「トーテムとメタモルフォーゼ」第6回:ヘビとトカゲと生の反復
昔は死ななかったという話者に、ニコライ・ネフスキーは「どういう様子で当時若返ったものか」と尋ねる。話者はそれに、「蛇の様に皮を脱いだものだ」(『月と不死』)と答えるのだが、不死は、言う通りヘビ・トーテムの段階にまで遡る。
次回の「トーテムとメタモルフォーゼ」は、ヘビ・トーテムから始める。トーテムも遡ればさかのぼるほどデータは減るので分からないことも多いが、やってみると意外と引き出せることがあるのに気づく。とくにシャコガイ以降、女性になったトーテムの性がどう考えられていたのか。それは予想通りではあるけれど、そのありようの対称性は美しくすらある。性のあり方について、目指すべきはヘビ段階とすら思えてくる。
そのうえ今回は、このヘビ・トーテムがどこまで遡れるかを見ていくことになる。港川人や白保竿根田原遺跡など、旧石器と言われる時代の遺跡も扱う。
これまでヘビがトカゲになるのはなぜなのか、よく分からなかった。心の底からとは言えないまでも、ある一定の理解はお伝えできそうだ。トカゲは、ヘビと同じく「死」を認識しない「不死」の段階にある。それなら、ヘビとの違いは何なのか。
トカゲの後半には「卵」が重要になる。「卵」にはどういう視線が注がれていたのか。トカゲはなぜシャコガイ・トーテムへとメタモルフォーゼしなければならなかったのか。ここまで来て、ヘビからシャコガイまでの流れがひとつながりに見えてくる。それは「卵」の位相の変化と言ってもいい。
10月26日16時、大岡山でやります。
つながるゼミナール④ 「トーテムとメタモルフォーゼ(サンゴ礁の夢の時間)」喜山荘一
第6回のご案内「ヘビとトカゲと生の反復」
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