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2018/09/26

具志川島5B層の集骨

 いまなら風葬と呼ぶ5B層の集骨。

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 これは苧麻トーテム段階で、あの世が発生した初期であることを示している。これらの骨も苧麻あるいは苧麻の化身態を表すはずだが、うまく視線をチューニングできなくて、まだ見えてこない。もしかしたら、長骨が茎を、下顎骨が葉を表現した苧麻植物そのものなのかもしれない。骨は壁際に乱雑に置かれていると報告されているが、そうなのではない。まず、個体別に置かれていないのは、この段階では、集団の「わたしたち」は一体だからである。

 乱雑に置かれているわけではないのを、よく示すポイントがある。

Focus_2

 ヤセイモとおぼしいとされている貝製品には、目を惹きつけられる。

Yaseimo

 これはハジチの右手首の五つ星、つまり、霊魂としての「蝶」とよく似ているのだ。

Haziti

 ここに貝製品に添わせるように置かれた骨の部位を参照させる。

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 いちばん近いのは、女性右手の尺骨なのだ。ハジチで蝶が描かれるのは、右手尺骨頭部に他ならない。この骨製品は、女性の尺骨を意識してそばに置かれているのである。

 この骨と貝製品は、苧麻段階でハジチが発生したというぼくたちの考えを補強して余りある。

 貝製品のそばの他の骨をみれば、尺骨は女性骨で、橈骨は男性骨なのかもしれない。また、膝頭(チンシ)の骨も霊魂の部位とみなされたと思える。

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2018/09/23

古我地原貝塚の遺構

 苧麻トーテム段階にある古我地原貝塚の遺構。

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(『古我地原貝塚』)

 目は粗いが、4つの場を想定しておく。

 黄:スデルわたしたち
 緑:この世にいるわたしたち
 赤:あの世に帰るわたしたち
 青:この世に現れるわたしたち

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 メタモルフォーゼの場は、西端にある第7号遺構だと考えられる。

 そして、この遺構の形態は、この貝塚でほとんどを占めるキバウミニナの口と触覚ではないだろうか。

 cf.「キバウミニナの口」(MAD CREEPER)

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 また、「この世にいるわたしたち」を示すのは、遺構4~7号を包むように検出されているピット群だと思える。この穴は、泥地に刺さるヒルギの根あるいは育ち始めた芽ではないだろうか。

 古我地原貝塚は、土器の大半が奄美系であることでも知られる。奄美から渡ったヒルギトーテムの島人が作った貝塚なのかもしれない。


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2018/09/22

喜界島崩リ遺跡の遺構2

 崩リ遺跡には次の段階の遺構も残されている。それは、「竪穴状遺構」と同じ場所にある。

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 「土坑」と呼ばれる遺構は、「竪穴状遺構」の近くに、小さめに展開されている。「竪穴状遺構」が干瀬だとすれば、これは干瀬にできる水溜まりのような窪みで、ヤトゥと呼ばれている場だと思える。

 生命があふれる場をはじめ干瀬に見出す。サンゴ礁の発達は、次に、干瀬の窪みを見出させることになった。潮が引けば、ここには残された魚や貝がいることになる。そこに生命の源泉を見たのだ。

 しかし、「土坑」ばかりではない。同時期には、もうひとつ「溝状遺構」と呼ばれるものも検出されている。

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 これは、バリ、クチなどと呼ばれる、干瀬の割れ目で、縁溝を指すと思える。クチは、寄り物の寄ってくる重要な場だ。クチをつたって生命はやってくる。ヤトゥと同時に、島人はそこに生命の源泉を見出した。

 サンゴ礁トーテムは、場そのものがトーテムとなっているが、それは「あの世」=「トーテム」を意味している。そして、この世は、あの世の写しであることが遺構に示されている。これは後段になれば、あの世はこの世そっくりと変形されて言われることになる。

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2018/09/21

喜界島崩リ遺跡の遺構1

 喜界島、手久津久の崩リ遺跡の遺構。まず、「竪穴状遺構」と呼ばれているものについて。

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 これは、宮古島アラフ遺跡と同じサンゴ礁トーテムの段階にあると考えられる。

 この遺構の分布が示すのは、遺跡すぐ近くにある、イノーなく迫った干瀬だ。

 地図は現在の干瀬であり、削られた面もあって、どの個所に対応しているのかを判断するのは難しい。が、このどこかなのだ。

 その意味は、色で区分してみた。

 黄:スデルわたしたち
 緑:この世にいるわたしたち
 赤:あの世に帰るわたしたち
 青:この世に現れるわたしたち

 貝は遺構からは検出されず、代わりに動物遺体が出ている。起点と考えられるSH15でいえば、ウツボ科、アオブダイ属、ブダイ科、クジラ類、である。

 また、アラフ遺跡と同じく、「スデルわたしたち」は二か所、近接して構築されている。

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2018/09/20

宮古島アラフ遺跡の遺構3

 アラフ遺跡から出土した貝斧は、それぞれの貝と部位が調べられている。

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(「沖縄考古学ニュース - 沖縄県立博物館・美術館」2009)

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 ヒレジャコの右殻放射肋。

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの右殻後背縁部(ちょうつがい部)

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの放射肋部。

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの左殻後背縁部(ちょうつがい部)
(『アラフ遺跡調査研究Ⅱ』)

 土器をつくることなく、石器も希少にしか出ないとしたら、宮古の島人は、別のものにトーテム表現を求めたことになる。それは、貝斧だ。しかも、土器でも石器でもないとしたら、貝斧は男女両方に伴われたことになる。そうだとしたら、貝斧には男女の性が当てられているはずだ。

 ここで貝斧の多くを占める蝶番部を使ったものが女性。アラフ遺跡でセットで出ることになった放射肋を使ったものが男性と見なせる。シャコガイのふたつの殻をつなぐ蝶番部を持つのは女性。男性は女性の一部だから、放射肋部が男性だ。

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 A:蝶番部
 B:放射肋部
 (山極海嗣「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 : 遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察」)

 そこで、1と3は男性。2と4は女性ということになる。シャコガイがその他の二枚貝の殻と同じ意味を持つとしたら、左殻を使った4が、右殻を使った2に対して年長ということにもなる。並んで揃えられた2~4のシャコガイはオオジャコあるいはヒレナシジャコとされている。これが同一の種類であれば、2~4は兄弟姉妹関係であるのかもしれない。

 この4つの貝斧が示すのは、同一母の兄弟姉妹と、近親の男性(たとえば従兄)だとしてみる。添えられた枝サンゴは、3と4の子に当たるかもしれない。

 これは、直接的には兄弟姉妹とその子であるとともに、兄弟姉妹婚禁止前に苧麻人からサンゴ礁人へメタモルフォーゼした始祖であるという意味を持つのではないだろうか。


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2018/09/19

宮古島アラフ遺跡の遺構2

 Ⅳc層にはいくつかの集石が見られる。

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 このうち、円礫のみで構成される23号集石は、「スデルわたしたち」というメタモルフォーゼの場と考えられる。

 この23号集石の近くには、4点の貝斧と1点の枝サンゴが寄せられていた。

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(「沖縄考古学ニュース - 沖縄県立博物館・美術館」2009)

 考古学者は、これを「貝斧埋納遺構」と呼んでいる。この貝斧と枝サンゴはどう理解できるだろうか。これは、あの世へ「送る」場なのか、それとももうひとつのメタンルフォーゼの場なのか。

 この貝斧と枝サンゴは、籠のようなものに入れられて砂に埋められたと推定されている。
 
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(江上幹幸「宮古島アラフ遺跡のシャコガイ製貝斧と利器」)

 集石と貝斧のあいだには55cmほどの高低差があり、貝斧が低い位置にある。籠状のものに入れられたとすれば、凹みのなかにあり、その意味では、「あの世へ帰るわたしたち」を表現していても不思議ではない。しかし、石灰岩や貝でそれを表現している6号集石に対して、貝斧と枝サンゴは形態が特別だ。

 低い位置に置く。それは植物で編まれた繊維状の容器のなかに揃えられる。揃えられた貝斧と枝サンゴは、こうしてみれば、苧麻からサンゴ礁への移行のメタモルフォーゼを示しているのかもしれない。

 スデルわたちたちを表現している23号集石の10cm程度の掘り込みと貝斧容器の「最低8cm」(『アラフ遺跡調査研究Ⅱ』)の深さは近似する。

 この貝斧と枝サンゴは、苧麻からサンゴ礁へのメタモルフォーゼを表現し、それを埋め、そのあと、23号集石を構成してサンゴ礁トーテムとしてのメタモルフォーゼを改めて表現したと見なすこともできる。層の下部以外に途中でもメタモルフォーゼ表現が見られる例に、平敷屋トウバル遺跡がある。

 遺構と新城海岸のサンゴ礁の対応にいえば、貝斧の遺構は、陸に近い方の位相を持つ。それは、苧麻からサンゴ礁への視線の移行を示すものとも考えられる。

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2018/09/18

宮古島アラフ遺跡の遺構1

 宮古島アラフ遺跡のⅤc層からⅣb層までの遺構を並べてみる。

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(『アラフ遺跡調査研究Ⅰ』より抜粋)

 これは何を示しているのか。各層を重ねてみる。

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 こうしてみると分かるのは、これがアラフ遺跡のある新城海岸沖のサンゴ礁であるということだ。

 Ⅳb層の貝出土下層・上層面は、いちばん北の大きな二つの干瀬、Ⅴb層の3号土坑は、ふたつの干瀬手前にある穴のように干瀬の抜けた個所、竪穴遺構は、その右側に連なる長い干瀬を指している。

 彼らは長い時間をかけて干瀬を描いているのだ。サンゴ礁トーテムである。

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