「境界紀行(八)秋田(九)遠野 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)
秋田の小野、湯沢と岩手の遠野。本州弧の北で谷川ゆには「境界紀行」の作法あるいは方法を問おうとしているように見える。
「この世ならぬものに出会う」不思議な体験を信じる者は愚か者だ、馬鹿者だという「知的な物知り人」に対して、平田篤胤は「しかしそうは言っても、その証拠があるのだからどうしようもない」と苛立ったように答えて見せるのだが、谷川は19世紀初頭には既にそれが問われなければならなくなっていたことに目を向けている。
篤胤やその周囲の人々は、不思議な出来事やこの世ならぬものの存在に対して、客観的に「有か無か」ということをあえて突き詰めねばいられなくなっているということだ。わざわざ論証しなくても不思議なものが疑いなくあったかつての時代から、少なくとも知識人のあいだでは実体としてのカミや霊魂の有無が取り沙汰されるような時代に変化してきているということが窺い知れる(八)。
「庶民レベル」ではいざ知らず、というわけだ。二世紀後の現在もこの問いは、消えているようで消し切れているとは言えないが、谷川は「あるか、ないか」「信じるか、信じないか」という切込み方自体が、ある種の近代性を孕んでおり、そのように問いを立てた時点で本質からかえって離れるような感じがする」と書く。
ここで問いは変換される。あるかないか、信じるか信じないかではなく、どのようにしたらかつて信じられたように、感じることができるのか、というように。
修行、ではない。「人間の側が強い意志で努力して初めて神と近づくことができる」(九)という考え方もあるが、琉球弧のユタは、「修行などしなくても、勝手に「神ダーリ」という「巫病」にかかる」。「自分で望んだわけでもなく、神の方からやって」くるのだから。
それより谷川は、遠野に取材した水木しげるの、妖怪の「気配は感じたけれど、出逢えなかった。やっぱりああいうものは、長い間住んで初めて会えるものと違いますか」という言葉に立ち止まる。
一時の訪問者である水木が妖怪に出会えないのは、「遠野という土地を包み込む自然とのつながりが、神や妖怪と出会えるほどには成立していない」からだ。しかし、水木は気配は感じる。
それは、都市に暮らす人々であっても、本質的にはやはり自然の一部であり、『遠野物語』の世界と同じように、草木や動物に宿る神々と共に暮らしてきた古代のあるようが身体の中に眠っているからだろう(九)。
それが活性化されて不思議さを体験する、言い換えれば自然との交渉を取り戻すとき、「気配を感じる」という言葉が出てくる、と谷川は捉えている。
「あの世」は、「現世に重なるように存在している。こちらからその世界を見ることはできないが、しばしば漏れ出してくる不思議な出来事こそが、そこに「幽冥界」が「ある」ということのなによりのあかしだ(八)」と篤胤は考えるが、有無ではなく、「感じる」には、その土地に住みその自然に根ざさなければならない。けれど、「気配」を感じることなら、一時の訪問者にもできる。なぜなら、訪問者だって、不思議を感じる心身を持ち合わせているのだから。
そこには「体系化された神道の文脈」(八)も必要だというわけではない。谷川はその土地の懐に飛び込むように、感受しようと努めるのだが、そこでは自分が自然を見るのではなく、自然から自分が照射されるように心身を差し向けている。訪れるのは自分だが、主体は自分に置くのではなく、自然の側に委ねるのだ。すると、谷川が初めて平田篤胤の墓を訪ねて挨拶をしたときのように、「自分が肯定的に受け入れてもらったように感じ」(八)られてくる。そして「この世ならぬものと、私自身が重なってしまって区別がつかないような」(九)実感もやってくる。
連載の「境界紀行」は、「古層」の「水脈に繋がろうとする実践の旅」なのだ。あるかないか、信じるか信じないか、ではない。どのようにしたら感じられるのか、と谷川は身体で問うている。
「波 2017年 11 月号」(新潮社)
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コメント
明けましておめでとうございます。
今年も よろしく。
偶然にも 昨日 谷川ゆにさんの 波の「境界紀行」をウーファーに手渡しました。
本棚の移動していました。直感で旅している女の子ですが、昨日不思議なことが起こりました。
またいつかお話ししましょう。
追録の原稿料の請求をするようにと来ていますので、またあとで相談します。
投稿: 泡盛 | 2018/01/05 01:41
泡盛さん
とーとぅがなし。不思議なお話し、どこかで聞かせてください。
投稿: 喜山荘一 | 2018/01/05 07:12