「奄美からも道州制議論を」
沖縄の人から「奄美からも道州制議論を」という呼びかけがある。無関心が大勢を占めると思うので、こうした声かけは嬉しい。しかも、宮古島からであれば、なおのことだ。
ことしは薩摩の琉球侵攻400年に当たる。沖縄本島ではこれを記念する追悼行事も行われた。沖縄県紙では薩摩軍侵攻時の徳之島での抵抗の歴史や400年記念シンポジウムの様子も紹介された。
行政区分が違うとはいえ、一度でも奄美を訪れたことのある沖縄県民なら言葉や風土が沖縄に似ていることに驚き、奄美諸島が「兄弟島」であることを実感するだろう。わたしも10年ほど前、奄美大島を旅したことがある。それが奄美諸島に関心を持つきっかけになった。しかし、両者は沖縄本島-与論間の北緯27度線で分断され、琉球は過去の負の道産をいまだ清算しきれないでいる。
この場合、「負の遺産」というのは、奄美と沖縄が分断されていることを指し、かつそれを政治的な意味で述べているのだと思える。
ことし3月11日の沖縄タイムス投稿欄に「沖縄州へ参加、奄美は可能か。という投書を採用してもらった。沖縄では道州制導入を前提として知事の「沖縄は単独州が望ましい」という発言があり、地理的文化的独自性を生かした沖縄単独州を目指すべき、との主張が新聞紙上で度々みられるようになっている。
それなら琉球系の文化が今も残る奄美諸島の奄美人々は琉球系日本という民族意識を持ち得るか。将来、道州制が導入された際、同じ琉球民族として沖縄州への参加は不可能か、「奄美の人々の意見を伺いたい」という内容だった。
「琉球系日本という民族意識を持ち得るか」というテーマは、「琉球系」にアクセントが打たれていると思うが、ぼくなどには「民族意識」を持ち得るかどうかが難しい。現在、近代民族国家の向こう側へ行こうとしている時代のように思えるのだが、「民族意識」と言われると、改めて近代を通過しようとしているような疲労感がよぎる。言い換えれば、近代民族理念が持った排他性や膨張性をどう克服しようとしているか、その理念がどう盛り込まれているかを知りたくなる。それは琉球弧の島人が、多いに悩まされてきたものでもあるのだ。
奄美関連の出版物から知る限り、奄美諸島は鹿児島に近いという地理条件もあり、大和文化混在している。島によって琉球系文化の影響の濃淡も異なる。過去400年間、奄美は薩摩藩民であり、鹿児島県民であり続けてきた。しかし、地方自治が推進される道州制の下では、従来の中央依存型の利益配分が望めない。地方は自力で経済を再建せねばならない。
聞くところによると奄美は沖縄よりも公共投資が少なく、開発を免れた自然が観光資源になっているという。そうした条件下で奄美・沖縄間で同一の観光経済圏をつくろうとする動きも既に出てきている。小型機ではあるが、沖縄-奄美諸島間の航空便も増え、民謡歌手たちの共同イベントも行われるなど両者の交流は確実に活発になりつつある。
観光の知名度においては沖縄が数歩先んじている。ゴーヤー、マンゴーなど沖縄産の農産物そその他の特産品は既に全国で認加されている。奄美が沖縄州に参加すれば沖縄が既に築いたブランドイメージがそのまま奄美の観光および産品に生かさふる。
「両者の交流は確実に活発になりつつある」、それは嬉しいことだし、それが何より大切だと思う。
奄美諸島は米軍銃撃から先に復帰を果たしもが、道州制導入の際は奄美から沖縄州参加を問う議論が出てきても面白のではないだろうか。
先の新聞投稿が緑で最近、Sさんという沖永良部出身者と知遇を得る機会があった。Sさんの母親は「奄美は言葉も文化も琉球だ。薩摩の都会鹿児島になっているだけで、いつかは家に帰らなくてどうする」と言っていたという。奄美から琉球復帰を希望する声を聞き、沖縄州もしくは琉球州の成立は琉球民族にとって民族意識と自治の回復の機会ととらえることができるのではないかし考えた。
いつかは家に帰らなくてどうする」。これは与論でも出てきうる声だが、沖永良部、与論だから出てきやすい声だろう。ここまでは言えるのだが、「奄美から沖縄州参加を問う議論が出てきても面白のではないだろうか」というところは、宮平さんが言うほど、面白いとは言えないかもしれない(苦笑)。奄美はこうした枠組みを提示する経験を持っていない。あるいは、その無力感に打ちひしがれている。宮平さんの声は励ましとして受け取りたい。
そして、「琉球民族にとって民族意識と自治の回復の機会」というように「回復」として言われるものであれば、それは琉球王国を根拠にしたものだと思える。しかしこの根拠こそ、よく問われなければならないことだ。「回復」としてではなく「創造」として言うことはできないだろうか。琉球という同胞意識と自治の創造の機会、というように。
わたしは沖縄の日本復帰後、自分が日本人であることを疑うことなく育った世代に属する。成長して後、自分が琉球人か日本人かという葛藤を経て自分は琉球系日本人あり、日本は大和民族、琉球民族、アイヌ民族を含む多民族国家なのだと結論づけた。
日本は先の敗戦以来、国民国家を再構築する努力を積み重ね、多民族国として異文化への排他性を克服した社会へと変わりつつある。この夏の総選挙の後には本格的な道州制論議が始まることが予想される。わたしはこの時代の日本に生きることに対して決して悲観的ではない。道州制実現の際に沖縄、奄美が同一の自治圏をつくる利益は決して少なくないと信じる。沖縄と奄美、鹿児島の間で何らかの意見交換が行われることを強く願っている。宮平佳和(沖縄県宮古島市)「南海日日新聞」2009/08/10)
文脈を自分に置き換えてみる。ぼくは、奄美の日本復帰後、「自分が日本人であることを疑うことなく育った」ものの、長じて以降の皮膚感覚は、どうやら日本人という範疇には入れられてないらしいと感じてきた。同時に、国のレベルから下げれば、鹿児島人とは露も思えず、とはいえ沖縄人でもない。そうだとしたら、受け皿としての言葉がない。奄美人が、大島に収斂してしまわない空間の広がりを持つか、琉球人が琉球王国に止まらない時間の広がりを持てば、座りいい自称がありうるのではないかと夢想したりしている。呑気な書き方だが、切実である。
道州制という枠組みと琉球王国という根拠は、問いなおさなければならないと思うが、「沖縄、奄美が同一の自治圏をつくる利益は決して少なくない」というのは共感とともに議論を積み重ねていきたいポイントだ。
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