『近世奄美の支配と社会』のあとがきの与論島
松下さんの『近世奄美の支配と社会』が届いて、この本を買って良かったとすぐに思いました。アマゾン経由だったので立ち読みしてなかったのですが、していればそれが決め手になったいたでしょう。それは「あとがき」ありました。なんとそこには、『近世奄美の支配と社会』の本文の中では、ご他聞に漏れず滅多に登場することのない与論島のことが、書かれてあったのです。
奄美の海と空は美しい。深夜沖合いに停船した本船から艀に乗り移って与論島に上陸したことがある。一九六一年のことである。月のない夜空は半天宝石箱をひっくりかえしたように星だらけで手を伸ばせば届きそうな感じだった。私は夜空にそうするかわりに、艀のともで波に掌を浸した。へさきでは海中の夜光虫が二つに割れて金色のしぶきをあげる、たとえようもない情景であった。
翌朝島内に二軒しかない平屋の旅館で目覚めたとき、私は愕然とした。波に浮き沈みするのではないかと思われるくらいの薄い島空間しかない草茸の平屋が点々とへばりついている。私には前夜の美しい情景が夢のように思われた。塩っからい飲み水と粘り気のない御飯、それに具の入っていない味噌汁と四、五センチくらいの小魚二、三匹という食事が二週間続いた。上陸した翌日より私は台風に閉じ込められたのである。私は心中自分の不運と、島の生活に対する行政の怠慢とを呪ったが、同時に自己嫌悪の念をおさえることができなかった。私は旅行者である、二週間ほどで島を退散して奄美の一番賑やかな名瀬市に戻り、また平穏な高校教師の生活を送る身である、その事実が言いようのない恥ずかしさを覚えさせた。
(『近世奄美の支配と社会』松下志朗)
ぼくが生まれる少し前の光景です。「草茸の平屋」がぽつぽつとある島の眺めを松下さんが描いてくれたことに感謝します。記述に登場することが稀な島だから、貴重な描写です。それに思うのだけれど、松下さんは自己嫌悪に陥る必要など何もない。島には島の生活がありそれは奄美の大都市、名瀬と落差があるにしても、一個人が倫理的に受け止める必要などないことです。それより、こうして記述することが、どれだけ島に寄与するか分かりません。
「あとがき」の与論島は、『近世奄美の支配と社会』の付録のようなものです。松下さんは付録として与論島をつけてくれたわけです。ところで奄美を「付録」と見なす視線からすれば、与論島は付録中の付録です。その付録中の付録が、本の付録のなかで「奄美の海と空は美しい」という奄美美(あまみび)の引き合いとして引かれるとき、本のなかでの付録的扱いが吹き飛ぶくらい与論島が輝くのを感じます。付録って捨てたものじゃない。そう、松下さんは思わせてくれます。というか、付録って捨てられないですよね。
二週間の間、私は島内を歩き廻あり、郷土史家の増尾国恵氏を訪ねた。なかば朽ちはてようとしている陋屋から、ひとり暮しの老人があらわれ、熟をこめて与論島の歴史を物語られる。私はその島口を理解できないまま呆然としていた。
その後、私が入手した増尾国恵著述『与論島郷土史』に、増尾氏の履歴書が付されている。それによると、増尾氏は明治十六年二月に生まれ、明治三十四年尋常小学校補習科を卒業後、戸長役場の小便に任用されたのを皮切りに、明治三十六年より同三十九年までの軍隊生活の時期を除き、あとは生涯与論島から外へ出られることはなかった。そして村会議員・農業調査員などを歴任されて、島の発展のために尽されている。『与論島郷土史』は、そのような実務の合間に乏しい資料を渉猟されての著述である。「わが与論島同胞が歴史上多くの貴重なものを有しながら、全然それを知らうともしない無関心な態度に鑑みて多数同胞の認識を高めることに努め、一方過去において薩藩や商人に圧迫された悲惨の思ひから潜在意識にまでなってゐた暗い心理から島民を解放して、明るい希望の生活に向け直した由来を闡明にした」と序文で述べられているが、それが狭い島内でどのように読まれるか覚悟しての言葉であろう。(『近世奄美の支配と社会』松下志朗)
増尾国恵著の『与論島郷土史』は大切な資料です。けれど、そこに昇曙夢の「奄美人の主体」をそのまま引いて、何がなんでも天孫族と自分たちを結び付けようとしているのを見ると、同じ島の出身者としては、厳しい目にならざるをえないところがあります。でも松下さんの描写が増尾さんを彷彿とさせてくれて、この老人の孤独に思い至り、自分の態度を反省しました。
ここでは高校の講師である松下さんを前に、話し相手ができたとばかりに、与論言葉(ゆんぬふとぅば)だろうが何だろうが、構わず必死になって語りかける増尾さんの姿が浮かび上がってきます。これも、松下さんが書いてくれなければ、ぼくたちは手にすることのできなかった島の歴史のひとこまなのです。
「与論で自分たちのルーツを考える人なんていないですよ。変り者だと思われます」と、与論島の郷土研究家に言われたことがあります。松下さんが増尾さんの記述に見つけた「全然それを知らうともしない無関心な態度」は今も変わらないのだと思います。けれどそれは是非を言うべきではない島人の原像としてあるものです。
この手のことは、たまたま関心を持った者が記述し語り継いでいくしかありません。それが聞く者にとって魅力的であれば、無関心な心も開かれるはずです。それは関心を持った人のやり甲斐ではないでしょうか。『近世奄美の支配と社会』を読み、ぼくは近世期奄美への関心を喚起されました。松下さんに感謝する所以です。
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