カテゴリー「20.「対称性人類学」からみた琉球弧」の9件の記事

2009/03/03

「スピリットの危機」

 スピリットの危機として、中沢は書いている。

 しかし、それをスピリットの復活などと言って、喜んでいる場合ではありません。あらゆるものを同質の価値の水路に流し込んでしまう商品社会の中で、あくせくと労働させられながら、スピリットはもう死にかかっているのかもしれないからです。労働は筋肉や思考の働きを狭い範囲に制限して、その中での効率のよい働きを求めようとするものです。そこで商品に物質化したスピリットがいくら数量を増殖させて、一見豊かな社会づくりに奉仕しているように見えても、じつさいには生活の多様性はどんどん貧しくなっていっているからです。

 思い出しても見て下さい。現生人類の脳にはじめて出現したとき、スピリットは知と非知の境界領域につぎつぎと発生しながら、人類に自分の心の内部にある「超越性」の領域の存在を、なまなましく直感させる働きをしていました。それは外界に見えるものではない、純粋な心の内部の形態を見えるものにし、耳が開くのではない音や声を、まだ素朴な心の持ち主であった人間たちに、聞かせることができたのでした。

 スピリットは人間の心を思考の外に連れ出していく力を持っていました。それはスピリット世界が多神教宇宙に作り変えられ、異質な領域をめまぐるしく駆けめぐる高次元の運動をしていたスピリットが、遠くに分離された他界からやってくる「来訪神」や「豊穣神」に姿を変えたあとでも、まだ十分にその能力は発揮されていたのです。キリスト教の三位一体の窮屈な構造の中に組み込まれるようになったあとでさえ、魂を遠くに連れ去っていくスピリットの力は衰えませんでした。

 ところが、商品社会に生きるスピリットには、もう人々の魂を外に連れ出したり、ただの記号や看板ではないほんものの「超越性」の領域に触れさせたりする能力のいっさいが、失われてしまっています。あらゆるものを単一の価値の水路に流し込んで平準化してしまう商品社会の中にセットされたスピリット原理は、むなしい元気を振りまいてみせるだけで、ほんとうはもう息も絶え絶えになっているのが、痛いほどにわかります。スピリットの跳梁とともに開始された「近代」は、そのスピリットさえも消費し尽くそうとしています。「聖霊の風」がどこからも吹いてこないような時代は、人類の心にとってはいまだかつてないほどに貧しい時代です。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 現在のスピリットである商品には超越性は感じられなくなり、むしろ「人類の心にとってはいまだかつてないほどに貧しい時代」になっている。ぼくは、ケンムン=キジムナーの存在が商品社会の批判の根拠になる語り口を知らなかった。でも実に鮮やかな印象をもたらしてくれる。

 「商品」をスピリット(精霊)として見る。そこに活路を見出すこともできる。そんな示唆を得られる気がする。

 たとえば、現在の商品づくりはカテゴリーを細部化し差別化して生き残っている。ここでは、「違い」は際立っても別のものと「似ている」ことは背景に退いてしまう。「違い」を無視して商品づくりを行うと、中身がよくても生きていけない。カテゴリーがはっきりしなければ、売場を指定できない。売場が指定できないということは、生き場がないことを意味している。そこで分断化はますます進む。本にしても中身はそうでなくても、装丁とタイトルはカテゴリーを志向するのもそのためだ。

 商品づくりにスピリットの息吹きを注ぐには、細分化しない、すぐにカテゴライズしないことは、糸口になるだろうか。
 


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2009/03/02

「対称性の自発的破れ」と琉球弧

 2008年のノーベル賞で、南部陽一郎の授賞理由が「対称性の自発的破れ」の発見であると聞いて、思わず目を止めた。中沢新一は、高神と来訪神と精霊の世界の出現を「対称性の自発的破れ」によって説明していたので、いきなり身近な話題になった感じだった。

 ここでは簡単な例をとりあげて、「対称性の自発的破れ」を説明してみることにしましょう。完全な球体の物質をとりあげてみます。球体というのは、回転しても鏡に映してみても、まったく区別が一つきません。ですから、球体には完全な対称性が実現されている、と見ることができます。この球体の中心軸にそって、上と下から強い圧力を加えてみましょう。はじめのうちはなんの変化もおきません。それでもかまわずにぐんぐん圧力を増していきます。すると、ある時点で急激な、カタストロフィ的変化がおこります。
 球体が座屈をおこすのです。全体がぐずぐずっと崩れだして、すぐに変化がおさまります。崩れた部分は、一定の方向に分子の並んだ帯に変化して、それがぐるっとまわりを取り囲むようになります。

 こうして球体のもっていた完全対称性は壊れて見えなくなってしまいます。そしてそのかわりに、ずっと限られた低次の対称性しかもたない、新しいパターンが出現するのです。「対称性の自発的破れ」の機構は、物質のさまざまなレベルで発生しています。とくに素粒子のレベルでおきるそれは特別に「ヒッグス機構」と呼ばれてよく研究されていますが、興味深いことに、そこでは対称性の破れがおこるのと同時に、質量が発生するという現象が観察されています。
 心的エネルギーの領域でおこる「対称性の自発的破れ」でも、それとよく似た現象がおこっていることに、お気づきですか。スピリット世界をつくっていた高次の対称性が崩壊して、スピリットの一部が来訪神型の低次の対称性しか持たない神に変化をおこすのとまったく同時に、スピリット世界の内部から非対称性をもった高神型の神が、勢いよく外に飛び出すのです。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

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 高神的である海蛇としてのエラブや他の精霊たちで満たされている世界に、何らかの圧力が加わることによって、挫屈を起こし、対称性は低次になり来訪神になる。「対称性の自発的破れ」のとき、質量が発生するが、それは、高神になぞらえられる。そして、精霊たちが残る。

 中沢はそれをこう定式化している。

(多神教宇宙)=(高神)+(来訪神)+(残余のスピリット)

 そしてこの「多神教的な神々の宇宙の基本構造」を、琉球弧は瑞々しく保っている、と書いていた。心躍るというものだ。物質の根本を律する理論で、身近な来訪神や精霊のことを説明されるのでびっくりするのだが、しかし、とても理にかなっていることに思える。

 「多神教的な宇宙としての琉球弧」


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2009/03/01

高神型と来訪神型

 一つは「高神 High God」型と呼ばれるものです。この神は「いと高き所」にいる神と考えられています。また階層構造をもった「天」の考え方と結びつくことも多いために、「天空神」と呼ばれることもあります。この神について思考するときには、垂直軸が頭に浮かんできます。高神自身が高い天上界にあると考えられるときには、その神を人間が呼び求め祈りを捧げるときには、人間の心は「いと高き所」をめざし、そこから降りてきてくれることが求められます。すると、このタイプの神は、山の上や立派な樹木の梢に降下してくれると、考えられているのです。
 もう一つのタイプは「来訪神」型とでも呼ぶことができるでしょう。「高神」型の神について思考するときには垂直軸のイメージが必要でしたが、「来訪神」型の神の場合には、海の彼方や地下界にある死者の世界から生者の住む世界を訪れてくるために、水平軸のイメージが必要となります。このタイプの神は、降臨してくるのではなく、遠い旅をしてやってくるという形をとることが多く、出現の場所も洞窟や森の奥といったほの暗いところに設定されています。
 二つの類型の神の違いを、対照表にしてまとめてみましょう。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

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 海蛇神としてのエラブは高神的であり、シヌグ、海神は、来訪神である。高神型と来訪神型という神の二類型の考え方は、琉球弧のなかに素直にサンプルを見出すことができる。

 そして高神、来訪神を踏まえれば、奄美、沖縄のケンムン=キジムナー、与論のイシャトゥーなど、無数に存在する琉球弧の精霊たちの存在はすぐのところにある。

 ところで、与論でここにいう高神に該当する場所を探そうとすれば、真っ先にウガン(御願)が思い浮かぶ。しかし、ここは、高神の場であるように見えるのだが、そこはムヌが潜んでおり、シヌグのときもウガン(御願)は拠点になる。シヌグは高神というより来訪神的であることを考えると、ウガン(御願)は、高神的でもあれば、来訪神的でもあり、精霊(ムヌ)たちもあり、まるでそれらが未分離の状態を維持しているように見えるのが不思議であり分からないところだ。

 「高神としての御願」



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2009/02/28

「虹の蛇」とエラブ

 ところが、多種多様を原理とするスピリット世界の内部に、それとは異質な性質をもった特別な存在がいて、同じスピリット世界にそれが共存していることの不思議さが、以前から気づかれていました。それはたとえば、こういう存在です。
 砂漠性の気候に生活するオーストラリア・アボリジニにとって、乾期にも干上がってしまうことのない水源の池はきわめて重大な意味をもつ場所です。そのために、岩の窪地などにできたこうした池は、特別な扱いを受けてきました。めったなことではそこに近づいてはいけないし、特に生理中の女性が近づくことも、大声で話をしたり笑ったりするのも禁じられていました。その池の底に「虹の蛇」が住んでいると考えられていたからです。

 虹の蛇のイメージは、あの広いオーストラリア大陸に住むアボリジニのあいだで、ほぼ一定しています。それをあらわす言葉をよく調べてみますと、「虹の蛇」というきまった実体が考えられているわけではなく、水源の池の奥底に住む蛇のイメージと、空に立ち上る虹のイメージには、なにか共通するものがあるという思考から、この二つがゆるやかに結合され、そのまわりにいろいろなイメージや思考を引き寄せていることがわかります。
 この蛇は巨大な大きさをもっていて、ふだんは深い池の底に住んでいますが、雨期が近づいてくると、しばしば空中に向かって立ち上がってくることがあり、それを人は虹として見るのです。虹は大地の底から空中に立ち上がったエネルギー体をあらわしています。それはプリズムのように輝きながら、空中に架け渡された虹の身体をとおって、流動していくエネルギーなのです。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 この「虹の蛇」が魅力的なのは、沖永良部の鍾乳洞と潮吹き洞窟フーチャーと似ていると思わせるからだ。「この蛇は巨大な大きさをもっていて、ふだんは深い池の底に住んでいますが、雨期が近づいてくると、しばしば空中に向かって立ち上がってくる」というイメージは、沖永良部の巨大な鍾乳洞と吹き上げる潮としてのフーチャーのイメージに重なる。それは、海蛇神としてのエラブが島の地名になったのではないかという仮説と結びつく。

 虹の蛇はまざれもなくスピリット族の一員でありながら、オーストラリア・アボリジニにとっては、偉大なる「創造者」にして「律法者」だったわけです。一神教の成立に決定的な意味をもつことになったモーセの体験のことを、ここで思い起こしてみるのもいいでしょう。モーセの前に出現した神は、天地を創造した「創造者」であるとともに、厳めしい態度で律法の遵守をユダヤ民族に要求する「律法者」でもありました。モーセの神は自分以外の一切の神を大切にすることを、激しい嫉妬心をもって拒絶しました。ところが、虹の蛇は自分がスピリットの仲間であることを否定するどころか、むしろスピリットの増殖に一役買おうというほど、大らかな性格をもっています。
 つまり、虹の蛇はスピリット中でもずば抜けた存在でありながら、あくまでもスピリット世界の一員であることを変えません。スピリットの世界はおびただしい数と種額のスピリットでひしめき合っています。しかしそこには同時に、一神教の神を思わせるようなとてつもない威力と単独性をそなえた「大いなる霊」も存在し、おたがいを排除しあうことなくひとつのスピリット世界で共存しあっています。そしてこのようなスピリットのあり方は、「国家をもたない社会」では、むしろ普通のことだったのです。

 「虹の蛇はスピリット中でもずば抜けた存在でありながら、あくまでもスピリット世界の一員であることを変え」ない。それは、エラブの在り方にも通じるのかもしれない。


 ※「沖永良部は、イラブから?」「昇り竜の島・沖永良部」


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2009/02/27

隠喩と換喩

 この変化によって、私たちがいま獲得しているような知性の能力が可能になりました。流動的知性は、異なる領域をつなぎあわせたり、重ね合わせたりすることを可能にしました。こうして「比喩的」であることを本質とするような、現生人類に特有な知性が出てきたのです。「比喩的」な思考は、大きく「隠喩的」な思考と「換喩的」な思考という二つの軸でなりたっていますが、この二つの軸を結びあわせると、いまの人類のしゃべっているあらゆるタイプの言語の深層構造が生まれるのです。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 「この変化」というのは、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人に比べて格段にニューロンの結合の仕方が複雑になったこと。

「比喩的」な思考の能力が得られますと、言葉で表現している世界と現実とが、かならずLも一致しなくてもいいようになります。現実から自由な思考というものが、できるようになるわけですね。神話や音楽も、同じ構造を利用しています。ようするに、現生人類の脳におこった革命的変化によって、言葉をしゃべり、歌を歌い、楽器を演奏し、神話によって最初の哲学を開始し、複雑な社会組織をつくりだすことが、いちどきに可能になっていったわけです。
 それに精神分析学の研究によれば、人類に特有な「無意識」というものが、このときからかたちづくられてくるようになります。夢は無意識の語ることばとも考えることができますが、この夢の「語り」はイメージを圧縮する「隠喩的」な働きと、イメージをずらしていく「換喩的」な働きの二つによってできあがっています。夢を無意識が直接的に自分を表現している心の作用と考えますと、無意識そのものが言語と同じ「隠喩」軸と「換喩」軸によって動いているのではないか、と思えてきますが、ここからラカソの有名な「無意識は言語のように構造化されている」という命題も出てきます。
 無意識は私たちの感情生活に、大きな影響を与えています。そうしてみますと、人類に特有な感情生活なども、「比喩」 による思考の発生が可能にしたものの一つ、と言えるかもしれません。ことばの形成によって、わたしたちの心もつくられたということですね。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 隠喩と換喩の違いは何だろう。「隠喩的」は、「異なる領域を重ねて圧縮する」。「換喩的」は、「異なる領域を置き換えてずらす」と解説されている。

 たとえば、歯磨き粉を、「お口の洗剤」と言ったらそれは「隠喩」。対して、歯磨き粉を「ライオン」と言ったとしたらそれは換喩だと思う。国会を「権力者の集会場」としたら隠喩であり、「永田町」と呼べばそれは換喩になる。

 ここでどうして比喩の話が出てくるかといえば、「『比喩的』な思考の能力が得られますと、言葉で表現している世界と現実とが、かならずしも一致しなくてもいいようになる」。つまりここで音楽や神話が生まれたことになる。

 以前、吉本隆明が、具体的な言い方から比喩が生まれたのではなく、比喩の言い方が最初にありだんだん具体的な言い方ができるようになったと書いていてとても驚いたのを思い出す。

 その考え方をとりますと、まず最初に、喩として〈嘘喩〉という云い方がありました。これは勝手にそう名づけたのです。そのつぎの時間に発生したのが〈暗喩〉です。そのあとに発生したのが〈直喩〉なんです。そしてもっとも後にでてきたのが、喩を使わないストレートな云い方なんです。皆さんは逆におもわれるかもしれませんが、その意味はこうなんです。わたしたちが現在、暗喩(メタファー)だとかんがえているものは、暗喩(メタファー)が発生して、使われはじめた時代の人にとっては、暗喩(メタファー)でなくて、あたりまえな云い方だったということです。いまストレートに「おまえの眼は細い」というのとおなじことを表現するのに、暗喩(メタファー)が発生した時代の人は「おまえの眼は象の眼だ」という云い方しかできなかったのです。それが喩の時間性の意味です。だからストレートな云い方は時間としては、いちばん後にでてきたものです。そんなばかなことはない、喩のほうが言葉の飾りではないかという考え方は、現代に固定した考え方なのです。そうでなくて喩以外には、〈言葉〉の表現法ができなかった時代があったのです。それで、ある重要なことを表現しょうとすると、譬みたいな云い方しかできなかったのです。それが、それぞれの喩の形が発生した時代です。(『言葉という思想』 (1981年)

 そうだとしたら、神話や音楽は、現実の世界とは別のものではなく、言葉という面からみれば、神話や音楽のなかに現実もあると感じられてきたということだろうか。


 ※隠喩(メタファー)と換喩(メトニミー)は、加藤典洋が『テクストから遠く離れて』で分かりやすく図解しているので、挙げておく。

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2009/02/25

(ムヌ)=(スピリット)∧(モノ)

 去年、「対称性人類学」が、琉球弧の理解に大きな示唆を与えてくれると思い、興奮していた矢先、ひょんなことから奄美論にのめり込み、一年経ってしまった。ふたたび、対称性人類学について、関心の赴くまま備忘していきたい。

 その意味で、日本語の「モノ」ほど深い内容をもっていることばも少ないと言えましょう。「モノ」は古い日本語では、「クマ」や「カミ」と一緒になって、スピリット族を表すことばです。ここから「モノノケ」なんかが発生してくるわけですから、超感覚的な存在を示しているのは当然なのですが、同じことばから物質をあらわす「モノ」という表現も生まれてくるのです。
 このことは国語学によっても十分に解明されていない現象です。しかし私たちには、「モノノケ」の「モノ」が物質の「モノ」でもある理由が、はっきりと理解できます。スピリットをつうじて人間は思考や感覚でできた心の世界を、いわば「上に向かって」超越していくだけでなく、「下に向かって」の超越も実現してみせるのです。スピリットは観念論と唯物論を統一する、というとちょっと大げさかもしれませんが、現代人の思考がまだ実現できていないことを、彼らの流儀ですでに実現しているのかもしれません。私たちはいよいよ問題の核心部に近づいてきました。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 ここでいう「モノ」は、与論の「ムヌ」と同じだから、中沢の説明をぼくたちは容易に理解できる。与論の「ムヌ」はここにいう「モノノケ」のことだが、物の怪で連想されるような幽霊というよりは、スピリットのことだ。与論のムヌは、モノとスピリットの意味を同在させたまま、日常の言葉のなかで生きている。すごいことだと思う。

 スピリットと呼んでいるものは、

 スピリットはいわゆる「文明国」では、その社会の「遅れた部分」、たとえば都会から遠く離れた田舎に住む人たちの心などに住みついているもの、と考えられていましたから、その世界をいちばん深く知る近代の学問と言えば、民俗学をおいてほかにありません。じつさいそこには、ほとんど無数のスピリットたちの活動の痕跡が記録されています。柳田国男の 『遠野物語』のもとになった岩手県の伝承に語られている「座敷童子」などは、そうしたスピリットの典型的な存在でしょう。

 これも理解しやすい。ケンムン=キジムナーに代表される琉球弧の精霊であり、与論にもイシャトゥーはじめ、無数に存在している。

  『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

Kaminohatsumei

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2008/03/29

高神としての御願

 まず、「高神=垂直神型」についてです。高神(たかかみ)は、「いと高い所」にいる神で「天」の考え方と結びつくことも多い。そこで高神について考えるときは、垂直軸が浮かんでくる。そしてその神に人間が祈るときには、人間の心は「いと高き所」を目指し、神は「山の上や立派な樹木の梢に降下してく」ると考えられています。

 高神は、琉球弧ではどういう現れ方をしているでしょうか。

 沖縄に行きますと、どこの村にも「御獄」という森があります。とても静かな森です。熱帯性の植物が両側に生い茂る薄暗い小道をたどって、森の奥につきますと、そこにはこぢんまりとした明るい空間が開けます。明るい子宮とでも言いましょうか、なにか柔らかい霊的な膜によって、現実の世界から隔てられた空間の内部に、包み込まれているような印象です。  日本本土の神社と違って、そこにはなんの建物もありません。珊瑚の石を敷き詰めて、ただ簡単な香炉などが置いてあるだけです。ここで女性の祭祀者であるノロたちが、「御嶽の神」との交信を図ります。同じようなタイプの神は、南島の島々のいたるところにいます。違う名前で呼ばれていて、それがどういう神なのかということに関しては、驚くほどの共通性を見せています。

 そうした「御嶽の神」は、島の人々によってつぎのように考えられている神なのです。
(l)「御嶽の神」は、一年中いつもそこに常在している神である。
(2)そのおかげで、村の生活を滞りなく続けていることができる。もしこの神が一瞬でもいなくなれば、人間の社会生活は一時たりとも続けることができない。「御嶽の神」はこの世の秩序を保ってくれているのである。このタイプの神のいない世界は存在しないのであるから、どこかからやってくるという「来訪型」の思考は生まれようがない。
(3)「御嶽の神」ははっきりしたことは言われたことはないが、とにかく「いと高い所」にいまします「垂直型」の神である。
(4)その神は像で描かれることがない。完全な無像性を特徴としている。ノロたちに「あなたがお祀りしているその神様はどんなお姿をしているのですか」などと質問しても、笑って答えてくれないケースがほとんどで、答えてくれたとしても「まぶしい、光みたいな」といったまるでイメージ性に乏しい抽象的な答えしか返ってこない。これはノロたちが神秘めかしているせいではなく、もともと表現可能なイメージ性がこの神にはないのである。感覚的には、恐ろしく簡素・簡潔で、この点では本土の神道の神とも、深い共通性をもっている。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 沖縄の「御獄(ウタキ)」に対応しているのは、与論の御願(ウガン)です。「森の奥」というほどの森は与論には無いので、そんな立地はなかなか得られないのだけれど、「明るい子宮」とでもいうような「こぢんまりとした明るい空間」であること、そこには建物もなく、「珊瑚の石を敷き詰めて、ただ簡単な香炉などが置いてあるだけ」という簡素な佇まいは共通しています。

 与論島には、各字のところどころに、神聖な小高い丘があって、そこには樹木がうっそうと繁り、中は昼間でもうす暗くなっている。そこは、神霊の宿っているところだと信じられ、その小丘全体をばいわば一つの神体として、あがめ奉るということをしていた。その聖地を「ヲゥガン」または.「ウガン」 といっている。
 「ウガン」という語は、ヲゥガミ(拝ミ)、という形から変化して生じたものか、あるいは、神霊をヲゥカ(またはウカ)といっていたため、樹木の繁った小丘の中に神霊が宿っていると信じて、ヲゥカヌ(神霊の)という語が用いられ、それから変化して生じたものか、今のところはっきりした決め手はない。「ウガン」という所は、要するに、拝むところであり、神霊の宿るところである、と信じられた場所である。
 ウガンの樹木は、一本でも伐ることはできないのはもちろん、枯れて落ちている木の枝も葉も、叩-本でも取ることは禁じられている。また、勝手に中に踏み入ることも許されない。それほど神聖な場所だと信じられている。アマグイ(雨乞い)は、たいてい「ウガン」の場所で行なわれていた。(『与論島の生活と伝承』山田実

 樹木信仰につながるところ、御願の神は高神としての性格を持っているように見えます。ただ、「神が一瞬でもいなくなれば、人間の社会生活は一時たりとも続けることができない」という緊張度が、御願の神にあるのかどうか、ぼくには分かりません。

 ウガンには、「ムヌ」がひそんでいると信じられている。「ムヌ」という語は、幽霊、妖精、鬼神、邪鬼、魔物という意を表わすほか、ふしぎな霊威を持つ力のあるもの、という意にも考えられている。それで、「ムヌ」のひそんでいる「ウガン」には、恐れて誰も立ち入ろうとしないのである。しかし、そこで雨乞いをすれば効果があったので、雨乞いの場にも用いられていたのである。
 ウガンに対するそのような信仰心をいだいていたから、神霊の崇りを受けないため、祭を行なっていたようであるが、どういう方法の祭であったかは伝わっていない。(『与論島の生活と伝承』山田実

 中沢新一の多神教の宇宙によれば、それは高神、来訪神、残余のスピリットに分かれて存在しているので、仮に御願(ウガン)の神を高神だとすると、そこにムヌが潜んでいると言うのは面白いところです。ムヌは多神教宇宙のなかでは、「残余のスピリット」に当てはまるものです。三つの構成要素として多神教宇宙ができたとき、与論では、高神と残余のスピリットは、はっきり分離することができずに、原初の姿を引きずったとでもいうのでしょうか。

 アアサキウガンは、与論島の最初の開発祖神である、アマミクとシニグクの両神が、与論島に来島して、ショオヌ宮(御屋)に居住する前に、暫時居を構えた仮りの居所だった、というふうに伝えられてい。ティラサキウガンとクルパナウガンは、アマミクとシニグクの両神に遅れて、与論島に開発祖神として上陸し、居所を構えた地点だと伝えられている。クルパナウガンに居住した神は、オーシャンガナシだったと伝える古老もいる。そのような由来に基づく神聖な場所であるから、シニグ祭との関係が生じたのであろう。
 与論島のウガン信仰は、きわめて古い時代から行なわれてきたようである。古神道の流れに基づくものであろう。明治四年に入って、琴平神社の鎌田常助神主の提案により、全島のウガンが、常主神社に合祀されるようになったため、同年に各地のウガン祭は廃止されたのである。(『与論島の生活と伝承』山田実

 アマミクとシニグクと関係があるところは、御願(ウガン)の神が高神に属することを物語っています。高神の考え方を手にすると、それが高神であるがゆえにシニグ祭との関係が生じたと、ぼくたちは言うことができます。また、高神であるがゆえに、より上位の高所を想定している神社が登場したとき合祀されるという点も、高神的であるように見えます。



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2008/03/28

多神教的な宇宙としての琉球弧

 中沢新一は、多神教的な宇宙の典型のように琉球弧を紹介しています。

 このような多神教的な神々の宇宙の基本構造を、日本の南西諸島(奄美や沖縄にある島々のこと)ほどくっきり鮮やかに示している地帯も少ないのではないでしょうか。そこでは、高神もいれば来訪神も出現するし、樹木に住む小さなスピリットたちもいればといった具合で、スピリット世界が「対称性の自発的破れ」をおこしてそこから多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、いまでも私たちを迎えてくれるのです。

 日本列島の本土のほうでは、多神教の宇宙は奄美や沖縄におけるようなストレートな形態をしていません。高神の要素のほうははっきりとあらわれているのに、来訪神のほうが明瞭な形ではあらわれてこないからです(この間題はあとでもう一度詳しくとりあげるつもりです)。柳田国男と折口信夫の二人が、一九二〇年代に相次いで奄美諸島や沖縄本島・先島諸島に渡り、そこで出会った来訪神の姿に深い衝撃を受けて、それ以来日本の宗教史についてまったく新しい考え方を抱くようになったのは、そのあたりに原因があるのではないかと、私などは考えています。

 じっさい南島の神々は、そこの太陽の輝きのようにあざやかな形で、私たちの前に出現してくるのです。そこには「常在神」と「来訪神」という二つのまったく違うタイプの神がいて、たがいに相手をおぎないあいながら、豊かな多神教の宇宙をかたちづくっています。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 多神教的な宇宙はこんな構造をしていると言います。

 (多神教宇宙)=(高神)+(来訪神)+(残余のスピリット)

 中沢は、この多神教宇宙の基本構造を「高神=垂直神型」と「来訪神=水平神型」と整理するのですが、、ぼくはその前に「残余のスピリット」にまず目を奪われます。「残余のスピリット」に、イシャトゥもウグミもウンワラビも、「樹木に住む小さなスピリットたち」であるキジムナーもケンムンも含まれるからです。彼らはぼくたちの生活のなかでもとても身近な存在でしたから。

 そして、本土では「来訪神」が芸能にとって変わられているために、本土では多神教宇宙を明確な形で見いだせないが、琉球弧では、「多神教宇宙があらわれでてきたのが、まるでつい昨日のことであったかのような、ういういしい様子で、いまでも私たちを迎えてくれるのです」と言うのですが、ぼくも「残余のスピリット」たちの延長に、それが琉球弧の魅力ではないかと感じるところです。

 そこで、多神教宇宙の構造の中身について、中沢の言うところを追ってみたいと思います。



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2008/03/05

与論島と対称性人類学

 「銀河と夜景」「亜熱帯と都市」「雨乞いとインターネット」と、少々強引と思われるようなつなげ方で、与論島と東京または都心的なものが似ていると見なしてきたのだけれど、それはこんな風にも言えると思っています。


1.都市空間や都心的なものが進展すればするほど、琉球弧の過去を遡行するように両者の世界が接近する。

 そして、これとは別に与論島や奄美・琉球弧について、ぼくはこんなことをこのブログで考えてきました。

2.与論(奄美・琉球弧)は国家をつくる必然性を持たなかった地域だ。誇るなら、そこを誇りたい。
3.与論(奄美・琉球弧)には、人間が動物や植物などの他の存在と「同じ」だった時代の感覚が息づいている。
4.与論(奄美・琉球弧)を救うのは、「贈与」の論理だ。

 ただ、ぼくにとって、これらのことはつなげたいけれどどうつなげればよいか分からないことどもでした。

◇◆◇

 こんなことを書くのは、これらがひとまとまりになった言説に出会ったからです。
 たとえば、こう、あります。

 神話的思考の優しさや思慮深さを見てきた私たちは、そこでつぎのように問うことができます。神話の思考は、流動的知性=無意識の働きを直接に反映してつくられたものであることによって、人間に深い思慮と動物や弱者にたいする思いやりのある態度を生み出すことができたのです。しかし、現代人がもはや神話の思考に立ち戻ることなどは不可能なことですし、資本主義を捨て去ることもできないし、国家以前の状態にいきなり戻ることなども不可能なことです。それならば私たちは、回帰するのではなく、前に進んでいくやり方で、現代世界が陥っている袋小路から抜け出す道を探さなくてはなりません。はたして、そんなことは可能なのでしょうか?

 私の考えでは、ただひとつだけ可能性のある道があります。それは、現生人類の(徴)でもあり、その「心」の基
体をつくりなしている流動的知性=無意識の中から直接出現する、新しい知性の形態を創り出していくことです。私はそのような試み自体を、あらためて「対称性人類学anthropologie synmetrique」と名付けようと思います。

 かつては神話が、そのような対称的知性の一形態でした。そして、「構造人類学anthropologie structurale」がそのことをあきらかにするための、現代人の強力な知的武器となりました。私たちはいま、その構造人類学の先に出て行こうとしています。神話的思考や宗教や経済活動の内部で、いったいどんなふうにして無意識が作動しているのかを、徹底的に調べあげることによって、高度に発達した技術と資本主義の社会で「よい働き」をすることのできる、かつての神話とは違った新しい知性の形態が生み出されるための条件を、この対称性人類学という学問をつうじて、探っていってみようと思うのです。

 「対称性人類学」とは難しい言い回しですが、「同質なものとしてつながりを見いだす」人類学とても言えばいいでしょうか。そして、「同質なつながり」とは、ぼくたちに馴染み深いと考えてきた、人間と植物、動物が「同じ」であるとしてつながりを見いだすことを指しています。

 同じであるという感覚はこんな風にも語られています。

 先住民の儀礼から一神教の宗教にいたるまで、こういう実例は、枚挙にいとまがありません。どの体験を観察しても、そこに対称性の思考や無意識の働きが関与していないものを見出すことはできません。愛犬をかわいがっている都市生活者が、自分のことを信頼感をこめて見つめる犬の眼を見て味わっている幸福感は、「人間と動物とは昔兄弟だった」と神話を語りだしている狩猟民が、原初の時間に思いをはせながら感じていた至福の感情と、同質のものを持っています。それはさらに、神と人間とのあいだの絶対的な距離を強調する一神教において、神秘家の存在を神の愛の火が破壊し包み込んでいるときに、神秘家が法悦として感じ取っている感情を生み出している構造と、まったく同じ本質を持っています。耐え難い苦痛のなかで、比較を絶した至福感がわきあがってくるのです。

 どの場合でも、「心」のなかで対称性無意識の働きが、分離された世界で失われた感情の通路を、ふたたびつくりだそうとしています。宗教においても、日常生活においても、幸福感と対称性は一体です。これまでにもたくさんの「幸福論」は書かれてきましたが、対称性の視点から幸福を論じたものは、ほとんどなかったと言ってよいでしょう。しかし私たちの「魂」の秘密に触れている文化のすべてが、そのことに関わっています。そして、そのなかでも芸術は格別な地位を占めています。

 「人間と動物とは昔兄弟だった」というのは、アマンを先祖とみなすぼくたちの祖先と同じ感覚のことを指しています。

 その世界では、国家を持つことはなく、人はいつでも無意識の世界と交流することができました。

 国家を持たない人々の社会では、「心」のマトリックスをかたちづくっている部分の働きが、社会の表面にまで躍り出して、豊かな活動をおこなっていました。そのひとつの表現のかたちが神話や儀礼でした。そういう社会では、現実の生活を導いている非対称性の論理の働きと、「時間と空間がひとつに溶け合う」神話的な対称性論理の働きとが、バイロジック的に結合した作動をおこなっていたために、人はいつでも簡単に、自分の「心」のマトリックスである無意識に入り込んでいくことができたのでした。

 またその世界では、贈与価値が支配的でした。

 歴史的には交換よりもずっと早く出現した贈与は、本質的な点で対称性の原理と深く結びついています。贈与は等価交換ではありませんし、贈与される物の「価値」はたんなる貨幣価値に換算できるようなものではない、と考えられています。それは贈与で発生する「価値」が、商品としての使用価値ばかりではなく、それを贈ることで得られる社会的信用とか、獲得される名誉とか、贈り物にこめられる愛情などのようなたくさんの「価値」を「圧縮」して、ひとつの贈り物につめこもうとしているからです。そのため、貨幣価値は一次元の数億で表現できますが(たとえば苛のような形で)、贈与される物に込められている「価値」は多次元的(高次元的)な性質をもつようになります。そこで贈与では交換とちがって、図のような多次元的な関係をとおして、「価値」が発生することになるわけです。

 贈与はまた、贈る人と贈られる人とを、贈与物を媒介にして人格的に結びつける働きをします。よい贈り物ならば、それを受け取った私たちは、贈り主の愛情や思いやりなどその人の人格の一部が贈り物に付着して、私たちのもとに届けられるような気がします。昔の人たちは、そういう場合に、「贈り物には贈る人の魂が付着している」などと表現して、ゆめおろそかな気持ちでは贈り物などあげなかったし、受け取りもしませんでしたが、その原因は贈与が人と人、集団と集団をたがいに結びつける力をもっていたからです。そのために、贈与には喜びや感動や愛情や信頼など、強いエモーショソ(情動)がかき立てられることがしばしばです。

 そのため贈与をとおして成立した信頼がいったん裏切られたとき、たがいのあいだに何もないときには発生しょうもないほど強烈な憎しみの感情がかきたてられることになります。愛情関係のもつれは、たいがいそんな風にしてこんがらがっていくようですよ。


 ところが「交換」価値が入ることによって、世界の何かが変わります。冷たく、なるのです。

 それにしても、経済の鎮域でも神の領域でも、〈一〉の原理とでも呼ぶことのできる特別な原理がとても大きな働きをしていることを、お気づきになったことと思います。〈一〉の原理が登場してくると、それまで対称性の論理にしたがって動いていたものが、またたくまに非対称な関係につくりかえられてしまうのです。

 たとえば、長いこと人間の相互関係のおおもとをなしてきたのは、贈与の原理でした。それは対称的経済関係としての特徴を持ち、ものごとの「価値」を多次元的に決定するデリケートなメカニズムが、人々のあいだに精妙な贈与関係を打ち立ててきたのでした。ところが、そこに〈一〉の原理が忍び込んでくると、たちまち対称性にもとづく贈与関係に変質がおこってしまいます。それまで多次元的に決定されていた「価値」が、単一の価値尺度に還元されて、数で数えられるものにつくりかえられてしまうのです。その瞬間、いままで贈与関係によって結びつけられていた人々のあいだに、冷たい空気が入り込んできて、たがいに結びつけられていたものが分離を体験するようになります。贈与が交換につくりかえられる瞬間です。

 こうして生まれた交換と昔ながらの贈与は、長いことバイロジックの関係を保ち続けていました。
ところが、交換の中から出現した貨幣が、社会の全域に行き渡るようになると、交換は贈与の関係をいたるところで破壊して、経済の領域での覇権を握ってしまうことになります。社会の重要な部分が、すべて交換の原理で作動するようになったところで、おもむろに資本主義が登場してきます。資本主義は〈一〉の原理が経済の領域で覇権を振ったことによって、はじめて可能になったメカニズムなのです。

 では、対称性人類学の目指すものは何か。

 流動的知性=対称性無意識は、私たちの「心」の内部で、いまだに変わることのない働きを続けています。あらゆる領域の形而上学化が進行していって、いまやそれが社会生活や個人の心的生活の深いレベルにまで及んでいることが感じられる今日にあっても、ホモサピエソスである私たちの「心」の基体には、いまだに致命的な損傷は加えられていません。

 形而上学化の運動によっては損傷を加えることのできない、高次元的なトポロジーとして、無意識が活動しているからです。すっかり変化してしまったのは経済のシステムや社会の構成原理ですが、それによって社会の表面からは隠されていってしまったとはいえ、「心」の基体をなす対称性無意識の作動は、依然として私たちの「心」の見えない場所で活発に続けられているのです。私たちの「心」の中で古代は生きているとも言えるでしょうし、変装した野生の思考が思いもかけない分野で活動しているのを、人々が気づいていないとも言えるでしょう。

 それを引き出してくるのが、対称性人類学のつとめです。私たちは後ろ向きの、過去にノスタルジックな視線を送るような学問をめざしているのではありません。すっかり形而上学化された世界の中に、生きた野生の思考を取り戻すとは、流動的知性を本質として対称性の論理で動く無意識の働きに、創造的な表現の形を与えることにはかなりません。そういう創造的な知性の働きとして、対称性人類学は構想されています。

 この「対称性人類学」の構想を思い切り自分に引き寄せれば、未来に琉球弧の原型のエッセンスを見ることに他なりません。ぼくは、この言説を読みながら、自分がしたいと思っていることは、「対称性人類学」なのか、と思ったくらいでした。

◇◆◇

 ぼくは、マルクスの自然哲学をベースに、人間と植物、動物を同質に見なした与論(奄美・琉球弧)での世界との関係の仕方を、

 人間は、全自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 と整理し、一方、第三次産業が主体となる都市の人間と世界の関係の仕方を、

 人間は、全人工的自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、人工的自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 と考えました。

 ※四つの段階と人間と自然の関係

 そしてここで面白いのは、第一次産業以前の第零次の世界と第三次の世界の関係式が共鳴しているように見えることでした。

 ぼくはこれを、時代の進展とともに、第零次と第三次が共振の度合いを深めると見なしてきました。与論島と東京はどこかで共振していると思ったのです。

 ただ、そうなるだろうと思いはしても、どうなるのがよいのか、そのことはなかなかつかめずにきました。それが、「対称性人類学」を見ると、未来に琉球弧の原型を蘇生する、というように読めるので、ひとつのベクトルを得た気がしたのです。

 この、「対称性人類学」の視点は、もう少し追っていきたいと思っています。

 ところで、『対称性人類学 カイエ・ソバージュ』は、中沢新一の作品です。

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