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2018/02/22

貝塚の貝とトーテム

 ここで考えたいのは、貝塚時代の各段階でのトーテム思考だ。

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 アトランダムに挙げると、

・マガキガイは、前1期から愛好されている。
・他界が発生する前の前1~2期でヤコウガイが多いのは、与那国島のトゥグハマ遺跡を思い出させる。
・シャコガイは、前2期にトップ3に入り、以降上位に上がらない。もちろん、このデータは名護の大堂原と古宇利島から得られたものだから地域特性を反映している。しかし、トーテム化したシャコガイは、食べられる対象として積極的に選ばれていないのは確かだ。
・キクザル類は、前2期から前4期中葉までトップにある。これはトーテムの影響を受けていないと考えられる。

 現段階でトーテムの影響が分かるのは、前4期後半の「オキナワヤマタニシ」で、これは苧麻トーテムにより陸の貝が呼び寄せられたためだと考えられる。

 もうひとつは、前4期後半から干瀬のチョウセンサザエや内湾のチュウキュウマスオ、イノーのマガキガイが浮上してくることで、これは前5期のサンゴ礁トーテムを先取りしたものだと思える。

 後1期のアラスジケマンは、おそらく蟹トーテムの影響だ。 
 

『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』

58.琉球弧の精神史 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/02/21

古我地原貝塚のキバウミニナ

 古我地原貝塚からは多数のキバウミニナが出土している。

キバウミニナ類は、成熟すると螺旋方向の成長を停止し、殻の表面は常に低質を這うために腹面が磨滅して行く。(『古我地原貝塚』沖縄県文化財調査報告書 第84集)

 這うだけではなく、牙のような歯舌を持つ。この貝は、蛇貝あるいはトカゲ貝と見なされたのではないだろうか。

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2018/02/20

集石遺構と陸産貝類

 住居址の集石遺構を挙げてみる。

 1.伊是名貝塚 前4期 構成礫は、チャート、砂岩、石灰岩の角礫
 2.吹出原遺跡 前5期 調査者は竪穴住居址と想定
 3.ヌバタキ遺跡 前5期 構成礫は、石灰岩角礫
 (安座間充「縄貝塚時代集石遺構集成」「沖縄埋文研究 : 紀要」)

 1の伊是名貝塚では、土坑の上層で、オキナワヤマタニシの割合が極端に高くなっている。

 貝塚時代中期の知場塚原遺跡では、住居跡内貝層の上部に陸産貝類が多いことが分かっている(黒住耐二「伊是名貝塚の貝類分析」)。

 ということは、オキナワヤマタニシは、陸の貝トーテムとして選ばれているということだ。住居は、拡張された死者だから、死者同様にあの世へ送ったということだ。

 伊是名貝塚の場合、土坑の下層は貝で、上層がオキナワヤマタニシだということは、他界に山が加わったことを意味するのではないだろうか。

 これは、サンゴ礁がトーテムとなった前5期の思考の産物だと思える。


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2018/02/19

「伊是名貝塚の貝類分析」(黒住耐二)

 伊是名貝塚は、前4~5期に属すると考えられる。

 オキナワヤマタニシとオキナワウスカワマイマイの2種が優占。黒住は、「食用ではなかった」と考えている。

 イソハマグリ 1200個体
 マガキガイ 350
 アマオブネ 200
 チョウセンサザエ 120

 食料としての貝の選択性が高い。

 潮間帯岩礁域では、イソハマグリが極端に多い。似た貝は採られず、選択性が高い。アマオブネ、ニシキアマオブネも多い。アマオブネ類はオカヤドカリの宿貝が多いが、食用として選択性が高い。

 アマオブネは肉は食べず、ニシキアマオブネは食べるという利用形態が考えられる。ニシキアマオブネは2/3がオカヤドカリの宿貝。これは、この段階で伊是名では、ヤドカリがトーテムになっていたことを意味するだろうか。

 それとも、アマオブネ-海、ニシキアマオブネ-陸とみなして、アマオブネを食べたということだろうか。

 リュウキュウヒバリやカサガイは著しく少ない。これは、ヤドカリ・トーテムになっていないことを示している。

 イノーはマガキガイ。沖縄で出土の多いシャコガイ科はシラナミとヒレジャコのみ。

 チョウセンサザエが多い。チョウセンサザエはわざわざ殻が割られている。

 イソハマグリとチョウセンサザエが多いのは、貝=サンゴ礁(前5期)の段階を示唆するように思える。

 貝類の資源量が内湾やマングローブのほうが多いかもしれない。黒住はここで面白いことを書いている。

 つまり、沖縄の貝塚時代の人々は、意図的に資源量が少ないかも知れないサンゴ礁域に固執して遺跡を立地させていたと言えよう。

 これはとりもなおさず、立地やあり方をトーテムに似せるためだと考えられる。

 オキナワヤマタニシが食用ではないのは、これが苧麻に相当する貝と考えられていたからだと思える。苧麻は食べないからだ。

 

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2018/02/18

宮古島アラフ遺跡の貝溜まり遺構

 宮古島のアラフ遺跡からは、貝溜まりが出ている。

 チョウセンサザエ(50%):干瀬
 サラサバテイ(36%):礁斜面
 シャコガイ類(4%):イノー
 クモガイ(2%):イノー
 ギンタカハマ(1%):礁斜面
 スイジガイ(1%):イノー

 この貝溜まりは、Ⅳb層とアラフ遺跡のなかでは、古い層に入るが、干瀬の貝が優占している。

 一方、アラフ遺跡から採集された貝殻は、潮間帯岩礁のものがほとんどである。

 この貝殻と貝溜まり遺構は、宮古島において、貝=サンゴ礁の段階を示唆するものではないだろうか。

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2018/02/17

「ナガラ原東貝塚の貝類遺体」(黒住耐二)

 前5期、後1期 チョウセンサザエ(20%)、サラサバテイラ、マガキガイ(PU資料)。ミドリアオリ、リュウキュウヒバリ(30%、WS資料)。

 後1期 チョウセンサザエ↘、マガキガイ、シラナミ類↗。イシダタミアマオブネ、ミドリアオリ、リュウキュウヒバリ↗(60%、WS資料)。

 後2期 シラナミ類、マガキガイ、サラサバテイラ(60%)。

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 前5期のチョウセンサザエ、マガキガイは、干瀬と砂浜を象徴している。後期のシャコガイ科は、胞衣としてのイノー、言い換えれば、貝としてのサンゴ礁。また、後2期になって、イシダタミアマオブネ・ミドリアオリ・リュウキュウヒバリは、ヤドカリの貝という意味を担ったと考えられる。宿貝という意味ではなく。


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2018/02/16

「貝類遺体からみた奄美・沖縄の自然環境と生活」(黒住耐二)

 用見崎遺跡 7世紀 後1期 イノーの発達が悪い
 ナガラ原遺跡 6~8世紀 前5期~後2期 300mのイノー

 食料としての貝類資源

 用見崎遺跡 岩礁潮間帯中・下部 リュウキュウヒバリガイ、アマオブネ、上部 コウダカカラマツ、遺跡全体からヤコウガイ

 ナガラ原東 リュウキュウヒバリガイ、アマオブネ、シャコガイ、サラサバテイラ。外部からカメノテ、シレナシジミ。

 黒住は書いている。

貝塚時代後期になり利用海産貝類の大小2型の明確化が存在するとすれば、ゴホウラやヤコウガイ等の交易品の貝類採集に付随したサラサバテイラやシャコガイ類等の大型貝類採集が増加したということも充分想定される。この大型貝類採集の増加は、基本的にサンゴ礁海域の遺跡で明瞭であり、内湾や河口干潟の小形の貝類を中心としている遺跡では、当然ながら明瞭ではない。

 まだ明確な判断はできないが、この時期の貝は、蟹トーテム、ヤドカリトーテムと位相同型の貝が選ばれている。それ以外は、居住域の自然が恵むものに依拠している。前5期を経て、サンゴ礁を地母神とする観念を背景に。

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2018/02/15

「貝類遺体からみた遺跡の立地環境と生活」(黒住耐二) 2

 マツノト遺跡。

 ヤコウガイが多いが、シラナミも比較的多い。
 非白砂の上層:マダライモ、リュウキュウヒバリ(外洋-サンゴ礁側潮間帯)、マガキガイ
 白砂下部:ハナマルユキ、シラクモガイ等の干瀬のもの、礁斜面のヤコウガイやサラサバテイラ
 別の白砂層:干瀬のツタノハ(同じサイズの岸川潮間帯に生息するコウダカカラマツは1個体も得られていない)

 巨視的にみれば、白砂層では干瀬の礁斜面の中・大形貝類を中心に、上部の層ではマダライモやリュウキュウヒバリ等の岸側潮間帯の小形種を主に利用している。

 上部の包含層:アマオブネ、マダライモ等のイモガイ類、リュウキュウヒバリが欠ける。

 マツノト遺跡近く、同時期の安良川遺跡。岸側潮間帯のアマオブネ、コウダカカラマツ、リュウキュウヒバリ優占。イノー内のマガキガイ、ハナマルユキも多い。

 岸側潮間帯の小型貝類が多い。

 沖縄の後期では、マガキガイ、チョウセンサザエ、サラサバテイラ等が優占。中城湾に面した平敷屋トウバル遺跡では、イソハマグリと河口干潟のアラスジケマンという二枚貝が優占。イノーの発達した具志堅貝塚でもイソハマグリ優占。

 ぼくたちが探りたいのは、後期のトーテム、蟹、ヤドカリに対応する貝は何かということだ。
 上記の貝たちを振るいにかけると、

 ミナミオカガニ:
 ミナミスナガニ、ツノメガニ:マダライモ、マガキガイ、アマオブネ、イソハマグリ
 ベニシオマネキ:アラスジケマン
 オウギガニ:ハナマルユキ、シラクモガイ、ヤコウガイ、サラサバテイラ

 ヤドカリ:リュウキュウヒバリ、コウダカカラマツ、ツタノハ

 ミナミオカガニへの対応が分からないが、上記の貝を確かめていくことになる。


 

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2018/02/14

「貝類遺体からみた遺跡の立地環境と生活」(黒住耐二)

 ほんの一部だけ着目するが、黒住耐二は、マツノト遺跡とナガラ原東遺跡では、遺跡周辺には現在生息していないシレナシジミが複数個体確認されていると指摘している(「貝類遺体からみた遺跡の立地環境と生活」)。

 もっとも近いシレナシジミの生息域は、奄美大島では住用川河口、伊江島では本部半島。伊江島では対岸の本部半島にわたって、奄美大島では調節採集も考えられるが、他の河口干潟の貝類が全く確認されてなから、貝殻だけ持ち込んだ可能性も考えられる。

 琉球列島では、他にもシレナシジミが生息していない島の遺跡からの出土が確認されている(たとえば津堅島)。

 シャコガイに化身すると考えられたシレナシジミも、トーテム化していたわけだ。

 マツノト遺跡は、後1期に属する。つまり、シレナシジミのトーテム化は、ベニシオマネキがトーテムだった段階に対応するのではないだろうか。

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2018/02/13

「沖縄・先島諸島の石器石材の流通とその評価」(山崎真治)

 奄美は入ってないものの、沖縄と先島を分離した研究ばかりなので、通貫した考察自体がありがたい(山崎真治「沖縄・先島諸島の石器石材の流通とその評価」「月刊考古学ジャーナル」2013)。

 石器の組成では、沖縄、先島ともに「剥片石器」が少ない。

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 グラフの見方はおそらく、

 ・黒:剥片石器
 ・灰:石斧
 ・白:礫塊石器

 だと思われる。

 沖縄にしても先島にしても重視されたのは、石斧の表現だった。ただ、沖縄では、後1期以降、石斧の表現は減る。対して、先島では石斧の表現自体は続くが、石器自体が無土器期になると減少する。

 石器石材の産地は、沖縄においては、北部が、先島では石垣島、西表島がその役を担っている。それは、それぞれがトーテムセンターだったことを示唆している。

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2018/02/12

トーテム蟹変遷の根拠

 蟹のトーテムは、なぜ、陸、砂地、干潟、干瀬のものへと移っていったのか。

 まず、蟹は土中や砂中から出現するから、島人の他界が地下のベクトルも持つことは共通して示唆される。

 それまで(前5期)、「サンゴ礁」をトーテムとした島人は、サンゴ礁の見える台地上を拠点にしていた。そこで、産卵のため、浜辺に降りるミナミオカガニが、まずトーテム蟹として選ばれる。

 そして海浜の発達とととに、次にミナミスナガニ、ツノメガニがトーテム蟹となる。マングローブ、干潟が発達すると、マングローブ、干潟も第二のサンゴ礁、砂浜とみなされ、ベニシオマネキがトーテム蟹となる。

 しかし、棲息地だけが重要なのではなかった。これらの蟹たちは、ウェービングをし、音を出す。島人はこのとき、歌い踊る者として自分たちを認識していたはずだ。

 サンゴ礁をトーテムとしたとき、重視されたのは浜辺と干瀬だ。こんどは、干瀬の蟹であるオウギガニがトーテム蟹となる。このときは、礁斜面下方の海底が他界として意識されることになる。ここには、海の彼方ではないが、他界の遠隔化が背景にある気がする。

 蟹トーテムが終わり、ヤドカリ・トーテムになると、島人はやや内陸に拠点を移すようになる。これは、干瀬の向こうへと移る他界が見える場所へという意味を持つのではないだろうか。


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2018/02/11

貝塚時代後1期土器とトーテム蟹

 『考古資料大観第12巻』(2004)で貝塚時代後1期の土器を概観することができた。それぞれにトーテム蟹を対応させてみる。

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 仲原式:ミナミオカガニ

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 阿波連浦下層式:ツノメガニ、ミナミスナガニ
 左下方は、ミナミスナガニになるだろうか。

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 浜屋原式:ベニシオマネキ

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 大当原式:オウギガニ

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2018/02/10

「琉球列島における埋葬遺跡の文化的景観」(新里貴之)

 奄美にしても沖縄にしても、集落域と墓域が確認された例は少ない(新里貴之「琉球列島における埋葬遺跡の文化的景観」)。

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 ここでは、集落域と墓域の配置をたしかめておきたい。

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(木綿原)

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 編年は同じ時期のなかにあっても、段階の位相差がよく出ている。対極にあるのは、仲原遺跡と安座間原遺跡だ。前者は、死者との共存の段階にあり、後者は死者の分離が始まっている。


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2018/02/09

面縄貝塚の段階 3

 こんどは段階を問わず遺構をマップして、貝塚名と対応させてみる。

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 こうしてみると、洞窟を拠点に裾野を広げるように活動が展開していったのが分かる。

 ここで問うてみたいのは、主に埋葬地として知られる第1貝塚や、人骨も出土した第3貝塚における他界がどこであるかということだ。

 残念ながら、面縄の前面には、地先の島や立神といった、いかにもな「あの世」らし地形はない。しかし、イノーは短いとはいえ干瀬の発達したサンゴ礁は広がっている。

 思い出されるのは、徳之島の骨神信仰。とくに頭蓋骨に霊魂が宿るという思考の発達だ。この霊魂思考の強度からいえば、あの世は、この段階で地下あるいは海底へとベクトルを向けていたのではなだいろうか。

 第1貝塚の「石棺墓からは保存良好な仰臥伸展葬の人骨1体が出土」している(竹中正巳「徳之島面縄第1貝塚から出土した人骨」『面縄貝塚総括報告書』)。これは、貝塚時代後期の人骨で壮年の女性と見なされている。また、「仲原式後続土器が石棺墓埋葬人骨への供献品として出土」している。

 他に、「仰臥屈葬」の単体埋葬が二体、頭蓋が一体、出土している。こちらは副葬品は遺存していない。

 石棺募に入っていたのはシャーマン系の人物ではないだろうか。それで古式である仰臥伸展葬を行った。ふつうの島人は、仰臥屈葬であるなら、これは地下の他界と対応している。

 

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2018/02/08

「沖縄貝塚時代集石遺構集成」(安座間充)

 貝塚時代の集石遺構の資料から、これが炉跡か否か等の判断を置いて、土器と同じくトーテムを示したものではないかという視点で見てみる(安座間充「沖縄貝塚時代集石遺構集成」「沖縄埋文研究」2005)

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 仮説としては、前4期以前と前5期以降とでは「集石」の意味は、「貝」から「サンゴ礁」へと変わるということだ。そこで、「堀込」の深さが深くなるのではないか、集石の組成が土器に似るのではないかと考えた。

 これだけの資料では、堀込の深さの違いには言及できない。ただし、前5期において堀込が「基盤岩盤まで達する」(#15,16)とあるのは示唆的である。

 集石が土器の胎土と似ているのは、#1において、「チャート、砂岩」であること、前5期以降(#17~#20)が石灰岩角礫や砂岩角礫であることだ。

 この意味では、前4期において、「黒色片岩」が目立つのが気になる。これは、土器にも使用されていない岩片ではないだろうか。

 あるいはこれは、シラナミの「ふちどり斑紋」や「黒点列」を表現しているのかもしれない。(参照:「隆帯文系土器とシャコ貝」

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2018/02/07

「波照間の神話と儀礼」(鈴木正崇)

 波照間には、蟹に粟をもらったというだけではなく、「一匹の宿借りが粟の穂を持って来てくれた」という伝承もある(「波照間の神話と儀礼」「民族学研究」1977)。

 どちらにしても、トーテム神に映ったまれびとがもたらしたものと考えられる。

 鈴木は、祭祀を見たうえで、

 ・「天」  土、金
 ・「海」  金、水
 ・「陸」  水、土
 ・その他 土、金、水

 として、「天」「海」「陸」に関する十干は、相補って「天」「海」「陸」を形作っているが、これは「島の人々が「天」「海」「陸」の一体性意識していることを示すように思われる」と書いている。

石垣島川平の司たちは、「海、天、そして陸―これらは一体のものである」と述べているという。(中略)自然を分類すると同時に一体のものとして把握するという考え方が存在しているのではないだろうか。

 これはその通りで、時空未分への回帰が常に志向されていると思える。

 また鈴木は、島の神(ウヤーン)が、「夜五回、昼七回」出てくると歌われることから、この神は、「島の農耕期のおわり頃の夏至の太陽を象徴したもの」ということを割り出している。

 これは貝塚時代の集石遺構をみるうえでの視点になる。

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2018/02/06

「沖縄諸島の遺跡・遺構」(知念勇)

 遺跡は、貝塚時代後期中葉までは「海岸砂丘」の立地が圧倒的に多いが、後葉になると「丘陵上」へ移行する遺跡が多くなる。

 安座間原第一遺跡での人骨には、頭部をシャコガイで囲むものがあった。これは前5期後半に位置づけられるが、伴った土器は仲原式なので、思考は後1期の「蟹」になっていると考えられる。

 前5期にフォーカスしてみれば、この一対のシャコガイは「サンゴ礁」を表したものだと言える。

 木綿原遺跡では、頭部にシャコガイを置いたものがあった。伴う土器は、弥生前期とあるので、後1期だとすれば、これも「蟹」段階だと言える。

 だから、どちらも「貝の子」として思考されていたのではないだろうか。

 また、中川原貝塚で見つかった伏臥伸展葬は15歳ほどの人骨とある。これも蟹段階のもの。他の例を当たっていないので当てずっぽうだが、伏臥は、巣穴の蟹姿勢にして再生を願っているのではないだろうか。

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2018/02/05

面縄貝塚の段階 2

 貝塚名と位置が結びつかないので、プロットしてみる(『面縄貝塚総括報告書』から作成)。

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 黒住耐二は、前4期の貝類遺体が、「イノー内でも大形種が目立ち、干瀬・礁斜面の種も多い」のは、沖縄諸島の前4期と異なり、「後1期の組成に類似し」ていると書いている(同前)。

 後1期の類似しているのは判断できないが、イノー内の大型種が目立つのは、前5期が、沖縄諸島よりはやく到来したことを示すように思える。それは、奄美におけるイノーの未発達が背景にあると思われる。またそれは、奄美において肥厚口縁土器が、はやく開始されることにも対応している。


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2018/02/04

面縄貝塚の段階

 目は粗いが、徳之島の面縄貝塚のイメージが掴めるようにしたい。

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(『面縄貝塚総括報告書』から作成)

前1期
・生活域は、洞穴内または石灰丘陵岩崖下(第1)

前2期
・石灰丘陵岩崖下(第3,4)

前3、4期
・前2期と大差ない。第4において、南側へ拡大。

前4期
・第2付近に大きな砂丘が形成され、生活域となる。

前5期
・前4期の継続。

後1期
・新規砂丘の形成とともに、南へ拡大

 こうみると、面縄貝塚のトーテム段階は、全体的な編年より前4期辺りからはやく推移しているように見える。

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2018/02/03

抉入石斧(「奄美諸島の石器・石製品」)

 抉入(えぐりいり)石斧は、面縄第1貝塚から出土している(中山清美「奄美諸島の石器・石製品」(高宮廣衞、‎知念勇『考古資料大観 (12)』 2004)。「軟弱な砂岩を使用」。「全体を敲打によって整形し、抉りを一か所作っている」。

 面縄第1貝塚は、貝塚時代後2期に相当するのであれば、この抉入(えぐりいり)石斧は、ヤドカリの鋏を表現したものではないだろうか。

 抉りが、可動指と不動指のあいだを示しているのか、はさみ脚の節を示しているのか分からないが、軟弱な砂岩を使っていることからも、石斧でのトーテム表現を考えても、これはヤドカリの鋏だと思える。

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2018/02/02

定着の様相

 貝塚時代前3期に入っても、島人はただちに定着したわけではない。3期前半までは「住居跡や集団墓は確認されておらず、比較的遊動的な社会であったと考えられる」(高宮広土、新里貴之「琉球列島貝塚時代における社会組織の変化」)。

 前3期末~前5期になると、「砂丘だけでなく台地・丘陵も居住域として占地するが、洞穴・岩陰はやや少なくなり、崖下に貝塚が形成されることも多い」。

 前3期末~前5期初頭には、「それまで不明瞭だった住居跡が確認されるようになり、直径約3m前後の円形・楕円形・不定形の竪穴住居跡が、数基散財する傾向になるものが多い」。

 前5期には「住居跡が検出された遺跡数および一遺跡における住居跡数が急増する」。

 こうしてみると、定着らしい定着は、前5期を待つことになる。つまり、サンゴ礁を貝としてみたとき、「一遺跡における住居跡数」も増える。あたかも巨大な貝に対応するように。

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2018/02/01

地下他界の根拠

 黒島の「さしぬ蟹アユ」。

 さしぬ蟹にん   砂中に棲む蟹のように
 ぶんぴかな   家の分格を引き下げないように
 大母屋主(うふやぬし)   大母屋主にきた嫁女は

 ニーぬ蟹にん   土中に棲む蟹のごとく
 だいぴかな   家の土台を引き下げないように
 根母屋主(にーぶやぬし)   根母屋主の主婦となった花嫁よ

 歌詞のなかで、ミナミスナガニ、ツノメガニ、オカガニと、トーテム蟹たちが登場するのが楽しい。

 ことにオカガニを「ニーヌガン」と呼ぶのは意味深い。原始農耕の痕跡はなかなか見つからない琉球弧だが、地下他界は発生している。

 地下他界が発生する根拠が分からなかったが、蟹をトーテムとすることのなかで、それは掴まれたのかもしれない。

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