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2019/05/02

糸芭蕉祖先の嘉徳遺跡 - 嘉徳海岸護岸工事計画に端を発して考えること

 お馴染みのと言っていいくらいの護岸工事計画だが、これは「砂」の問題と言い換えることもできる。砂浜の砂が削り取られて海岸浸食が起き、生活圏へ影響が生じる。嘉徳の場合、海岸近くに墓地があるのが切実さを増している。

 海岸浸食は、台風によるものに間違いはないが、別の要因もあるという指摘はなされている。(「高波浪が侵食の引き金になったことは事実であるが,侵食には別の要因が関与していると考えなければならない」「奄美大島の嘉徳海岸の侵食とその対策に関する提案(宇多高明)」)。「海砂採取」もそのひとつという指摘もなされている(「奄美大島の“ジュラシック・パーク”が破壊の危機」)。

 現在、鹿児島県知事を相手に、「嘉徳浜弁護団」により、縮小されてはいても護岸工事は必要性を欠く上に、「生物環境・自然環境」に影響を与えるもので、「環境影響の少ない代替案」の具体的な検討・採用もないままの公金支出は差し止めるべきという内容の訴状が提出されるところまで来ている。(奄美のジュラシック・ビーチを守れ!住民訴訟に力を貸して下さい 」

 しかしいつものように島の人の声は聞こえてこない。2年前(2017年)の聞き取りはあるが、予定調和的なまとめで肉声というものとは遠い印象を受ける(「嘉徳地区住民からの海岸保全に関する聞き取りについて」(2017))。「第 1 回 嘉徳海岸侵食対策事業検討委員会(概要)」(2017)は、議事録風で生々しさはあるが、住民の声というわけではない。「嘉徳海岸護岸工事に関する住民監査請求(奄美新聞掲載。2019/02/01)」 で薗博明さんの声は聞けたが、この背後にも語られない島の人の声はある。

 鹿児島県 奄美大島 嘉徳海岸の自然文化的価値と保全の方向性(速報)では、「海岸の景観の保全は、嘉徳集落の精神性の保全」という指摘がされているが、ここでは「海岸」に限らず、そして「保全」というにとどまらず、嘉徳はすごい場所だいうことを書いておきたい。

 嘉徳の自然の野生力の豊かさは、この映像からでも察せられるが、嘉徳が素敵なのは、この野生のなかに建てられた嘉徳遺跡にある。

 嘉徳遺跡は、鼎さんが映像で紹介している。

 縄文相当期の貝塚時代、島人は動植物や自然物を祖先(トーテム)としていた。なかでも植物トーテムの段階は創造性に溢れるが、嘉徳遺跡は、植物のなかでもリュウキュウイトバショウ(琉球糸芭蕉)を祖先(トーテム)とした島人の聖域だ。それは土器や遺構に示されている。

 嘉徳遺跡からは、特異な土器が見つかっている。

(『嘉徳遺跡』1974年)

 この土器は、糸芭蕉の花である。糸芭蕉の花はこんな姿をしている。

Photo_100

 花は垂れ下がることが多いので、これを逆向きにしてイメージしてほしい。土器の胴部は膨らんでいるが、これは上図では四方に広がる葉(苞)に当たる。葉の根元からもしゃもしゃと伸びているのは雄花だ。この先端は左右に細かく分かれているが、これが土器では口縁部の籠目文になっている。

 この土器が特異なのは、断面図で分かるように、口縁が二重化されていることだ。二重口縁という形態の土器は、琉球弧では他に類例がない(ぼくが気づいた範囲では)。この二重口縁の内側の口縁が、糸芭蕉で言えば、雄花の先に伸びている茎の先端(花茎)に当たる。土器から糸芭蕉が見えるだろうか。

 これが糸芭蕉であることは、土器の見つかった場所を見ると、より分かる。

 Photo_98

 土器はこんな風に浅く掘られた曲線の囲いのなかにあった。この囲いを見れば、これが、広々と茂る糸芭蕉の葉だということが分かる。

 糸芭蕉は、いまでもその樹皮から糸を採り、奄美から沖縄島北部で盛んなように、芭蕉布が織られることで知られる。そこから衣服をつくる植物は、もともとは、そこから人間が生まれると考えられた祖先(トーテム)だったのだ。

 こんどは土器の断面図を見ると、土器の上下に計四個、孔が空けられている。調査では、「特別な意味があったと思われるが、他に例を見ないので何とも言えない」、「先づ呪術的な使用を考えるのが事実に近いのではないだろうか」として当惑も伝わってくる。しかし、これが糸芭蕉土器と分かれば、ここに通したのは、糸芭蕉から得られる繊維だったと推測することができる。

 土器の形態では、沈線文、籠目文、点刻線文と呼ばれ、植物トーテム土器は多く知られているが、これはそのなかで糸芭蕉祖先(トーテム)を表現したものに当たる。糸芭蕉土器は、きっと他にもあるのだが(野国貝塚では、石器の並びで糸芭蕉が再現できる。cf.野国貝塚Ⅲ層の芭蕉トーテム 」)、特異なのは、土器という形態を破ってまで、糸芭蕉の花そのものに肉迫しようとしていることだ。ここには、嘉徳人たちの並々ならない想いが込められている。

 貝塚や遺跡には構造があり、それは四つの場によって構成される。

 1.スデル(メタモルフォーゼ)場。何をトーテムとするのかを示すとともに、この世に現れるべき人数を予祝する。
 2.現れる場。この世に現れた人を示す(生誕と年齢階梯の上昇)。
 3.還る場。あの世に還った人を示す(死者数)。
 4.いる場。遺跡を建てた際に、この世にいた人数を示す。

 遺跡は全面発掘されているものの、南側は採砂されていて既に破壊されており、報告書も詳細に欠けるので、「糸芭蕉の葉と花」の遺構がどれに該当するのか判断しにくい。土器上面が焼けているので、「あの世に還る場」を示しているように見えるが、ふつうは貝や他の遺物によって、その人数が示されるが、ここにはそれがない。あるいは、集団のリーダーだった原ユタを示すのかもしれない。この囲い自体は深さ8.6cmと浅い。そして3層を掘り込んでいることを踏まえると、あるいはスデル(メタモルフォーゼ)場であったとも考えられる。

 判断できる材料に乏しいが、嘉徳遺跡は、糸芭蕉の葉と土器の遺構だけでも、植物トーテムのあり方を生き生きと伝える重要な遺跡なのだ。

 動植物や自然物を祖先(トーテム)とした人々は、貝塚や遺跡をトーテムの地に建てる。地勢や地形もトーテムの化身態と見なされるから、トーテムを感じさせる地に貝塚や遺跡を建てるのだ。嘉徳海岸付近の植生では、リュウキュウイトバショウは見られないが、内陸の方には生えているのではないだろうか。そしてトーテムの地ということについても察しがつく。

  Photo_102  

1946年の空撮写真をもとにする。嘉徳では、小川が流れており、それが嘉徳川の下流で合流する。その合流の川上側に嘉徳遺跡は建てられている。その小川から、現在のシマ(集落)を包み込んだ砂浜(砂丘)全体の形態が、花茎に似ている。遺跡は、糸芭蕉の大地に川を隔てて建てられたのではないだろうか。そうなら、嘉徳の砂浜には、数千年前の島人も魅入ったのだ

 琉球弧では、神話、伝承、そして貝塚や遺跡から祖先(トーテム)の系譜を辿ることができる。嘉徳は、詳細のデータが不足しているのでハードルが高いが、貝塚、遺跡の貝や遺物からは、その集団の人数や思考のあり方に接近していくことができる。世界遺産を言うなら、琉球弧は、とうに忘れられた野生の思考をおぼろげにでも再現できることに価値はある。なかでも琉球糸芭蕉は、芭蕉布が織られるというだけでなく、尊ばれてきた植物だ。その糸芭蕉を祖先(トーテム)とした遺跡があるのだから、約4000年前の頃、嘉徳は重要な聖地だったのだ。嘉徳の糸芭蕉人のこころを立ち上がらせるように「嘉徳」を価値化できれば、島人の精神性を尊重しながら島人も生きていくことができる、そういう経済的な方途も立てられるのではないだろうか。

 

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