「沖縄諸島土器におけるナガラ原東貝塚の土器」(宮城弘樹、安座間充)
無文尖底土器とくびれ平底土器は、共伴することがあると同時に、「中間的な土器」があるとする宮城と安座間の考察は、貝類からの判断とも軌を一にする。
ナガラ原東貝塚の各層は、土器からは次のように判断されている。
Ⅴ層は、大当原式。Ⅲ層は、アカジャンガー式。Ⅳ層は、「中間的な土器」や尖底土器のなかにもアカジャンガー式土器の「文様意匠に類似したものが幾つか」あり、「尖底土器製作技術の延長上とみられる平底土器を複数見出せた」。
宮城と安座間は書いている。
Ⅴ層ないしⅣ層のある段階で尖底土器群を製作消費していた集団が平底土器も仕様し始めたとみられ、ある段階で尖底土器から平底土器へシフトさせていったものと理解できないだろうか。
貝類からは、Ⅳ層下部は、コモンヤドカリ段階(対応する土器はアカジャンガー式)だが、Ⅳ層上部やⅢ層は、ムラサキオカヤドカリ段階(対応する土器はフェンサ下層式)への移行が判断できた。
この誤差は、トーテムの更新を受けてから、それを土器文様にまで昇華させるまでの時間差だと考えられる。
また、宮城と安座間は、脚台系沈線文土器群の影響を受けた平底土器があって、それが平底土器群の祖形になった可能性を指摘しているが、その通りだと思える。それはどちらも、コモンヤドカリ土器だと考えられるから。
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