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2018/02/08

「沖縄貝塚時代集石遺構集成」(安座間充)

 貝塚時代の集石遺構の資料から、これが炉跡か否か等の判断を置いて、土器と同じくトーテムを示したものではないかという視点で見てみる(安座間充「沖縄貝塚時代集石遺構集成」「沖縄埋文研究」2005)

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 仮説としては、前4期以前と前5期以降とでは「集石」の意味は、「貝」から「サンゴ礁」へと変わるということだ。そこで、「堀込」の深さが深くなるのではないか、集石の組成が土器に似るのではないかと考えた。

 これだけの資料では、堀込の深さの違いには言及できない。ただし、前5期において堀込が「基盤岩盤まで達する」(#15,16)とあるのは示唆的である。

 集石が土器の胎土と似ているのは、#1において、「チャート、砂岩」であること、前5期以降(#17~#20)が石灰岩角礫や砂岩角礫であることだ。

 この意味では、前4期において、「黒色片岩」が目立つのが気になる。これは、土器にも使用されていない岩片ではないだろうか。

 あるいはこれは、シラナミの「ふちどり斑紋」や「黒点列」を表現しているのかもしれない。(参照:「隆帯文系土器とシャコ貝」

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