「琉球列島における先史時代の崖葬墓」(片桐千亜紀)2
具志川島岩立遺跡の人骨からは、「乾燥骨」のほか、「焼骨」、「火葬骨」も検出されている。
片桐は書いている。
(前略)崖葬墓では骨化した骨そのものを火で焼いて再葬する葬法や、軟部組織が残った状態で火葬する葬法が営まれていたことがわかる。全体が24事例と考えるとたった2事例は希少な葬法であるが、その数よりもこのような葬法が貝塚時代前期と後期にわたって行われていたことに着目したい。
24例中2例ということは、通例の葬法ではないということだ。
あてずっぽうに過ぎないが、「焼骨」は洗骨やオーストラリアの種族が骨を砕くのと同じで、再生を願うもの、「火葬骨」は、貝の増殖を願うもの、ではないだろうか。
焼くということは、太陽を通過させるということで、貝になる行為を意味すると思える。それを、人骨に対して行うのは、貝人間としての増殖であり、人体を焼くのは、貝になる行為として貝の増殖だ。
子の誕生を願う際に「焼骨」が行われ、貝の増殖が願われた際に「火葬」が行われた。そう仮説しておく。
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