カテゴリー「36.『なんくるなく、ない』」の5件の記事

2007/06/30

ちょっとだけ奄美

実は、よしもとばななの『なんくるなく、ない』の書名は、
サブタイトルがついていて、
「沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか」と続く。

 沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか

この、ちょっとだけ奄美の個所は、
がっかり、から、なるほど、へと印象が変わる。

まず、コピー自体にがっかりくる。
「ちょっとだけ奄美」。
これは、山下欣一の指摘した「付録としての奄美」そのまんまじゃないか。
その表現が、あまりにあまみで、
よしもとにあってもそうかと、がっかりしてしまう。

次に、奄美についての旅日記「奄美、鶏飯の日々」のはじまりにがっかりくる。

 奄美・・・知っているのはアマミノクロウサギと朝崎郁恵さん
 (ハブ屋にまでサインがあった・・・島中が彼女のサインでいっぱいだ!)
 と元ちとせさんくらいの奄美。
 ああ! 大切なことを忘れていました。
 この夏「死の棘」を読み返したのに。
 そう、島尾先生がトップにくるのでした。
 うちのお父さんと島尾さんはお友達だったので、
 よく家にいらしてましたっけ。
 懐かしい気持ちだ。

そんなに奄美を知らないのか、と。
そしてこのくだりが続くにあたって、がっかりは、最大幅に振れる。

 奄美に着いてまず驚いたことは、
 沖縄よりもずっと鹿児島みたいだったこと・・・。
 あたりまえなんだけど。

それを言うな、と思わず思う。

最初に、島尾ミホの話題が出るが、奄美の旅日記自体も、
島尾ミホ、田中一村、喫茶店、宿泊施設と点景が綴られていくような感じだ。
沖縄を書くのとは明らかに何かが足りない。

それは、地霊的なオーラを、よしもとが奄美では感じていなくて、
魔法が解けたように、しらふで書いているところから
やってくるように思う。

これはもっとも考えさせられる、がっかりだ。

 ○ ○ ○

でも、気を取り直して再度、読んでみる。
すると、第一印象が、自分の既成概念、偏見に
引っ張られているのに気づくのだった。

 奄美に着いてまず驚いたことは、
 沖縄よりもずっと鹿児島みたいだったこと・・・。
 あたりまえなんだけど。

ぼくはこの個所に、もっともがっかりしたわけだけれど、
このくだりは、次のように続く。

 緑がこんもりしていて、そてつがいっぱいあって、
 海がゆったりと広がっていて。

これを素直に読む限り、よしもとが「沖縄よりもずっと鹿児島みたい」
と言っているのは、緑、そてつ、海のありようのことだ。

つまり、自然の実態を指している。

作家の感性は、南から北へと移動する中で、
本土との連続性のなかに、奄美の自然を位置づけたのだ。

そんな素直さは、次のくだりにも現れていると思う。

 奄美は沖縄ではないが、とにかく南の島なので、
 なんとなくこの本に入れた。
 (中略)
 ソテツが大きくて、全体に少しさびれていた愛すべき奄美大島よ。

「奄美は沖縄ではないが、とにかく南の島なので」。
「奄美は沖縄ではない」ということを、
奄美は沖縄県ではない、という行政区分の意味で言っているだろうか?

ぼくには、単純に、沖縄県ではないという意味もあれば、
島から感受される空気の意味でもある気分の幅で書いている気がした。

面白いのは、

 奄美は沖縄ではないが、とにかく南の島なので

と、「奄美は沖縄ではない」が、を、でも、「南の島なので」と受けることだ。

思想的な視点が入って、ぼくなどが書けば、

 奄美は沖縄ではないが、琉球弧なので、

と、書いてしまうところだろう。

「琉球弧」ではなく、「南の島」。
ここでは、思想的な意味は脱色される代わりに、
肩に力の入らない、自然で素直なくくりが見えてくる。

そう、南の島として、奄美と沖縄は同位相なのだ。

この意味では、「ちょっとだけ奄美」という括弧書きのなかの言葉も、
奄美の存在を無視しなかった、よしもとの誠実さに見えてくる。

 奄美は沖縄ではないが、とにかく南の島なので、
 なんとなくこの本に入れた。
 (中略)
 ソテツが大きくて、全体に少しさびれていた愛すべき奄美大島よ。

この文章は、次のように続く。

 ある日ドライブして行った国直海岸で「喫茶・工房てるぼーず」
 のかき氷を食べて、そこ出身の奥さんに集落の福木の道を
 案内していただき、私はその思い出を「海のふた」という小説に書いた。
 睦稔さんがそこにすばらしい絵をつけてくれた。
 自分が産まれたところを愛する気持ち・・・・
 それがいかに気高いものなんか、
 私は彼から学んだのだと思う。

奄美からは地霊的なオーラを感じていないと、
ぼくは書いたけれど、「気高さ」として生きているようにも見える。

ぼくは、それが奄美から途絶えているというのではなく、
「少しさびれていた」とあるように、
奄美が自分をネガとして表現していることの現れであると、
課題として受け取ろうと思った。

 ○ ○ ○

 ただ、沖縄への(ちょっとだけ奄美への)、
 どうしようもない片想いを描いたラブレターとしては、
 読めるかもしれないと思います。

よしもとばななは、旅日記の締めくくりには、
作品が読者向きではなく、
旅の同行の士向きであることの反省の弁として、
こう書くのだけれど、
ぼくには、それが返って、奄美・沖縄が、
よしもとをほぐしていく過程が素直に現していて好もしく感じた。


愛すべき奄美よ。
奄美の新しい表情は、
奄美の人々による奄美の捉え方にかかっていると、
ぼくはこの本を受け止める。


Nankurunakunai

















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2007/06/29

なんくるなく、ない 4

よしもとばななの『なんくるなく、ない』を読んで、
日本と沖縄の関係式が変わったのかもしれないと感じた。

 日本の消滅と彼岸の沖縄。

もし、この感じ方が妥当なら、
これは、近年の沖縄ブームを支えている心的根拠に違いない。

日本で失われたものを見つけるために、
もしくは回復するために、沖縄は要請されている、と。

 ○ ○ ○

このことを自分に引き寄せてみれば、
与論と東京の二重性の引き受け方のことになる。

東京では東京の人となり、
与論のことは封印する。

この二重性を保つことはぼくの宿命であり、
生きる技術だと思ってきた。

 <この執着はなぜ真昼間身すぎ世すぎをはなれないか?
  そしてすべての思想は夕刻とおくとおく飛翔してしまうのか?
  わたしは仕事をおえてかえり
  それからひとつの世界にはいるまでに
  日ごと千里も魂を遊行させなければならない>

         (吉本隆明「この執着はなぜ」)

ぼくはそれに慣れてきた。

慣れてきたといってもラクチンなわけではない。
先の詩が、「きみの嘆きはありふれたことだ」と続くように、
ぼくの悩みも、地方出身者にはありふれたことだとみなそうとしたりした。

それにしてはでも、東京と与論では、
あまりに振幅が大きい。

比喩として言えば、帰省するにしたって、新幹線に乗ってとか、
1時間ちょっと飛行機に乗ってとかいうのとは違う。
費用も海外旅行のほうが安いときている。
海外旅行より安いって、それは宇宙か?
と思うくらいだ。

いや、実際、宇宙にあると思ったほうが納得できる。

という具合いに、折り合いは決してついたことがない。

で、東京の人に流されることもあったし、
与論ひとつに絞りたい誘惑にかられることもある。
けれど、どちらも決してうまくいかない。

東京と与論の二重性は保たなければならないのだ。

 ○ ○ ○

でも、よしもとばななの旅日記を読み、
少し、違う思い方もあるかもしれないと感じた。

東京での与論封印に慣れているので、
ぼくはよしもとばななのように気づかなかったけれど、
実際に、心をなくし魂が抜ける状況に、
いまの東京がなっているのだとしたら、
ぼくはむしろ封印を解くべきなのかもしれない。

封印を解く、というのは、
身近なところに小さな与論を実現させるということだ。

与論に行くと味わえる人と人のつながり、あたたかさ。
それを、小さな宇宙のように持つことができたら、
よりよく生きられるかもしれない、と。

翻っていえば、与論島が失ってはならないものが
何なのかもよく見えてくる。

与論島を与論島であらしめよ。

それが大切だ。

それが、ぼくにとっての『なんくるなく、ない』の受け取りだ。


Nankurunakunai













    つづく


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2007/06/27

なんくるなく、ない 3

よしもとばななは『なんくるなく、ない』の「最後に」でこう書いている。

 もしかして、もう自分がババ~でおかしいの?
 時代遅れなの?
 今はもう女はがりがりの骨みたいに痩せてなくちゃいけないし、
 レアなものを買おうとしたら店の人に頭を下げなくちゃいけないし、
 妊娠出産なんてもっての他、
 社会のすみっこでこそこそやらなくちゃいけないことで、
 それでも女は早く結婚しないと負けで、
 うるさい子供は社会に迷惑なじゃまもので、
 子連れでお店に行って外食しようなんて百年早くて、
 お金が神様で、大した預金がなかったら
 銀行に冷たくされても当然なの?
 いい車に乗ってなければメンテナンスも受けられないの?
 運が悪かったら、
 弱者だったら殺されたり犯されても文句言えないの?

 などと思ってしまいそうになる(もちろんいい人もまともな人も
 通じ合える人もたくさん、たくさんいるけれど)のだが、
 沖縄に行くと、

 「ああ、よかった。自分がまともだった。
 人は自然が好きで、おいしいものが大好き。
 戦争はしたくないし、
 巻き込まれるのはどうせ市民だから反対していたい。
 平和は尊く、若者は思い切り働きたいし、
 それで稼いだお金で安くても楽しく遊びたい。
 いい友達がほしいし、
 男も女も強く優しく生きたい。
 そしてできれば生涯をなるべく楽しく暮らし、
 楽でなくてもいいから人のためになって充実したいし、
 家族にも周囲にも受け入れられたい、
 愛されたい生き物なんだ」と思える。

 沖縄が日本なんだ・・・小林よしのり先生もそうおっしゃっていたが、
 私も心からそう思う、そうでなくてはいけないと思う。

『なんくるなく、ない』は、2004年の小説作品『なんくるない』の、
取材の旅だったと思えるが、
それは1999年に始まっている。

1999年に、沖縄にはじめましてをして、
それから2005年まで、足かけ7年の、
沖縄との交流が描かれている。

この間、よしもとばななは、沖縄が好きになり惹き込まれていくのだけれど、
逆に、嫌いになっていくものが併走している。

それは、日本だ。

沖縄が好きになったから日本を嫌いになったわけではない。
やしもとばななは、みてきたように、
「大和vs沖縄」の構図からは自由な場所で声を発している。

ぼくは、この期間こそが何かを物語っていると思う。
ちょうど、1999年から2005年まで。
よしもとも引用している素材を使えば、
ノストラダムスの予言から21世紀にかけて。

ぼくたちは確かに、日本の消滅、魂の抜けを経験したのかもしれなかった。
そして、それを今も生きているのかもしれない。

よしもとはそうであればこそ、
その日本を東京でひしひしと感じればこそ、
沖縄に「本来」という言葉を当てたのだった。


Nankurunakunai













たとえば、ぼくも沖縄の人を見て、よしもとがこう書くとのを読むとはっとする。

 ものを作るということは、結果の見た目だけじゃないし、
 味は、素材を取り寄せることだけじゃない。
 本物はいつも全然深刻ではなし、いばったりしない。
 いかにもそっとしておいてほしそうにもくもくと毎日のことをする人たち。
 そういうのが文化とか誇りだとかいうことだとしたら、
 そういうのをひっくるめた人生だとしたら、
 私はいつかおばあさんになった時に
 誇りが顔に出ているような人になれるだろうか?
 なるようにしたい。

自分がこれまで、どれだけ、誇りを言えるものを作ってこれたか。
そう思えば、まだ、何もしていないという思いもよぎる。

 ○ ○ ○

そんな内省を呼び起こされながら、
与論島にとってもヒントだなと思う言葉にも出会う。

 波照間は観光客はいるのだが、観光地ではない。
 そのことを何回も思った。
 住んでいる人たちの生活の営みに、
 ちょっとだけおじゃまする、そういう場所だった。
 
観光客はいるが観光地ではない。
波照間島を観光地にしていないのは、
観光の生活化である。

生活の圏外に観光を出さない、ということだ。

与論島もかつはそうだった。
民宿のよさとはそういうものだったに違いない。

ぼくは、与論島もすべて民宿になればよいと言うのではない。
民宿にあったよさは大切だと思うということだ。

特に、魂の抜け殻として、もし人があるなら、
魂の抜け殻を生きることを強いられているなら、
その魂を呼び戻す力を、
与論島もまた提供できるだろうからである。

また、違う風にも受け取れる。

自分に何ができるのか。

そう考えると、身近なところからはじめるしかない。
身近なところから、小さく実現していけばいい。

そう、かもしれない、と。

身近なところに、「沖縄」を実現していけばいい。
それが自分のできることだ、と。


    つづく


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2007/06/26

なんくるなく、ない 2

2004年発行の、よしもとばななの『なんくるなく、ない』という旅日記から、
日本の消滅と彼岸の沖縄ということを、ぼくは感じた。

何が、消滅したのだろう。

Nankurunakunai













波照間島の砂糖きびを見て、よしもとばななは書いている。

 この島の人たちの作る砂糖きびはとても評判がよくて、
 自然食の店などが直接取り引きしたいと言ってくるが、
 みんな数を決めてきびしくやるのはいやだから、
 できた分だけ買ってほしい、と言うそうだ。
 そのかわり、売り物には愛情をもって心をこめる。

 失われた日本人の心を感じて「そうだそうだ」と思う。
 その、自分と製品を大切にして愛を注ぐもともとの気持ちが
 もうちょっとでも残っていたら、
 きっと日本は今みたいにお金が神様になってしまって
 道に迷うこともなかったのに・・・。

失われたのは「心」だろうか。
よしもとは「心をなくす」ことを「お金が神様」と表現している。
ここで、沖縄を指す「本来」は、
「お金が神様ではない」ことを知っている意味を帯びる。

お金が神様。言葉自体は、守銭奴、拝金主義などのように、
以前からあったものだ。

ただ、よしもとが指す「お金が神様」は身も蓋もない、
もうただそれだけしかない「お金が神様」を指しているようにみえる。

つくるモノが売れることは誰もが願っている。
で、つくるモノが売れることばかり考えていると、
守銭奴、拝金主義なんていう揶揄を受けてきた。

でも、いまはそれがもっと徹底して、
つくるモノへの愛情が枯渇して消滅した。
それが、「お金が神様」の意味になっていると思う。

コンビニエンスストアが象徴しちるように、
新製品にあらずば製品にあらず、という商品の状況では、
消費者は商品に愛着をもてなくなる。

それは作り手も同じことで、
矢継ぎ早に新製品を出さなければならない状況では、
愛情をこめた製品づくりはできなくなる。

早死にするのが分かっているのに、
愛情をこめていたら、やりきれなくなるからだ。

 ○ ○ ○

よしもとは、もっと突っ込んだことも書いている。

 大学時代を東京で過ごした学さんがなにげなく
 「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」と言った。
 その表現は私の心をノックアウトした。
 その後彼に風邪をうつされて二週間苦しんだことも
 帳消しになるほどの感動だった。

 そうか、この表現がまさに私の求めていた感覚だ、
 と思い、はっとした。

 私がお台場で、渋谷で、新宿で、電車の中で感じ、
 お店の店員さんにもよく感じるあの感じ、
 人間と向き合っているのに、
 誰もいないような感じは、
 大勢の人がいるのに、
 みんな薄く見える感じは、
 それなんだ、と思った。

心をなくしただけではない。
魂が抜けているのだ、と。

東京の街中で感じることと、少し似ている。
東京はおしゃれさんが多い。
おしゃれさんの意味は、
東京の都市空間にあわせたファッションに心を配っているということだ。
それだから、無機的な印象を与える。

それは悪いことではなく、
都市のファッションは大なり小なり、
無機化することで、都市空間に溶け込み、
調和することだから、
それが美的に感じられるのである。

ただ、このことろは、
無機的ではなく、無機物を感じる。
人が無機的を装って歩いている、のではなく、
無機物が歩いている、そういう感じなのだ。

それを「魂」が抜けているからといえば、
たしかにそうなのかもしれない。
そう思うリアリティがある。

日本の消滅とは、この魂の抜けのことだ。


   つづく



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2007/06/25

なんくるなく、ない 1

札幌の道中は、よしもとばななの『なんくるなく、ない』という旅日記に同行願った。

なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか

Nankurunakunai













ぼくはこの本を読んで、日本の消滅と彼岸の沖縄という言葉がやってきた。

 日本の消滅と彼岸の沖縄。

与論にしても奄美にしても同じだけれど、
これまで本土から沖縄のことが語られる場合、
沖縄(琉球弧)には、古い日本が残っている、
という言い方がよくされてきた。

手つかずの自然や純朴を生きている島人のあり方に、
昔の自分の田舎の記憶を呼び起こされて、懐かしさを感じるのだ。

しかし、『なんくるなく、ない』からやってくるのは、
沖縄に「古い日本」を見るのではなく、「本来の日本」を見る
眼差しなのだ。

たとえば、こう作家は書く。

 沖縄の景色は、なんと大和の本来の景色に似ていることだろう。
 小さい中にぎっしりと滋養にあふれた豊かな自然のあらゆる側面が
 つめこまれている。
 そこに人間は小さく間借りして、いっしょに生きている。

よしもとは、大和の「古い」景色と書くのではない。
大和の「本来」の景色と書くのだ。

「古い」というのには、
自分の田舎などにわずかでも残っている参照先があった。
人は、それを手がかりに、沖縄にそれが豊かにあることを見出す。

「本来」というのは、その参照先が無くなったことを指している。

「古い」日本は、沖縄にはいけば豊かに味わえる。
そういうのではない。それは、もう日本にはない。
「本来」という言葉は、
「古い」日本の消滅という場所から発せられているのだ。

 ○ ○ ○

しかも、よしもとばななは、「本来の景色」を、
「大和の本来の景色」と書いている。

よしもとは、「大和」という言葉を、
「沖縄」と対立するものとして捉えていない。

既成概念のなかにある「大和」として、
この言葉は使われていない。

既成の「大和」よりもっとのびのびしている。
それで、大和の彼岸として沖縄は掴まれているのだ。

ぼくは、ここで描かれている沖縄像は、
大和と対立のなかにある沖縄から離れて、
のびのびしている気がした。

大和との関係のなかでの沖縄のよさではなく、
普遍的な価値としての沖縄のよさ、とでも言うような。

それは何だろう。
そのことを見るために、翻って、
日本の消滅とは何か、見てみたい。


    つづく


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