『ドゥダンミン3』で、「ユンヌヌパジマイヤアマンから」という昔話について、「アマンはヤドカリのアマンのことではない」と解している。でも、これは、やっぱり、アマンのことだと思う。
「ユンヌヌパジマイヤアマンからテューサ(与論の始まりはアマンからだそうだ)」という昔物語を読んで、思わず 「ウソー」 と言いそうになった。それは認識不足で、このアマンはヤドカリのアマンのことではない。
アマは、辞典に海、海女、海人と出ている。物語り中のアマンは、アマビト(海人)を言ったのであろう。赤崎の小字名に、アマンジョウがある。またアマンジョウゴウという神井戸がある。ここで言うアマンは「海人」のことではないかと思われる。ここの地域は与論に最初に上陸した人々が住み始めたところだといわれる。その近くのウワイグスク(上城)遺跡は発掘調査によって住居跡だったことがかなりな部分明らかになっている。「アマンジョウ」のアマンとは、アマン自身が言ったのか、それよりも先に住んでいた人が言ったのか。
「与論の始まりはアマンから」という昔物語りの「アマン」をヤドカリの与論語名アマンと勘違いするような脳タリントゥラの連想である。お笑いあれ!
平成十八年九月記
アマンジョーのことは別にするとして、大丈夫、トゥラは、勘違いしたのではなく、アマンはヤドカリのことだ。
たとえば、与那国島には、陸地を見つけた人間が、住めるかどうかを確かめるために、弓矢でヤドカリを放ち、何年後かに再び訪れると、ヤドカリが繁殖しているのに気づき、人が住むようになった。それが与那国島だという伝承が残っている。
太陽所(てぃだんどぅぐる)
ここから感じられるのは、この伝承を口にした古代の人たちは、ヤドカリの次に現れたのが人であり、ヤドカリと人は同じだと見なしていたということだ。いまのぼくたちは、これを、単純に、ヤドカリで生物が住めるかどうか実験したというようにしか読めないかもしれない。そしてこの伝承を、荒唐無稽にしか感じられないかもしれない。
けれどそれは、いまのぼくたちが、この伝承を語った人たちのような自然の感じ方から遠ざかっているということに過ぎないと思う。ヤドカリの次に人、ヤドカリと人は同じ。そのような世界観のなかにあったということだ。
孫引きになるけれど、かつて沖永良部島で、アマン(ヤドカリ)をシンボライズした入墨をした女性に、なぜヤドカリを?と聞くと、「先祖だから」と答えたという。
小原一夫の論文「南島の入墨(針突)に就て」は、わが南島では島ごとに女たちのいれずみの文様と個処がちがっており、その観念は「夫欲しさも一といき刀自欲しさも一といき彩入墨欲しさは命かぎり」という歌にあるように、宗教的ともいえる永続観念にもとづいているとのべている。そして、奄美大島で魚の型をしたいれずみをした老婆たちに、なぜ魚の型をいれずみしたかときくと「魚がよく取れるように」と一人がこたえ、他のものはわからぬとこたえたとのべている。また、沖永良部島で左手の模様を「アマム」とよび「ヤドカリ」をシソポライズした動物紋で、島の女たちは質問にこたえて、先祖は「アマム」から生れてきたものであるから、その子孫であるじぷんたちも「アマム」の模様をいれずみしたのだとこたえたと記している。
小原一夫によれば、南島のいれずみの観念も〈婚姻〉に関係した、永続観念と〈海〉に関係した南方からきたらしい信仰的な観念とが複合しているらしいとされている。貌志に記きれた漁夫たちのいれずみと、身分や地域によって異なるいれずみとは、まったくちがった意味をもつものの複合らしくおもわれる。ただ魏志の記した漁夫のいれずみは観念の層としては、南島の女性たちになされたいれずみの観念よりも新しいだろうと推測することができよう。なぜならば、魏志に記されている漁夫たちのいれずみは、宗教的な意味をすでにうしなっており、ただ装飾性や生活のために必要な擬装の意味しかもっていないからである。(『共同幻想論』吉本隆明)
アマンは人の先祖である。それが信じられていた時が確かにあった。「ユンヌヌパジマイヤアマンからテューサ(与論の始まりはアマンからだそうだ)」という昔話も、これと同じ宗教観念の産物なのだ。
このことを、昔の人は非科学的なことを信じていたと、卑下するように受け取ってはいけない。そういうことではない。むしろ、この認識を身近に持っているということは、奄美・琉球弧の可能性なのだ。
アマン(ヤドカリ)を祖先だと考える背景には、人と動植物や珊瑚や石などの自然物は同じ価値であるという世界観がある。それは、人が動物や植物や自然物と対話ができる力を持っていたということだ。少し前まで、特にパーパーたちにはその力は残っていたと思う。彼女たちの仕草や振る舞いは、動物や植物の心が分かるようだった。しかし特に近代以降、人と動植物や自然物などの上位に、人間を置くようになって、ぼくたちはその力を失ってきたのだ。
ただ、いまになって、人間を中心に置く、人間を上位に置く考え方は反省を強いられるようになった。そうなってみると、与論ではまだその力を感受できるということは、「遅れている」ということではなく、稀有な価値であることを意味してくる。それは、未来に対する展望を拓く力を持っていることにだってなるのだ。
与論の始まりはアマンから。このアマンはヤドカリのことであり、ユンヌンチュはアマンを祖先と思ってきたのだ。この発想、どこかチャーミングでぼくは好きだ。ぼくもアマンがご先祖様だったと思ってみようとする。でも、科学的な認識を持った後だと、心底は難しい。いや、科学的な認識を持っていたとしても、完全にかつての世界観に自己移入できたら信じられるのだと思うけど、いまのぼくでは力不足だ。
それでも、アマンを先祖と見做したことにはリアリティを感じる。だって、珊瑚の岩場に入れば、カサコソと、あれだけのアマンが出てくるのだから。島の先住民はアマンに違いなかったのだ。あのカサコソ登場を目の当たりにしたとき、先祖という見立てが生まれたとしても不思議ではないと思う。だから、子どもの頃は、魚の餌にと、平気でアマンの胴体を千切っていたけれど、いま小さな森で出会うと、ちょっと敬うように眺めたりしている次第だ。
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