« 「琉球列島における先史時代の崖葬墓」(片桐千亜紀)2 | トップページ | 「奄美諸島・沖縄諸島・先島諸島土器の蛍光X線による胎土分析--縄文時代後・晩期資料を中心に」(新里貴之、三辻利一、大屋匡史) »

2018/01/11

胎土の南北

 「胎土分析から見た下田原式土器」(山崎真治、仲里健、仲座久宜「沖縄県立博物館・美術館博物館紀要 / 沖縄県立博物館・美術館 編」2012)。これを、「沖縄島南部における先史土器胎土の長期的変化に関する一考察」(山崎真治、仲里健「日本考古学」2015)に突き合わせてみる。

 下田原式土器の胎土。

 A:チャート、ホルンフェルス 富崎層
 B:片岩 トムル層
 C:石英 火成岩(野底層、於茂登岳の深成岩類)

 ホルンフェルスは変成岩の一種。

 まず、チャートと変成岩の組み合わせの胎土は、沖縄島軟部出土のものにはない(A)。
 
 Bの「片岩」は、雲母に似たり斜長石が含まれたりすることがあるのだとすれば、ヤブチ式がやや似ている。

 Cの「石英」は、どの土器にもある。石英の比重が高いのだとすれば、面縄前庭式古段階が近しい。

 そうすると、

 B:蛇
 C:貝

 Aを変成岩でとれば、

 A:トカゲ

 になる。

 大田原から出土しているのは、Bがほとんどだから、上記の推定は矛盾することになる。

 しかし、片岩は変成岩の一種だから、そういう意味では、Bは沖縄島南部の条痕文系と共通性が出てきて、トカゲと解しうることになる。チャートを多く含むのは、伊波式だから、チャートで取れば、

 A:貝と麻
 B:トカゲ
 C:貝

 になる。これはありえるだろうか。

|

« 「琉球列島における先史時代の崖葬墓」(片桐千亜紀)2 | トップページ | 「奄美諸島・沖縄諸島・先島諸島土器の蛍光X線による胎土分析--縄文時代後・晩期資料を中心に」(新里貴之、三辻利一、大屋匡史) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 胎土の南北:

« 「琉球列島における先史時代の崖葬墓」(片桐千亜紀)2 | トップページ | 「奄美諸島・沖縄諸島・先島諸島土器の蛍光X線による胎土分析--縄文時代後・晩期資料を中心に」(新里貴之、三辻利一、大屋匡史) »