言語のメタモルフォーゼとアマミキヨ、シネリキヨ
オーストロネシア語等の由来は、いちど脇に置いて、トーテムと言語のメタモルフォーゼの視点のみで、考えてみる。
そこで立戻ってもう二度、何故に琉球列島の一部に、稲の蔵置場と人間の産屋とを、ともにシラと呼ぶ言葉が、残り伝わっているのかを考えてみたい。容易には国語の先生の同意を得られぬ一説と思うが、自分などは是をDR二つの子音の通融、と言おうよりもむしろダ行がかつてはもっとラ行に近かった時代の名残ではないかと思っている。一つの類例は太陽をテダ、是は照るものというより他の解は有り得ない。沖縄ではすべての行為の主体を、A母音一つをもって表示する習わしがある故に、生むものまたは育つものを、シダすなわちシラと謂って通じたのかと思う。育つ・育てるという日本語の方は、夙く展開を停止したようであるが、西南諸島のスダテイン(育てる)等は別に原形のシデイン・シデイルがあって、人の生まれることから、卵のかえることまでを意味し、スデミヅは産井の水、スデガフーは大いなる喜悦の辞、さらにこの世の衆生をスヂャという語も元はあった。(柳田國男「稲の産屋」)
荒っぽい粗描になるが、ギーラ(シャコガイ)は、スデル(スィディ)のメタモルフォーゼからできていると捉えることができる。
貝は太陽を生むように、言語のティダ(太陽)もギラ(貝)から生まれている。貝はシナとも呼ばれ、シラは光を意味する。
産屋を建てるようになったとき、それがシラと呼ばれるようになったのは、貝-光を含意することになる。人間は貝の子であり、その貝には光が宿る。柳田の議論にはこの後に稲積み(高倉)が続くが、同様の思考の延長をみることができるはずだ。
ここは稲積みと接するような、アマミキヨ、シネリキヨのことに行きたい。
奄美大島で神が発生した折、「ヤドカリの子」という位相として捉えられたのが、アマミキヨという呼称に刻まれる。一方のシネリキヨは、トーテムのヤドカリが「貝の子」であるなら、「貝の子の子」もまた「貝の子」の系譜の位相を持つ。シネリキヨは、それではないだろうか。
アマミキヨとシネリキヨが南下したとき、それが沖縄島で受容されたのは、トーテムとのつながりが示されていただからだ。と同時に、奄美大島を離れたのは、トーテムが死んだからだということになる。
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