「奄美・沖縄諸島における竪穴住居跡 : 貝塚時代前4期を中心に」(大屋匡史)
「奄美・沖縄諸島における竪穴住居跡 : 貝塚時代前4期を中心に」(大屋匡史「廣友会誌」2015)
大屋匡史は、貝塚時代前4期の竪穴住居について分類して分析を行っている。
Ⅰ類:地面を掘り込むのみ
Ⅱ類:地面を掘り込んだうえで、石灰岩礫などで四隅を囲む
Ⅱa類:床面の周縁を囲う(伊是名貝塚のみ)
Ⅱb類:竪穴の周縁を囲う
大屋は書いている。前5期にいたるまで、柱に規則性はない。
奄美では、Ⅰ類主体。また、竪穴住居の検出例が、「時期が新しくなるにつれ減少傾向」。
沖縄でも、Ⅰ類主体。前4期末になると、Ⅱb類の割合が増加する。
大きさは、両者とも長軸2.0~3.5m、短軸は1.5~3.0mに集中。長軸方向にやや大きくなる傾向。
ここから推理できることは何か。前5期が近づくにつれ、竪穴の周縁を石灰岩礫が囲うのは、「干瀬」や「海岸の岩場」を表現したものだ。長軸方向にやや長くなるのは一貫しているが、これは、前4期から前5期にかけて、「貝」から「貝=サンゴ礁」へと象徴が移行することを示している。
奄美で、住居跡が減少傾向を示すのは、「いくつかの拠点地を季節や時期によって移動をしながら生活していた可能性」があるのではないかと大屋は指摘している。この辺りは、南琉球を思い出させる点だ。
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