを持ち始めるきっかけになったのではないか。『坂の上の雲』の沖縄バージョンがあったのではないか。

 日本の中の異国。それは、琉球的な風俗が異国的であったことも寄与している。ところが明治になって、かなり日本的になってくる。

ローザ・カーロリ。

 尚泰にとって日本とは何だったのか。面白い問いだけれど、資料が少なく答えるのが難しい。

牧野浩隆。

 近代は中央集権的な動き。ここ20~30年は道州制などの地方分権的議論。重ならない部分は地域の特性。これは県庁を叱咤激励するときの言い方だけれど。1/47ではなく、1対46で考える。しかし、いまだに遅れているものは何か、という目でものをみてしまう。

ヨーゼフ・クライナー。

 安良城盛昭。日本でありながら日本のなかに、より柔軟な役割を果たした沖縄。高良-安良城パラダイム。
 少し前の沖縄ポップで沖縄の人は少し自信がついたんじゃないか。東西ドイツの統一によって東ドイツは、沖縄のような働きはできなかった。

我部政明。

 沖縄にとって国家とは何か。国家は目に見えない。国家に意思があるかというと、ないんじゃないかと思う。固定的な風に見ないほうがいいんじゃないか。歴史の話をすると、人が見えなくなる感じがする。日米関係もあまり説明的に理解しようとすると、間違うんじゃないか。人間が歴史を作っているんじゃないか。


普天間問題。

牧野浩隆。

 危険性の論理と反戦平和の論理。

我部政明。

 アメリカは普天間基地を危険だとは言わない。日本側からの要請でやるんだという理解をしている。日本側も、危険というのは沖縄の人が言ってるんだという言い方は変わってきている。

Kc380188

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2009/12/18

「東アジアの中の琉球 ―島津氏の琉球侵略400年を考える―」

 再紹介だが、19日土曜は、沖縄国際大学で400年関連イベントが開かれる。

 第31回 南島文化市民講座

 「島津氏の琉球侵略400年」と、「侵略」を明記した名称である点が新鮮だ。駆けつけたいが果たせない。どなたかレポートを書いてくれるのを期待しよう(虫がいい)。

講座タイトル 「東アジアの中の琉球-島津氏の琉球侵略400年を考える-」

研究発表(PM1:10-2:50)

1.夫馬 進(京都大学教授)
1609年、日本の琉球併合と中国・朝鮮の対応

2.豊見山和行(琉球大学教授・南島文化特別研究員)
江戸幕府の外交秩序と琉球ー「御礼」と保護ー

3.弓削政己(奄美史研究者・南島文化特別研究員)
道之島の成立と幕末の奄美諸島ー琉球開国要求と奄美諸島内部の施策の変化

4.西里喜行(沖縄大学教授・南島文化特別研究員)
中琉関係史における「萬暦の倭乱」とその周辺ー「併合」と「両属」の間ー

全体討論(PM3:10-4:50)

進行 田名真之(沖縄国際大学教授)

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2009/12/17

間をつなぐ言葉

 MT FORTUNEさんとツイッターで話していてふと、思った。

 いまの奄美は、大声で叫ぶことと沈黙とが共存している。両者は距離が大きいように見えるけれど、でも、同じなのだと思う。どちらも、叫びか沈黙によってしか語ることができないという点では。ぼくたちには両者をつなぐ言葉が必要なのだ。

 ところで、沖縄・鹿児島両県の知事による奄美大島での交流宣言とは、その大きくあいた間を通り過ぎることで実現させてしまったのではないか。そうなら、ぼくたちが避けなければいけないのは、この間隙を素知らぬ顔で、もう問題はない、いまさらと涼しげな顔で通り過ぎていかれて、なし崩しにされてしまうことではないのか。

 泣く子と黙る子、そこのけそこのけ、なし崩しが通る。

 今週末の「見えかくれする薩摩侵攻以前と 以後の奄美諸島」が、それにならないことを願う。


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「日本にとって沖縄とは何か - 沖縄史の三つの転換期を再考する」

 400年イベントはまだ尽きてない。しかも東京開催。

 「日本にとって沖縄とは何か - 沖縄史の三つの転換期を再考する ―薩摩琉球入り・侵攻400年、琉球処分130年、沖縄復帰―」

 ウィルヘルム・ヨハネスさんに教えてもらった。

法政大学沖縄文化研究所・国際日本学研究所  国際シンポジウム 日本にとって沖縄とは何か 沖縄史の三つの転換期を再考する 薩摩琉球入り・侵攻400年、琉球処分130年、沖縄復帰

場所 法政大学ボアソナードタワー25階B会議室 
日時 2009年12月19日(土) 13:00~18:15      

13:00─13:40 紙屋敦之(早稲田大学文学学術院教授)
       「薩摩の琉球侵攻―東アジアの中の琉球―」

13:40─14:20 真栄平房昭(神戸女学院大学文学部総合文化学科教授)
       「女性史から見た薩摩の琉球侵略─その歴史と伝承─」

14:20─15:10 Rosa Caroli ローザ・カーロリ(ベネチア大学日本学科教授)
       「沖縄県設置における尚泰氏の役割をめぐって」 

15:30─16:10 牧野浩隆(沖縄県立博物館・美術館館長)
       「日本の安全保障と沖縄経済」

16:10─16:50  Josef Kreinerヨーゼフ・クライナー(法政大学国際日本学研究所特任教授)
       「琉球・沖縄史学や文化人類学から沖縄のアイデンティティを考える」

16:50─17:30 我部政明(琉球大学法文学部教授)
       「戦後沖縄における自個像」

17:30─18:15 総括討論

 ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ欲を言うと、奄美はまた陰扱いかなというさびしさが過ぎる。お、またいじけやすさ発揮か(苦笑)。

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奄美テレビのインタビュー取材を受けました

 昨日、奄美テレビのインタビュー取材を受けました。一連の400年イベントをどう感じたか、と。

 急な話と短い時間だったこともあり、意図をよく汲んでないわ、あとで気づくに番組名も放送時間もおぼつかない。何やってるんだろう、おれ状態です。

 ご覧になる方いらしたら、笑ってやってください(苦笑)。



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2009/12/14

差異の異議申し立てあるいは思考譲渡

 「系図差し出しは島役人の身分保全のため」という弓削政己の報告の衝撃が去らない。奄美はいままでいったい何をやってきたのだろう。

 ぼくの場所からはこの報告の詳細を知ることはできない。知る前に何ごとも断定的に言うことはできないだろう。しかし、弓削の史実に対する常の誠実さからこれを現段階で、妥当なものとするなら、ぼくたちはこれをどう受け止めることができるだろう。

 「奄美は琉球ではない」という規定が露わになった1623年の「大島置目の条々」で、島人は身分差なく百姓という視線は内包されていた。しかし、1728年の「大島御規模帳」では、それは「御蔵入りに成り候ては、皆百姓にて候」と明確に強調されることになる。そこで再度、強調されるものの、その前の1695年には、「皆百姓」であることに対する異議申し立てがあったことになる。これは、「奄美は琉球ではない。大和でもない」という二重の疎外が、奄美全体を同一化して見なすことに対する、琉球侵略以前の差異を根拠にした異議申し立てであっただろう。その意味では、政治的に琉球であったときの差異を、薩摩内において復活させる意味を持つものだった。

 しかし、琉球から薩摩へ、上層を統べる者は誰であれ構わないというなりふり構わぬ挙措のなかに、思考は収奪されたのではなく、譲渡したものだという実像が浮かび上がってこないだろうか。これがその後、島役人だけが富裕になり膨張する背景に当たるものだ。

 これは、島役人の末裔が、個人の煩悶を歴史と解するような特権的な思考形態に陥ったり、鹿児島の教科書に黒糖収奪について、ともに明治維新を築いたという記述を求める能天気さとなって現れるように、現在も去らない生々しさを持っている。

 これらは直観的な記述に過ぎないが、なにごとか言わずには済まなかった。奄美は自らをえぐりださなければならない。


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系図差し出しは島役人の身分保全のため

 「第42回 琉球大学史学会大会」の琉球新報、記事(12月13日)。弓削政己の報告は衝撃的だ。

 琉大史学会シンポジウム:「薩摩の影響、相撲にも」 各分野から活発意見

弓削氏は歴史学の観点から、奄美の役人「与人(よひと)」が薩摩に系図を提出している1695年の「差上(さしあげ)」に触れ「与人を百姓と受け止めるような何らかの出来事があり、それを阻止するために薩摩へ提出したものだ」として、系図差し出しは彼らによる身分保全のためだったと指摘した。

 1695年の系図提出は、これまで薩摩による強制と言われてきたものだ。ぼくもこれを薩摩の思考収奪の例として挙げてきた。ところがどうだ。系図提出は、島役人の保身のためだというのだ。これでは、進んで思考を収奪させたようなものだ。

 切に詳細を知りたい。もし弓削の言うとおりだとしたら、いままでなぜそういう理解にたどり着けなかったのか。いったい奄美は何をやってきたのか。深刻な問題が横たわっていると思う。


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2009/12/11

「奄美の明暗」

 酒井卯作さんが44年間続けてきた「南島研究」の第五〇号(2009/11/20)冒頭には、「奄美の明暗」というエッセイが置かれている。

 薩薩摩支配から今年は四〇〇年。奄美でもその歴史をふり返る機運がある。そこで二つの問題をとりあげよう。一つは西郷隆盛の奄美に対する悪業である。明治維新に黒糖自由販売を隠して、黒糖詐取を続け、抗議に上鹿した奄美の若者たちを投獄、もしくは西南役にかりたてて戦死させた。奄美を低く見た薩摩の態度がこれでよくわかる。

 第二は奄美自身の問題だ。復歸前の奄美では本土への渡航が許されなかった。その頃、自分を犠牲にして奄美教育に貢献した二人の男性がいた。深佐源三・森田忠孝の両氏である。隔絶した本土の教育事情を知り、教材なども入手する必要があったので、警察の日を潜りぬけて「密航」 をした。そして多くの困難を経て目的を果たして奄美に戻った。快挙というべきだったが、しかし「密航」を密告するものがいた。結局二人は教壇を追われ、そして再び教壇へ戻ることは許されなかった。

 この話は、私も教員組合委員長をしておられた三原明大氏から東京で直接聞いた。やるせない話である。奄美の人の心の狭さと、これを助けられなかった周囲の人たちの無気力を思わせる。奄美社会にある明るさと暗さ、それを反省する機会、それが薩摩支配四〇〇年の課題なのだ。               (文卯之吉)

 この後者のエピソードは、NHKの「南の島の先生 命がけの密航記」でも触れることのなかったもので、知らなかっただけにショックだ。しかし、静かに内省すれば、起こりうることは了解されてくる。これが事実なら、「奄美の人の心の狭さと、これを助けられなかった周囲の人たちの無気力」は、奄美の課題として受け取らなければならないと思う。

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