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2018/07/31

スセン當式土器とヤコウガイ「貝匙」

 目に触れる機会が少ないので、沖永良部島のスセン當式土器を挙げておく。

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 また、スセン當貝塚から出土しているヤコウガイの「貝匙」。これは、ベニワモンヤドカリの鋏ではないだろうか。

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2018/07/30

トーテムとイモガイの殻長

 イモガイ集積のイモガイの大きさとトーテムを対応させてみる(数値は殻長の平均)。

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 トーテムは、貝類から判断している。こうしてみれば、島人は感覚の論理から、殻長、つまりイモガイの大きさもトーテムに合わせているのが分かる。やはり、貝はトーテムであり、人なのだ。

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 嘉門貝塚の報告書はモノクロなので色が分からないが、その他のイモガイは白い。に対して、伊礼原D遺跡のものは、ビロード状の殻皮をかぶったままになっているように見える。褐色のままにしたのは、コモンヤドカリの赤の鋏を意識しているのではないだろうか。

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2018/07/29

トーテム編年仮説

 これから提唱していきたいのは、琉球弧のトーテムによる編年だ。

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 なぜ、トーテムによる編年が可能かといえば、トーテムが土器や貝などの遺物に表現されているからだということになる。北琉球と南琉球で時代を対応させているのは、時間軸ではなくトーテムとして同位相のもので照応させたものだ。

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2018/07/28

ヤコウガイの貝匙は、ヤドカリの甲と腹部

 ヤコウガイの「貝匙」と呼ばれているもの。

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 ヤコウガイは、ヤドカリの化身貝であり、殻の部分は腹部に当たる。その端の柄に見えるところは、ヤドカリの甲だ。

 ベニワモンヤドカリをベースにすれば、

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 白い甲の部分をひっくり返して腹部につけてみるといい。これが、デザインの素になっている。

 これは蟹の甲と腹部をドッキングさせて土器デザインを構成したのと似ている。甲は、腹部の延長とみなされていて、沖縄がオウギガニの甲に扇形を見出したのと同様に、ヤドカリの甲に「胞衣」が見いだされている。これも扇形には近いが、あるいは同時に「蝶」も見出されているのかもしれない。

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2018/07/27

「先史奄美のヤコウガイ消費」(木下尚子)

 再度、「先史奄美のヤコウガイ消費:ヤコウガイ大量出土遺跡の理解にむけて」(木下尚子)を取り上げてみる。

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 これらの貝塚で、ヤコウガイの大きさ(殻径)にもっとも相関が高いのは貝塚の標高だ。つまり、標高が高いほうがオカヤドカリも大きいということだ。

 残されたものが殻が多いほうはオカヤドカリ・トーテム、蓋が多い場合、ムラサキオカヤドカリ・トーテムだとみなせる。マツノトでは、コモン・ヤドカリ段階も含むのかもしれない。フワガネクでは、オカヤドカリからムラサキオカヤドカリへの移行を含むのかもしれない。


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2018/07/26

スセン當式段階のヤドカリ・トーテム

 スセン當式と呼ばれる奄美の土器。

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(与路砂丘、スセン當、フワガネク)

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(西原海岸)

 これらの曲線を主体にした施文は、ベニワモンヤドカリの背部に着目したものではないだろうか。西原海岸の口縁部は、白い前甲とその横の脚のように見える。

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(『ヤドカリのグラビア』)

 ベニワモンヤドカリは、平べったくイモガイ、タカラガイ、マガキガイを宿貝として好む。サンゴ礁に棲み、小さい。スセン當式の段階は、ヤドカリを通じて地母神の概念が形成されたと考えてきたが、これらのことは、スセン當式と並行する沖縄のオウギガニ(大当原式)とよく呼応している。

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 前甲をひっくり返した形が、あるいは胞衣として意味を持ったかもしれない。

 スセン當式の手前に位置づけられている万屋泉川遺跡からは、「小形で食用にしたとは考えられない」とされているコシマヤタテが出土している。コシマヤタテの殻に走る白の線は、ベニワモンヤドカリの縞とよく似ている。また、泉川遺跡の貝類は個体数がカウントされていないが、マガキガイが多量に出土したと報告されている(「万屋泉川遺跡」)。

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 ユウナの花は、夕方海に散って赤い熱帯魚に化身する。この熱帯魚をぼくたちはキンギョハナダイと見なしているが、キンギョハナダイの元の姿としてもベニワモンヤドカリはぴったりだ。この後、ユウナの花は後続する兼久式土器の底部にスタンプされることになる。


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2018/07/25

犬田布貝塚Ⅱ層の貝類

 犬田布では、陸の貝による化身が重視されている。地下の他界が思考されているのかもしれない。報告書からは、貝塚が崖下の岩陰に形成されたことがうかがえる。

この付近は旧河川の河床にあたり東西に連なった高さ数mの珊瑚礁崖に南北から狭まれた長さ500mほどの細長い低地であり,遺跡はその南側の崖に形成された岩陰部を中心に広がっており,約50mにわたり員層が露出している。文岩陰部と前面の畑地との聞には農道が存在するが,その脇の溝にも貝層が観察され多くの遺物が表面採集され歴史民俗資料館に保存展示されている。

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(『犬田布貝塚』より作成)

 ヤマタニシは、厚めの殻があり、蓋を持つ。ヤドカリの化身態にとてもふさわしい。海の貝では、ヨメガカサなどの鍋蓋族が重視されている。

 Ⅱ層から出土しているイトマキボラとチトセボラの「貝製刺突具」は、一対でコモンヤドカリの鋏を示すのではないだろうか。

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2018/07/24

北奄美のヤドカリ段階移行

 兼久式土器の年代値は、前半と後半に分けられると指摘されている(名島弥生「放射性炭素年代から見た琉球列島における考古学的時期区分の現状と課題」)。

 約1700~1300BP(cal AD325~723):小湊フワガネク、用見崎、土盛マツノト
 約1200~1100BP(cal AD772~1018):川嶺辻(無文化)

 名島は、前半の有文甕と後半の無文化を兼久式土器の「古段階、新段階に対応する可能性がある」としている。

 トーテムからいえば、これはコモンヤドカリからムラサキオカヤドカリへの移行を示している。奄美で農耕が開始されると言われる8~10世紀ともよく対応する。

 沈線文脚台系は、約2700年前とされるから、コモンヤドカリ段階が約1500年間継続したことになる。これは長すぎると言える。

 沈線文脚台系(コモンヤドカリ):約2700年前
 スセン當式(コモンヤドカリ):約1700年前
 兼久式古(コモンヤドカリ)
 兼久式新(ムラサキオカヤドカリ):約1200年前

 ぼくたちの考えでは、スセン當式以降、大当原式と呼応して地母神の概念が定着するが、それでもそれ以前に1000年が経過している。

 ただ、奄美で太古のことを「アマン世」と呼ぶ理由は分かるわけだ。
 

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2018/07/23

久米島大原貝塚A地点のゴホウラ

 久米島の大原貝塚A地点の貝類。Ⅰ~Ⅲ層で大きな構成の変化は見られないので、シンボリックなⅡ層を取り上げる。

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(「大原:久米島大原貝塚群発掘調査報告告」より作成)

 ベニシリダカに象徴されるように、これはツノメガニ段階の貝類だ。土器は、宇佐浜式、仲原式とあるが、トーテムはオカガニの段階(仲原式)を過ぎていると思える。

 木下尚子は、出土したゴホウラの貝溜まりについて、「明らかに腕輪(貝輪)の素材である」としている。「こうした粗加工品の集積は本例をおいてみられない」。

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 木下が挙げているゴホウラをみると、背面の穴は刺青の甲の印に見える。割り取られた腹面は、ツノメガニ、スナガニの根の部分が少し離れた爪を指している。

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 そうだとすればこの貝溜まりは、オウギガニ段階のアンチの上貝塚の貝溜まりと同じ意味を持つと思える。
 

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2018/07/22

ナガラ原西貝塚のゴホウラ

 試みの域を出ないが、ナガラ原西貝塚から出土しているゴホウラについて、図に起こされているものを類型化してみる。ナガラ原西貝塚は、オウギガニ段階と見なせるが、貝はその化身態であり、島人もその化身態であるという視点を置く。

1.扇型(4)

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2.鋏(5)

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3.扇型×鋏(3)

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4.扇×手(32)

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 1は、ゴホウラの周縁を部分的に削ったもので、扇型をつくろうとしている。2は、扇型は意識されず、オウギガニの鋏に似せたもの。3は、扇型を保ちながら鋏に似せたもの。4は、扇型であるとともに手の刺青を表現したものである。この場合、手は太陽と言ってもいい。

 図に挙げられた44点の72%は、4(扇形×手)の類型になる。これはそのまま島人の女性を指していると思える。このなかで男性になるのは、2だけになるが、2と3については、鋏という理解が妥当か心もとない。

 報告書では、

 ・全く加工されていないもの。181個
 ・人間によって打ち欠かれたとみられるもの。197個
 ・ヒメゴホウラの加工品。26個

 とある。

 単純にいえば、223個が島人を指し、181個がトーテムの化身態そのものを指している。両者の数が近い。人そのものを表す数にもうひとつがトーテムとして添えられたことになる。ナガラ原東貝塚のトーテムセットと同じ考え方だ。この考え方でいえば、これらのゴホウラは、どれもいわゆる「貝交易」用ではないことになる。

 これらを「貝輪」の製作工程の途上にあるものと見た場合、ナガラ原西貝塚の場合、8割以上が「失敗品」だと見なされている。また、「沖縄本島中部東海岸においては製品44点、粗加工品が66点なのに対し、失敗品の出土は1点もない」(神田涼「南海産貝輪製作行程の復元」)と指摘されている。貝はトーテムの化身態であり、島人の分身であれば、失敗や成功という範疇のなかにはない。むしろ、この事態は、ナガラ原西貝塚のゴホウラ貝が島人を指していることをよく示しているのではないだろうか。

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 クモガイなどでつくられている「小型貝匙」、「土製匙」、「夜光貝匙」と呼ばれているものは、どれもオウギガニの腹節をモチーフにしていると思える。

 「シャコ貝皿」について、報告書では、「縁辺の打ち欠きや研磨も、貝の本来の自然形を大きく変えるには至らず、殆どその自然形に規制された、小刻みの縁辺部調整にとどまっている」としている。また、貝はシャゴウが多いとされている。

 扇形に近いシャゴウの「縁辺の打ち欠きや研磨」で、より扇形に近づけているのだ。

 また、小湊フワガネク遺跡から出土したヤコウガイの「貝匙」についても同様のことが指摘されている。

 貝匙はヤコウガイ貝殻の出土地点と重なって遺跡全体に分散して出土しており、集積されている状況は見られない。また、完形の製品は一点のみで、大半は未製品あるいは失敗品であり、製作址でありながら、製品の出土が非常に少ないということが言える。貝匙の製品がストックされる状況が見られないことは、遺跡内では消費されず、外部へ持ち出されたことを示すと考えられる。(古島久子「南島におけるヤコウガイ利用に関する一考察--奄美大島名瀬市小湊フワガネク(外金久)遺跡出土資料の検討」「琉球大学考古学研究集録、1999)。

 これも失敗や未製品の位相にはなく、ヤドカリの腹部による胞衣の表現は完了していると見なせる。興味深いのは、これらが集積ではなく、「ヤコウガイ貝殻の出土地点と重なって遺跡全体に分散して出土して」いることで、地母神としての「胞衣」を表現したものなのではないだろうか。

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2018/07/21

ナガラ原西貝塚の貝類

 伊江島の教育委員会、玉榮さんから「伊江島ナガラ原西貝塚」を送っていただいた。感謝。

 ロ地区AトレンチのⅢ層の貝類を挙げてみる。

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 大型の貝類しかカウントされていないが、これはオウギガニ段階の貝類だ。(ヒメジャコ)>(サラサバテイラ)は、ムラサキオカヤドカリ段階を思い起こさせるが、ヒレジャコ、シャゴウと扇型の貝が続き、クモガイも上位に位置する。下層の方でもこの傾向は変わらない。

 


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2018/07/20

喜界島荒木貝塚の貝類

 喜界島荒木貝塚の貝類。

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 マガキガイが出ないのは他の貝塚と似ていないが、カワラガイを1位とし、カニモリ類が続く構成は苧麻段階だと言える。伊礼原E遺跡とは似ている。

 「サンゴ礫」が印象的であるとともに、「植物の根」は苧麻を想定させる。

 荒木貝塚は、人工遺物が出土していないことから、自然貝層の可能性を持つが、黒住は人為的なものと判断している。「海岸の貝を中心とした砂を敷き,その上に大量の化石由来のカワラガイを選択的に持ち込み,集積させたものというもの」。

 また、「カワラガイ貝塚の意味するところは,全くの不明であり,単なる想像でしかないが,隣接する「ムヤー/モヤ」と呼ばれる風葬の行われた“聖なる場所”との関連もあるのかもしれない」としているが、この貝塚があの世に位置するものだったのかもしれない。

 1点の出土だが、ユリヤガイの緑が印象的だ。

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2018/07/19

具志原貝塚の「ヤコウガイ製匙状製品」

 伊江島の具志原貝塚からも「ヤコウガイ製匙状製品」が出土している。

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 報告書では、3点は、「柄部あるいは身部のみの破損品である」としている。ぼくたちは具志原貝塚は、コモンヤドカリ段階と見なしている。コモンヤドカリ期に「胞衣」の思考があるのは奄美に限らないということができる。

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2018/07/18

犬田布貝塚の「貝匙」

 徳之島犬田布貝塚からもヤコウガイ製の「貝匙」が出土している。

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 報告書では、真珠層のみ残したもの、外皮を残し縁辺に丸みを持つもの、加工跡が観察できないものに分類している。分布は次のようになる。

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(『犬田布貝塚』より作成)

 ぼくたちは、3層をミナミオカガニ段階と見なしている。外皮を残し、加工跡も認められないものが多いのは頷きやすい。蟹の腹節だと見なせるからだ。

 どうやら、サンゴ礁トーテムのあと、カニからヤドカリにいたって、胞衣の思考は育まれていったようだ。

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2018/07/17

宇佐浜B貝塚の「ヤコウガイ製匙(未製品)」

 宇佐浜B貝塚からは、「ヤコウガイ製匙(未製品)」が出土している。平均9.1~11.5cmの「略長方形」で深さはそれほどない。研磨はない。下図のいちばん上の小さなものだけが研磨を施されているが、どの層からのものかは報告書に記載がない。「柄の部分の破片」と見なされている。

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 これらは3層から1層にかけて出土している(1層:18、2層:3、3層:1)。ぼくたちは3層をオウギガニ段階とみなしているから、それを起点に考えてみる。ヤコウガイは、蓋が女性性、殻が男性性と捉えられるはずだが、この場合、殻を割っている。また、その形状は鋏には見えない。むしろ、蟹の腹節に見える。

 すると、殻の匙状の形態は胞衣ではないかという想定に導かれる。

 シヌグ堂、清水貝塚からも同種のものは出土しているというから、近いうちに確かめてみたい。

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2018/07/16

北原貝塚の貝類とヤコウガイ

 久米島の北原貝塚は、土器からは大当原期とされているが、貝類からもオウギガニ段階と判断できる。

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(「北原貝塚」より作成)

 オキナワヤマタカマイマイに見ているのは、カノコオウギガニではないだろうか。

 北原貝塚からは、「杓子状」とされるヤコウガイが出土している。

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 この割り取りは、オウギガニ段階の表現である「胞衣」を示している。それは、奄美大島北部のヤコウガイとも同期している。

 ヤコウガイが大和に運ばれたとすれば、このとき琉球弧は、「胞衣」をプレゼントしたことになる。サンゴ礁製の地母神概念である。

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2018/07/15

「沖永良部島のゴホウラ貝輪未製品資料」(新里貴之)

 沖永良部島の西原海岸で貝輪につながるゴホウラが採集されている。

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 「外唇部や結節部をほとんど残した状態で、ほぼ全面に研磨加工を施すという状況は珍しい」として、新里は「ここまで手間をかけて加工し、かつ十分に背面貝輪になり得るものを廃棄するとは考えにくい」としている。

 こういう研磨状態のものもあるなら、なおのことこれは女性の分身を指しているのだと思う。女性シャーマンのなかでも長の地位にあった人のものなのかもしれない。

 奄美でのゴホウラの「完形品」は、「現在のところ墓出土のものに限定されている」。トーテムと人自身の中間にこの貝はあるということだ。

 三宅宗悦は、喜念原始墓の数十点の貝輪のなかから、その一点がゴホウラではないかと見抜いた。これがゴホウラの貝輪に気づかれた嚆矢となる。この前に、三宅は奄美大島で針突きの模写をしているはずだが、三宅は島をまたいで形を変えて”同じ”ものを見ていたのだ。

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2018/07/14

用見崎遺跡のヤコウガイ

 奄美大島の用見崎遺跡から出土したヤコウガイは、「破損」形態について、次のように類型化されている。

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(「考古学研究室報告 第33集」)

 ヤコウガイは、ヤドカリの化身貝であり、とくに腹部を示すものだから、上の類型はヤドカリの大きさを示すものだ。左が成体であり、右へいくほど幼体ということになる。

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 A:殻長18.0cm以上
 B:殻長15.0~17.9cm
 C:殻長14.9cm以下

 Ⅰ類型でもCの構成比が高いということは、大きさは幅をもって捉えられていたことを示すように見える。


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2018/07/13

スセン當式と兼久式の地母神

 奄美の貝塚時代後期は、阿波連浦下層式の次に沈線文脚台系になったとされている。トーテムからいえば、これはツノメガニからコモンヤドカリ段階になったことを意味する。

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(宇宿港)

 つまり、沈線文脚台系の形態は、アカジャンガー式に先んじてヤドカリを表現したものだ。この宇宿港の土器のシルエットにしても、蟹に比べて長いヤドカリの腹部がよく捉えられている。

 新里貴之は、沈線文脚台系の後半期にスセン當式を設定している。これは底部が中空脚台になる。ぼくが目を見張るのは、同時期の沖縄が大当原期になることだ。

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(新里貴之「南西諸島の土器と成川式土器」)

 大当原期のトーテムはオウギガニに当たる。オウギガニが他の蟹と比べて特異なのは、サンゴ礁を胞衣とみなす地母神観念がはっきりしてくることだ。この概念はとても重要で、オウギガニ段階を通過しなかった奄美でも、地母神観念は育ったはずなのだが、それはいつなのかが分からなかった。

 けれど、このスセン當式こそはそれを示すのではないだろうか。底部の中空は胞衣を示すのだ。

 スセン當式は、「口縁部と胴部の境界を屈曲させるものが多」いが、これはヤドカリの胴部と腹部の境界を示す。また、「口縁部帯に断面三角形のミミズ腫れ状の突帯を配置するものが目立」つが、このミミズ腫れの突帯とされているのは、腹肢ではないかと思える。

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(新里貴之「南西諸島の土器と成川式土器」)

 徳之島の天城遺跡からは、「スセン當式土器段階の中空脚内部に半球状の粘土塊を詰めて中実脚台とし、時期的に後続するくびれ平底土器様式「兼久式土器」甕の特徴である木葉痕を有する」資料が検出された。「胞衣」の中空を埋め、木葉に胞衣を託したものだ。

 そして、木葉痕の兼久式へと移行する。これは、アカジャンガーと同じくびれ平底と呼ばれるようになる。奄美の地母神概念は、コモンヤドカリのもとで思考されたのだ。

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2018/07/12

あやまる第2貝塚の貝類

 あやまる第2貝塚の貝類。

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 貝の構成からみて、コモンヤドカリ段階と考えられる。

 各層ともにヒメジャコが出ていない。サラサバテイラも定番ではない。指標になる貝は別にあるのだと思える。5層のフドロガイも、コモンヤドカリをよく示している。

 3~5層では兼久式土器が出土している。放射性炭素年代は、1100±130(6層)、940±150(4層)。この年代からいえば、ムラサキオカヤドカリ段階になるが、判断しにくい。オニノツノガイは6層で2%だが、3層では0.2%になる。ここにムラサキオカヤドカリへの移行を見ることができるのかもれいない。

 奄美については、土器がトーテムと対応していない。沈線文脚台でコモンヤドカリになるが、兼久式でもコモンヤドカリであり、同じ兼久式のなかでムラサキオカヤドカリに移行している。

 伊藤慎二は、「兼久式土器」は、とくに「アカジャンガー式土器」を明確に一線を画して区別することが困難と指摘している。また、後2期後半(9~10世紀)、奄美南部の遺跡は「赤土丘陵上」で確認される傾向がある。ここではヤコウガイの出土が少ない。

 ここでの底部に木葉圧痕があり、兼久式土器に含まれる。ただ、これまでのものとは相違点もあり、一方でフェンサ下層式との類似もある(鼎丈太郎「奄美群島における兼久式土器について」)。


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2018/07/11

「先史奄美のヤコウガイ消費」(木下尚子)

 「先史奄美のヤコウガイ消費」(木下尚子)をもとに、貝塚を整理してみる。

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 ムラサキオカヤドカリについては、備忘に追加した。

 これをみると、安良川遺跡にある7~8世紀に、ムラサキオカヤドカリ段階へ移行したことになる。

 土器は兼久式と一括しているなかで移行は起きている。もうひとつ不明なのは、兼久式の前段階の沈線文脚台系のときにコモンヤドカリ段階へ移行していると考えられることだ。

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 つまり、このように土器とトーテムがずれる。

 沈線文脚台系の最初期に位置づけられるサウチ遺跡は、貝類からみると、すでにコモンヤドカリ段階に入っていると思える。

 BⅡ区では貝の集積が見られる。報告書では、「殆どサラサバテイで、ホラガイ、ヤコウガイ、シャコガイ、アツソデガイなどが一・二個づつまざっているが、これらのなかには穿孔された特殊なものが見られる」(『サウチ遺跡』)としている。

 ナガラ原東貝塚に倣ってここでの意味を推理する。

 サラサバテイラ:女性
 ホラガイ、アツソデガイ:鋏
 ヤコウガイ:腹部
 シャコガイ:宿貝

 を示している。


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2018/07/09

サキタリ洞FS層のトーテム思考

 サキタリ洞のFS層。約11000~3000年前とされている。

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 他の蛇段階の貝類を当ててみても、ハブ段階(前1期)の貝類から逸脱していない。約10000年前はハブと見なしてよいかもしれない。

 ここでは、ハイガイをどう見るかにかかっている。貝殻は、下田原の外耳土器を思わせる。下田原土器がトカゲの口であるように、これは蛇の口と見なされたということではないだろうか。(cf.ハイガイ

 ハイガイは、ヘモグロビンの体液を持ち、開けば、蛇が口を開けているのと似ている。殻の形は蛇が獲物を飲み込んでいるときの形にも似ている。食べる、つまり、獲物が蛇にメタモルフォーゼしているときの姿だ。

 食べる-食べられる関係におけるメタモルフォーゼの思考が育まれている段階なのではないだろうか。

 ハイガイは、約1万年前の藪地洞穴でも優占している。かつ、ハイガイ、マガキが優占することは、縄文前期のヤマトとも類似している(黒住耐二「旧石器時代から縄文時代初期の貝類利用」)。

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2018/07/08

サキタリ洞Ⅱ層のトーテム

 約23000年から20000年前だとされるサキタリ洞Ⅱ層について、貝類からトーテムを推測してみる。

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(『サキタリ洞遺跡発掘調査概要報告書 3,4』より作成)

 トーテムは蛇から始まっていると想定されるから、どの蛇なのかにフォーカスする。

 シマワスレ、ウグイスガイ、クジャクガイ、チグサガイの色合いからして、これはオキナワハイと呼ばれる蛇なのではないだろうか。

 オキナワハイの横縞は、ヒザラガイやツノガイ、キヌカツギイモが選ばれる理由にもなっていると思える。

 釣り針とされている14mmの貝器もⅡ層下部から出土している。これはギンタカハマの底部を素材としていることも分かっている(山崎真治・藤田祐樹「世界最古の釣針-沖縄サキタリ洞の最新成果」)。

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 Ⅱ層からはモクズガニの爪も多く出ている。モクズガニは、暗褐色だが、似ると赤くなり鋏の毛とが赤と黒のコントラストをなす。身は黄色と白。この色変化は、ハイとの類似のポイントなのではないだろうか。

 それにしてもドリームタイムと呼ぶにふさわしい色鮮やかな世界だ。


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2018/07/07

具志堅貝塚の貝類

 本部の具志堅貝塚の貝。

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(『具志堅貝塚』より作成)

 出土が集中する52・53ラインのⅠ、Ⅱ区で集計した。具志堅貝塚は、オウギガニ段階を示す。興味深いのは、Ⅱ層のⅠ区とⅡ区とでは、貝類の構成に違いがみられることだ。西側のⅠ区ではイソハマグリ、チョウセンサザエの蓋が1,2位だが、規模が7倍になるⅡ区では、オキナワヤマタニシ、イソハマグリになる。

 ⅠⅡ区全体でみると、Ⅰ区(オキナワヤマタニシ41%、イソハマグリ21%)、Ⅱ区(サラサバテイラ16%、スダレハマグリ16%)となっている(報告書)。これは、オキナワヤマタニシとイソハマグリ、サラサバテイラとスダレハマグリでそれぞれオウギガニを示しているのではないだろうか。オキナワヤマタニシは、2体でサラサバテイラ1体と同等の意味を持つ。

 この二対以外の対も潜んでいるかもしれないが、これは母系の集団の単位を示すものかもしれない。

 下層(おそらく苧麻段階)からは、遺骨も出土している。ここがあの世との境界部であることを示している。

 また、具志堅にはシヌグ祭がある。

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2018/07/06

ゴホウラ、イモガイと「をなり、えけり」

 アンチの上貝塚からは、イモガイの集積の他に、イモガイとゴホウラセットでの集積も検出されている。

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(「瀬底島・アンチの上貝塚」)

 覆っているゴホウラを取り除いていくと、その下に2点のアンボンクロザメと1点のアツソデガイが顔を出す。アツソデガイは、ゴホウラに比べて小さい。

 推理してみると、2体のアンボンクロザメとアツソデガイは兄弟姉妹。そのうえのゴホウラは、姉や母、叔母などの母系の系列を示しているのではないだろうか。

 1体のゴホウラは孔が開けられておらず、外唇が取られている。これは、アツソデガイと直接の姉妹ではない、成人儀礼前の従妹を指すのではないだろうか。アンボンクロザメも大きさによって兄弟が示されている。

 


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2018/07/05

波照間島大泊浜の貝類

 下田原貝塚に隣接する小泊浜の貝類は、オウギガニからムラサキオカヤドカリへの移行を示している。

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 シャコガイ族の表現の高い10層はオウギガニ段階、サラサバテイラがヒメジャコを大きく上回り、礁斜面の表現が高まる9層がコモンヤドカリ段階、そして、ヒメジャコがサラサバテイラを上回る6層がムラサキオカヤドカリ段階だ。


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2018/07/04

宇佐浜B遺跡の貝類

 やっとツノメガニ段階の貝類に出会うことができた。国頭の宇佐浜B遺跡だ。B遺跡は海岸砂丘に位置しており、立地も問題ない。

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 オオベッコウガサが1位になるのは、阿波連貝塚Ⅶ層と共通する。ツノメガニ段階の貴重な例だ。

 小さな二枚貝はリュウキュウマスオ(1)、ベニエガイ(1)などがあるが、少ない。カニの腹部は、鍋蓋族や蓋族で表現されている。

 2層上部からは、「方形状の石組み遺構」(住居址の可能性が指摘されている)の中心にアンボンクロザメの集積遺構が検出されている。6~7段に積み上げられたアンボンクロザメは計43点あり、その底に1点のゴホウラが据え置かれている。「住居址内の床面を掘り窪めてアンボンクロザメガイを埋納したことが考えられる」。貝は加工を施されていない。中身の入った状態で埋められたと考えられている。

 上記のアンボンクロザメは、殻頂径6cm、殻長9cmで、アンボンクロザメとしてはそれほど大型ではないと指摘されている。アンボンクロザメとゴホウラは、セットでツノメガニを意味している。

 黒住耐二は、集積遺構は、少なくとも45個体以上あると指摘している。アンボンクロザメが41、クロフモドキが4。水磨を受けた大型のクロフモドキが2個体あり、「他の集貝とは異質な感じを与え、集積されていた時にも配慮していた可能性も考えられる」としている。

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2018/07/03

用見崎遺跡Ⅵe層の貝類

 用見崎遺跡のⅥe層の貝類。このサンプルは、メッシュで細かくふるいをかけられているので、微小な貝類もピックアップされている。

 黒住耐二は、ピックアップ法ではマガキガイが見られるが、ここではほとんど出土していないので、過小評価されている可能性を指摘している。

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(黒住耐二「1996年の用見崎遺跡調査でコラムサンプルから得られた貝類遺存体」)

 こうしてみると、ピックアップ法でお馴染みの貝類が、微小な陸産の貝に交じって出てくる。陸も重視される場合、本来、島人が採った貝はこういう構成になるのかもしれない。微小な世界を見ても、コモンヤドカリが示されているからだ。

 礁斜面のギンタカハマ、サラサバテイラ、ホラガイ、干瀬のムラサキイガイレイシ(2)、アカイガレイシ、ツタノハが1個体ずつ検出されており、コモンヤドカリ段階と判断できる。

 ヘビガイはサンゴが生え、周りに粘膜を張る。そのことで、サンゴの成長が鈍り、白くなることがあるのではないだろうか。ヘビガイは、マツノト遺跡の下層、平安山原のⅡ群(54位、66個体)、安良川遺跡でも出土している。コモンヤドカリの指標になる貝かもしれない。

 スナガイやオカチョウジの殻の先は赤みがかる。シラヒゲウニは、棘の赤いものが採られたに違いない。フジツボも赤く染まるものがある。

 キカイノギセルは画像を得られないが、幼貝は三角錐に近い。幼貝と成貝はほぼ同じ数だけ採られている。成貝は腹部で、幼貝は鋏なのかもしれない。

 細部にいたるまで、化身の眼を働かせているのには驚かざるをえない。

 

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2018/07/02

熱田貝塚の貝類

 恩納の熱田貝塚。

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 Ⅲ層はグスク時代に入っているが、Ⅴ層はムラサキオカヤドカリ段階と判断できる。

 ヒメジャコとサラサバテイラの数が近接し、大型の貝類も多いので、コモンヤドカリからムラサキオカヤドカリへの移行直後のものと位置づけられる。

 チョウセンサザエも、蓋が殻を上回ったばかりだ。

 ⅣⅤ層からは、クロチョウガイ、ソメワケグリ、リュウキュウサルボウ、リュウキュウザル、メンガイ、シャコガイ系、キクザルの「有孔製品」も出土している。

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2018/07/01

サウチ遺跡の貝類

 サウチ遺跡も貝の個体数はカウントされていない。が、これはコモンヤドカリ段階を示すと思える。

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 大きく分ければ、鋏、腹部、貝、全体の化身貝で構成されている。

 典型例を示せば、オニノツノ、アンボンクロザメ、マガキガイ、コオニコブシ、ヒメジャコ、サラサバテイラ、ヤコウガイ等になる。

 礁斜面の貝として、アツソデ、ギンタカハマ、クロチョウガイ、ゴホウラ、サラサバテイラ、ツボイモ、ホラガイ、ヤコウガイ、ラクダガイがある。

 チリボタン、イタヤガイ、チサラガイ、スダレハマグリ、マスオ、ヒメチョウセンフデ、ミツカドボラでは、コモンヤドカリの赤がよく捉えられている。

 サウチ遺跡の土器は、沈線文脚台系だが、これはコモンヤドカリ段階の土器だと考えられる。

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