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2019/06/30

「トーテムとメタモルフォーゼ」第3回:苧麻・琉球芭蕉・アダンからサンゴ礁へ

  白熱してしゃべってしまった2回目の振り返りを、「野生会議99」の「あとのまつり」に書いた(「蝶になる時とイザイホーの原像」喜山荘一(第2回『トーテムとメタモルフォーゼ』・野生会議99企画つながるゼミナール④))。

 考えることを続けていると、発表の終わった後に気づくこともある。

 

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 具志川島岩立遺跡西区5Bの端にある「焼土3」は、「スデル(メタモルフォーゼ)場」だが、当日はこれを「ノカラムシの葉」と説明したものの、もしかしたらアカタテハの幼虫の食痕かもしれない。ここには貝が置かれていないので、何人のスデルが思考されたのか、不明だが、スデル場なのは間違いない。ただ、「葉」の形にしては雑なのが気になっていたが、別の貝塚で幼虫の食痕とはっきり分かる場を見つけた。もっともそこは「この世に現れる場」なのだが、「スデル場」にあっても不思議はない。

 次回、食痕と分かる貝塚には触れることができるが、それを含めて、2回目で説明した「植物トーテム―蝶」以外の対を挙げてゆく。その数は十前後になる。ただ、それでも貝塚で分かった範囲だから、琉球弧全体でみれば、さらにあるのは間違いない。気になる植物も蝶もまだまだあるのだ。

 考えてみれば、植物トーテムと蝶の結びつきがあるのは自然なことだ。蝶は、植物で育つのだから。

 そして次には「サンゴ礁トーテム」に入る。シャコガイ・トーテムで時空の起点を意識化したトーテム人は、時間のベクトルを意識化して植物人となり、その空間的な媒介として「あの世」を、時間的な媒介として「霊魂」を思考する。その次にくる「サンゴ礁トーテム」は、空間的な広がりを持つ場の意識化のことかもしれない。

 島人気質に決定的な影響を持ったサンゴ礁トーテムはどう考えられたのか、そのあまりにもダイレクトなさまを次回はお披露目できると思う。サンゴ礁に見とれることを始めた島人の物語だ。

 つながるゼミナール④ 「トーテムとメタモルフォーゼ(サンゴ礁の夢の時間)」第3回「苧麻・琉球芭蕉・アダンからサンゴ礁へ」

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2019/06/16

「トーテムとメタモルフォーゼ」第2回:蝶になる時とイザイホーの原像

 「トーテムとメタモルフォーゼ」(「野生会議99」つながるゼミナール)の第二回は、植物トーテムを扱う。なかでも、具志川島岩立遺跡西区にフォーカスすることになる。

 貝塚からトーテムだけではなく、貝塚を築いた集団の人数やその異動を割り出すには、詳細な貝のデータが必要だが、岩立遺跡西区は、それを得られる数少ない貝塚だからだ。ただ、充分というわけにはいかない。工事により削り取られた面があるし、発掘面が限られた層もあり、詳細化されていない場もある。

 しかし、いくつかの制約はあるものの、現状これ以上のデータを望める報告書は、ここ以外では「アンチの上貝塚」しかないから、貴重なのだ。

 具志川島の岩立遺跡西区から、植物トーテムの段階での、「あの世」と「霊魂」の発生を追う。なぜ植物トーテムのときなのか。植物を通じて、「あの世」はどう思考されたのか。同じく、「霊魂」はどんな植物を媒介にどのように考えられたのか。

 驚くことに、言い伝えに色濃い「蝶」をそこでは目撃することになる。イベントまで、あと一週間あるので、もう少し詰めていくつもりだ。

【場所】大岡山タンディガタンディ (東京都大田区北千束1-52-6-2F./ 大岡山駅から徒歩2分)
【日時】6月22日(土)16:00~
【参加費】1000円、懇親会:1000円(持ち込み歓迎)

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2019/06/02

『子どもではなく類縁関係をつくろう』(ダナ・ハラウェイ)の装丁図

 この本("Staying with the trouble")の装丁に目が行く。手と骨盤と背骨と思しき人骨が組み合されていて、糸巻きのぐるぐるで節がつくられている。そして上に乗せられているのは「蝶」だ。

Staying With the Trouble: Making Kin in the Chthulucene (Experimental Futures: Technologocal Lives, Scientific Arts, Anthropological Voices)

 これはぼくたちが貝塚のなかに目を凝らして見ようとしているものに似ている。もっとも、貝塚の場合、人骨は稀で、琉球弧では貝が主役を張る。「蝶」が象られた「製品」もあるが、稀なことだ。そして、装丁のなかでも人でないものが想像されているけれど、貝塚で表現されているのはトーテムだ。

 しかし、祖先とみなした特定の動植物や自然物が描かれているというだけではない。貝や土器や石器や、稀に人骨を含めて象られているのはトーテムなのだが、それは同時に貝塚を形成した人集団のひとりひとりを指している。それはトーテムであり、人なのだ。トーテム(霊)とつながるトーテム人である。

 貝塚人は、トーテムと類縁を感じる貝を食べる。貝はそのとき食べた人へとメタモルフォーゼする。だから、貝は人の元の姿である。貝は、人の分身だ。貝塚には、人、ではなく、主に貝が置かれる。人の元の姿は貝であり、その貝もまたトーテムへと還る存在である。ここには、人―貝―トーテムという関係がある。人とトーテムを結ぶ中間に貝があるから、貝塚に貝を置くことで、常にトーテムとつながることができる。それが貝塚の思考だと思える。

 人はトーテムの化身(メタモルフォーゼ)態だが、その中間には貝(や動物骨や石器、土器等)があるから、トーテム人は、人の向こうにトーテム霊を見るとはいえ、その手前に、貝で構成された身体を見ている(たとえば、カンギクは、チンシガイ(膝頭貝)と呼ばれる)。貝身体としての人だ。それが、ハジチ(ヤポネシアン・リュウキュウ・トライバル・タトゥー)でもある。貝塚に目を凝らしていると、どうもそのように考えられているように見えてくる。

 ダナ・ハラウェイの作品をまだ読んでいないが、「サイボーグ」や「伴侶種」は、ここでいう貝身体や分身というメタモルフォーゼ思考に近しいものを感じる。「子どもではなく類縁関係をつくろう」という宣言にしても、そもそもトーテムが類縁関係のなかで見出されているものだし、そこに「子ども」は排除されているのではなく、類縁関係の環のなかに「子ども」も入っている。

 「堆肥体」も分かる気がするが、「土」とともにあるだけではなく「石」でもあるから、メタモルフォーゼ思考のなかでいえば、やはりメタモルフォーゼ(化身)態と呼ぶものに近しさがある。

ところで、ラステンが朝食の席で発案したひとつのジョークなんですけどね、僕たちにあるのは人間性(human-ities)ではなく、腐植性(humus-ities)だね、って。(子どもではなく類縁関係をつくろう──サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る 」

 

 「人間性」の向こうの「腐植性」への着目は、「死の起源」以前へと視線を向かわせる。メタモルフォーゼ思考のなかでは、「腐植」もまたメタモルフォーゼ(脱皮、変態、スデル)の一過程のなかにある。

 何かここに近しきものがあるという感触がやってくる。

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2019/06/01

「トーテム-メタモルフォーゼ仮説の全体観とシャコガイからの出現」を終えて

 少し過ぎてしまったが、「トーテムとメタモルフォーゼ」の第一回を終えた(5/25)。

 当日は、トーテムとメタモルフォーゼ仮説の全体観、その法則性のようなものを話してから、シャコガイ段階に入った。宝島大池遺跡の遺構にはシャコガイが記されているので、その観方が入り口になる。

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 ただ、大池遺跡は、遺物の詳細が報告されていないので、部分的には分かる多良間島添道遺跡で、これが人を示すこと、きれいに分配されていることをお伝えした。同様のことは、宮古島の長墓遺跡6層でも行える。

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 ここでは、分配された貝によってその人が示されていることに興味を持ってもらえたのにほっとする。資料を拵えながら、シャコガイからの化身が、二枚貝はシャコガイの殻の基体、巻貝は放射肋の化身態であるのが分かったのは収穫だった。

 また、蝶、人、蛙の関係から、メタモルフォーゼ思考の考え方にも触れることができた。

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 「食べる-食べられる」関係は、弱肉強食でも食物連鎖でもなく、メタモルフォーゼという関係で結ばれる。この三者関係は、三すくみと言われたりするが、それぞれは身動きが取れないのではなく、元の姿へ戻りながらやがてシャコガイ・トーテムへ還るものとして捉えられていたのだ。

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(当日、説明に使ってヒメジャコ、キクザル、そしてトーテムの主、トガリシラナミの幼体)

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