平安山原B・C遺跡の位相 3
実は、貝類からカニトーテムからヤドカリトーテムへの移行と見なした層は、報告書の判断と異なっている。Ⅱ群をヤドカリ段階と見なすのは同じだが、Ⅲ群下層は報告書ではカニ(大当原)、貝類からはヤドカリ(アカジャンガー)、Ⅲ群上層は報告書ではヤドカリ(アカジャンガー)、貝類からはカニ(大当原)で、反対になっている。
地層は下から上へとなるのだから、報告書の方が自然だとは言える。
この遺跡は、貝塚時代後期から戦前まで断続的に生活の場とされていて、ために「人為的な攪乱を受けて」いて、砂地ということもあり、「上層の遺物が下層に紛れ込んだ可能性が高」いと指摘されている。
土器片の構成からいえば、Ⅱ群下層にアカジャンガー(ヤドカリ)の土器が紛れ込んだという理解になる。
しかし、貝類によれば、Ⅲ群下層は、Ⅱ群ほど明瞭ではないが、ヤドカリトーテムへの移行を示していた。これをどう理解すればよいか。
ここで、「人為的な攪乱」の要素を重視すると考えられなくなるので、脇へ置いてみる。報告書でも貝類からもヤドカリ段階と見なされるⅡ群でも、優勢なのは、カニトーテム(大当原)の土器だ。これは、トーテムを表現する土器形態を得るまでは時間がかかることを意味しているのではないだろうか。そうだとすれば、Ⅲ群下層でヤドカリトーテムの土器は少ないけれど、貝類はヤドカリトーテムへの移行を示していると捉えるのは矛盾していない。
しかしそうすると矛盾するのは上層の方で、カニトーテム段階と見なしたのに、ヤドカリトーテム段階の土器は、下層よりも多い。
これは、下層の集団と上層の集団は異なっていたことを意味するのではないだろうか。つまり、下層ではヤドカリトーテムの集団が生活していた。しかし上層では、カニトーテムの集団に変わったと見なすのだ。
トーテムとしてのヤドカリの意味は、性交と妊娠の因果の受容だから、カニとヤドカリの共存の段階はあっても不思議ではない。
黒住耐二は、この遺跡では干瀬の貝が少なく、クチも少数だと指摘している。しかし、礁斜面のゴホウラが集積されるだけでなく、アツソデガイ、大形ナルトボラ類、マンボウガイ等の死殻も得られていることから、「人々の側の交流の程度」が大きかったと想定しているが(「平安山原B遺跡と同C遺跡の貝類遺体および本地域の遺跡出土貝類まとめ」)、これが下のヤドカリ、上のカニの背景なのではないだろうか。
試みに貝製品の出土状況を見てみる。
Ⅲ群の下層と上層について、製品の構成比の差をみると、螺蓋製利器と貝匙、自然貝について、ヤコウガイが高まっている。ヤコウガイは、ヤドカリ貝だから、下層がヤドカリトーテムの段階にあることを傍証しているように見える。有孔製品で減少が著しい二枚貝は、「放射肋族」なのではないだろうか。
(『平安山原B・C遺跡』から作成)
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