北奄美のヤドカリ段階移行
兼久式土器の年代値は、前半と後半に分けられると指摘されている(名島弥生「放射性炭素年代から見た琉球列島における考古学的時期区分の現状と課題」)。
約1700~1300BP(cal AD325~723):小湊フワガネク、用見崎、土盛マツノト
約1200~1100BP(cal AD772~1018):川嶺辻(無文化)
名島は、前半の有文甕と後半の無文化を兼久式土器の「古段階、新段階に対応する可能性がある」としている。
トーテムからいえば、これはコモンヤドカリからムラサキオカヤドカリへの移行を示している。奄美で農耕が開始されると言われる8~10世紀ともよく対応する。
沈線文脚台系は、約2700年前とされるから、コモンヤドカリ段階が約1500年間継続したことになる。これは長すぎると言える。
沈線文脚台系(コモンヤドカリ):約2700年前
スセン當式(コモンヤドカリ):約1700年前
兼久式古(コモンヤドカリ)
兼久式新(ムラサキオカヤドカリ):約1200年前
ぼくたちの考えでは、スセン當式以降、大当原式と呼応して地母神の概念が定着するが、それでもそれ以前に1000年が経過している。
ただ、奄美で太古のことを「アマン世」と呼ぶ理由は分かるわけだ。
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