「アニミズムを真剣に受け取る」
レーン・ウィラースレフは、現地人が「人間と相互作用するように精霊とも相互作用するのだと主張するときに」、人類学者は「彼らは隠喩に溺れている」と解釈する。「彼らの話は通常の語りとして扱われるべきではなく、象徴的な言明として理解するべきだとされる」。現地人が「精霊に関して文字通りの真実だと考えているものを、本当のところは比喩的にのみ真実なのだと主張している」と、指摘する。
そうした二元論を基盤に、精霊は現実には実在せず、現地の人々の想像力のうちでのみそのように構築されているのだとして、我々は安堵するのである。
現地の人々の主張を、概念装置や隠喩だとして単純化するこの手の分析上の企ては、人類学の領域では今でも健在である。実際のところ現代のアニミズム研究のほとんどは、こうしたデュルケーム的な主題の変奏なのである。
この辺りは、レヴィ=ストロースのトーテミズム言説批判を思い出させるし、著者にもそれは自覚されているだろう。
文化相対主義の主張は、西洋の認識論が土着の理解に対して持つ優位性の基盤を切り崩すのではなく、実際にはむしろ改めて強化するのである。
ここにもレヴィ=ストロース流が反響している。けれど、「隠喩モデル」を離れようとするところ、レヴィ=ストロースも批判の対象になっているようにも見える。
他方で、近年の人類学の文献では、「先住民のアニミズムは、西洋社会が失ってしまったとされる世界や他なる存在との根本的な親近性を表象するようになる」とも言われている。
このことを意に留めると、人類学、でなくてもいいのだが、だれかが「トーテミズムを真剣に受け取る」ところまでもう少しなのかもしれない。
『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント