あふれる無意識と知恵
池田福重さんの『無学日記』は、
自然との交感と親子の情愛の記録だ。
『無学日記』には動植物がよく登場する。
ガジュマル、福木、アダンなどの植物は、
母の知恵や生活背景として日記を覆う世界になっている。
また、「イラに襲われる」、「恐ろしいタフの力」、「うずらの鳴き声」、
「蟻の悲しみの心」、「青大将の恋愛」、「鼠の戦い」、
「カモに負ける」など、タイトルを見ただけでも分かるように、
海、空、地の生きものたちが次から次に登場する。
その動物たちは、池田さんとのかかわりの中だけで現れるのではない。
それぞれが、ある意味で与論島の住人として主役を張るかのように
生き様を披露してくれている。池田さんは、主役の生き生きとした様を
書き記すための目撃者、観察者なのだ。
昆虫や動物たちがとても近い。
近いというのは身近な存在だというだけではない、
昆虫や動物たちが、まるで人のような存在として、
池田さんに働きかけている。
池田さんは、彼らと一緒に生きているのだ。
それは、イシャトゥをはじめ、
ムヌ(物の怪)とのかかわりでも同じだ。
自然は、加工する対象ではなく、
対話し抱かれる相手であるとはどういうことか、
行間から尽きない泉のようにあふれている。
○ ○ ○
親子、人と人のあいだの情愛も豊かだ。
『無学日記』で、それは、
「だから、親のいうことは聞かなければならない」
というように、教訓の締めくくりになって現れている。
けれど、『無学日記』は、教訓譚としてあるのではない。
「鳩を打ち落とす」を見てみる。
カカと二人イモを耕す。
私はイモを掘り出しにカカにチュクルイさせながら畑の周りから
草を刈ってあるく、上の木に鳩が巣を架けて座っている。
鳩は首を出して私を見て座っている。
よし!これを打ち落としてやろうと石を取って鳩みがきて投ぎつけた。
見事命中して鳩はバタバタと私の足下に落ちて来た。
私は自分の腕の偉さを自慢にカカに持って行って見せて
誉められようと急いで持って行ってこれ見よと見せた。
いかばかり喜ぶであろうと思ったのに反対に
「アッシェー ウリヤーヌガ イックーチナリバン
ワラビガマ ガティ チュムチョイ」と泣くのである。
もうただ泣くばかり何も言わない、そのとき私はびっくりした。
よく考えてみるとカカはおなかに赤ちゃんが大きく出来ている。
そんなときにこんな事するもんじゃないという事が、
私には初めてわかってくるのである。
そこで鳩に済まなかった、今後はこんな事はもう一切しませんから
許してくれと言いながらその(鳩の巣にその鳩を置いたのである。その後)
鳩は元気になったのかそれとも死んだのかそこはわからない。
さて、カカのおなかの子は長男として男の子が生まれた。
その生まれた子は昭和十九年三月まですくすくと伸び
みんなを喜ばしていたのに急にキンエンとなり
私が打ち落とした鳩の内股と同じ様に内股にキンエンが出てきた。
私は一人心の中で五年前のあの時のあの鳩さえ打ち落とさなかったら
こんな事にはなかったのにと残念で残念でならなかった。
長男はとうとうどうにもならずにその四月一日にこの世を去ったのである。
だから君達はこういう事はよく聞かねばならない。
また、海に行ってはカメなどに手をかけるものじゃない。
よくよく注意して世渡りせねばならない。
(「昭和十五年 鳩を打ち落とす」『無学日記』池田福重)
カカというのは、この年二十六歳の池田さんの奥さんのことだと思う。
カカは、自慢げに鳩を持ってきた池田さんにこう言う。
「アッシェー ウリヤーヌガ イックーチナリバン
ワラビガマ ガティ チュムチョイ」
あれまあ、これは何。いくつになっても子どもみたいで、残念。
こんな意味だ。
それを聞いて池田さんは初めて我に返るように、
鳩を打ち落としてはいけないと後悔をする。
ここで、池田さんを諭しているのは
他のほとんどの場面とは違って、親ではない。
けれど、池田さんが、
日記を読むだろう子や孫達に当てるメッセージの型は同じだ。
親も奥さんも池田さんを叱るのではない
(父が叱る場面はいくつか出てくるが)。
奥さんが、ただチュムチョンと残念がって泣くように、
池田さんを取り巻く大人たちは、情愛を差し出すだけだ。
そしてそれを見て池田さんはわが振る舞いに悔い、
子ども達に、かくあってはいけない、と諭そうとする。
親、特に母を喜ばせてあげることができなかったという
池田さんの悔いから、こんなことにならないように、
と、日記を締めくくるのである。
こんな構造だから、ぼくたちは、日記に説教くささを感じることはない。
親の情愛の豊かさであり、池田さんの優しさに感じ入るのみである。
○ ○ ○
『無学日記』には、与論島の知恵と無意識の豊かさが詰まっている。
ぼくはいままで、与論島は、人口少なく土地狭いことに加えて、
いたずらに島を開発し、島人は自己主張せず忘れることに慣れているから、
掘り下げるべき民俗の底が浅いのではないかと気になっていた。
与論島の深層を知るには、琉球弧全体を尋ねるしかないと思ってきた。
もちろん、それが与論島理解の助けになることは変わらないのだけれど、
他島にしかないと思ってきたものが与論島にもあることを、
他のどんな解説より、『無学日記』は豊かに教えてくれた。
数年前にはじめて読んだときも、面白いと感じた。
今回は、いくつもの発見があり、改めて驚いた。
こちらの見聞が深まれば、まだまだ発見すべきことがある気がする。
いずれまた、読み返してみたい。
前にも書いたけれど、池田さんは公開を前提に日記を書いていない。
この日記の存在を知った喜山康三さんの再三のお願いで、
実現したものだ。
与論島の無意識の豊かさを知る者が、
その資質にしたがって記述し、
それに感応した個人が、情熱によって形にしたのが、
この日記の成り立ちなのだ。
この日記のおかげで、
与論島の無意識は、辛うじて(あるいは必然的に?)、
ぼくたちの手に受け渡される機会を持ったのだ。
『無学日記』は、与論島の大きな財産だと思う。
喜山康三さんの熱意に感謝したい。
追伸
『無学日記』は、書籍であるとはいっても
ISBNコードが発行されているわけではなく、
ふつうの書店で買い求めることはできない。
読みたい方は、与論の喜山康三さんに尋ねるといいと思う。
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