「貝類遺体からみた奄美・沖縄の自然環境と生活」(黒住耐二)
用見崎遺跡 7世紀 後1期 イノーの発達が悪い
ナガラ原遺跡 6~8世紀 前5期~後2期 300mのイノー
食料としての貝類資源
用見崎遺跡 岩礁潮間帯中・下部 リュウキュウヒバリガイ、アマオブネ、上部 コウダカカラマツ、遺跡全体からヤコウガイ
ナガラ原東 リュウキュウヒバリガイ、アマオブネ、シャコガイ、サラサバテイラ。外部からカメノテ、シレナシジミ。
黒住は書いている。
貝塚時代後期になり利用海産貝類の大小2型の明確化が存在するとすれば、ゴホウラやヤコウガイ等の交易品の貝類採集に付随したサラサバテイラやシャコガイ類等の大型貝類採集が増加したということも充分想定される。この大型貝類採集の増加は、基本的にサンゴ礁海域の遺跡で明瞭であり、内湾や河口干潟の小形の貝類を中心としている遺跡では、当然ながら明瞭ではない。
まだ明確な判断はできないが、この時期の貝は、蟹トーテム、ヤドカリトーテムと位相同型の貝が選ばれている。それ以外は、居住域の自然が恵むものに依拠している。前5期を経て、サンゴ礁を地母神とする観念を背景に。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント