コミュニケーションの島づくり
奄美一四市町村の財政力指数をみると、平均〇・一五。最も高い名瀬市でさえ、〇・三一。住用村に至っては〇二〇という状況だ(〇三年度)。国の平均が〇二年度で〇・四一、県平均が〇・二五、沖縄県の平均が〇・二八だから、よくいわれる「三割自治」の下をいく。奄美の自治体がいかに貧しく、交付税や補助金に頼る、国や県におんぶに抱っこの財政運営をしているかが分かる。国、地方合わせた借金が七〇〇兆円を超え、交付税をはじめ地方への配分が減少する中、自治体財政は苦しくなることはあっても好転する要素は見当たらない。特例法の期限が迫るにつれて県の圧力も増してきた。通常なら、「合併」に駆け込みそうなものだが、ここまで「反対」が噴出したのはなぜか。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』
「3割自治」と同じ言い方をすれば、
0.15自治 奄美
0.41自治 平均
0.25自治 鹿児島
0.28自治 沖縄
これをみても、奄美の自治力がいかに低いか分かるが、それでも「合併」に殺到しなかったのはなぜか、として久岡さんは、「海越え」合併であることを理由のひとつに挙げている。
「一島一町」は住民生活にかかわる多くの部分を町内(島内)で完結させなければならない。ごみ処理施設しかり、空港や製糖工場、病院、特別養護老人ホームしかりである。火葬場もそうだ。「燃えるごみ」を他の島に持っていくことはできないのだから……。二島一町」が他の島と合併するということは、自分たちの島のことを決められなくなるということであり、「合併のメリットが見出せない」と多くの住民が反対した。
これはその通りだが、「自分たちの島のことを決められなくなるということ」は、もっと本質的に言えば、島はそのひとつで世界であり宇宙であるという世界観があるから、合併は島を島でなくすことにつながるからである。「海越え」合併は、そのことを理解しない地図視点の為政者発想の産物でしかない。喜界島もそうだと思う。
そういえば名瀬市はもうない。奄美市なんだよなと、時々思い出す。久岡さんの考察を読むと、奄美市もずいぶん乱暴なステップで合併している。あの飛び地合併のさまを見れば、それだけで何か歪みを感じさせるには充分なのだが、奄美市は大丈夫だろうか。気がかりだ。
明確などジョンを示したところはまだないが、実は与論町の取り組みに注目している。住民投票の結果、「海越え合併」を拒否し、単独で歩むことを決めた町は行革を進める一方、地域再生計画による自立(自律)を目指す。 計画は「タラソテラピー(海洋療法)」 「情報の畠づくり」の二本立て。
与論には「天然のプール」といわれる豊かなリーフが広がっている。町側は島の持つ海洋、島峡環境を生かして健康と食、有機農法、郷土史、生活習俗を活用して、人的交流の拡大、観光客の増加につなげたいと考えている。
タラソを推進するためには裏付けとなるデータが欲しい。研究機関を誘致したところ、鹿児島大学が手を上げた。タラソに医学的な裏付けができれば、アトピーやアレルギー、自律神経失調症に悩む全国の人々を島に呼び込むことができる。町側はタラソによって「観光客が一〇%増える」と試算する。〇三年度の入り込みが七万二二二人だったから、七万七〇〇〇人を超えることになる。町は再生計画で休止中の町立診療所の用途変更を申請、認可を受けた。
ハコモノを造らないことも特徴だ。行政は往々にしてハコモノを優先したがるが、与論の場合、財政状況を考慮して関連施設の整備をやめ、リーフやホテルのプールなどを活用することにした。「今ある施設を生かす。ハコモノを作る気はない」(南政吾町長)「情報の島づくり」は県内離島に先駆けて導入したADSLを生かした情報発信、企業誘致を旦削む。インターネット時代である。情報に格差がなければ畠で仕事ができる。そうなれば与論の自然、気候は魅力だ。実際、IT関係企業が試験的に操業を始めようとしている。こうした発想は「合併しない」ことが引き金になった。
行革にも触れておきたい。
単独を決断した南町政がまず手をつけたのが教育委員会。これまで学校教育、社会教育、図書館、給食センターに担当や部門が分かれ、それぞれに課長級を配置していたが、これを統合し、事務局体制にした。次に職員定数の削減。現在の一三一人を将来的には八〇人体制にする方針。収入役も廃止した。
職員が減る分は住民参画を募る。自立化戦略会議がそれで、観光問題や地域の課題を町民と職員が一緒になってけんけんごうごうの議論を重ねている。「一島一町」ならでは、「住民一人ひとりの顔の見える」小さな町ならではのメリットを生かした新たな地域づくりが始まっているといえよう。
せっかくわが島に注目してくださっているので、長いけれど引用させてもらった。
ぼくはのポテンシャルを生かすのは、コミュケーション力だと思う。顔を合わせた後のコミュニケーション力のことではない。それだったら、分け隔てない抱擁力はピカ一だし、ゆきすぎの与論献捧も極度の人見知りが瞬時に親密感を深めるたに編み出したものだ。ここで言いたいのは顔を合わせるまでのコミュニケーションのことだ。ネットを主な舞台とした顔を合わせるまでのコミュニケーション力は、与論のポテンシャルを現実化する最大の武器だと思う。
「奄美市誕生の軌跡-平成大合併の舞台裏-」久岡学
『奄美戦後史]32
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント