琉球弧の「油雨」「火の雨」神話
琉球弧の「油雨」「火の雨」神話を抽出する。
波照間島
太古島民漸次悪風に浸潤し、却盗、殺鐡、骨肉相屠り、其肉に飽き、非行背徳の巷となりぬ。神、憂慮借かず、恒に敬神篤信の念深かき、兄妹二人を幽暗なる洞窟が奥に潜ませ、白金の鍋を以て屋蓋したり。須由にして、油雨柿然歌まず。雨収まり、続いて火の露天より落ち、凄まじき風起り、血紅色の雲、狂ひ飛ぴて、島は火の海と化し了りぬ。火は三日三晩全島を舐め尽し、満目荒涼、唯白煙の立軍むるのみ。住民尽く灰壗となる。神、二人を洞窟の口に誘ひたり。地に一枝一葉の生存無きに驚き、彼れら、平生神を尊敬せるため、白から加護を得たるなりと、再生の恩を謝しける。神、二人を産石に椅らしむ。妹、産気を催うし、魚を分娩せり。其の魚は総べて毒魚なれば、兄痛く心を'悩まし、神慮に筍合せざるものとなす。茅屋を造り移り住む。妹、不思議なるかな、児女を儲けたり。其子成人の後、多くの児を生み、子孫拡がりて多数の民となれり。(岩崎卓爾『岩崎卓爾一巻全集』)
石垣島
幾年代が経る中に、人間は無数に殖え、従って互に信愛するの念薄らぎ、放建の振舞多く、一家内の不和、争論絶ゆる間なきに至れり。最早此世の堕落極めに達しける。神は遂に糠れたる地上の人の胤と生物の跡を絶たんと心さだめぬ。されど善良、敬神の念深かりし、兄妹二人を助け得させんものと、「おもと山」の頂上ハマヒサカキの茂れるもとに誘はれければ、山自から裂け、二人を呑み封ぜり。地に天災起り、油雨七日七夜降り続き、雨歌むや、同時に天の一方より、火の巨弾乱射され、勢ひ流星雨の如く、地上一面火の海と化す。人々驚き、慌てたれど、今は事已に遅く、火光焔は天に沖し、尽く焼尽されたりしが、ハマヒサカキのみ災を免れ枝葉繁る。神、兄妹を焦土に導かれた。時移るに連れて子々孫々相伝え、火の雨前にも弥増して住民霧だしく殖えたり。(岩崎卓爾『岩崎卓爾一巻全集』)
与那国島
大昔、島の人々は山野に生えている木の実、蔓の根をさがして喰べていました。又、海岸に出て魚貝類を漁り廻っていました。税金はなかったし、徒と言うものもなかったので、土民達はほんとうに自由の民の暮しをしていました。ある日、青く澄みきった大空が、俄に、燈色に変わって、さらに赤い色となり、遂に紅の炎となった。土民たちの祈りの効果なく、空から火の雨が降ってきました。士民達は泣き叫びながら右往左往しましたが、この火の海から抜け出ることが出来ませんでした。島は焦土と化し、生きとし生けるもの皆焼き殺されてしまいました。ところが神のみ心にかなった-家族が生き残っていました。その家族は神のみ声に従って、「どなだ・あぶ」にかくれていました。それで無事に助かりました。その子孫から耕すことを知るようになり、又、働いて余分の物を貯えることを知るようになりました。その為に、島は栄えるようになりました。(池間栄三『与那国の歴史』)
「火の雨」「油雨」による世替わりは、トカゲ世の終わりであり、この神話は、波照間島、石垣島、与那国島では、トカゲ世の終わりを経たことを示していると思える。下田原期の終わりと言ってもいい。
三者に共通しているのは、「洞窟」から新しい人間が出現することだ。貝世の始まりという意味では、「兄妹」が出現することになる。石垣島では山頂の場面になるが、「山自から裂け、二人を呑み封ぜり」と洞窟状の場であることは損なわれていない。
与那国島の場合は改変を受けていて、新しい世は「家族」から始まることになっている。変形の時期の新しさは、「耕す」ことや「蓄え」を知ることになったところにも示されている。
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コメント
wikiですが、兄妹は気になる話です。
>宮古諸島多良間島のウナゼーウガンに伝わる伝承では、大昔に大津波によって人が絶え、生き残ったウナゼー兄妹が仕方なく夫婦になった。最初に産まれた子はシャコガイだったが、やがて人間の子を産み、それから子孫が栄えた[4]。
投稿: 宮国優子 | 2018/02/14 02:04
宮国さん
多良間のブナゼー神話は、兄妹婚が否定されてないのが魅力的ですね。
投稿: 喜山 | 2018/02/14 06:51