「沖縄諸島の遺跡・遺構」(知念勇)
遺跡は、貝塚時代後期中葉までは「海岸砂丘」の立地が圧倒的に多いが、後葉になると「丘陵上」へ移行する遺跡が多くなる。
安座間原第一遺跡での人骨には、頭部をシャコガイで囲むものがあった。これは前5期後半に位置づけられるが、伴った土器は仲原式なので、思考は後1期の「蟹」になっていると考えられる。
前5期にフォーカスしてみれば、この一対のシャコガイは「サンゴ礁」を表したものだと言える。
木綿原遺跡では、頭部にシャコガイを置いたものがあった。伴う土器は、弥生前期とあるので、後1期だとすれば、これも「蟹」段階だと言える。
だから、どちらも「貝の子」として思考されていたのではないだろうか。
また、中川原貝塚で見つかった伏臥伸展葬は15歳ほどの人骨とある。これも蟹段階のもの。他の例を当たっていないので当てずっぽうだが、伏臥は、巣穴の蟹姿勢にして再生を願っているのではないだろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント