貝読に明け暮れて
年の瀬なのでメモしておこう。2016年の暮れ近くに、貝塚の貝がトーテムを指し示すのに気づいて、その読み取りが始まった。
最初は、個々の貝の類似からトーテムを追っていた。それで判断のつく貝塚もあるが、読み取り切れない貝塚もある。とくにカニからヤドカリへの移行が掴み取りにくかった。どちらの段階にも見え、判断がつきにくい。
やがて、貝塚には構造があるのに気づいた。それは、メタモルフォーゼを行う場、この世に現れる場、あの世に還る場、そして、この世にいる場の四つである。この四つの場は、「この世にいる場」を地にして、「メタモルフォーゼ」「あの世に還る」「この世に現れる」という三つの図として浮き上がるように構造化されている。
貝塚がゴミ捨て場ではないのは言うまでもないとして、「あの世に送る」場というだけではなく、本質的には、あの世とつながりながらメタモルフォーゼを果たす場だった。
貝塚を構造化して捉えられるようになって、正確な貝読が可能になった。ただし、それには条件がある。
ひとつは、貝塚が構造的に捉えられていることだ。四つの場は、場所や置かれ方によって構造化されている。それを掴み取って、場ごとに貝がデータ化されていること。
もうひとつは、「破片」までカウントされていることだ。
ひとつ目だけでも、おおよそには把握できるが、貝塚を築いた人々の人数、その生死の異動を確かめるには、詳細がいる。
もう少しいえば、土器や石器、動植物遺体などのその他の遺物が、図像とととに記録されていると完璧に近くなる。それは貝を補完するからだ。けれどそこまで具備した報告書はないと思う。貝塚が構造的に捉えられ、「破片」までカウントされている報告書もまだ少ない。
貝のリストは1200を越え、貝読を試みた層は200を越えるだろうか。入力を経ないとカウントがままならないので膨大な作業になるが、それは数字ではなく人である。切実になる。まるでひきこもりのように没頭したので、不義理の数々もしてしまった。
これで、神話、伝承、習俗から組み立てるしかなかったトーテム史が、編年を組めるところまで持っていける手応えを得られる。貝読はひと段落ついたわけではなくこれからも継続するが、来年にはトーテム編年の詳細をお披露目できるところまで歩んでいきたい。
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コメント
あけまして お目。
私も 不義理をしてます。
トーテム編年 貝毒にならないよう 健康に気を付けてください。 私は 貝のかけらで庭づくりに励むつもりで集めています。 トーテムはとても興味があります。
あの世とこの世の境界については 今後も身近なテーマとして取り上げて 生き方を話してみたい。
頑張りましょう。
投稿: 泡 盛窪 | 2019/01/01 03:45
盛窪やか
おめでとうございます。与論の貝塚が見つかってほしいです。
今年はどこかで帰りたいです。
投稿: 喜山 | 2019/01/01 05:55