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2020/04/11

『縄文時代にタトゥーはあったのか』

 本書の関心は多岐にわたるので、メンタワイのタトゥーをみれば、インドネシアの自然を覗きたくなり、北海道の「中空土偶」をみれば、縄文後期の北海道のトーテムを調べに潜行したくなったり、セントローレンス島では関節部を魂の場であるという記述にぶつかると、琉球弧のそれとおぼしき痕跡のことに頭が行ったりと、考え込みたくなる誘惑を何度も抑えるのだった。

 タイトルの「縄文時代にタトゥーはあったのか」という問いに向き合えば、琉球弧の方からは、「あった」と回答することになる。20世紀末までみられた「ハジチ」の紋様は、縄文時代まで辿ってはじめてその意味を浮かびあがらせるし、ハジチをした理由についても、ローカルなものではなく人類的な必然を感じさせるのだから。

 面白いことに、ハジチを継承た琉球弧では、土偶はつくられなかった。他方、土偶を盛んにつくった本州弧ではタトゥーは継続することはなかった。幻視するほかない本州弧のタトゥーだが、それでも土偶は有力な手がかりになるのではないだろうか。

 私見になるが、土偶は、「トーテム-人(トーテムの化身態としての人)像」だ。身体の一部が欠けていたり、強いデフォルメを受けていたりすることがあるのは、よりトーテム像に寄せて身体像を思い浮かべるからだ。そこで、縄文でも終わりに近づくほど、土偶も人らしさが出てくることになる。

 土偶の模様は、そのままタトゥーの紋様とは言い切れない。けれど、琉球弧のハジチとトーテムとの関係を参照すれば、タトゥーとして見ていい紋様は解いていけるのではないかと思える。

 もし、土偶のない琉球弧でハジチが途絶えていたら、その紋様を復原することはできただろうか。そう問うと、そのハードルは極めて高いと言わなければならない。けれど、ハジチがなくてもトーテムは分かる。そして、ハジチと類似する貝や石器の「製品」もある。何より、トーテムである動植物や自然物は分かる。そして民俗。それらの複合のなかから接近していけば、ある程度の復元の可能性はある。タトゥーはタトゥーとしてだけ存在しているのではなく、トーテムや自然と分かちがたくつながっているから、人身体像にも接近していけるということだ。

 本州弧には、途絶えたタトゥーの引き換えのように、土偶が残されている。土偶の示すトーテムとそこでの世界観が分かるということが、縄文のタトゥーの図像の復元への通路だと思う。北海道へ行けば、アイヌという手がかりもある。

 「タトゥーや文様を未来に開かれたものにしていきたい」という本書のモチーフはぼくも共有するから、いずれ琉球弧の方からの応答をしたいと思う。

 

ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』

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