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2018/06/18

『奄美・沖縄諸島 先史学の最前線』

 『奄美・沖縄諸島 先史学の最前線』を興奮しながら一気に読んだ。このところずっと探究していることではあるので、新しく得られたことについて備忘する。

 もっとも刺激を受けるのは、ハブログループのM7a1について。M7a1は、縄文相当期にあたる時代から九州から沖縄に広く分布していたが、石垣島の白保竿根田原洞窟遺跡でも、4000年よりも新しい時代のサンプルからM7aが検出されている。

 M7a1が「八重山に起源を持つというのは想定しにくいので、やはり沖縄本島から八重山へヒトの流れがあったと考えざるを得ない」。「最初期の集団は東南アジアや南アジアから到達したものの、彼らは現代まで子孫を残すことはなく、やがて沖縄本島からやって来た集団が居住するようになったというシナリオが見えてくる」(篠田謙一「DNAからみた南西諸島集団の成立」)。

 現在進めているトーテムによる編年でも、奄美・沖縄と宮古・八重山は、トーテムとして選んだ動物の種類が異なることがあるとはいえ、似た精神文化を持ったと言えるので、この結果は心強さを覚える。当たり前にも思うけれど。

 ハプログループからは、貝塚時代後期には「現代の沖縄の人々に占める割合は約8割になる」。「つまり、貝塚時代後期には、すでに現在の沖縄で多数を占めるハプログループは存在していたということになる」。「弥生時代から平安時代にかけての数百年の歴史の中で、南西諸島に本土日本から徐々にハプログループD4を主体とする人々が流入し、在来の集団に吸収される形で人口を増やしていったというシナリオが見えてくる」。

 どうやら後期の母系社会化は、本州弧から移住してきた人々との交流を契機にしているようだ。

 また、同じく後期からはハプログループB4も検出されている。これは台湾では太平洋に面した先住民に多い。オーストロネシア語族の主体となったのもこのグループだ。「このハプログループは古代の交流によって南方から南西諸島にもたらされたと考えることもできる」。

 さて、新里貴之が木下尚子の提示した図を改編して挙げている。
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 「貝交易」の年代は、なかなか頭に入らないので、新里の書いている土器を大雑把に対応させてみる(新里貴之「貝塚時代後1期の土器文化」)。

Photo_12

 オオツタノハを除いて、これをトーテムに当てはめれば、カニ段階では、ゴホウラ・イモガイが半々くらいで、ヤドカリ段階でイモガイの比重が増えることになる。これは、ゴホウラ・イモガイがカニの化身に対応し、イモガイがヤドカリの鋏の化身であることに対応している。トーテムの視点からみれば、島人はあくまでトーテムの化身態を採集している。

 小湊フワガネク遺跡からは、ホシレンコ(テーヌユ)が多数確認されている(高梨修「タイ釣りをする古代人」)。赤いタイ、ホシレンコは、コモンヤドカリの化身魚であるわけだ。

 しかし何といっても最大の驚きは、与論から「約5000年前の室川下層式土器と判断される遺物が採取された」(呉屋義勝・南勇輔・竹盛窪「与論の遺跡について」)。確実だとしたら、トカゲ・トーテム段階のものか、シャコガイ段階の島人が持っていたものという可能性が高い。そしてどちらの段階の島人がいたとしても不思議ではない。貝塚の発見が待ち遠しい。


『奄美・沖縄諸島 先史学の最前線』

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