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2018/12/31

貝読に明け暮れて

 年の瀬なのでメモしておこう。2016年の暮れ近くに、貝塚の貝がトーテムを指し示すのに気づいて、その読み取りが始まった。

 最初は、個々の貝の類似からトーテムを追っていた。それで判断のつく貝塚もあるが、読み取り切れない貝塚もある。とくにカニからヤドカリへの移行が掴み取りにくかった。どちらの段階にも見え、判断がつきにくい。

 やがて、貝塚には構造があるのに気づいた。それは、メタモルフォーゼを行う場、この世に現れる場、あの世に還る場、そして、この世にいる場の四つである。この四つの場は、「この世にいる場」を地にして、「メタモルフォーゼ」「あの世に還る」「この世に現れる」という三つの図として浮き上がるように構造化されている。

 貝塚がゴミ捨て場ではないのは言うまでもないとして、「あの世に送る」場というだけではなく、本質的には、あの世とつながりながらメタモルフォーゼを果たす場だった。

 貝塚を構造化して捉えられるようになって、正確な貝読が可能になった。ただし、それには条件がある。

 ひとつは、貝塚が構造的に捉えられていることだ。四つの場は、場所や置かれ方によって構造化されている。それを掴み取って、場ごとに貝がデータ化されていること。

 もうひとつは、「破片」までカウントされていることだ。

 ひとつ目だけでも、おおよそには把握できるが、貝塚を築いた人々の人数、その生死の異動を確かめるには、詳細がいる。

 もう少しいえば、土器や石器、動植物遺体などのその他の遺物が、図像とととに記録されていると完璧に近くなる。それは貝を補完するからだ。けれどそこまで具備した報告書はないと思う。貝塚が構造的に捉えられ、「破片」までカウントされている報告書もまだ少ない。

 貝のリストは1200を越え、貝読を試みた層は200を越えるだろうか。入力を経ないとカウントがままならないので膨大な作業になるが、それは数字ではなく人である。切実になる。まるでひきこもりのように没頭したので、不義理の数々もしてしまった。

 これで、神話、伝承、習俗から組み立てるしかなかったトーテム史が、編年を組めるところまで持っていける手応えを得られる。貝読はひと段落ついたわけではなくこれからも継続するが、来年にはトーテム編年の詳細をお披露目できるところまで歩んでいきたい。

 
 

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