ナガラ原西貝塚のゴホウラ
試みの域を出ないが、ナガラ原西貝塚から出土しているゴホウラについて、図に起こされているものを類型化してみる。ナガラ原西貝塚は、オウギガニ段階と見なせるが、貝はその化身態であり、島人もその化身態であるという視点を置く。
1.扇型(4)
2.鋏(5)
3.扇型×鋏(3)
4.扇×手(32)
1は、ゴホウラの周縁を部分的に削ったもので、扇型をつくろうとしている。2は、扇型は意識されず、オウギガニの鋏に似せたもの。3は、扇型を保ちながら鋏に似せたもの。4は、扇型であるとともに手の刺青を表現したものである。この場合、手は太陽と言ってもいい。
図に挙げられた44点の72%は、4(扇形×手)の類型になる。これはそのまま島人の女性を指していると思える。このなかで男性になるのは、2だけになるが、2と3については、鋏という理解が妥当か心もとない。
報告書では、
・全く加工されていないもの。181個
・人間によって打ち欠かれたとみられるもの。197個
・ヒメゴホウラの加工品。26個
とある。
単純にいえば、223個が島人を指し、181個がトーテムの化身態そのものを指している。両者の数が近い。人そのものを表す数にもうひとつがトーテムとして添えられたことになる。ナガラ原東貝塚のトーテムセットと同じ考え方だ。この考え方でいえば、これらのゴホウラは、どれもいわゆる「貝交易」用ではないことになる。
これらを「貝輪」の製作工程の途上にあるものと見た場合、ナガラ原西貝塚の場合、8割以上が「失敗品」だと見なされている。また、「沖縄本島中部東海岸においては製品44点、粗加工品が66点なのに対し、失敗品の出土は1点もない」(神田涼「南海産貝輪製作行程の復元」)と指摘されている。貝はトーテムの化身態であり、島人の分身であれば、失敗や成功という範疇のなかにはない。むしろ、この事態は、ナガラ原西貝塚のゴホウラ貝が島人を指していることをよく示しているのではないだろうか。
クモガイなどでつくられている「小型貝匙」、「土製匙」、「夜光貝匙」と呼ばれているものは、どれもオウギガニの腹節をモチーフにしていると思える。
「シャコ貝皿」について、報告書では、「縁辺の打ち欠きや研磨も、貝の本来の自然形を大きく変えるには至らず、殆どその自然形に規制された、小刻みの縁辺部調整にとどまっている」としている。また、貝はシャゴウが多いとされている。
扇形に近いシャゴウの「縁辺の打ち欠きや研磨」で、より扇形に近づけているのだ。
また、小湊フワガネク遺跡から出土したヤコウガイの「貝匙」についても同様のことが指摘されている。
貝匙はヤコウガイ貝殻の出土地点と重なって遺跡全体に分散して出土しており、集積されている状況は見られない。また、完形の製品は一点のみで、大半は未製品あるいは失敗品であり、製作址でありながら、製品の出土が非常に少ないということが言える。貝匙の製品がストックされる状況が見られないことは、遺跡内では消費されず、外部へ持ち出されたことを示すと考えられる。(古島久子「南島におけるヤコウガイ利用に関する一考察--奄美大島名瀬市小湊フワガネク(外金久)遺跡出土資料の検討」「琉球大学考古学研究集録、1999)。
これも失敗や未製品の位相にはなく、ヤドカリの腹部による胞衣の表現は完了していると見なせる。興味深いのは、これらが集積ではなく、「ヤコウガイ貝殻の出土地点と重なって遺跡全体に分散して出土して」いることで、地母神としての「胞衣」を表現したものなのではないだろうか。
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