国頭安田遺跡の貝類
安田遺跡について、4層の前後も含めて、再度、見てみる。
3層は、後期ながら近現代の攪乱を受けていて、5層は無遺物砂層だとされるから、4層を軸に見ると、陸産(Ⅴ)と礁斜面(4)の高さは、コモンヤドカリへの移行を思わせる。マキマキ族が多いのも特徴だ。
上位貝を改めてみると、コモン・ヤドカリへの移行がかなり進んでいるように見える。安田では、腹部とみなされたのはヤコウガイだ。チョウセンサザエが殻よりも蓋が多いのは、オウギガニ段階の名残りだろうか。それとも、これもコモンヤドカリ期の意味を担うだろうか。全体が、コモンヤドカリを示しているとすれば、チョウセンサザエもそうだということになる。
以前これをオウギガニ段階と見なしたのは修正したほうがよさそうだ。
図 52 は空中脚台で石英を多く混入しており、大当原式土器とは胎土、形態が異なることからスセン當式土器に属すると思われる(新里 2000)。また、図 33 はスセン當式土器の影響を受けたと思われる資料である(新里 2013)。肩部の肥厚帯を有することで口縁部帯を意識した作りをしているなどスセン當式土器の形態的特徴を有しているが、胎土が細かく、混入物も赤色粒が微量に含まれている程度とほとんど見られないなど相違点も見られる。そのため、スセン當式土器の影響を受けた在地の土器であると考えられる。(「村内遺跡詳細分布調査報告書(1)」)
土器にこういう観察が見られるのであれば、これはコモンヤドカリ段階と見なしていい。攪乱を受けているとはいえ、3層はオカヤドカリへの移行を示している。
実際、オウギガニ段階とコモンヤドカリ段階は、区別にしくい。それは貝の重複が多いことにも起因するように見える。それは、大当原式土器とアカジャンガー式土器が混在することがあるのと関係しているのではないだろうか。コモンヤドカリへのトーテム移行は、性交と妊娠の因果を受容することを意味している。それは、母系社会の危機だ。兄妹関係が社会の軸ではなくなるから。
重複する貝、量土器の混在は、危機に対する葛藤を示しているのではないだろうか。島人は、母系の継続を選択する。それは、オウギガニ段階の貝をそのままに、コモンヤドカリの貝と見なす視線の強さになって現れた。
試みに、4層の貝類を、平安山原遺跡の大当原期とコモンヤドカリ期の貝類と比較してみる。
安田のみ:38%
安田かつ「平安山原オウギガニ」:1%
安田かつ「平安山原コモンヤドカリ」:8%
安田かつ「平安山原オウギガニ」かつ「平安山原コモンヤドカリ」:41%
なんと三つともにある貝がもっとも多い。こうだと、「平安山原コモンヤドカリ」と重複する貝が、「平安山原オウギガニ」より多いことに、安田のコモンヤドカリへの移行も示されていると見なせそうだ。
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