カテゴリー「31.『無学日記』」の11件の記事

2007/09/27

あふれる無意識と知恵

池田福重さんの『無学日記』は、
自然との交感と親子の情愛の記録だ。

『無学日記』には動植物がよく登場する。
ガジュマル、福木、アダンなどの植物は、
母の知恵や生活背景として日記を覆う世界になっている。
また、「イラに襲われる」、「恐ろしいタフの力」、「うずらの鳴き声」、
「蟻の悲しみの心」、「青大将の恋愛」、「鼠の戦い」、
「カモに負ける」など、タイトルを見ただけでも分かるように、
海、空、地の生きものたちが次から次に登場する。

その動物たちは、池田さんとのかかわりの中だけで現れるのではない。
それぞれが、ある意味で与論島の住人として主役を張るかのように
生き様を披露してくれている。池田さんは、主役の生き生きとした様を
書き記すための目撃者、観察者なのだ。

昆虫や動物たちがとても近い。
近いというのは身近な存在だというだけではない、
昆虫や動物たちが、まるで人のような存在として、
池田さんに働きかけている。
池田さんは、彼らと一緒に生きているのだ。

それは、イシャトゥをはじめ、
ムヌ(物の怪)とのかかわりでも同じだ。

自然は、加工する対象ではなく、
対話し抱かれる相手であるとはどういうことか、
行間から尽きない泉のようにあふれている。

 ○ ○ ○

親子、人と人のあいだの情愛も豊かだ。
『無学日記』で、それは、
「だから、親のいうことは聞かなければならない」
というように、教訓の締めくくりになって現れている。
けれど、『無学日記』は、教訓譚としてあるのではない。

「鳩を打ち落とす」を見てみる。

  カカと二人イモを耕す。
  私はイモを掘り出しにカカにチュクルイさせながら畑の周りから
  草を刈ってあるく、上の木に鳩が巣を架けて座っている。
  鳩は首を出して私を見て座っている。
  よし!これを打ち落としてやろうと石を取って鳩みがきて投ぎつけた。
  見事命中して鳩はバタバタと私の足下に落ちて来た。
  私は自分の腕の偉さを自慢にカカに持って行って見せて  
  誉められようと急いで持って行ってこれ見よと見せた。

  いかばかり喜ぶであろうと思ったのに反対に
  「アッシェー ウリヤーヌガ イックーチナリバン 
  ワラビガマ ガティ チュムチョイ」と泣くのである。
  もうただ泣くばかり何も言わない、そのとき私はびっくりした。
  よく考えてみるとカカはおなかに赤ちゃんが大きく出来ている。
  そんなときにこんな事するもんじゃないという事が、
  私には初めてわかってくるのである。
  そこで鳩に済まなかった、今後はこんな事はもう一切しませんから
  許してくれと言いながらその(鳩の巣にその鳩を置いたのである。その後)
  鳩は元気になったのかそれとも死んだのかそこはわからない。

  さて、カカのおなかの子は長男として男の子が生まれた。
  その生まれた子は昭和十九年三月まですくすくと伸び
  みんなを喜ばしていたのに急にキンエンとなり
  私が打ち落とした鳩の内股と同じ様に内股にキンエンが出てきた。
  私は一人心の中で五年前のあの時のあの鳩さえ打ち落とさなかったら
  こんな事にはなかったのにと残念で残念でならなかった。
  長男はとうとうどうにもならずにその四月一日にこの世を去ったのである。
  だから君達はこういう事はよく聞かねばならない。
  また、海に行ってはカメなどに手をかけるものじゃない。
  よくよく注意して世渡りせねばならない。
  (「昭和十五年 鳩を打ち落とす」『無学日記』池田福重)

カカというのは、この年二十六歳の池田さんの奥さんのことだと思う。
カカは、自慢げに鳩を持ってきた池田さんにこう言う。

  「アッシェー ウリヤーヌガ イックーチナリバン 
  ワラビガマ ガティ チュムチョイ」

あれまあ、これは何。いくつになっても子どもみたいで、残念。
こんな意味だ。

それを聞いて池田さんは初めて我に返るように、
鳩を打ち落としてはいけないと後悔をする。

ここで、池田さんを諭しているのは
他のほとんどの場面とは違って、親ではない。
けれど、池田さんが、
日記を読むだろう子や孫達に当てるメッセージの型は同じだ。

親も奥さんも池田さんを叱るのではない
(父が叱る場面はいくつか出てくるが)。
奥さんが、ただチュムチョンと残念がって泣くように、
池田さんを取り巻く大人たちは、情愛を差し出すだけだ。
そしてそれを見て池田さんはわが振る舞いに悔い、
子ども達に、かくあってはいけない、と諭そうとする。

親、特に母を喜ばせてあげることができなかったという
池田さんの悔いから、こんなことにならないように、
と、日記を締めくくるのである。

こんな構造だから、ぼくたちは、日記に説教くささを感じることはない。
親の情愛の豊かさであり、池田さんの優しさに感じ入るのみである。

 ○ ○ ○

『無学日記』には、与論島の知恵と無意識の豊かさが詰まっている。
ぼくはいままで、与論島は、人口少なく土地狭いことに加えて、
いたずらに島を開発し、島人は自己主張せず忘れることに慣れているから、
掘り下げるべき民俗の底が浅いのではないかと気になっていた。

与論島の深層を知るには、琉球弧全体を尋ねるしかないと思ってきた。
もちろん、それが与論島理解の助けになることは変わらないのだけれど、
他島にしかないと思ってきたものが与論島にもあることを、
他のどんな解説より、『無学日記』は豊かに教えてくれた。

数年前にはじめて読んだときも、面白いと感じた。
今回は、いくつもの発見があり、改めて驚いた。
こちらの見聞が深まれば、まだまだ発見すべきことがある気がする。
いずれまた、読み返してみたい。

前にも書いたけれど、池田さんは公開を前提に日記を書いていない。
この日記の存在を知った喜山康三さんの再三のお願いで、
実現したものだ。

与論島の無意識の豊かさを知る者が、
その資質にしたがって記述し、
それに感応した個人が、情熱によって形にしたのが、
この日記の成り立ちなのだ。

この日記のおかげで、
与論島の無意識は、辛うじて(あるいは必然的に?)、
ぼくたちの手に受け渡される機会を持ったのだ。

『無学日記』は、与論島の大きな財産だと思う。
喜山康三さんの熱意に感謝したい。


追伸
『無学日記』は、書籍であるとはいっても
ISBNコードが発行されているわけではなく、
ふつうの書店で買い求めることはできない。
読みたい方は、与論の喜山康三さんに尋ねるといいと思う。



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2007/09/26

「たった一つの許されたヌスドウ」

  大正七年七才の時のことである。
  夕食を早めに済まし初めてのヌスドゥ、
  胸をドキドキ躍らせながら家を出て行った。
  目的の家の門に入りそこの庭を見た。
  トーグラの前の庭にチキウシがすわっている
  「よし!」あれだ、私はひと走り走って行き
  チキウシの中を覗いた。

  チキウシの中にはお膳が置かれている、
  そのお膳の真ん中にデーがありそのデーに
  トゥンガが供えられている。
  私は急いでそのトゥンガをデーもろとも
  掴み上げ走りだしたのである、
  その時そこの叔母さんがトーグラの中で
  「ウヌデーヤ ムチイクンノー デーヤ ウマナン ウチキョー」
  と「イッヒー、イッヒー」と笑うのである。

  私は本通りまで出て行き見てみると
  本当にデーもそのまま抱いて来ている。
  「成るど!」これはトゥンガだぇ取るものだと、
  それからまたひと走り走って行き臼の中にデーを入れた。
  その時おばさんは又「イッヒー、イッヒー」笑っておられました。
  許されたヌスドゥ昔から今も変わることはない。
  (「七才の思い出、たった一つの許されたヌスドウ」
  『無学日記』池田福重)

十五夜はワクワクした。
月の明かりを頼りに歩きながら、
家々に供えられている団子を盗んでよかったのだ。

トゥンガ・モーキャー(モッチャー)。

この日ばかりは、子どもたちだけで夜道を堂々を歩いたものだ。
なかには校区をまたいで遠出したつわものもいたはず。
迎えるほうも迎えるほうで、トゥンガ(団子)の代わりに、
泥の団子を用意してワラビンチャーをからかうこともあった。
でも、楽しかった。

あのワクワク感は、池田さんにもあったもので、
というか、それだけ昔から連綿としていて、
そうした楽しみの連鎖のなかに自分もいたのだと思うと嬉しい。

いまの社会事情を思うと、
子ども達だけで夜道を団子泥棒に出かけるなんて、
なんて牧歌的で優しい共同体なんだろうと思えてくる。

トゥンガ・モーキャーよ、永遠に。
トゥンガ・モーキャー・フォーエヴァー。



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2007/09/25

「母の薬草船」と「風の温泉」

(『無学日記』の「母の命日」の章の一部を少しアレンジしました。
文意は通りやすくなっていると思いますが、
原文の方がはるかに味わい深いことをお断りしておきます。)


四月十七日は、君達のお祖母さんの命日だから、
忘れることなくハガンポーリヨー。

君達のお祖母さんは、心の奥が明るくて立派だった。
そんな方の血を引いた君達は、誠の心で世渡りして
お祖母さんを喜ばせて安心させなければならない。

私の母が植えた福木を朝夕みるたびに、
母はまだ生きて私に、ユカムヌ イイチキシュル、
そんな気持ちで見ているので、
この歌をいつも心のなかで歌っているのだ。

 ウヤヌ ウイテアュル カタミヌ プクギヤ
   スバチカク ユティ ワヌドゥミユル

私がいなくなった後、この福木をみだりに切り倒してはいけない。
この福木は、君達のお祖母さんだと思いなさい。
子や孫達をよく見守ってくれる親なのだ。


昭和十九年八月、大東亜戦争のとき南方で戦死した兄さんが、
大正二年に鹿児島から帰ったとき、母に言った。

 イッチュウー プニソウティ ミシラン
 タビカティソーティ ミシラン

すると母は、

 フマナンウイタル ガジュマルヌ マワイ
 イシンチャン チンモウシボ
 プニエークンヤ チュラクデール

と、こう言った。

そこで早速、私はガジュマルの周りに
石を積み上げているのである。

これを君達は簡単に船の形をしていると、
こう考えて見てはいけない。

母は私が小さい頃から薬草のことをよく話してくれた。
母はこの船に薬草を積み込んでそして見守ってくださる。
そんな意味で、私はこれを、「母の薬草船」と心の中で見ているのだ。

だから、君達はお祖母さんがいつも見守っていることを
忘れてはならない。


兄さんは、またこう言った。

 オンセンカティ ソーティミシラン

すると母は、

 シグトゥシチカラ イチャマボー
 フヌガジュマルヌ シチャキチ
 シダーシャシチ ユフィボ
 オンセンカティ イキューシエークンヤ
 ハミンクデール

と、こう言った。

私はそこで、ガジュマルの下にシバ草を植えた。
そして、これを「風の温泉」と心の中で呼んでいるのだ。

仕事で疲れた時、
このガジュマルの下に来て風にあたり休んだら
本当に温泉より気持ちいい。

母の自然を生かした言葉は尊いものだ。


※『無学日記』(池田福重)の一部をアレンジ



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2007/09/24

「なみだ」と「みなだ」 語音の倒位

池田さんの唄う「無学歌」。

  むいがきんねーだんたん 
   あぬぴちゅんちゃん 
    ぱいいちょをてい

   むにぬうくすくに 
    みなだちみてぃ 
     あわりふぬみなだ 
      ながしぶしゃぬ
       (『無学日記』)

この悲恋歌で目を見張るのは、「みなだ」の表記だ。
「みなだ」は、涙(なみだ)のことだ。

「なみだ」を、「みなだ」と言っているのである。
これは、倒音逆語と同様の、語音の倒位で、
東北や琉球弧によく見られるものだ。

たとえば、

  みなだあふむろし(涙あふれる)
  「与那国(どなん)すんかに節」

の、「みなだ」と同じである。

ぼくは、この例が与論島にもあるのを初めて知った。

しかも有名な歌謡のなかにではなく、
池田さんの歌、つまり島の人の言葉に息づいているのに心惹かれる。

母に聞いたら、割と日常的に使っていて、
「なだ」と言うこともあるそうだ。
「なだ」なら、なおさら東北の「なだ(涙)」と同じだ。

知らない自分にも、やれやれだが、与論島は奥深い。
というか、琉球弧の奥深さが与論島にも残っていて、
それが嬉しい。



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2007/09/20

ウプドーナタ - 大道那太

  そして力持ちのナタは大工もやれば魚とりも名人である。
  そして夜の海、昼の海、魚は思うようにいくらでも取っていらっしゃる。
  舟も自分で作る何もするお方であった。
  王様からもらった山林より材木も切り倒して一人で運び舟を作る、
  木も運び倉を作る、皆々一人で運んでいらっしゃったのだ。
  現在立っている家や倉もウプドオーナタの神様が
  沖縄から一人で切り倒して運び造られたヤークラだ。
  八百年前に建てられた家や倉だが今から
  千年経っても万年経ってもグットゥンシランヌ家だ、
  そんな立派な材木で造られた家や倉だ。
  君たちも一度は是非拝見するのだ。
  その時はまずウプドオーナタの神様に礼拝を先にする
  そしてウプドオーナタの神様から二十三代目にあたる
  ムラプ叔父さんがいらっしゃる、叔父さんの子や孫さん達もおられる、
  その方々からいろんなお話も聞くのだ。
  (『無学日記』池田福重)

ぼくはここで、ウプドーナタの物語を紹介したいわけではない。
与論の英雄時代の豪傑の一人、ウプドーナタの物語を池田さんは
紹介するのだが、最初、ぼくたちは民話を読んでいるつもりで、
それこそお話に聞き入っている。

ところが、現在建っている家や倉もウプドーナタが作ったものだという
ことを言われて、民話が現実に接点を持つのに、少し驚く。
それだけでなく、子孫の人たちの話をよく聞きなさいと池田さんが言うに及んで
今の与論の人と地続きの話だということになってまた驚くのだ。

ぼくは、ウプドーナタは架空の存在であると言いたいわけではない。
『無学日記』を読んでいると、池田さんの人生回想のはずなのに、
まるで民話を読んでいるような感覚に囚われていく。
池田さんは、海霊イシャトゥと一緒に、民話の主要な登場人物なのだ。

夢か現か分からないところで書く池田さんの筆致は、
『無学日記』を貴重な与論民譚にしているのだが、
この、ウプドーナタの話を池田さんを頼りに読んでいくと、
民話の登場人物は池田さんだけではない、
ウプドーナタの建てた家倉を見物したり子孫の話を聞いたりすることも
できるという可能性を受け容れていくと、
いつの間にか、ぼくたちも民話の世界の中に入っているような気がしてくる。

ぼくたちもまた、『無学日記』の民話の住人なのだ。


  ※ウプドーナタ(大道那太)の物語



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2007/09/18

デューティ <d → r ?>

昨日の「ウシュクミ」、潮汲みの話で、母が子に語りかけたことのひとつ。

  デエー ワッタイ フマカラ フヌアダミトゥティ 
  デューティ ショーチ コロン
  さぁ、わたしたち二人、ここからあざみを採って、
  生酢に料理して食べよう

このなかに「デューティ」という言葉が出てくるけれど、
ぼくは、これまで、この「デューティ」という音の、
独特な響きに、心奪われてきた。

「デューティ」と書くと、dutyを思い出すかもしれない。
で、比べてみると、duty の「デューティ」と、
「デュー」にアクセントがかかるのは同じだが、
「デューティ」の「ティ」は、伸ばさず短く切って発声するのが特徴だ。

拵える、捌くなど、料理(する)という意味だと思う。

いままで、ぼくはこの言葉にどこか遠くからやってきたような、
異質な印象を持ってきた。

デューティ。なんとなく格好よくもある?
(いまどきは、ここで、「どんだけー」の合いの手が入るかも)

でも、ひょっとして、異質なものではなく、
料理の「りょう」の音と関係あるのかもしれない。

言い換えると、ダ行がラ行に転訛することはありえる、もしくは、
タ行の濁音とラ行の濁音が等価である可能性はないだろうか。

 ○ ○ ○

「デューティ」の「デュー」は、u音で終わるが、
これを五母音に変換すると、o音をとりうる。

ダ行がラ行への転訛があるとすれば、
「デュー」は、「リョー」の音になるのである。

これはありうるだろうか。

こう思うのは、池田さんの『無学日記』には、
ダ行がラ行に変化している例が散見されるのだ。

 イドゥー   → イル-  (どれ?)
 マンドゥン → マンルン (いっぱい)
 タフドゥ  → タフルゥ (たこを・が)

いずれもダ行がラ行として表音されている。
これは、池田さんの出身の朝戸に見られる発声なのか、
池田さんの表記上の癖なのかは、ぼくでは分からない。

けれど、癖であったとしても、発声する音の類似を感じてしまう。

デューティ、の不思議な響きに、ぼくは魅入られてきたけれど、
これは、「りょうり(料理)」の古形の言葉なのだろうか。

ふと、そう思ったのだ。

まぁ、「料」は音読みであり、新しい言葉だとしたら、
「デュー」との関連づけは見当ちがいで、
笑い話に終わる気もするけれど、アイデアとして出しておきたい。

 ○ ○ ○

と、ここまで書いて。
そういえば、「らっきょう」を「だっちょう」と言います。
やっぱり、ダ行とラ行につながりがありますね。

 ※「ウシュクミ - 潮汲み」




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2007/09/17

ウシュクミ - 潮汲み

ミナタ離れまで、潮汲みに行った母子の道中について、
二人の会話だけを抜粋してみる。

  母 「イッチュー ワッタイ タフ トゥトゥン」
    「ホレ!タフ、ドーヤ」
  私 「イル(ドゥ)ー、イルーウ」
  母 「フンリカ、フンリカ、タフドオーヤ」
  私 「ミャーラジダー」
  母 「ミャアランダボ トゥティ ミシラン」
    「ホレ!トウタンドウーヤ」
    「ニャー ナユン ピンギランヌ ミチミイ ヒュー」
    「イッチュー ニャー ワッタイパヤン」

    「ワッタイ フヌ プクギヌ ナィ ムッチ イジ ウイランヤー」

  母はウシュヲイを頭の上に乗せたままパギヌ ウイビシ
  ピックワアーチ トゥイトゥイ ピックワアーチ トゥオトゥイシ
  五~六個ばかり取った。

  母 「ニヤー ハッサシヤーナユン イッチユウーパヤン」
    「デエー ワッタイ フマカラ フヌアダミトゥティ 
    デューティ ショーチ コロン」

  母はアダミを取りながら

    「フリャー クスイ ナユクトゥ 
    チュッケーナーヤ トゥティ コレルムヌドォーヤ」
    「トー ニャー ハッサシャ マンル(ドウ)ン」
    「イッチュウ」

  母はさっそく私が持っているタコを取って見た。

    「アッセー フリャー コーリュルタプヤ アラジダー
    タファー ヤーテイアユル タフル(ドゥ) コーリュンドー
    フリャー ナナティール(ドゥ) アユイ ナナテイタフヤ
    ヲィムヌタフ デンドー」

  盛って来た福木の種を植える事にした母は言う。

    「ウプギーヌ シチャナンヤ ヒイガモー ムイラヌ シガヨー」
    (『無学日記』池田福重)

潮汲みに行って、蛸を採って、帰りに道草をして。

会話だけを取り出しても、童話を読んでいるように、
ほのぼのしてくる。

ぼくは、自分だけではここまで話せないけれど、
与論言葉で綴られた文章を辿れば意味を追ってゆける。
そういう者には、このやりとりはたまらない。

ぱーぱー(祖母)や、両親やパラジたちの会話のやりとりを思い出して、
懐かしさがこみ上げてくるのだ。

与論言葉の民話、童話、芝居がほしくなる。


でも、与論言葉を知らない方も、読んでいくと、
なんとなく、言葉のリズムが伝わるのではないでしょうか。
できれば、楽しさ、懐かしさをどこかで感じてもらえたら嬉しいです。



     

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2007/09/15

アヤティダ - 綾太陽

  あぁ本当に私は此の世を去り行く者かと思えば
  何もかも目に見えるものは皆々懐かしくなって来るのである。
  福木よさよなら・・ガジュマルよさようなら・・
  石よ、草よ見えるもの皆にさようならを告げたのである。
  そして私はこの世を去り行く別れの苦しさ、哀れさを
  身の一杯味わったのだ。
  それでもまだ私は生きている。
  しかし起き上がろうとしてもいっこうに身動き出来ない。
  だから寝ていて目は上を見ている。
  あぁ・・・ガジュマルの上にお日様が照っている。
  私の上にはアヤティダが流れてくる。
  (『無学日記』池田福重)

『無学日記』は、その冒頭、母の三十日祭を済ませたばかりの
池田さんが、四十を目前にして、作場の砂糖小屋の前で倒れる。
動けない。そんな場面から始まる。

  病名はわからなかったがわかるのは暗闇の中に大木と大石が
  私を取り囲みいくら出ようとしtも出ることができない。
  とうとう身動きもできなくなるまで大木と大石に押しつけられたのである。

動けない池田さんは、まわりにある植物たちに別れを告げる。
そんな池田さんに、アヤティダが流れる。

アヤティダは、「風に揺れるこずえを通し交錯する太陽光」として、
「綾太陽」という字を当てている。

アヤティダ、「綾太陽」。

美しい言葉と字だと思う。「木漏れ日」とは何か違うものに思えてくる。
解説では、「視覚的に一種の幻覚を誘うため惑わす意味を持つと思われます」
としている。

  方言にも「ぴちゅ あやち」人を惑わしてと使われています。
  また、生まれ立てや初々しい意味でも使われ、
  雛(ひな)鳥の羽を綾羽(あやぱに)とも表現しています。
  この場合誕生や希望の未来が開ける意味にも解釈できましょう。
  沖縄民謡で厳粛な雰囲気で歌われる「鷲ぬ鳥」の歌詞に
  巣立つ鷲鳥の羽をアヤバニ(与論ではアヤパニ)と表現し
  明るい希望の未来への飛翔の意味として歌われています。
  蝶々のことを綾パピルといいますが
  これは模様から名付けられたと思います。

「アヤ」が「人を惑わす」意味にも用いられることは、
アヤティダというときの、「アヤ」のニュアンスをよく伝えているかもしれない。
それは、人を夢か現か分からない入眠幻覚に誘う。

ぼくも思わずガジュマルやクニプ(みかん)の木の下で、
アヤティダを浴びてぼんやりしていたことを思い出す。

そうだとすれば、「アヤ」は、「綾」というだけでなく、
「危うい」や「怪しい」という「危」や「怪」とう字義の広がりを
持つのではないだろうか。

解説の喜山康三さんは、この「アヤ」から、
奄美大島の「アヤマル岬」の語源を解こうとしている。

ぼくもここは考えて、いつか考察を出したいところだ。


アヤティダ、綾太陽。魅力的な言葉だ。



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2007/09/14

アーミャー - 赤い猫

海霊イシャトゥのわざわいを避ける方法がある。

  誰かに「今日の漁はどうだったか」と聞かれた時
  「捕れなかった」と言ってはならない。
  なぜなら漁の具合を聞いたのがイシャトゥだったら
  次に海に行った時ひどい目に逢うからである。
  その時は「アーミャーエータン、赤猫であった」(中略)
  と返事しなければならない。

  不漁で帰るとき海に向かって棄て言葉をはくものではなく、
  次くる時は「ティル タラジ シミティ タバーリ」
  駕籠を不足させて下さい(駕籠が不足するほど大漁にして下さい)
  と祈って帰るものだと言います。
  自然に対する人間の関わり方を示しているのでしょう。
  (解説、喜山康三。『無学日記』池田福重、1996年)

不漁のときは、捕れなかったと言ってはいけない。
アーミャー、赤い猫と言うんだよ。
古老の言いつけが聞こえてきそうだ。

情けないかな、ぼくは、こうやって教えてもらうまで知らなかった。

アーミャーとは、イシャトゥを避ける隠し言葉。
海だからこそ使う、隠し言葉なのだ。

もうひとつ。不漁のときは棄て台詞も吐いてはいけない。
ティル タラジ シミティ タバーリ、駕籠を不足させて下さい、
と言うんだよ。ふたたび古老の言いつけが聞こえてくる。

これは隠し言葉ではない。
けれど、海での禁忌への対処に変わりはない。

ここはもうひとつ、ネガティブに言ってはいけないということに加えて、
大漁にさせてください、と直接的に言うのではなく、
魚を入れる籠を足りなくさせてください、
と間接的に、ことに触れるのが面白い。
海への畏怖がおのずと伝わってくる。

 ○ ○ ○

それにしても、アーミャーとは面白い。
亜熱帯魚の色からの連想で、「赤」にしたのだろうか。
アーミャー、「赤い猫」で、いまにも童話が始まりそうだ。

他の島の隠し言葉を知らないけれど、
不漁を“アーミャー”と名づけたゆんぬんちゅは、
なかなかイケてると思う。

「海霊イシャトゥ」



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2007/09/13

海霊イシャトゥ

昔は、イシャトゥにも簡単に出会えたのだ。

  さて、ここの大きなイノーウシに立って餌を投げ込むと同時に
  私の東側のピシバナから年下の若者がこちら向かって歩きながら
  「イシャトゥ ドオー、イシャトゥドオー、
  ハタパギ ドオー、ハタパギドオー」
  と大きな声で怒鳴りながらこちら向かって来る。

  私は夜の海でこんなクチバシ(言い方-引用者注)を
  使ってはいかんと思うその瞬間私が立っている
  大きなイノーウシがゴッソン、ゴッソンと崩れ落ちて行くのである。

  その時私はこれはいかんと向こう三、四間も離れた所の
  イノーウシに力一杯跳んだのである。
  ところが左手だけはようやくすがり付くことが出来たが、
  どうですか左腕の内側は包丁でナマスを刻んだように
  みな切り裂かれているではないか
  真っ黒い血が流れ出ている、
  夜のせいか血は赤くは見えなかった。

  これは大変だと私は舟に駆けつけて行き乗った。
  その後の自分はもうどうなったか判らない。
  気が付いたらトウーシの浜であった。
  三人の方々はすこしでも近いトウーシに早く着けようとして
  当たり前のトウマイであるシバナリには漕がず
  トウーシに舟を漕いだのだった。
  私が気付いて起きたらトゥクヤカが
  ワヌハンギティソーラン(俺が背負って連れよう)とおっしゃった。
  その時私はナイギサイドーアイカリギサイドー
  (なんとかなりそうだ歩いていけそうだ)と
  ゆっくり歩いて来た事がある。
  夜でも昼でも海での言葉使いは慎まねばならない、
  特に夜は注意せねばならぬ。

  話は後に戻るが私が立っていた崩れ落ちた大きなイノーウシ
  それが本当に崩れ落ちたかその後私は行ってみたのだ。
  それがなに!崩れ落ちるものか
  イノーウシが崩れ落ちると見せ掛けて
  あいつが私を取って投げたのであった。
  (「夜の海 言葉使いに注意」『無学日記』池田福重)

ぼくたちは民話を読んでいるのではない。
これは、『無学日記』の池田さんの回想録なのだ。

でもこれはまるで、池田さんが主人公の民話のようではないか。
海の妖怪イシャトゥと一戦交えた、ことの顛末。
イシャトゥのいたずらもなかなかに激しい。

与論島では、ついこの間まで、
物の怪とも濃密な関係があり、
彼らの存在が肌身に感じられた。

池田さんの回顧はそう教えてくれる。
実際、『無学日記』の影の主人公はイシャトゥと言っていいほど、
池田さんが海に行くたびに現れては漁のわじゃく(邪魔)をする。
池田さんは用心が効を奏したり、ひどい目にあったり、
時には命からがら逃げて浜に辿り着くのだった。


あなどるなかれ、イシャトゥ。


 

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