「南琉球新石器時代の諸問題」(岸本義彦)
岸本義彦は、下田原期について、「有文土土器の見られる遺跡では骨・貝製品がほとんど出土しないのに対し、無文土器主体の遺跡において骨・貝製品が出土する傾向にあり、前者が時期的に古くなる可能性がある」と指摘している(「南琉球新石器時代の諸問題」「史料編集室紀要」2000)。
ふつうに考えれば、土器に表現していたものを、「骨・貝製品」に表現するようになったと捉えることができる。それはこの後、土器が消滅することとも連続的だ。
ここで考えたいのは、石斧との関係だ。石斧のほとんどは、「緑色片岩」が使われている。これは、キシノウエトカゲを表現したものだとみなせる。
だから、石斧が使われている限り、トーテムは「トカゲ」だとみなせる。けれどここで立ち止まるのは、次にくる「貝」は女性主体のトーテムだということだ。そして、土器は「赤」で表現されていた。つまり、キシノウエトカゲについて、石斧は男色である「緑」で表され、土器は、キシノウトカゲの胸部の「赤」で表されていたと言える。
そうだということは、石斧の推移と土器の推移は、別々に考えられなければならないのかもしれない。トカゲがトーテムであることに変わりない。それが、緑色片岩の石斧が使われ続けた理由だ。他方、土器が無文化するのは、トカゲの衰退を意味するだけではなく、女性性の強いトーテムである「貝」がせりあがってきたことを意味するのかもしれない。
それは、「骨・貝製品」のどこかに表現された。そして、斧自体も貝を示す必然性が出たとき、土器も捨てられた。そういう推移はありえるだろうか。
しかし、不思議なのは、石垣島産の胎土が混和剤であっても、「貝」を表現することはできただろうことだ。
ここで考えられるのは、石斧を見ても分かるように、南琉球では、トーテム像を持つより、トーテムになることが大事だった。土器はトーテム像にはなっても、トーテムになることを意味しない。男は、石斧を持つことでトカゲ人間になることができた。女は、おそらくは貝製品を飾ることで貝人間になることができた。
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