定着の様相
貝塚時代前3期に入っても、島人はただちに定着したわけではない。3期前半までは「住居跡や集団墓は確認されておらず、比較的遊動的な社会であったと考えられる」(高宮広土、新里貴之「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」)。
前3期末~前5期になると、「砂丘だけでなく台地・丘陵も居住域として占地するが、洞穴・岩陰はやや少なくなり、崖下に貝塚が形成されることも多い」。
前3期末~前5期初頭には、「それまで不明瞭だった住居跡が確認されるようになり、直径約3m前後の円形・楕円形・不定形の竪穴住居跡が、数基散財する傾向になるものが多い」。
前5期には「住居跡が検出された遺跡数および一遺跡における住居跡数が急増する」。
こうしてみると、定着らしい定着は、前5期を待つことになる。つまり、サンゴ礁を貝としてみたとき、「一遺跡における住居跡数」も増える。あたかも巨大な貝に対応するように。
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